「文楽」カテゴリーアーカイブ

狂言風オペラ「フィガロの結婚」

本日はこれ!狂言風オペラ「フィガロの結婚」@観世能楽堂(千秋楽)

狂言風オペラは、私も大好きだった大蔵流狂言方の故・茂山千之丞さんが始められた新ジャンル。「フィガロの結婚」は2006年に初演、その時には役者は全て狂言師でしたが、2009年の「魔笛」でシテ方が加わり、今回初めて文楽の人形・太夫・三味線が加わったのだそうです。

文楽人形のエロおやじぶりが面白かったとネットで誰かが書いていましたが、勘十郞サマは品がおありになるので、全く下品でないのにちゃんと面白かったので安心しました(笑)

素朴な疑問として、床の太夫と三味線がいつもの位置と左右逆なのは何故だったんでしょう〜?
あと、勘十郞サマが舞台下駄をお履きになっていなかったので(能舞台だから下駄はNGなの?)、左遣いと足遣いがたぶん体勢的にしんどいですよねー(^_^;

シテ方は面をかけていましたが、目付柱が取り払われていたので、ちゃんと舞台の端が見えているのかドキドキでした。あと、登場してからしばらくの間は言葉を発しなかったので、もしやずっと無言なのか!?シテ方のセリフも太夫がアテレコしちゃったらどうしよう〜、と(なぜか)不安になりましたが、ちゃんとシテのセリフ(謡)があり意味もわかったので安心しました(笑)

主役はほぼ狂言方ですが、想像通り狂言とオペラ(特に喜劇)は相性が良い!装束と多少のセリフ以外はあまり狂言の様式にこだわっていない模様で、狂言の枠組みを超えた(これは能も文楽もですが)思い切った演出も結構ありました。

たまたま正面席と中正面席の通路側の席だったので、通路で行われた狂言方のお芝居も至近距離で見られて良かった!

音楽はスイスから来日したクラングアートアンサンブルにより、管楽八重奏とコントラバスにて演奏されました。アリアの部分も彼らが演奏し、とても美しい音楽でした。彼らの衣装は普通に洋服でしたが、全員、足袋をはいていてキュートでした。

実はこの公演、私としたことが全くのノーチェックでした。今日、Facebookの勘十郞さんページや友之助さんの書き込みを読んで、え?そんなのがあるの!と、フラフラ〜と観に行ったんですよね。

東京では昨日と本日の昼・夜で合計4公演、あさって22日には京都、23日には大阪で1公演ずつ行われるとのことです。今日は空席がかなり目立っていてもったいなかったなー(昼はどうだったか知らんけど)。平日の夜とはいえ祝日の前日なのに・・・。昨日の夜はもっと早い18時開演だったので、もっと厳しかったのでは?(余計なお世話か??)

いろいろな意味で、まだ試行錯誤の段階なのかなーという印象を受けましたが、とても面白い企画だと思うので、千之丞さんのご遺志をぜひ後世につないで頂きたいです!

文楽9月公演「一谷嫩軍記」第一部 イヤホンガイドについて考えてみた

文楽9月公演、通し狂言「一谷嫩軍記」。
第一部を鑑賞しました。(第二部は来週観劇予定)

この作品、ともかくお話が面白いし、技芸員さんたちの熱演も素晴らしかったので、基本的には十分に楽しめたんですけど、唯一残念だったのがイヤホンガイドの解説がしゃべりすぎで興ざめしてしまったこと。

<ここからネタバレを含むので第二部をこれから観る人はスルー推奨します>

文楽で語られるストーリーは、平家物語などで事実として伝えられよく知られた話に「実は…」と別の視点のエピソードを隠された真実として加えることにより、物語をより面白く壮大に脚色していたりします。

二段目の「組討の段」熊谷次郎直実が平敦盛を討つ場面。文楽では直実が殺すのは敦盛ではなく実子の小次郎となっております。その事実は「組討の段」の段階では明確には表現されません。三段目の「熊谷陣屋の段」でそれまでの伏線を全て解決した形で明らかにされます。

ところがイヤホンガイドでは第一部の幕切れで「第二部をご覧にならない方のために・・・」と前置きしたうえで、そのネタバラシをしてしまってました。(なんだよぅ~、第二部をご覧になる方のことは考えてないのかよぅ~(ーー;))

一緒に観に行ったドイツ人のマギーちゃんに聞いたら、英語ガイドでもネタバラシしちゃってたようで、そのせいで話がわかりづらくなったらしく、少し混乱していました。

古典なのだから誰でもストーリーを知っているもので、それをネタバレと憤るなんてナンセンスだと思う人もいるかもしれないけど、一部の段のみ上演するいつもとは違って通しで上演する今回は特に(本当は結末を知ってはいるんだけど)張られた伏線をたどっていって推測してみたり、先はどうなるんだろう~とドキドキしながら観る楽しみを(気分だけでも)味わわせてほしかったなぁ~と思ってしまいました。

そういえば以前に、史実を基にした朝ドラを母と一緒に観ていて「この人はこのあとこうなっちゃうんだよ~」などと母に教えたら「アンタはそういうことあらかじめ調べてしまうからドラマが面白くなくなる!!(*`H´*)=3(怒)」と憤られたことを思い出しました。反省しています・・・。

ところで、前回の5月公演では中央に横書き字幕に変更されていたのが、今公演では左右に縦書き字幕、に再び戻っていました。横書き字幕、なかなか良いと思っていたんだけど、どうして元に戻したのかなぁ~??(←これは不満ではなく単純に疑問に思っただけ)

谷中で文楽~桐竹勘十郎×アラン・ウエスト(後編)

前回のお話 ⇒ 谷中で文楽~桐竹勘十郎×アラン・ウエスト(前編)

さて、左遣いの吉田簑紫郎さんと足遣いの桐竹勘次郎さんがご登場なさって、三人遣いについての解説です。通常、主遣いは、中腰の足遣いが楽な姿勢で動けるように高さのある舞台下駄を履きますが、今回は会場の都合上履きません。また、通常の舞台と違って手摺り(人形遣いの腰から下を隠すようになっている仕切り)が無いので、足遣いの全身が見えています。普段見られない光景です。かなり辛そうな体勢で遣っていました。若くても腰や膝を痛める人が多いというのも頷けます。足遣いの修行は10~15年だそうです。うーーん、大変ですね・・・(*_*) 左遣いと足遣いは普段は黒衣姿で頭巾を被っていますが、今回は男前のお顔を拝見できました。簑紫郎さんと勘次郎さんが何となく似てらしてご兄弟のよう(*^_^*)

三人でどのように息を合わせるかというと、主遣いが合図を出しています。もちろん舞台上で声を出すわけにはいきません。足遣いに対しては、主遣いの腰が足遣いの右腕に当たるような位置で密着し、主遣いの腰の微妙な動きから足遣いは次の動作を察することができるそうです。左遣いは主遣いから少し離れていますので、体に触れての指示はできません。左遣いは人形の頭後方から肩にかけての辺りを常に見ていて、その動きで合図を理解し次の動作に入れるのだそうです。それゆえ左遣いは絶対に人形から目を離せません。このような合図が決まっているからこそ、リハーサルをしなくても、また一緒に遣う相手が変わったとしても、同じように息の合った動作ができるのです。能のお囃子や舞にも合図的なものがあり、共演者が都度変わってもリハ無しぶっつけ本番で合わせられると聞きました。伝統芸能のルールって意外と綿密にできているのですね~~。

人形解説が終わり、休憩を挟んで「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)酒屋の段」の実演です。床には浄瑠璃語り・豊竹芳穂大夫さん、三味線・鶴澤清馗さん、私も大好きな若手実力派のお二人がご登場なさいました。
太夫の語りと三味線の演奏が始まってしばらくして、下手側から勘十郎さん始め三人遣いによる女形の人形が楚楚と歩みを進め中央に出てお園のクドキの部分を演じます。至近距離で観る人形と床の大迫力、人形の表情や動きがつぶさに見え、床の語りと演奏の振動まで伝わってくるようでお芝居への感情移入が促進されます。ただでさえ泣けるシーンですが、こりゃまたいつも以上に泣けますなぁ。・゚・(ノД`)・゚・。

これまで人形遣いご本人のお顔は人形を引き立てるためにあえて無表情にしているというイメージを抱いていました。無表情が板に付くほどプロとして一流という気もしていたので、勘十郎さんの無表情は一流の証とも思っていたのですが、今回近くで改めて拝見しましたら、全く無表情でなんかなかったんですよね。むしろお優しい表情をなさっているんです。健気で可哀相なお園を愛おしむような柔らかな表情で…。立役の場合は勇ましい表情になったりもするのでしょう。かといって見てすぐわかるほどオーバーな表情ではないんです。近くに寄らないとわからないほど微妙な違いなのです。その辺の絶妙さ加減が技芸の力量差として表れるところなのかもしれません。

それにしても勘十郎さんのトークは本当に楽しかったです。豊富なエピソードの紹介やユーモアのセンスが秀逸でした。文楽の技芸員さん特に人形遣いさんは舞台上では無言なので、おしゃべりをたくさんなさるイメージを抱きにくいです。しかし実際に解説などをなさるとお話し上手な方が多いです。しかも勘十郎さんクラスになると、たぶんどっしり構えて多くは語らずなのだろうな~とか勝手な妄想で決めつけてましたが、いやいやなかなどうして、面白いことしゃべるしゃべる(笑) 解説の間じゅう、会場には和やかな笑いが絶えませんでした。しかも、今では誰もが認める実力者であるにも関わらず、話す内容は若い頃の苦労話などが中心で、若手の頃の気持ちを今でも忘れずにいる謙虚さがにじみ出ていましたし、自分にもこういう時代があったのだと後輩や弟子に送る応援メッセージのようでもありました。
また、観客の私たちに対しても丁寧にご挨拶なさって気軽にお声をかけてくださったり、気さくで温かな方なのだな~と思いますますファンになってしまいました(*^_^*)

この催しで一つだけ残念だったのは、勘十郎さんの解説の最中に観客の皆様の写真撮影があまりに頻繁であったことです。撮影自体は許可とも禁止とも言われず容認されている雰囲気でしたが、シャッター音(特に携帯・スマホの電子音)がひっきりなしに響いてうるさく解説が聞こえづらくて気になりました。また後ろから照明が当たっていたため、前の人のスマホやタブレットの画面に光が反射してまぶしく鑑賞の妨げになってしまいました。お客さん的には他の人が撮っていれば我も我もとなるでしょうから、あらかじめ主催者様側より撮影してもよいタイミングを限定していただければありがたく思います。なお、実演の前に撮影を控えるよう観客へのアナウンスがありましたので、それ以降は静かに安心して観ることができました。

そのただ一点を除けばたいへん質の高い素晴らしい催しであったと思います。下町のお寺の良い雰囲気の中で鑑賞する一流のプロによる文楽、初心者にも昔からのファンにも楽しめる解説、実り多い贅沢な時間でした。これを観て文楽を観に行きたいと思われた方とても多いのではないでしょうか。しかし東京12月公演は既に完売だそうです。チケットお求めでない方は次の2月公演にはぜひ。主催者様やスタッフの皆さんの対応も親切で心地良かったです。今後もどうかまたこのような企画を催してくださいませ。大いに期待しております!

<公演メモ>
人形遣い 桐竹勘十郎 × 日本画家 アラン・ウエスト
「谷中で文楽」

2014年12月1日(月)19時~
於:正栄山 妙行寺

・解説「文楽って楽しい」  お話 桐竹勘十郎
・実演「艶容女舞衣 酒屋の段 お園のクドキより」
太夫  豊竹 芳穂大夫
三味線 鶴澤 清馗
人形  桐竹 勘十郎、吉田 簑紫郎、桐竹 勘次郎

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お寺の門も風情があります。
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仏様に見守られながら心穏やかに文楽鑑賞。
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太夫と三味線の床です。開演前ですが障子に映る人影がイイ感じ♪

写真撮影:飯塚和恵さま
※主催者様および撮影者様より写真の使用ならびに掲載許可を頂いております。

谷中で文楽~桐竹勘十郎×アラン・ウエスト(前編)

下町情緒にあふれる台東区谷中にある正栄山・妙行寺で催された
人形遣い 桐竹勘十郎 × 日本画家 アラン・ウエスト「谷中で文楽」
以前から様々な伝統芸能について日本画家アラン・ウエストさんのアトリエ繪処で行われているレクチャー&実演シリーズですが、今回は今をときめく文楽人形遣いの大スター桐竹勘十郎さんご出演ということで、噂が流れるやいなやチケット予約殺到か?という勢い、急遽もう少し広い会場でということになり、このお寺の本堂をお借りする運びとなったのだそうです。

御本尊様がお見守りになる本堂の板の間の部分にアランさんによって見事な日本画が描かれた屏風が立てられ、右側には義太夫のための床が設置され見台が置かれています。およそ百名の観客で座布団席と椅子席がほぼ満席となり熱気むんむんです。しかも普段文楽を観るよりはかなり間近に舞台を観られる距離の近さでこれはかなり贅沢な空間です。

午後7時開演。勘十郎さんがまずはお一人で紋付き袴姿でご登場。丁寧なご挨拶の後、最初に右の懐から二つの目玉のおもちゃを出します。これを指にはめて簡単な指人形を使って動かしました。次に左の懐から棒遣い人形を出します。泥棒の人形です。ここで勘十郎さんは棒を使って人形を動かして見せるのですが、おもちゃの人形が辺りをうかがったり身を潜めたり本物の泥棒そっくりの表情と動きにw(゚o゚)w さすが勘十郎さん、どんな人形でも上手に遣ってしまうのですね!

最初から文楽の人形が出てくるものと思っていましたから、他の人形を使って話し始めたのには意表を突かれました。取っつきやすい話の導入にお客さんもぐいぐい引き込まれています。つかみはOKという感じですねー。ちなみにこれらの人形は勘十郎さんご自身が博物館や劇場の売店で見かけてお買い求めになったものだそうです。根っからのお人形好きなのですね(笑)

次に人形の構造についての説明です。まず人形の胴について。まだ手足も頭も着物も付いていない胴は、肩板に布を垂らした簡単なものです。胴は人形遣い自身の持ち物だそうで布の部分に「桐竹勘十郎」と名前が書かれています。肩板の部分には性別や役柄に応じて幅や厚みを出すために乾燥したへちまを重ねづけしているそうです。

胴の部分に衣装を着付けていくのは人形遣いの仕事です。これを人形拵(ごしら)えといいます。胴に、綿の入った棒襟、中襟をつけ、その上に着物を着け、帯を着け、小物をつけ、手足を吊ります。最後に肩板の穴から頭の部分を差します。着付けは太くて長い布団針を使い糸で縫い付けていきます。素材が固いために縫い針が何本も折れてしまう場合もあるそうです。人形の役割によって縫い付け方も異なります。例えば遊女は襟を低く襟元が大きく開くようにつけるというように。逆に言うと襟をどう縫い付けたかによっておのずと役割が決まってしまうのです。間違えた付け方をしてしまうと台無しです。

どのように縫い付けるべきか具体的に教わることは無いそうです。師匠や先輩方の縫い付け方を見て技術を盗むわけです。また、千秋楽に人形をバラすのは足遣いの役割で、バラしながらどのような縫い付け方になっているかを見て勉強するのだそうです。若い頃に端役の人形の役を与えられると楽屋の隅っこでせっせと人形ごしらえをします。舞台や稽古、師匠のお世話や様々な雑用をこなさなければならない忙しい合間に少しずつ縫い付けていきます。せっかく苦労して途中まで縫い付けてあったものが、用事を済ませて楽屋に戻ってきたら全てバラされていて「ハイ、やり直し!」って言われたりする。しかし何処が悪かったのかは全く教えてもらえない、という涙目になりそうなお話も(T_T) 師匠や先輩のやり方をしっかり見て自分で試行錯誤しながら習得していくしかないわけです。芸の修行って本当に厳しいですね~~!

次に人形の頸から上、頭の部分の説明。首と書いて「かしら」と読みます。かしらの素材は檜の木です。樹齢六十年以上の太さの木を縦に四等分したものを彫って作られます。胴串(どぐし)という人形遣いが握る軸の部分は檜の最も堅い箇所から作られています。顔の表面には和紙を貼り、胡粉(ごふん)と呼ばれる貝殻を細かく砕いた粉を塗ります。能面などと異なり、人形の顔は公演ごとに塗り直されます。長い興行期間の内に汚れていくからだとか。塗り直しはいちいち前のを剥がすことなく重ね塗りされるそうです。そのため徐々に面相が変わっていきますが、水に湿らせた布を巻いておくと、最初に貼った和紙からぺろりんときれいに剥がれるのだとか。

主遣い(=三人遣いのうちメインで遣う人)は胴串を左手で握ります。小指と薬指だけでしっかり握り、他の三本の指は自由に動かして人形の頭の動きや顔の表情をコントロールします。例えば頭を傾けたり目や眉や口を動かすためのしかけが胴串にはついています。頭の内部にはバネの役割をする鯨のヒゲが仕込まれています。バネによって髪を結って重くなった頭を支えたり、仕掛けで動かしたパーツを元に戻したりと言うことができるわけです。
目や眉、口を動かして笑ったり怒ったり泣いたりという様々な表情を演じ分けますが、単に個々のパーツを動かすだけでは自然な表情にならず、体の他の部分や体全体を大きく動かすことによって豊かな表情を生み出します。と同時に、人形の顔までは良く見えない後方のお客さんにも表情が伝わるわけですね!

さて、このあと若手技芸員さんも登場します。続きは次回に・・・。

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アラン・ウエストさん作の美しい屏風画。こちらを背景に人形が遣われました。なんとも幻想的…(○´ェ`○)
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妙行寺の外観。お庭も手入れが行き届いていてキレイです~(*´▽`*)
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谷中の路地。左端にアランさんのアトリエがちょこっと見えます。

写真撮影:飯塚和恵さま
※主催者様および撮影者様より写真の掲載許可を頂いております。

5月文楽第二部「女殺油地獄」「鳴響安宅新関」

先日は竹本住大夫さんの引退狂言がかかった第一部について大真面目な感想を述べましたが、本日は別の日に拝見した第二部についてのレポートをやわらかめに書いてみます~。

女殺油地獄

《ざっくりすぎるあらすじ》
油屋の放蕩息子、与兵衛が、金目当てに向かいの奥さんお吉を油まみれ血まみれになりながら惨殺する。

文楽にはダメ男がしょっちゅう出てくるんですが、この与兵衛、私が今まで文楽で観た中で、至上最悪のダメ男です!
他のダメ男は、精神的にヤワなところがあったり、同情できる事情がそれぞれあったりするのですが、与兵衛に対しては全く共感できる余地が無く、本当に憎たらしい大馬鹿者ですた!(*`H´*)=3

私はこの演目、はるか昔に一度見たことがありました。17年前のことです。その時は、与兵衛が吉田簑助さん、お吉が故・吉田玉男さん、切場の床が竹本住大夫さんと野澤錦弥(現:錦糸)さんでした。

この配役は少し意外。簑助さんは女形、玉男さんは立役というイメージがありますので、配役逆転という感じです。お二人とも立役、女形のどちらでも器用に遣われる方ですので、まぁそんなにびっくりすることもないんでしょうが、今思い返すと結構貴重なものを観た気がします。

簑助さんの与兵衛役は結構はまっていました。女性のたおやかさを表現するのがお得意の簑助さんですが、根性が悪ぅーーい色男役もとってもお上手。本当に憎たらしくなるぐらいの徹底した悪役ぶりでした(*゚∀゚)=3

そして、その相手役となると、もう当時はつりあう人が文雀さんか玉男さんぐらいだったのでしょうなぁ。

その時の殺人シーンは今でも鮮明に印象に残っております。異様にゆっくりしていて、滑っては追いかけ、逃げては滑って、二人とも油で滑るあまりに、思うように追えない、逃げられない。追う与兵衛がこれでもかこれでもかと執拗に迫る感じが残忍さと凄惨さを際立たせていました。観る方はもどかしさを感じハラハラして、背筋が凍る恐怖心がじわじわ湧いてくるのでした~~(>ω<ノ)ノ

今回は、与兵衛・桐竹勘十郎さん、お吉・吉田和生さん、切場の床・豊竹咲大夫さん、鶴澤燕三さん。簑助玉男バージョンと比べるとはるかにスピード感があり、油で滑るシーンも、正直「滑りすぎなんじゃ…!?」と思ってしまうほど、ものすごい勢いでした。一緒に観た友人が「盗塁のよう」と申していて、言い得て妙(笑)。あれ?という間に殺人シーンが終わってしまっていて、ある意味あっさりした印象を受けましたかな。

しかしながら、人形を滑らせる技術はかなり難しくハードなものと思われます。手摺りの裏ではアスリート並の過酷な走りが課されていたようですなぁ。。。与兵衛の足遣いをなさっている人形遣いさんに手を見せて頂いたところ、痛々しく腫れていました。公演はまだ半分を過ぎたばかりでしたので、終わる頃にはもうボロボロになっちゃうんじゃないでしょうかね・・・可哀相・・・(・ω・。)

実はこの演目三回も観てしまいまして(^_^;) 最初は昔受けた印象とあまりに違っていて、あれれ?と拍子抜けな感じだったのですが、三回目に観た時は前の方の席で、人形もよく見えて、かつ、床の迫力もダイレクトに伝わる位置で、とても良かったです。さすがは勘十郎さんですなぁ。特に殺人シーン終盤で与兵衛が脇差しでぐさぐさ床を刺して這っていくシーンの狂気にはぞくぞくして鳥肌が立ってしまいましたよぉ~~~(((;゚;Д;゚;)))

鳴響安宅新関

歌舞伎十八番の「勧進帳」と同じ題材で作られた演目です。能の「安宅」が原型で、松羽目物と呼ばれ、舞台セットも能舞台を模したものです。

まず、太夫と三味線の多さに面食らいます。総勢15名!文楽廻しは三味線さんでいっぱいになり、太夫さんは舞台の奥まで連なっています。奥の方の太夫さんもう全然見えませんがな(ーー;)

舞台上で主に人形を遣う場所は舟底といい、通常の舞台床面より一段深くなっているものなのですが、「安宅」の場合は、舟底がなく床が完全に平らになっているそうな。人形の足の動きがよく見えるようにわざとそうしているらしいです。このように舟底を使わない形態は松羽目物に多いらしく、ひょっとしたら観客の目線を高くすることによって、能舞台を見上げる感覚を演出しているのかなとも思えてきます。

そんなわけで、人形遣いの腰から下がいつもより余分に見えちゃってます。人形の足が浮いたようにならないためには、少々低めに人形を構えることになり、足遣いもかなり腰を低くして遣わなければならず負担がかなり大きいようです。特にこの弁慶は派手に動く見せ所が多く、通常は出遣い(=顔を出して遣うこと)になるのは主遣いのみですが、この演目では弁慶のみ主・左・足の三人共が出遣いとなっています。今回の弁慶は、主遣い・吉田玉女さん、左遣い・吉田玉佳さん、足遣い・吉田玉勢さん。

この弁慶は足遣い卒業の役とされていて、この足遣いを立派に勤めた後、次のステップの左遣いへと出世するのだそうです。
今回足遣いを勤められた吉田玉勢さんは、既に左遣いとして活躍されている方で、十何年前にこの役の足遣いを勤められましたが、今回再びのお勤め。足遣いを卒業できる人が誰もいなかったからというわけではなく、たまたま他の配役との都合上、そうなったとのことです。玉勢さん、久々の弁慶の足、お疲れ様でしたぁ~(公演の後半日程は別の方が勤められています)。

松羽目物は太夫の語りが謡がかりだったりしますし、人形の動きにも能の所作が取り入れられているそうです。一応、橋懸かりを渡るところなどは、摺り足で歩かなければいけないらしく…、しかし、なかなか摺り足は人形には難しいようですね(地に足がついていないですもんね。笑)。歌舞伎と同じく派手な延年の舞や飛六方もありまして、お能の安宅とはかなり違っておりましたが、とても楽しく拝見しました。

着物友達のmegちゃんと♡
着物友達のmegちゃんと♡

さよなら住大夫さん(七世竹本住大夫引退公演)

住大夫さんが引退の意志を発表されたとき、いつかこういう日が来るとは思っていたが、それでもショックを受けた。

私が文楽を観始めた約20年前、住大夫さんは既に人間国宝で雲の上の人だった。

それ以来、住大夫さんは文楽の世界にいて当たり前の人、国立劇場に文楽を観に行くと必ずいる人、脳梗塞で倒れられた時ですら必ず復帰されると信じていたので、永遠に舞台を観られなくなる日が来ることは全く頭になかったのだ。

そして平成26年5月13日、住大夫さんの最後の舞台(私にとって)を拝見する日がやって来た。

恋女房染分手綱 沓掛村の段 切場。

養父・先代住大夫さんの引退狂言と同じ演目を住大夫さんご自身が選んだという。

今公演は住大夫さんが出演する第一部の入場券は早々に売り切れたという。本日も満員の観客席。ほとんどが住大夫さん目当てだと思われる。

最初の演目「増補忠臣蔵」が終わり30分の長い休憩をはさんでいよいよ「恋女房染分手綱」である。今公演は「沓掛村の段」「坂の下の段」のみの上演である。「沓掛村の段」の前が竹本文字久大夫さん、鶴澤藤蔵さんにより演奏され、文楽廻しが回って住大夫さんと相三味線の野澤錦糸さんが姿を現す。

いつもより大きい満場の拍手に沸く観客席。

そして住大夫さんの語りが始まる。引退公演だからといって気負った様子もなく、特別なことは何もない。淡々といつも通り語る住大夫さん。

その一方で、人形が演じる舞台上では、いつもと違うことが起こっていた。

住大夫さんの引退公演に花を添えるオールスターキャスト。人間国宝の吉田文雀さん、吉田簑助さんを始め、桐竹勘十郎さん、吉田幸助さん、吉田玉佳さん、桐竹紋臣さん、吉田和生さん、桐竹紋壽さん、吉田玉女さん、吉田玉志さん、錚々たる顔ぶれ。しかし、何よりも特筆すべきはその配役である。

一番驚いたのは、吉田簑助さんの倅与之助役。子供の役で普通であれば若手の人形遣いが遣う軽い役である。吉田文雀さんの八蔵母と二人きりの長めのやりとりがある。最も長いつきあいである三人の人間国宝を同時に舞台に立たせる計らいなのだろうか。三人の胸の内に長年一緒に舞台に立ち苦楽を共にしてきた思い出が蘇っていたであろうか。

また、大ベテランの桐竹紋壽さんと吉田玉女さんが端役である悪党の人形を遣って頭ぽかぽか殴られたりしていて、めったに見られない光景で、勧進公演の天地会までいかないけれど、少しお遊び的な感じにして華やかに送りたい意図があったのかもしれない。

住大夫さんの語りは良い意味で力が抜けているというか、アルファ派をたくさん出してくれる(=気持ちよく眠れる。笑)語りなのだが、今日もいつも通りアルファ派をたくさん出してくれていた。もちろん今日ばかりは全く寝てる場合じゃなかったけれど。

名残惜しくも段切りを迎え、満場の拍手に包まれ、文楽廻しが回る。住大夫さんの語りが終わっても演目は続く。心地良い余韻を残したまま。

「恋女房~」の次の演目、「卅三間堂棟由来 平太郎住家より木遣り音頭の段」の切場、豊竹嶋大夫さんと吉田簑助さんの熱演が圧巻で、実を言うと本日拝見して最も良かったと感銘を受けたのはこちらの演目の方であった。

引退する人とこれからも活躍する人の違いが如実に表れていた。嶋大夫さんと簑助さんもご高齢だが、脂が乗った状態はまだ続いているし、これからもご活躍なさっていくだろう。

住大夫さんほどの人になると、語りというものが、食べたり呼吸するのと同じ生態活動のようなものになっていて、何の苦も無く自然に身体が動くのだろう、だから力が入らず自然体なのだろうな、と思う。しかし、老いと共に普通に食べたり呼吸するのも辛くなる時があるように、語りも辛い時があるようになってきたんだろうな。そういうことだと思う。

今回、観に行って本当に良かったと思う。
まだ引退しないでほしいとも思っていたが、本日の舞台を拝見することで、これが引退にふさわしい時期だったのだと納得することができた。
住大夫さんも余力が残った状態できちっと最後まで演じ切って辞められれば悔いはないと思う。ぼろぼろになりながらも続けて思い通りの語りができないことが重なり悔いを残したまま辞めざるを得なくなるよりずっと良い。

過日、第二部の方を拝見したのだが、第一部に重鎮の方々のご出演が集中してしまったせいなのか、若手中心でキャスティングされ、かつ、出番も多かったり長かったりで、非常に若々しい舞台に仕上がった印象だった。
第一部と第二部を比較してみると文楽の世代交代を見ているようで、住大夫さんたちが長年培ってきた歴史を感じるとともに、若い技芸員たちが確実に育っていることに気づかされるものでもあった。

まだ千秋楽まで二週間ありますが・・・

住大夫さん、長きに渡って文楽の第一線でご活躍され、文楽の振興や後進の指導にご尽力され文楽界を牽引し、偉大な功績を残されたこと、尊敬の念に堪えません。本当にお疲れ様でございました。今後もお身体にお気をつけになって、お元気に日常を過ごされますよう、心よりお祈り申し上げております。

9月からはここで住大夫さんを観られなくなる・・・
9月からはここで住大夫さんを観られなくなる・・・

公演プログラムには、住大夫さんミニ写真集の付録が!
公演プログラムには、住大夫さんミニ写真集の付録が!

杉本文楽・曽根崎心中付り観音巡り@世田谷パブリックシアター

「杉本文楽・曽根崎心中付り観音巡り」@世田谷パブリックシアター、千秋楽を観てきました。

杉本博司さんという現代美術作家がプロデュースした作品で、東京では前売券が即日完売するほど人気の公演です。今回は当日券も出たようですが観られなくて悔しい思いをした人も多いと思います。

私は以前に杉本博司さんプロデュースの野村萬斎さん三番叟を観て、これはあまり好きではない!と思ってしまったので、その先入観もあり、少々構えて観てしまったかもしれません。

これ以降、この作品に対する思うところを書きますが、結論から言うと文楽自体は良かったですが、杉本演出はやはり好きになれませんでした。決して批判するつもりはなく、これは好き嫌いの問題なので、杉本ファンの方お怒りにならないでください。

正直申しまして、本公演で観た曽根崎心中ほどの感動には至りませんでした。昨年5月に本公演で観たばかりでその感動をまだ覚えていますので、もっと間が空いていれば少し感想は違っていたかもしれません。

演劇にはエンターテインメントとアートの要素があると思いますが、よりアート色が強い作品のように感じました。

杉本さんは文楽を材料にしてご自分のアート作品を作りたかったのだと思います。作品を完成させてご自分で眺めて良いものができたと満足したかったのだと思われます。文楽を観にきたお客さんをお芝居で楽しませることが目的ではなくて、杉本文楽という作品をわかる人だけがわかればいいと考えておられる。究極に言ってしまえば満足するのはご自身だけでも良かったのかもしれません。
アーティストとしてはそういう姿勢でも全くかまわないと思います。天才肌のアーティストはむしろ観る者に歩み寄らない孤高の存在である方が素晴らしいものが作れたり、価値が高く感じられるようなところもありますので、それはそれで一つの形として結構なのです。

映像収録用の公演(本来と違う公演)をわざわざ催すと聞いたので、なおさらそう感じてしまったのかもしれません。
先日ある能の会でテレビ収録のカメラが入り、演者さんが「観客の皆様にはご迷惑をおかけいたします」とおっしゃっいました。何気ない一言ですがテレビ収録というイベントも大切な中で、その場で観ている観客への心遣いが嬉しかったのです。今回はそれとは間逆の対応の気がしましたので。

人形遣いは主遣いも含めて全員が頭巾をかぶった黒子姿でした。舞台には手摺りがなく普段は見えない足もとまで全身丸見えです。
目立たないようにという意味があって黒子のはずなのに、なぜか出遣いの時よりも妙に目立って感じました。人形一体に三人の人形遣いですから、お初と徳兵衛の二人しかいなくても6人もの黒い人間がモコモコひしめいていてまるで羊の群れのように見えます。あぁ、いつもあんなに狭そうにやっていたのね、たいへんそう…。たいへんそうに見えるのは演出としてどうなのかな?

本来の文楽公演でも全員黒子姿の演目や場もあるというのに、今回殊さらそう感じたのは何故なのでしょう。全身が見えてしまっていることや、いつもは床のそばで見上げるように人形を見ていたのが、今回は上から見下ろす感じで観る劇場だったせいもあるのかもしれません。

個人的な感想では、主遣いは出遣いでも良かったんじゃないかな~と思います。人形の表情や指先の動きまでよく見えるような舞台間近の席で観られる人は例外ですが、ほとんどの人には全体は見えても人形の細かな動きや表情は遠くてよく見えていません。にも関わらずこれまで人形の動きや表情がよく見えているように感じていたのは何故か。

実は観ている方は、主遣いの顔の向きや目線、体の動きによって人形の動きや表情をとらえていたのではないだろうか。出遣いシステムは人形遣いのスター化がもたらしたと勝手に思い込んでいましたが、劇場が広い場合には出遣いの方が人形の動きをわかりやすく見せることができることに気付いて今の方式になったんじゃないかな、と思えてきました。

そういえば今回は観音巡りの勘十郎さんによる一人遣いが見どころの一つだったのですが、なぜかあまり人形の印象が残らなかったのです。床(大夫・三味線)の音楽の斬新さと背景のアニメーション動画のインパクトが強かったので、それに負けてしまった感がありました。出遣いであればバランスが良かったのでは…という気がしてます。

主遣いがいつもの高い舞台下駄を履いていなかったのも演出の都合なのでしょうが、いつもと違う高さで遣わなければならない左遣いや足遣いは辛いんじゃないかなぁ…と心配したり。そういえば三谷文楽でも舞台下駄を履いてませんでしたが、どういう演出効果を狙っていたのか知りたいところです。

三味線の譜面台が出ていたのが珍しかったです。本公演ではもちろん譜面は見ないで演奏しますし、その他の公演でも譜面を見ながら演奏したのは見たことがありません。清治さんが眼鏡をかけてめくっていたので実際に譜面を見ていたのだと思います。
観音巡り以外は本公演でもたびたび演奏していると思うのですが、今回かなり内容が違っていたのでしょうか。演出や曲が違っていたとしても清治さんご自身が作っていると思うんですけど。一回きりの舞台ならまだしも、欧州公演も含めるとかなりの回数を上演しているので暗譜してないわけがないと思うのですが。ちょっと不思議に思いました。

床は総じてとても良かったです。観音巡り、清治さん作曲の音楽は何か現代的な感じでテンポもリズムも良く、呂勢大夫さんはよく挑んでおられました。
天満屋の段、嶋大夫さんの語りは、杉本だろうが何だろうが関係ない、ワシはワシの浄瑠璃を語るんじゃ、的ないつもと全然変わりない感じが良かったです。

道行も良かった。5月公演ほどでなかったけど、やはり胸にこみあげるものがありました。ここは技芸員さん全員の本領発揮という感じがしましたので、杉本演出がもはやあまり気にならなくなっていました。

欲を言えば字幕があれば良かったんじゃないかな~と。解説つきの台本が500円で販売されていましたが、上演中は客席の照明は暗く落とされてしまい読めないですし、開演前に読む十分な時間もありません。アートに無粋な電光字幕はNGだというのはよくわかるんですけど。特に観音巡りは普段上演されていないものですから、ほとんどの人が初見ですし言葉も難しくわかりにくいので、字幕があった方が語りの面白さがもっと楽しめたような気がします。

私は(古典とコラボした)杉本作品がやはり好みではないと今回はっきりわかりましたが、技芸員さんたちの頑張りはよく伝わってきました。観てる間は太夫の語りや三味線の演奏、人形の動きをそれなりに楽しみながらも、やっぱり何だかな~ともやもやしていたりしたのですが、カーテンコールで汗びっしょりで観客の拍手に応えてくださった技芸員さんたちのお顔はみな晴れやかで、難しい要求に応えつつ全身全霊で演じて楽しませてくれたのだと感激しました。

野村萬斎さんの時は、杉本さんの個性に萬斎さんが飲み込まれてしまった感がありました(萬斎三番叟はやはり能楽堂で観るのが一番だと思いました)。しかし、今回の文楽は演出は変わってもこれまで古典で培ってきた自身の芸をそれぞれに貫いて撥ね返すだけのパワーがあったように感じました。伝統芸能と現代アートのコラボや、古典への現代演劇的アプローチには懐疑的な私なのですが、三業の技芸員たちの力量によってかえって伝統芸能の底力と揺るぎなさを感じることができたように思いました。観ないままでは何も評価できないし、こんなにいろいろ考えてしまうほどに自分はやはり文楽が好きなんだと再認識できたので、観に行って本当に良かったと思います。

これをきっかけに文楽を初めて知ったり、本来の文楽公演も観に行きたいと思われたお客さんがいらっしゃれば何よりだと思います。むしろ、これを見ただけで文楽はこういうものだと思い込んでほしくない、ぜひ本当の文楽に触れていただきたいです。

もし可能であれば観音巡りをいつの日か、東京か大阪の本公演でも上演できる機会が訪れればいいなと思います。

意欲的に取り組まれた技芸員の皆様方の努力には敬意を表し、本当にお疲れ様でしたと申し上げるばかりです。大阪公演でも数多くのお客様に楽しんでいただけますよう、皆様方のご活躍を願っております。

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文楽3月地方公演@サンパール荒川

文楽地方公演@サンパール荒川(荒川区)に行って参りました。

地方公演では初お目見えの会場。大きな会場ですが認知度が今ひとつだったのか都内にも関わらず大入りでなくてもったいない。A席2000円で10列目でしたから結構お得感はありました(S席は3000円)。

花競四季寿より万歳、鷺娘、ひらかな盛衰記より松右衛門内の段、逆櫓の段。面白い演目で楽しめました。

昼間に貸し切りで行われた学校公演のプログラムを無料でいただきまして(夜公演のプログラムは有料500円)、これを観るわけじゃないのになんで?と思いましたが、他の地方公演ではもらえない(ここだけプログラムが違うんだそうです)ものなのでまあレアものゲットということで(笑)

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本日、夜の部の演目は、花競四季寿、ひらかな盛衰記でございます~。

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サンパール荒川(荒川区民会館)大ホール。なかなか広い会場です。都電荒川線の駅からは近いけど、メトロの駅からはちょっと遠いかな~。

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昼間の学校公演のプログラム(無料)。実際に観た夜公演とは違う演目なので、なぜこれをくれたのが不思議です(余ったからくれたのかな?)

赤坂文楽「妹背山婦女庭訓」

「赤坂文楽」を観て参りました。いつもの赤坂区民センターが工事中ということで、今回は高輪区民センターでの開催。会場が狭いということもあり今回はチケット争奪戦でした。案の定、満席でございます。運よく入場できまして本当に感謝です。

第一部、桐竹勘十郎さんと吉田玉女さんがご登場。まずは勘十郎さんから玉女さんの二代目吉田玉男襲名についての祝辞があり、ようやく「女」が「男」になれますねとのジョークに会場もリラックスムードに。玉女さんご自身、故・初代吉田玉男師匠から、「女」が「男」になれるよう研鑽するようにと言われていたとのことで、47年間の時を経て念願叶いまことにおめでたいことです。

「妹背山婦女庭訓」名場面の映像を観ながら、二人のトークが進む形式。ほとんど勘十郎さんがお話しになり、玉女さんはそれに返答するような感じです。

まずは三段目「山の段」の映像が流されます。中央に吉野川が流れ、上手(右側)と下手(左側)に屋敷があります。上手が背山(男の屋敷)、下手が妹山(女の屋敷)という構成です。また、通常は上手側にある太夫と三味線の床も、上手、下手の両方に設置されているという珍しい演出。舞台全体がシンメトリーとなっています。

吉野川は本当に川が流れているように見える仕掛けが組まれ、手動と電動の場合があるそうで、電動は流れが速くて騒音も発するとか、お二人は手動の方がお好みとのことでした。

床は掛け合いで、映像では背山の豊竹呂大夫さんと鶴澤清治さん、妹山の豊竹嶋大夫さんと野澤錦弥さん(現・野澤錦糸さん)が確認できました。20年くらい前なのでしょうか。みなさん、とてもお若くて、私の大好きな嶋大夫さんもこの頃全盛期と言っていいかも、嶋さんの雛鳥はのびやかで色艶のあるお声が素敵でしたわ~~(〃▽〃)

人形は、久我之助を吉田玉男さん、雛鳥を吉田簑助さんが遣っておられました。玉男さんは玉女さんの、蓑助さんは勘十郎さんのお師匠様で、人間国宝であらせられます。お二人がお互いの師匠の芸について様々に語られました。

勘十郎さんは、蓑助師匠の姫を遣う際の品や色気について、自分はまだ出せていないとおっしゃいます。また、玉女さんも、二枚目の役を得意としていた玉男師匠のように、動かさずに存在感を出すのが難しいとおっしゃいます。

お二人とも師匠の芸を観て盗もうとするが、なかなかその域に到達できていない、たいへん難しいとおっしゃるのです。還暦をすぎて、観客の私たちから見れば今や何の文句のつけどころもない大御所であるお二人がなんと謙虚なことなのでしょう!改めて文楽の芸が一生学び続けなければならない険しい道なのだと思い知らされます。

この段は、敵対する家同士の恋人が死して一緒になれたという話なんですが、母親が娘の首に死化粧を施して雛流しの道具に乗せて川を渡します。哀切極まりないこの場面、映像を観ている一同しーーーん…。勘十郎さんが「初めてこの舞台を観た時はたいへん素晴らしくて感動し、今でも大好きな場面です。雛鳥が本当に可哀そうでねぇ・・・(と言葉を詰まらす)」という様子にこちらもグッときました(T^T)

次に四段目「井戸替の段」と「杉酒屋の段」の映像が流されます。
杉酒屋の段は人間国宝・竹本越路大夫さんが語られていました。残念ながら今回は床の映像は流れず音声のみでしたが、私はお舞台を拝聴することはなかったので、これが伝説の!!と感動(*´▽`*)

そして、玉女さんのお若いころ(30歳前後?)の映像が!!なまらかっこええ~~~。今もかっこいいですけど、昔からしゅっとなさってたんですね。玉女さんって髪の色は黒→白に変わりましたが、髪の量は全然変わってないですよねー。

勘十郎さんのお若い映像も見たかったですけど、この時は黒子だった?と思われ。ご尊顔拝することができず残念でございまする…。

玉男師匠と先代勘十郎師匠は「勘ちゃん」「玉男くん」と呼び合う仲だったそうで、玉女さんが玉男さんになったらそういうふうに呼び合う仲になれるかな、と勘十郎さん。同い年で仲が好さそうなお二人です。

さて、お二人の楽しい解説つき、映像の鑑賞もあっという間に終わり、休憩をはさんでの第二部は「道行恋苧環の段」の実演でございます。

舞台の後方、真中に床が設置されました。観客席と太夫・三味線が対面となる配置です。

この段は昨年の東京公演でも上演されましたが、二枚目の求馬を取り合うお三輪と橘姫がとても可愛らしいです。二人は同じ年頃の若い女性ですが、片やお姫様、片や町娘ですので、全く違うキャラクターです。町娘のお三輪の方が積極的な感じです。このような場面でも橘姫はおっとりして品があります。お三輪の方が横恋慕で分が悪いというのもありますけどね。それでも橘姫はライバル出現に心穏やかではないでしょうし。演じ分けが難しそうですね。勘十郎さんも10代半ばの女性を遣うのはとても難しいとおっしゃっていました(もう完璧にしか見えないのにまたまたご謙遜を…)。

ここは床も掛け合いで太夫も役がつき、それぞれのキャラクターを演じます。一人で語るときは登場人物の演じ分けとナレーションを全て一人でやるのでそれはそれで醍醐味なのですが、掛け合いのときは思いっきりその役になりきれるんじゃないでしょうかね。みなさん、伸び伸びと素敵に語ってらっしゃいました。道行は床も人数が多くて人形の動きも美しく、華やかでとても楽しいですね。何度観ても良いものです。

楽しい時間はあっという間に過ぎますね。満足至極!このあと、一緒だった友人と会場で会った友人と合流して御飯を食べに行き、文楽の話でまた盛り上がりました。あーぁーー、2月の文楽も終わっちゃった。ショボ――(´-ω-`)――ン。次は3月の地方公演を楽しみにいたしましょう!

赤坂文楽
人形浄瑠璃 文楽 伝統を受け継ぐ 其の四
~吉田玉男、吉田蓑助から受け継いだもの~
平成26年2月25日(火)18時半開演
@高輪区民センター区民ホール

<出演>
○第一部(トーク)
~文楽における伝統とは、文楽のおもしろさ、妹背山婦女庭訓の見どころ~
桐竹勘十郎
吉田玉女

○第二部
「妹背山婦女庭訓」より「道行恋苧環の段」
桐竹勘十郎
吉田玉女
吉田勘彌
竹本津駒大夫
豊竹呂勢大夫
豊竹芳穂大夫
鶴澤燕三
竹澤宗助
鶴澤燕二郎
ほかのみなさん

今回の会場は高輪区民センターです。白金高輪駅から直結の便利な場所にあります。
今回の会場は高輪区民センターです。白金高輪駅から直結の便利な場所にあります。
ホール玄関に貼られていた公演チラシ。
ホール玄関に貼られていた公演チラシ。
開演前。映像を映すスクリーンとトーク用の椅子が準備されています。
開演前。映像を映すスクリーンとトーク用の椅子が準備されています。
「道行恋苧環の段」の舞台。舞台後方に観客席と対面する形で床が設定されました。
「道行恋苧環の段」の舞台。舞台後方に観客席と対面する形で床が設定されました。
このような帯をして行ったら、友達から「苧環だから?」と言われ、はっ!なんたる偶然(笑)
このような帯をして行ったら、友達から「苧環だから?」と言われ、はっ!なんたる偶然(笑)