「森常好」タグアーカイブ

第99回粟谷能の会 事前鑑賞講座 写真コレクション

第99回粟谷能の会 事前鑑賞講座
2016年2月22日(月) 18:30~20:00 @国立能楽堂 大講義室
<出演>
粟谷明生さん(喜多流シテ方)
森常好さん(下掛宝生流ワキ方)
金子あいさん(女優)

※主催者様および出演者様より写真撮影および掲載の許可を頂戴しております。

DSCN1976_R
「融」のシテを勤めた喜多流の粟谷明生さん。司会の女優・金子あいさんは、公演当日に能鑑賞案内のお話も担当なさいました。
DSCN2006_R
名所教えについて地図と照らし合わせて説明。能では事実と異なる方角を示していたりするが、必ずしもリアルである必要はないのでOK!
DSCN2009_R
ワキの旅僧を勤めた、下掛宝生流の森常好さん。謡いの漢字の意味を強く意識すると情景と結びつかなくなるので、漢字の意味を消す謡い方をするというお話や「文学ではなく能楽を観てください」というお言葉が印象的でした。
DSCN2028_R
老人が汐汲みをする型を実演する明生さん。型付け通りで無難に勝負しないのは自分の性に合わないし、こういうふうにもできるとかこう解釈できるな、と大きくして表現するのがシテ方としての面白いところだと語っておられました。
DSCN2030_R
友枝昭世さんが厳島神社の能舞台で、汐汲み場面で舞台のギリギリ端まですごい勢いで進んでいき、海に落ちると思って「あーーーっ」と言ってしまったというエピソードを語る常好さん。
DSCN2047_R
狩衣の着付け実演。常好さんに着せてもらうというレアな光景。
DSCN2061_R
「融」では袖は垂らしたままだが、「田村」では甲冑のような形にする。
DSCN2063_R
「田村」の甲冑袖、完成!
DSCN2071_R
「融」の後シテで通常使われる「中将」の面。中将は在原業平のこと。なので、眉間のシワは、モテすぎて悩んでいるシワだそうです(笑)
DSCN2074_R
替えの面としてこれもアリという「今若」。鬼の要素を含んでいる。当日はこちらが使われました!
DSCN2078_R
シカケ、ヒラキ の型を実演。ものを集めて解放する型。老人の場合はほとんど手をあげない。
DSCN2085_R
最後に記念写真。お疲れ様でした~。 (2016年2月22日 粟谷能の会 能楽鑑賞講座 終了後)

第99回粟谷能の会の鑑賞レポートはこちら ⇒第99回粟谷能の会

第99回 粟谷能の会

3月6日(日)、第99回「喜多流・粟谷能の会」を拝見いたしました。先だって行われた事前鑑賞講座の内容を織り交ぜながら、感想を書きたいと思います。

今回は「白田村」(シテ:粟谷能夫さん)、「融」(シテ:粟谷明生さん)ということで、共通点の多い二つの演目。能の世界では重複することを「つく」と言い、同時に上演することを嫌うのだそうです。
これまで粟谷能の会ではいつでも上演する演目のバランスがとてもよく考えられていたと思います。しかし、今回は何故つく演目を選曲したのか?お二人とも60代となり「これからはやりたい曲をやる」という方向にシフトしたとのことでした。

とはいえ、最近では、テーマを決めて同じ傾向の演目を上演したり、他流間で同じ演目を上演し比較する企画など、似た演目を同時上演することは珍しくありませんし、また、共通点の中に埋もれた相違点を探し出すことも観る方としてはなかなか楽しい作業なので(少々オタクな趣味なのかもしれませんが。笑)、今回も大変面白く拝見しました。

「白田村」というのは「田村」という演目の小書(こがき=特殊演出)の一つだそうです。通常のタイトルに色の名前を付けて小書であることを表すのは喜多流独特の流儀のようです。今回はシテの装束がオールホワイトで一段と格調高い演出です。前場の童子からはピュアな、後場の坂上田村麿の霊からは神々しい印象を受けました。

「融」は世阿弥作で、「能らしい能」と言える曲だと思います。無駄なものを全て削ぎ落とし、この上なく美しい詩情にあふれた世界観を作り上げる。ここ数年、友人たちと一緒に粟谷能の会を観てきましたが、船弁慶、道成寺、正尊、安宅、と続きましたので、他の能の会を観ていない友人などには今回のような優美な能はかえって新鮮に映ったようです。

「白田村」と「融」の共通点について書きますと、前場で旅の僧(ワキ)が東国から京の都に上り、老人(シテ)がワキに名所を教えるところ(名所教え)はそっくりな設定です。また、旅僧の装束が着流し、後シテの装束が狩衣、女性が登場しない、などの共通点があります。

「白田村」は春の夕暮れ、若者が武勇伝をはつらつと語る、「融」は秋の夜、老人が昔を懐かしんで語る、と言った相違点もあります。ある意味、共通点が多い分、相違点がより際立ち、全く違った印象を受けるのも事実です。演じる方も意識的か無意識かはわかりませんが、「つかないように」ベクトルを逆に向けるようになることもあるのではないかと思いました。

名所教えの場面は「白田村」より「融」の方が多くの名所を紹介します。そのため「白田村」では名所教えがあっさり終わった印象がありました。「融」の方はじっくり何ヶ所も名所を教えるので、なんとなくこちらも教わっているような気分になってきます。

舞台上での方角は流儀により決まっていて、喜多流の場合は揚幕の方向が東となります。観世流などは逆に西になるそうです。方角が違うために流儀ごとの型に違いが生じるというお話は面白いと思いました。喜多流ではシテが登場して定位置についてから揚幕の方を振り返り月を見る型があり、観世流でやると月の方向が逆なのでおかしいことになります(明生さん談)。

ワキとシテが舞台上でそれぞれの方角に体の向きを変えながら、名所について語るのですが、その時、思わず私もその方向を見て、音羽山や清閑寺をまぶたの裏に思い描いていました。観客で埋め尽くされた見所全体が秋の野山や寺社に見えてきました。これまで能舞台上に自分の頭に描いたイメージを投影することはありましたが、観客席にまで脳内イメージが広がったことは今回が初めてで実に面白い体験でした。

「融」では常と異なる演出が多々見られました。例えば、ワキの登場は、通常ならば名乗り笛で登場し本舞台上に到着してから謡い始めるところ、今回は「思立之出」(おもいたちので)という演出で、揚幕が上がるとすぐに「思い立つ~」と謡い出して橋掛かりを歩みます。これは先日の「旧雨の会」で森常好さんがなさっておられたのをご覧になった粟谷明生さんが常好さんに今回も、とリクエストされた演出で、私もとても素敵な出方だなと思いました。

それと、早舞の時、クツロギという舞の途中で橋掛かりへ行き月を見てしばしお休みする演出、笛がいつもと異なる演奏をするところ。また、シテが最後に退場する際に揚幕の手前で本舞台の方を振り返って見るところ(明生さん曰く、未練を残しているのだそうです)など、いろいろな工夫や演出があって、「融」は元々面白い曲だと思いますが、いっそう興味深く拝見しました。

後場が良かったという友人が多かったですが、私は前場がとても良かったと思います。先ほど述べた名所教えの場面で世界がワイドに広がる感覚を得たことや、老人であるシテが変わってしまった自分を嘆く気持ち、喪失感のような思いが、謡い、仕草、表情(面の角度)から切ないほどによく伝わってきました。
また、森常好さんと粟谷明生さんの美声(私が現役能楽師二大美声だと勝手に思っていまして。笑)には、今回も惚れ惚れさせられました。

ところで、ワタクシこれまで能をたくさん観てきましたが最近何となく気になっていたこと、・・・それは「心が震えるほど感動することが極端に少なくなった」ということです。その答えの一つが、今回の「融」を観て導き出された気がしました。

事前講座に参加したり、演者に直接お話を伺ったりして予め知識を得ておくことは、普通なら難しく感じる点が理解しやすくなる手段としてはとても良いのですが、あまり手の内を知ってしまうと感動が薄れてしまうというのも少しあるのかなと思いました。
きっと今回の「融」は何の予備知識も無く見ていたらビックリの連続だったんじゃないかな、と思いまして。そして終わった後にスゴイもの観ちゃったな~という感動が押し寄せてきたのではと思うのです。だけど、観る前にいろいろ知っておきたいという思いも捨てがたく・・・。

知りたい欲求と、感動したい欲求のせめぎ合いで、落とし所が難しいところです。事前鑑賞講座は明生さんとゲストのトークが毎回とても面白いですし、初心者よりは能をよく見ている人にとって興味深いお話がたくさん出てくるので、講座それ自体は非常に価値があると思うんですよね。だからこれからも講座には参加するつもりです。その代わり、森常好さんが仰っていた「言葉の意味に囚われてはいけない。自分でイメージして感じることが大切」というメッセージは本当にその通りだと思いますので、忘れずに心がけて行ければいいのかなと思います。

狂言「鎌腹」は野村万作さまがシテで、大部分が独り芝居であるため、味わい深い熟練の芸を楽しむことができました。和泉流の演出だからなのか万作さまだからなのかはわかりませんが、ちょっとしんみりしてしまい、友人の一人は「あまり笑えなかった」と申しておりました。

狂言といえば笑い、というイメージですが(実際、多くはその通りですが)、万作さまほどの芸域の境地に達すると、笑いに限定せず人間の内面を描写している演目の方がより真価を発揮なさる(このような言い方も僭越なのですが)ような気がして、また実際にそういう演目に出演なさることが多いので、ワタクシは万作さまに対してはいつでも笑いというより胸キュンです(笑)

ところで、揚幕を上げるタイミングはシテが決めるものですが、「鎌腹」のようにシテが追いかけられて橋掛かりに駆け出すような演目の場合は、客席の様子を伺って決めるのだそうです。客席がざわついていたり、いつまでも席に着かない観客がいるとなかなか幕が開けられないそうですよ(という話を今回初めて聞きました。時間が着たら勝手に始まると思っていましたが違うのね(;´Д`))。開演ブザーが鳴りましたら速やかに着席して静かにしませう(←ワタクシのことです。スミマセンでした<(_ _)>)。

能の場合はお調べが聞こえてくるのでこの後すぐに始まるな、とわかるのですが、狂言は突然幕が開いて始まりますので、能と狂言の間に休憩を入れない番組編成になりがちなのはそのせいもあるのかな、と思ったりもしました。

次回の粟谷能の会は100回という節目を迎え、大曲「伯母捨」と「石橋」(半能)が上演されます。次回はまたバランスを考慮した選曲となりましたね(笑)。噂によるとパーマヘアのお獅子が出てくるとか!楽しみにいたしましょう\(^O^)/

第99回粟谷能の会
2016年3月6日(日) 12:45~17:00 @国立能楽堂
<番組>
「白田村」 シテ 粟谷能夫
「鎌腹」 シテ 野村万作
「融」 シテ 粟谷明生

事前鑑賞講座の模様はこちら
第99回粟谷能の会 事前鑑賞講座 写真コレクション

第98回粟谷能の会「安宅」(後編)

前編はこちら⇒ 第98回粟谷能の会「安宅」(前編)

富樫に促されて弁慶は勧進帳を読み上げることになりました。この「勧進帳の読み上げ」は「安宅」という演目の最大の見どころと言えましょう。弁慶は一巻の巻物(もちろんこれは勧進帳ではない。何か別のことが書かれた書物)を持って高らかに読み上げます。

前回の「正尊」での起請文の読み上げもたいへん素晴らしかったですが、今回もすごかった!直面の良いところは口元が面に遮られることがないので謡の声がよく響き渡ることです。明生さんは元々美声なのですが、いつも以上に素晴らしいお声を聞かせていただきました。

そして、ご本人も仰っていた、若い頃は囃子方の手組みとの掛け合いが難しいため間違わないことが第一だったが、今なら技術点に加えて芸術点を上げていきたいという意気込みですが、これは十分に達成できたと実感なさったのではないでしょうか。遠い脇正面席で表情や所作などは残念ながらよく見えなかったのですが(おそらく富樫が巻物をのぞき込もうとしてそれを見せまいと遮るなど緊迫したやりとりがあったはず)、声のみでもその緊迫感はビンビンと伝わって参りました。

最初は(実際に書いてあることを読んでいるわけでないので)ゆっくり考えて一つ一つ言葉を置くように述べていく弁慶ですが、後半は勧進帳の決まり文句をリズム良く暗唱して最後にはノリノリになります。そして「天も響けと読み上げたり!」と謡うと、この勢いに圧倒された富樫は、急いでお通りください、と一行を通してしまいます。

明生さんのお話によると、歌舞伎では富樫の温情で一行を通すが、能では仏の信仰の圧力によって通すのだ、という解釈なのだそうです。最期の勤行で信仰による恐れの気持ちがふつふつと湧きはじめ、そして勧進帳の読み上げで恐れが最高潮に達して決定打となった、ということなのでしょう。

ところが、いったん通した富樫ですが、判官殿のお通りですぞ、と太刀持に言われ、再度一行を止めます。仏罰の恐怖心から思わず通してしまったがここで我に返ったということなのでしょうか。判官に似ている人がいるので止めたと言う富樫。弁慶が義経を打擲して見せて、富樫方の疑いを晴らそうとします。ご自身が子方の時にはボコボコに打たれたという明生さん。今回は比較的ソフトな打ち方をなさっていたように見えました。ご自分のトラウマからちょっぴり優しさが出たのでしょうか?(笑)

弁慶が義経を打擲するという渾身の演技を見せてもなお富樫は、それでも通せず、と主張したので、弁慶はあんたら賤しい強力の笈を狙うなんて盗人じゃないの!?と言いがかりをかけ、山伏たちは刀を抜きかけてワラワラと富樫らに詰め寄っちゃいます。ビビった富樫は結局またまた通しちゃうのです。これまで慎重にきたのに最後はゴリ押しで突破した感が否めない(笑)

ようやく関所を通過できた弁慶一行は、しばらく行った先で休憩しています。そこへ富樫がやって来て、先ほどの非礼な振る舞いのお詫びにこの辺りの酒を持ってきたと言います。弁慶は富樫と酌を交わし酒宴を始めます。しかし、弁慶は最後まで気を許すことはありません。今回の明生さんの演能レポートに「呑んだふりをして相手が見ていない隙に酒を捨てる型を試みた」と書かれておりました。そこまでちょっと気づけなかったのですが、なるほどもし近くで見ていたら、弁慶の富樫に対する敵対心、決して油断すまいという固い意志のほどがはっきりわかったかも、と思いました。

そして弁慶は「延年之舞」を舞います。

明生さんの解説によりますと、通常の男舞に特殊な囃子方の手組みが入り、シテが跳躍や特殊な足踏みをする小書であり、喜多流では跳躍の後の音を立てない抜き足のような足踏みを大切にしているとのお話でした。どこで跳躍と抜き足が入るのか注意深く見守りました。一度きりの高い跳躍、翁の三番叟からの影響を受けたという、大地を整え種まきをするような動作、常とは異なるこの舞いをとても面白く拝見いたしました。

弁慶が舞うなか、地謡が、おのおのがた、早くお立ちなさい、束の間の心も許してはなりません、と謡い、子方を先頭に郎党らは一斉に橋懸かりをすごい勢いで駆け抜け次々と幕に入ります。それはもうビックリするくらいものすごい速さでした!これは万一足が痺れていたらやばいことに…(^◇^;) 一行の最後に弁慶が続き、三の松で留め拍子を踏んで終わります。

この曲では地謡の出番がかなり限られています。今回はさらに延年之舞の小書により本来謡われるべき詞章(義経の心情などを語る部分)も省略されて通常より少なくなっていました。その分、シテや大勢いるツレの謡が割合として多くなり、セリフ中心の構成となることにより劇的な効果をいっそう高めているように感じました。

今回のお席は脇正面席の三の松あたり左端、三千円也。一万円の正面席に比べると、かなりリーズナブル。橋懸かりかぶりつきでどの席より役者にだんぜん近いです。勧進帳を読むところがよく見えないのだけが残念でしたが、橋懸かりはシテやツレが何度か行き来しますし、シテが橋懸かりの三の松あたりで折り返したりするところや最後のシテの留め拍子も目の前で思わず目が合いそうに感じるほどの近さ、シテやツレの表情も良く見えるし、最後に一行が脱兎の如く走り抜ける際は振動までも伝わってきて臨場感たっぷりの特等席でした。

狂言「鐘の音」。シテが人間国宝の野村萬さまでほとんどが独り芝居、言葉の勘違いから主人に命令されたことと違うとんちんかんなことをしてしまう太郎冠者を演じられました。4つの鐘の音を擬声音でそれぞれ表現し分ける場面や主人の機嫌を直そうと舞い謡いを披露する場面など、完璧としか言い様がなく、その至芸を存分に楽しませていただきました(*^_^*)

能「鉄輪」。シテは粟谷能夫さん。二場物ながらも、1時間ほどの短い能で、安宅という観客も力が入ってしまう能を観た後に拝見するにはバランスの良い選曲。後シテの面が「橋姫」になるのか「生成」になるのか楽しみにしていましたが、結果「生成」を使用なさっていました。事前講座の写真で見た生成の面は人間に近い女性の顔立ちにちょっとしたツノが生えている感じだったのですが、今回使われていたのは目をギロっとむいて口も大きく開いた、より鬼に近づいた形相のものでした。
明生さんが終演後に、演出上、安宅と重なっている部分が多かったのが反省点だったが、能夫さんが気を利かせて最後の場面で三の松で留めて終わるはずのところを、振り返りもせずに消えて行くという演出に変更したと仰っていて、なんて素晴らしい機転なのだろうと、優れた能楽師の対応能力の高さににいたく感心いたしました。

次回の粟谷能の会は来年3月で「白田村」「融」。これまで3月と10月の半年毎に催されてきた「粟谷能の会」は来年より3月のみの年一回になるのだそうです。寂しい限りですが、その分、密度の濃いお舞台を拝見できることになるのではと改めて期待もしております。ワタクシ個人的には明生さんの老女もの、いつごろ来るかな?とそこが気になっているのですが、もう少し先の話でしょうか。再来年は第100回ですのでもしやその時に・・・?いずれにせよ、まずは次の回を楽しみにいたしましょう!

第98回粟谷能の会「安宅」(前編)

第98回 粟谷能の会 に行って参りました。

今回は粟谷明生さんが還暦記念で「安宅」のシテ・弁慶を勤められました。今年3月の会の「正尊」と同様の現在物、また、正尊の起請文と同じく「三読物」の一つとして重く扱われている「勧進帳」読み上げがあります。

「安宅」はこれまでに何度も観ている大好きな演目。また、今公演に先駆けての事前講座にも参加し、プチ薀蓄も加わりもうワクワクです((o(´∀`)o))
事前鑑賞講座の模様はこちら ⇒第98回粟谷能の会 事前鑑賞講座

まず、安宅の関守であるワキ(富樫)とアドアイ(太刀持ち)が舞台上に登場します。ワキは森常好さん、アドアイは野村虎之介くん。
太刀持は富樫を守る役ですが、森常好さんの体格と雰囲気がご立派すぎて、とても強そうな富樫、SPは必要なさそうです(笑)
虎之介くんは太刀持が初役ということでしたが、のびのびとした声で堂々と演じており、また若さあふれる体当たりの演技で、たいへん良かったと思いました(^_^)

次に、子方(義経)、シテ(弁慶)、シテツレ(義経の郎党7名)、オモアイ(強力)が登場します。子方は友枝大風くん、オモアイは野村万蔵さん、シテツレは喜多流の若手イケメン能楽師たち。
一行は本舞台に入ると向かいあって並びます。大きな男たちがたくさん立つと舞台上はかなりキツキツな感じ。昔はワキとアドアイも本舞台(地謡の前とワキ座)に座ったそうですが、これではとても無理だろうなと思います。富樫と太刀持は舞台奥に下がります。

シテ・ツレの次第の後に通常ですと地謡により行われる地取りが、オモアイによってちょっとした替え歌で行われます。このような狂言方の地取りがあるのはこの曲だけとのこと。
弁慶と郎党らが「旅の衣は篠懸の。旅の衣は篠懸の。露けき袖やしをるらん」と謡うと、強力が「おれが衣は篠懸の破れて事やかきぬらん」と続けます。大きな声でするのも特徴的です。

強行突破しようという血気盛んな郎党の意見に、ここは慎重にいくべき、と言う弁慶。弁慶が義経に強力の姿に身を変えて関を越える提案をする場面は、うやうやしく平伏したままで行なわれ、本来なら許されないほど恐れ多いことだがこの非常時に義経をお守りするためにはやむを得ない決心をしてのお願いであるのだという弁慶の義経に対する崇敬の念が伝わってきます。

義経に背負わせる笈(おい)を運ぶシーンでは、笈が強力→弁慶→従者と順繰りに手渡されます。実は軽い笈がいかにも重そうに扱われる様子は、主君である義経にこれから滅相もないことをさせてしまいますがどうぞお許しくださいと恐縮するような重苦しい雰囲気です。

弁慶は強力に関の様子を偵察に行くように命じます。強力が山伏と悟られないように兜巾(ときん)を外し、関まで行くと、これまでに捕らえられて殺された山伏の首がずらっと並んでいます。強力は、何と恐ろしいこと、山伏の姿に身をやつしている自分たちも同じ目に合うに違いないと恐れおののきます。

そんなに凄惨な状況だというのに、面白いのが、ここで強力が一首和歌を詠むことです。
「山伏は貝吹いてこそ逃げにけれ。誰追ひかけて阿比羅吽欠(あびらうんけん)、阿比羅吽欠」
万蔵さんの事前解説によると、身分の低い強力でも、教養があるんだということを表しているそうです。それなのに弁慶に「小賢しいことを言うやつだ、いいから黙って付いてこい」みたいに言われてしまい立つ瀬がないですが…(^_^;)

ここで「貝立」という狂言方の小書。これは「延年之舞」の時にのみにつく小書だそうです。
弁慶が「近頃小賢しき事を申す者かな」に続けて「さらば貝を立て候へ」と言うと、強力は自分の右手に扇を半分ほど開いて持ち、左手を下に添えて、あたかもホラ貝を持って吹いているような格好をします。そして、ズーワイ、ズーワイ、という擬声音を発し、ホラ貝の音を表現します。実に写実的で本物のホラ貝が見えてくるようでした。

この曲でのアイは、多くの能で演じられるような状況説明するだけのための役割とは違い、しっかり芝居の配役の一員となっています。万蔵さんが味わい深いキャラクターの強力を好演され、他の登場人物を引き立てつつ自分の存在感も示すことで、お芝居に深みや奥行きが出るよう味付けなさっていたように感じました。

万蔵さんは以前、能は主役第一主義の演劇で様々な登場人物がいてもシテがドンと存在しており他の役が周囲にある。普通の能は本当にシテだけ。しかし、現在物になるとある程度いろんな役柄の大物の力、演技が表立って見えてくる。みんなでお芝居を作っている。と仰っていらして、それをアイの立場から今まさに体現なさっているのだなぁと思いました。

強力に変装した義経を後ろに従え、弁慶たちは安宅の関に到着します。そこで関守をしている富樫に、弁慶は東大寺大仏建立の勧進のために旅をしていると説明しますが、富樫は山伏だけはこの関を通すことができない、山伏は全員斬ると言います。ここで弁慶は斬られるなら最期の勤行を、と願い富樫も承諾します。弁慶らが勤行を終えると富樫は、勧進というからには勧進帳を持っているはず、それを読むようにと促します。

長くなりました。後編に続く!

第97回 粟谷能の会「正尊」

3月1日、「粟谷能の会」を拝見して参りました。(← いつの話?寝かせすぎました。笑)

お目当ては「正尊」。事前鑑賞講座にも参加して半ば観た気になっていましたが(笑)、新たな発見などもありとても面白かったです♪

事前鑑賞講座の模様はこちら ⇒ 第97回粟谷能の会 事前鑑賞講座

義経、静御前、家来二人、弁慶が登場。正尊の頼朝の命での義経討伐の疑念が持ち上がっています。
弁慶(ワキ)は森常好さん。めっちゃカッコイイです!常好さんは世界一弁慶の似合うワキ方だと思います♪

正尊登場。正尊(シテ)は粟谷明生さん。白の水衣を着ていて涼しげ。あれ?夏の話だったかしらん?白の装束によって、起請文の読み上げで潔白を主張するイメージを表現したのかな?と思っていましたが、明生さんの演能レポートによると、正尊では黒を着る人が多いが黒は強いイメージとなるので、悲劇の男性を表現するために白を選択したとのことです。

登場した正尊は、事前講座で明生さんが語ったとおり、命じられて仕方がないからイヤイヤ来たよ的な表情をしておりました。

弁慶が正尊を連れて行こうとするときも、正尊イヤそう~。弁慶は、ものすごい迫力で強そう~。弁慶が先に立ち小走りで先導しますが、正尊は行きたくなさげにゆ~っくり歩いてついて行きます。このしょうがなく連れて行かれ感。弁慶と正尊の間隔がじわじわと離れていき、正尊逃げようと思えば逃げられそうなんですけど(笑)
ちなみに観世流では、正尊に前を歩かせて、弁慶が後からついていくのだそうです(常好さん談)。

【ポイント1】 正尊の心情
弁慶が正尊を連れて行く緊迫の場面の辺り、初同(地謡が初めて謡い出すこと)に正尊の心境が全て凝縮されていると明生さんは語られていました。このことを聞いていなければ、さらりと聞き流してしまっていたでしょう。しかし、今回はこの短い一節に集中してじっくり聞きましたぞ!

否にはあらず稲舟の。否にはあらず稲舟の。上れば下る事もいさ。あらまし事も徒に。なるともよしや露の身の。消えて名のみを残さばや。消えて名のみを残さばや。
(否とは言えず立ち出でる。こうして都に上ってきたが、もはや鎌倉に下ることは叶うまい。それでもよい。この身は消えても名を残そう)

なるほど、最初から正尊が乗り気でなかった感じがひしひしと伝わってきますナ。

そして正尊は義経の前に突き出されますが、ここに来たのは参詣のためで、討伐のためなんかじゃないよ~と主張します。正尊は嘘をついていないことを信じこませるために、その場で起請文をさらさらと書き、義経の前で読み上げます。

【ポイント2】 起請文
起請文とは?主張が正しいことを証明するために神仏に誓う分のこと。
起請文の読み上げは能の三読物の一つで重習いであります。重習いとは年数や経験を積んだ能楽師だけが先陣から直接伝授されて習得する演目や場面のことです。明生さんも初めて挑むこの起請文の読み上げ。どんなことになるかワクワクです!((o(´∀`)o))

シビれました!私は明生さんの謡の声が元々とても好きなので、直面(能面をかけていない状態)で声がよく通って聞こえることもあり、見所全体に堂々とした謡が響き渡り、聞き惚れてしまいました。ここにはもう、イヤイヤ連れてこられた正尊はいない。彼は偽りの芝居を演じ通す覚悟を決めたのだ。それによって命を落としても構わないとついに腹をくくったのだ。正尊の表情は何かふっきれたように見えました。

起請文には神仏への誓いと、それを破ったときの罰についても記されています。正尊は頼朝から命令を受けたときに死ぬ覚悟を固めたと思われますが、起請文を読むことでさらに神仏を裏切り地獄に墜ちることさえも覚悟したのではないでしょうか。

正尊が偽りの宣誓をしていることを義経は見抜いていましたが、見事な起請文を書いて読み上げたことにいたく感心したため、正尊のために酒宴を催します。

【ポイント3】 子方の舞
子方が演じる静御前は酒宴で正尊に酌をし舞を舞います。これがまた本当に見事な舞でした!子方があれほど長く難しい舞を立派に舞うのはそうそう観る機会がありません。観世流・宝生流の正尊では子方の舞はとてもシンプルであっという間に終わるのだそう(常好さん談)。謡いも元気よく伸びやかに声が出ていました。本当にたいへん良くできました!(*´▽`*)

静の舞を見ている時の正尊の気持ちというのは如何なるものだったのか?明生さんは仰っていました。うまく油断させることができたと酒宴をとりあえず楽しんだでしょうか。それとも、ここは何とかやり過ごすことができたが、次の段階である討ち入りのことに考えを巡らすと舞は全く目に入っていなかったかもしれません。

酒宴が終わり、橋懸かりを渡る正尊の表情には、もはや登場した時とは全く違う、決意や覚悟のような毅然とした強さが感じられました。(中入り)

正尊が討ち入りの準備をしていると偵察の者から報告を受けた弁慶と義経らは、戦うために身支度をします。

正尊の郎党が4人、腹心の姉和平次、正尊が揚げ幕から出て橋懸かりにズラリと並びます。正尊は一番後ろで床几に腰掛けました。

【ポイント4】 切組
切組とは時代劇の殺陣に当たるアクションシーンです。能にしては動きが激しく驚かされますが、型は洗練されており美しくすら感じられます。リアルな演劇では斬られた者はその場に倒れて残されるか、フレームアウトして去るかですが、能の場合は「ハイ今死にましたよ~」というお約束の型をします。それが飛び安座、仏倒れ、前倒れ、宙返りなどです。見事な死にっぷりに客席のあちこちから「おぉーーーーっ!」という声が上がります。直立不動の姿勢のまま仰向けにバタンと倒れる仏倒れは頭打ったりはしないのかとヒヤヒヤします。相当練習したんでしょうなぁ~。
お約束の型が済むと、もう死んでるのにすっくと立ち上がって普通にすたすた歩いて切戸口から退場します。なんかこういうアッサリした所が能って面白くてたまりません。

正尊側の郎党が次々と倒され、姉和が弁慶に挑みますが倒されます。最後に正尊だけが残り、義経、静と次々と戦い、最後に弁慶との一騎打ちになります(ここんとこ、よく考えたら、普通、義経と戦う前に弁慶とだろう~、家来二人何涼しい顔して見てんの~、静御前まで戦っちゃうの~?とツッコミどころ満載ですが、超盛り上がっているのでそんなことどうでもよくなりました。笑)。

大太刀を持つ正尊と薙刀を持つ弁慶が刃を交えますが、二人はすぐに武器を捨て取っ組み合いに。この辺りスピーディすぎる展開なのは地謡に尺を合わせる必要があってやむなし?弁慶は正尊を投げ伏せ押さえ込んでしまいます。その時、弁慶は正尊の肩をしっかと押さえています(明生さんこだわりの演出)。

そして家来二人が正尊の両腕をしっかと抱えて連行していきます。並んだ三人が橋懸かりを小走りで幕に入ります。あぁぁーーー、かわいそうな正尊。ショボ――(´-ω-`)――ン
しかし、義経や弁慶の陰に正尊という悲劇の人がいたのだというドラマがワタクシの心の中にしっかと残りましたよ。

おシテの明生さんによる詳細な演能レポートが掲載されていますのでぜひご覧ください。↓
粟谷能の会:演能レポート:演能機会が少ない『正尊』に取り組む

今年、還暦を迎えられる明生さんは、お父様の粟谷菊生さんのご命日に、喜多流でもう一つの「読み物」である「安宅」を次回の粟谷能の会で勤められます。こちらも楽しみにいたしましょう♪

928

第97回粟谷能の会 事前鑑賞講座

3月1日に催される「粟谷能の会」の事前鑑賞講座に行って参りました。

今回は現在物の大曲「正尊」がテーマ、また、下掛宝生流ワキ方の第一人者、森常好さまをゲストにお迎えするとお伺いし、ワキ方フリークのワタクシといたしましては絶対に行かなくては!!雨ニモマケズ、会社を早退してはるばる調布から千駄ヶ谷の国立能楽堂に駆け付けましたよ~。

まず前半は、今回、正尊でシテを勤められる粟谷明生さん、女優の金子あいさんのお二人がご登場。粟谷能の会の最初の演目である「三輪」についての解説が行われました。
早く「正尊」の解説に行きたそうな明生さん。自分が出ないものを解説するのは苦手…だそうで。「三輪」も以前に演じたことがあるそうなのですが、終わってしまえばあまり興味がなくなるんですって(笑)さすが常に未来に向かって前進し続ける男、粟谷明生、です!

「三輪」の話もとても面白かったので、時間があれば後日書いてみようと思います。

ここで、ワキ方の森常好さんがご登場。粟谷明生さん、森常好さんともに昭和30年生まれということで、とっても仲が良さそう~(^o^)

正尊は、観世弥次郎長俊の作品で、世阿弥から時代を下ること約130年後の人ですが、これ以降は有名な作者は出ていないそうです。長俊の父は観世小次郎信光で、「船弁慶」や「紅葉狩」、「道成寺」などの派手な作品を作った人です。この頃から能はわかりやすく会話の多い作品が多くなり、歌舞伎に近い演出のものが作られるようになったとのこと。
長俊は父親である信光の作風を受け継ぎ、現代劇のような「正尊」を作り上げました。

常好さんはめちゃくちゃ強い弁慶(似合ってる~)、明生さんは嘘つきの坊主(笑)土佐坊正尊を演じます。

常好さんは喜多流での正尊は初めてとのこと。これまで観世流、宝生流とお勤めになり、下掛かり流儀では初となります。ちなみに金剛流と金春流では今は弁慶がシテ、正尊がツレなので、ワキの出番がないそうです(本来は弁慶がワキ)。

明生さんによると、頼朝に義経討伐を命じられた正尊は、我こそが!と立候補して引き受けたという説と、指名されてしまったので嫌々出向いたという説があるそうです。明生さんご自身は後者の解釈、貧乏くじを引いてしまった、不本意ではあるが命じられたからには死ぬ覚悟で…という男の悲劇を演じたいと仰っていました。

同じ日に申し合わせ(リハーサル)が行われたそうで、常好さんから見ても、観世流の正尊は弁慶に対して強い態度で立ち向かうのに対し、明生さんの正尊はイヤイヤな感じだったそうでなかなか立ち上がらなかったりして面食らったとか(笑)

同じ演目でも流儀や家によって違いがいろいろあるのだそうです。
例えば、最後に正尊が連行されていく場面で、喜多流は左右の腕を敵に抱えられ歩かされて連れて行かれるのが、観世流ではその家来達がシテに縄をかけひょいと持ち上げて運んで行っちゃいます(豪腕。笑)。
また、喜多流の正尊は他流に比べて、静御前(子方)の舞がとても大変だそうです。観世・宝生では一周して終わりだけど、喜多では三段舞い、長いので速めに囃すとか。確かに観世流で観た時は子方の舞はあっさりしていて特に印象に残ることはありませんでした。それを聞いて子方の舞を拝見するのも楽しみになってきました。

流儀の違いについてのお話がたくさん聞けるのは、全てのシテ方流儀とご共演なさっている常好さんならでは。いつも舞台上でじっと座って様々なシテ方を見つめて続けてきたワキ方だからこそわかることも多いのですね。

正尊の最大の見どころは起請文の読み上げです。能には安宅(勧進帳)、正尊(起請文)、木曽(願書)の三曲に読物と呼ばれる見せ場があります。喜多流の演目に木曽は無いので、安宅と正尊のみですが、今回明生さんは正尊を勤められ、次回の粟谷能の会(今年10月)には安宅のシテを勤められます。今年二つの読物に挑むことで還暦の年のけじめにしたいと仰っていました。

正尊が義経方を欺くために嘘の起請文を読み上げるという緊迫した場面です。起請文の部分は謡本にも節の指示が書かれていないそうです。過去に正尊を演じたことのある限られた先生に習うしかありません。謡本に朱書きしていくのだそうです。喜多流では最近では金子匡一さん←香川靖嗣さん←粟谷菊生さん(明生さんのお父様)←友枝喜久夫さん←…くらいしか演じた方がおられません(明生さんの記憶)。少ないです。秘伝中の秘伝なのですね。・・・と思いきや、明生さんのおウチの場合は、お祖父様の粟谷益二郎さんが伝書を残してくださったそうで、今の謡本にはゴマ(節などを表す記号)が書いてあるそうです(もはや秘伝ではない?笑)。

申し合わせで起請文の部分を合わせてみることを明生さんが提案してみたら、お囃子の先生方が「当日でいいっす、まだ覚えてないし~」と仰ったのだそう。本当は覚えていないわけでなく、リハーサルで一回やってしまって約束になってしまうと慣れてしまって緊迫感がなくなるからとお考えだからでしょうとのこと。

常好さんが仰るには、能は約束で成立してしまうと駄目なんだそうです。舞台は試合のようなもの。その場での臨機応変な対応が大切で、あらかじめ約束されたことをこなすだけでは緊張感が無くなってしまう。長い歴史を経て基本的な型は完成しているので、各パートが自分の持ち分を各々きちっと守ってさえいれば全体として合うのは間違いないのだそうです。

若い頃は細かく指導されずただ「違う!」としか言われない、何が違っているかまでは教えてもらえない、ただ他の人を見て覚える、それが全部正しいわけでもない、そのうち自分なりの物差しのようなものができてくる、そして身震いするほど感動できる舞台に出会った時に自分の物差しも決まってくる、そこからまた新しい感動が生まれる…。人は計算されて感動するものでない、という常好さんのお言葉が印象的でした。

演じるも見るも機会が少なく貴重な喜多流の起請文、今回はぶっつけ本番、緊張感みなぎるものになるに違いありません。明生さんがどのように読み上げるのか、とても楽しみです♪

正尊はビックリするほどたくさん人が出てきてビックリするほど動き回る演目です。まーとにかくビックリしてください!と金子あいさん。
そうそう、あまりにたくさん人が出てくるので、いつもは空間が大きく感じられる能舞台ですが、立衆(正尊の部下達)が全て出てくるとぎゅうぎゅう詰め(笑)あまりに登場人物が多いので装束が足りず森家からお借りしたと明生さん。登場人物が多いと後見も大忙し、着付けやら何やらで優秀な裏方もたくさん必要でまさに総力戦。あまり出ない演目であるというのも頷けます。

あと、能は動きが止まっているか果てしなくゆっくりしているイメージを抱いている皆さん!能は静かすぎて眠くなると思っている皆さん!!正尊には切組といって、いわゆるチャンバラのシーンがあるのです!しかも斬られて倒れる人はアクロバティックな死に方をするので、初めて見る人は誰もが仰天するかと。私が以前に観たことがあるのは、飛び安座(飛び上がって座った姿勢で着地)、仏倒れ(直立したまま後ろに倒れる)、前方宙返り、などでした。今回それらの全ての型が出てくるかを聞き忘れましたので、見てのお楽しみです。この切組のシーンは起請文の読み上げと並ぶもう一つの見どころです。

静御前までが正尊と戦うというのがちょっと微笑ましいです。元々は子方が戦うシーンは無かったのだけど、後から付け加えられたそうな。理由は子方に華を持たせようという意図だったらしいです。

それにしても義経チームを人数が少ないのに強すぎ(笑)大勢いた正尊方の郎等が次々と倒されていきます。そして、ついに正尊と弁慶の一騎打ちとなります。最初は正尊は大太刀、弁慶は長刀を持って対決するのですが、最後には武器を捨て相撲の如くがっぷり四つに組み合います。しまいに正尊は弁慶に投げ飛ばされてしまいますが、常の演出ではそこで弁慶は正尊から離れてしまうのですが、明生さんは、弁慶がそこから去り誰もいなくなるのは不自然である(正尊に逃げられちゃう。笑)という解釈で、常好さんがそのまま残り家来が連行するまで正尊の肩を押さえ続ける演出にしたそうです。そこに弁慶の正尊に対する怒りを表すようにしたいそうです。こだわりの演出、注目いたしましょう!

また、明生さんおすすめの鑑賞ポイントとして、初同(地謡の謡い始めの箇所)に注目とのこと。地謡・お囃子はさらっと演奏しますが、ここに土佐坊正尊の気持ちが全部詰まっているので、じっくり聴いていただきたいとのことでした。
「否にはあらず稲舟の。上れば下る事もいさ。あらまし事もいたづらに。なるともよしや露の身の。消えて名のみを残さばや」
(否とは言えず立ち出でる。こうして都に上って来たが、もはや鎌倉に下ることは叶うまい。それでもよい。この身は消えても名を残そう)

最後のシーン、正尊は義経方の家来に抱えられ連行されていきます。観世で観た時は連れ去られる宇宙人のようでちょっとクスッとしてしまいました(笑)。さて今回はいかに!?明生さんはあまり格好の良くない去り方だと仰っていましたが、時代と運命に翻弄された男の悲哀が感じられる結末で感動の幕となることを大いに期待しています!

第97回粟谷能の会 事前鑑賞講座
2015年2月26日(木) 18:00~19:30 @国立能楽堂 大講義室
<出演>
粟谷明生さん(喜多流シテ方)
森常好さん(下掛宝生流ワキ方)
金子あいさん(女優)

※主催者および出演者に写真撮影および掲載の許可を得ています。

「正尊」のシテを勤める喜多流シテ方の粟谷明生さんと、女優の金子あいさん
「正尊」のシテを勤める喜多流シテ方の粟谷明生さんと、女優の金子あいさん
あらすじを読む金子あいさん
あらすじを読む金子あいさん
「三輪」の解説。小書「神遊」のお話などこちらも興味深い内容でした。
「三輪」の解説。小書「神遊」のお話などこちらも興味深い内容でした
下掛宝生流ワキ方の森常好さん
下掛宝生流ワキ方の森常好さん
面白いお話がたくさん飛び出しました!
面白いお話がたくさん飛び出しました!
正尊はこのように連れ去られる?
正尊はこのように連れ去られる?
平日18時、ご年配のお客様が目立ちます。
平日18時、ご年配のお客様が目立ちます
装束かけてありましたが、今回は特に解説なし
装束かけてありましたが、今回は特に解説なし
素敵な笑顔のツーショット写真♪
素敵な笑顔のツーショット写真♪