国立能楽堂の企画公演、松囃子-祝祷芸の様々- を拝見して参りました。
開演前に能舞台の上には三方が置かれ、白米を盛り、岩山に見立てられた黒い炭、唐辛子のくちばしと茗荷の尾で作られた鶴、椎茸の亀が飾られていました。
菊池の松囃子「勢利婦」
松囃子とは室町時代に流行した初春を祝う芸能だそうです。
熊本県菊池市の御松囃子御能保存会によって上演されました。。
舞人が一人、お囃子は太鼓1名、大鼓2名で、小鼓と笛はおりません。
また後ろにはバックコーラスを行う地方が今回は8名(数は決まっていないそうです)。
舞人は立烏帽子に直垂姿で紙垂が付けられた大きな笹を持っていました。他の出演者は全員、半裃姿です。
一同、最初と最後に正面席に向かい拝礼します。昔は将軍様へのご挨拶だったのでしょうか。
何度か出てきた「松やにやに、小松やにやに」という言葉がちょっと面白いと思いました。
三番叟を彷彿させるような軽快な動きのかっこいい舞でした。
舞囃子「高砂」
一流どころのお囃子方をバックに、宝生流の若き宗家が力強く爽やかに舞いました。全員、紋付袴ではなく素袍裃で、常の舞囃子よりも儀式的なおごそかさが増し正月らしいおめでたい雰囲気が漂いました。
狂言「松囃子」
この演目は初めて観ました。シテは最近お気に入りの名古屋の野村又三郎さん。またお会いできましたー(*´▽`*)
ある兄弟の家に毎年正月に松囃子の祝儀を舞うために来る万歳太郎が、年の暮れに送られてくる米が今年は届かなかったので兄弟の家に様子を見に行くと、兄弟ともに米を送らなかったことをすっかり忘れていました。しかし、兄弟は何にも知らずにいつものように松囃子を求めます。大切なことを忘れられてしまったので、太郎はテキトーに舞ってすぐに帰ろうとします。不思議に思う兄弟ですが、そのうち、兄が米のことを思い出し、続いて弟も思い出し、太郎は今度はきちんと「鞨鼓」を舞って新年を寿ぐのでした。
太郎が兄弟に思い出させようとしてあれこれ遠回しに言うのですが兄弟になかなか伝わらないなど前半はコミカルなやり取りが面白く、後半はおめでたい鞨鼓の舞の芸を堪能することができ、なかなか見応えのある楽しい曲でした。
狂言「靭猿」
茂山逸平さんとご長男・慶和くんの親子が猿曳きと猿を勤められました。大名役は逸平さんのお父様の茂山七五三さま、お兄様の宗彦さんが太郎冠者という三世代共演。
「猿に始まり、狐に終わる」と言われる狂言の修行。子方としてデビューする初舞台が「靭猿」ということです。慶和くんの初舞台は4歳の時に「伊呂波」で、靭猿は昨年5歳で初めて勤めたそうです。
子方は猿の面をかけて着ぐるみを身にまとい、四つん這いで歩いて鳴き声を発し、猿のようなしぐさをします。舞台に登場するだけで可愛らしさに見所の雰囲気をなごませる子方の存在ですが、この役では特に、大人たちが演技を続けている長い時間、足をかく、顔をかく、お尻をかく、横向きに転がる、などといった動作を休むことなくずっと続けていたのが本当に健気でした。基本的に同じ動作を繰り返しているだけなのですが、面をかけているし常に動いているのでかなりシンドイのではないかと。また、後半は猿挽きの謡う猿歌に合わせて芸をしますが、大名をひっかこうとしたり寝転んだり月を見たり稲を刈ったりと、結構バリエーションがあり、これが6歳の演技なのかとビックリするほどの密度の濃さです。本当によく頑張りましたねと褒めてあげたいです(*^_^*)
前半は大名が権力で靱に張るために猿の皮を得ようとし猿曳が拒絶して去ろうとするが大名が怒り出し射殺そうとする緊迫した場面、また、猿曳きが大名のあまりの剣幕にやむなく猿を自らの手で殺すことを一度は決心しますが、猿が殺される運命を知らずに芸をしようとするのを見て、子猿の頃から育てて芸を仕込んできた猿を殺すことはやはりできないと泣く場面と続きます。しかし大名もその哀れさに同情し、猿の命を奪うのをやめます。猿曳はお礼に猿歌を謡い猿に芸をさせますが、大名は楽しくなって自らも一緒に舞ったり、自分が身につけているものを次々とご褒美に与えてしまうなど、前半は我が儘で横暴でしたが一転してお茶目なキャラに(笑)
緊迫した場面、悲しい場面と数回のドラマ展開があり、最後には楽しくおめでたい雰囲気で終わる演目で、久々に見ましたがやっぱり大満足でした。