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第二回「立合狂言会」東京公演

喜多能楽堂で「立合狂言会」を拝見して参りました。
大蔵流と和泉流、またその中でもいろいろな家の狂言師が一堂に会して演じ合う狂言の会です。

オープニング、この公演の世話役でもある野村万蔵さん(和泉流)と茂山千三郎さん(大蔵流)のお二人がご登場。

狂言では流派や家が違うと一緒の舞台に立つということがほとんどなく、能の会に呼ばれても家単位のため、わかりやすく言えばお互いライバル。
異なる流派や家が一緒に演じ合うことで芸の向上と交流を目的に企画、と公演の趣旨の説明があり、その後、お二人のまるで漫才のような楽しいトークで流派や家の違いなどが語られます。

そして、実際にどう違うかの実演も。

まずは「附子」の水飴の食べ方を万蔵さんと千三郎さんそれぞれに行います。
千三郎さんの方がとーーーーっても美味しそうに食べてました(笑)

次にお互いに酒を酌み交わします。酌する方もされる方もやり方が微妙に違います。
お酒の飲み方もどちらかといえば千三郎さんの方が旨そうでしたね(笑)

茂山家はリアル・誇張、野村家はスマート・上品、といたずらっ子ぽく違いを述べる万蔵さん(笑)

茂山家はセリフが余分に多いよね、余分なものを削ぎ落とすのが狂言だと思うんだけど、と万蔵さん。でも、台本的には野村家の方が多いよね、繰り返しとか、余分だよね、と千三郎さん。
なんかいろいろ揶揄し合っているようにも聞こえますが、言いたいことを言い合える仲ということ。あぁ、このお二人は本当に仲がよろしいのね~と微笑ましくやりとりを拝見 (*´∀`*)

台本的には大蔵流はそれぞれの家であまり違いがないそうで、和泉流はそれぞれ違ってたりするんだそうです。
和泉流は元々違う流派が寄せ集められて作られた流儀なので。だから仲悪いんですよ~、と万蔵さんが軽くジョーク(笑)。

演技的にはこんな位置関係みたいで。
茂山家(大蔵)<野村家(和泉)<山本家(大蔵)
(柔)<-------->(堅)←語弊がありますがあえて言えばこんな感じ?

私の印象はこうです(笑)
茂山家≦野村家<<<<<山本家

私もこれまで和泉流と大蔵流をまんべんなく観ている方だと思うのですが、野村家と茂山家の違いって何?と言われても正直はっきり説明できないんですよね~。それぐらい近いように感じていました。山本家だけは全く違うってわかるんですけど(説明はできないけどモノマネはできます。笑)。

しかし、同時に同じことをやっていただくと、やはりはっきり違いがわかりますね。あ、なんだ、全然違うじゃん!と思いました。

さて、ここで名古屋の野村又三郎さん(和泉流)も加わり、三人同時に小舞「土車」を謡い舞います。
舞は想像していた以上に差がありました。大蔵流が違うのはわかるけど、同じ和泉流でも万蔵さんと又三郎さんでもかなり違いました。
三人で別々の舞をしていてぶつかったりしないのが不思議~。
それでもやはり同じ曲ですから、ぴったり合うところもあります。

同じ部分と異なる部分が混在しているために、相違部分が華やかさと奥行きや幅を生み、共通部分でまとまりがついて締まる感じで非常に面白かったです。江戸城謡初式の三流宗家による舞囃子「弓矢立合」もそんな感じだったなぁ~と遠い目(´ェ`)。

さていよいよ狂言の上演です。番組は以下の五番。
「佐渡狐」大蔵流・山本東次郎家/善竹十郎家
「酢薑」和泉流・三宅狂言会
「簸屑」和泉流・狂言やるまい会
「棒縛」大蔵流・茂山千五郎家
「佐渡狐」和泉流・野村万蔵家

特に「佐渡狐」は異流対決!ということでしょうか、同じ曲をぶつけてきました。やるね!(¬_,¬)b
立合狂言会でも、これは初めての試みだそうです。

さらに、大蔵流の佐渡狐は山本家と善竹家の両家が同じお芝居で共演ということで、これまた珍しいことです(最近はこういう上演形態をたまーに見かけるようになりましたけど、やはりよほど狂言を見まくっていないとなかなかお目にかかれないです)。しゃべり方の調子がまるで違っていますけど、台本は同じと思いますのでそれほど違和感はなかったですね。

「佐渡狐」を見比べた印象ですが、ストーリー的にはほぼ同じでした。でも細かいセリフや所作はいろいろ違っていました(鶏が鶯だったり、袖の下の受取り方とか)。流派でストーリーが大きく違う演目を比較するのは国立能楽堂の企画公演でもありましたが(その時は「鎌腹」で結末が全然違っていた!)、ほぼほぼ同じなのに細かく違うところを意識しながら観るのは間違い探しのようで楽しかったですね~。

この中で初めて拝見したのは「簸屑」。野村又三郎さんのお父様はあまりお好きでなくて出さなかったそうで、現在の又三郎さんはなるべく出すようにしていると仰っていました。そうそう、埋もれたお宝を後世に伝えるってのも大切なことですよね。

次世代を担う若手の狂言師が集い研鑽を積む公演」とご挨拶文にもありました通り、どの演目も若い力が大活躍のフレッシュでエネルギーにあふれる舞台でしたね~。

流儀は同じだけど違うお家の方がそれぞれの後見を勤められていたのも印象的でした。使う小道具が違っていたりするそうなので油断できないですな(^_^;

さて、お名残惜しくも五番の狂言が終わり、最後に出演者全員が再登場して附祝言「猿歌」が謡われました。
最初に和泉流から謡い出し、大蔵流が途中から入ります。大蔵流の方が人数が少なかったんですが、負けてはいませんでした。最後は大蔵流の方が声が大きかったです。やはり良きライバルと競い合う雰囲気が素晴らしいですね♪

附祝言が終わり全員が退場。皆さんいつもの舞台の時のようにまっすぐ前を見て橋掛かりを歩み退場しましたが、最後の千三郎さんだけが客席に向かって会釈されていました(お茶目♡(^o^))。

これで本日の公演は終了~というアナウンスもかかり、観客が帰り支度を始めているところ、出演者の方々が舞台の上に再登場(カーテンコール!?)
これから出演者の記念撮影をするので、みなさんも自由に撮ってもらって楽しかったと書いて拡散してくださいね~と仰っていただき、大撮影大会が始まりました。
全員での「大笑い」を動画撮影させていただいたり、脇正面席の方も向いてください~というリクエストにも応えていただいたり、なんかもうファン感謝デーみたいな感じで本当に楽しかったですぅ~(*´▽`*)

久々にワクワクする公演を拝見できたって感じでしたね~。これで3000円ってめっちゃ安くないですか!?(正面席は4000円)。先だって行われた京都公演では出演のお家も演目も違っていたので、両方観れば良かった!とまで思いました。来年も行われる予定のようですね。とても良い企画だと思うのでぜひ長く続けていただきたいです!\(^O^)/

燦ノ会「井筒」

本日は喜多流・大島輝久さんがおシテの「井筒」を拝見いたしました。作ったご本人の世阿弥が、これサイコー!と自画自賛した作品です。

「井筒」は本当に絵になる能でした。正面席の真ん中で観ていたおかげもありますが、どの場面を見ても美しく決まっていて、そのまま写真集にできちゃいそうなシーンばかりでした。

輝久さんは「井筒」のシテは今回が初めて。「井筒」を舞う時にはこの配役で、というのをずーーーっと前から心に決めていらしたそうです。それぐらいこの曲に思い入れがあるのですね。

特に地頭の友枝昭世さん、大鼓の亀井忠雄さんの人間国宝お二方は輝久さんの憧れの方々で、お願いしてみたところ快く引き受けてくださったのだそうです。

おかげで舞台が格調高くなりましたねー。華がありました。輝久さんもご満足だったのではないでしょうか。それとも緊張したでしょうか(^_^;)

最近、能・狂言で恋バナづいているワタクシ。先日は「松風」で輝久さんがツレで妹・村雨を演じていたのを拝見しました。

姉は自由に自分を解放するタイプ、妹は冷静で自分を制するタイプと、姉妹で性格が全然違いますが、劇中では仲良く共通の恋人を慕っています。

姉の方が恋の妄執で物狂い状態になってしまうのですが、その時、妹は「お姉ちゃん、これは彼じゃなくて松なのよ」と姉を止めようとします。妹が姉のことを思って冷静に対応したようにも見えますが、ワタクシには妹の姉に対する「何よお姉ちゃんばかりいつもズルい!」みたいなキラッとした嫉妬心が垣間見えてしまいましたよ。

で、本日の「井筒」。輝久さん、先日は姉の陰で自制する妹でしたが、今日は遠慮無く物狂う方を演じられます(笑)。

井筒の女は最後に井戸の中をのぞき込むんですが、水面に映る自分の顔に夫(在原業平)の面影を偲び…と解説にはありますが、絶対に自分の顔を夫本人だと思い込んでしまったと思います。
「アァ業平さま、そこにいらしたのですね。ワタクシも今すぐそちらに参りますぅぅーー」と井戸に飛び込まんばかりに思い詰めている表情に見えましたよ。

周りが見えなくなるほど恋に妄執できるなんて、たとえ狂っていても幸せなことなのかもしれませんね。(現実にはとてもムリですが…)

さてさて恋の話も十分に堪能したので、そろそろ武将が暴れるお能を見たくなってきた今日この頃です。平家物語カモン!

余談ですが喜多能楽堂の舞台の床って以前からあんなにギシギシ音が立ちましたっけ?床は数年前に張り替えたばかりだと思うのですが~(゜-゜)?

能舞台の広さについて考えてみた

過日、自宅の部屋が狭すぎて仕舞の練習場所が確保できないという悩みを投稿いたしましたが、今週、お稽古場で実際の能舞台の広さを意識したお稽古を行いまして、舞台は思っていたよりかなり広いんだなぁ〜と実感しました。

能舞台における本舞台部分(正方形のところ)は、一般的に京間三間四方と決まっております。一間はおおよそ畳の長辺+αですから、ざっくり18畳分ということになりますネ。江戸間ですと畳がもっと小さいので21畳分以上にもなります。

京間の一間は6尺5寸ですので、1尺を0.303メートルとして計算すると、能舞台の一辺の長さは、
6.5×0.303×3=5.9085(メートル)
従って、能舞台の面積は、
5.9085×5.9085≒34.91(平方メートル)
となります。

ちなみに私の住んでいる浅草のマンションの専有面積は32平方メートル。

・・・ということは。

稽古するスペースがないという以前に、能舞台より狭い家に住んでいるということに軽くショック!!

nohbutai
※写真は喜多能楽堂です。あのスペースがあれば生活できちゃうんですね。(笑)

喜多六平太記念能楽堂「二人の会」

日曜日に、喜多六平太記念能楽堂で「二人の会」を観てきました。
前々から一度観に行きたいと思っていたのですが、今回が最終回ということで、急遽チケットを入手しました。今回、初めて着物で能楽堂に行きましたよ♪

狂言『大黒連歌』
大好きな山本東次郎さんがシテで、きらびやかな装束に身を包んだ大黒さまが縁起を語り舞を舞う楽しい曲でした。爆笑するところはないんですけど、人間国宝ともなると、このように味わいのある演目がよく似合います。
舞の時に、半回転ジャンプを三連続!とても75歳とは思えません!

能『小原御幸』
あらすじ:平家滅亡の折り、安徳天皇とともに入水したが助けられ、大原の寂光院でひっそりと暮らしていた建礼門院は、ある日、後白河法皇の御幸を受け、乞われるまま平家一門の西海での苦しみの有様を語る。

舞は全くなく、動きもほとんどなく、謡がメインの曲でした。お能が初めての人にはちと辛いかもしれません。

謡本持参のお客さんがいつもより多めです。
また、今回は謡曲集と思われる活字本のコピーをお持ちのお客さんもたくさんお見かけしました。この手の観客は、能を研究されている方、日本文学を勉強されている学生さん、あとは能マニアです(笑)

私も以前は謡曲集の詞章を予習して持って行ってたんですが、最近はあらすじが頭に入っていれば特に準備することもなく・・。でも今回は持参して詞章を味わった方が良かったかなぁと思いました。時々、隣のおじいさんの謡本をチラ見してたりしましたが(笑)

そのおじいさんが、謡本をめくったり、コンビニ袋から飴を出したり、水を飲んだり、その度に結構大きな音を立てていて、斜め前で詞章のコピー片手に熱心にメモを取っていたおじさんが、何度も後ろを振り返って忌々しそうにおじいさんを一睨みするのでした。
そういうのって気になり始めると止まらないんですよね。わかりますわかります。

でも私は案外おじいさんの立てる音は気にならなかったんですよね。むしろ風邪をひいていて咳が出そうになるのを抑えるのに必死になっていたので、残念ながらあまり集中できず・・・。あぁ~もったいない・・。

次回、この演目を観る機会があれば、詞章持参で行こうと思います。
でも、この配役の組合せでの小原御幸はたぶん二度とないんですよね・・・。
本当に能の舞台は一期一会であります。

futarinokai