「観世流」タグアーカイブ

国立能楽堂特別公演「朝比奈」「木賊」

本日は国立能楽堂の特別公演を拝見し、本年の観能納めとなりました。
演目は仕舞「雲林院」、狂言「朝比奈」、能「木賊」です。
狂言「朝比奈」のシテは野村万蔵さん。本日お誕生日ということで佳き日に大曲をご立派に勤められまことにおめでたいことです\(^O^)/
普段、狂言を拝見した後は「面白かった」もしくは「芸が深い」などという感想を抱くことが多いのですが、本日の感想はズバリ「めっちゃかっこよかった!」でございます(*^_^*)
野村万蔵さん演じる朝比奈は、地獄に責め落とそうとする閻魔大王を力強く突き飛ばし、堂々と戦語りをするところなど、初めから終わりまでとにかく強くてカッコイイのです!
一方、野村又三郎さん演じる閻魔大王は、閻魔さまなのにどこか人間くさくて威厳があまりなくて愛嬌があり、朝比奈をひきたてる非常に重要な役だと感じました。
このお二人とてもよく息が合っていて絶妙な掛け合いで終始引き込まれて最後まで目が離せませんでした。お家が違うので共演機会はあまりないそうですが、このコンビでのお舞台をこれからも度々拝見したいなぁ~。
お囃子や地謡が入り能の様式を取り入れた重厚かつ華やかな演目でとても見応えがありました!
能「木賊」。これはめったに出ない稀曲で私も以前には1回しか観たことがありません。今回抱いた正直な感想は「これは難易度が高い曲だな…」…でした。
演者にとって難曲であることは間違いないと思います。一方で観ている方にもレベルの高さが要求される曲という印象を受けました。
そう感じた理由はいくつかあるのですが、その最たるものは(私だけかもしれないですが)「感情移入できなかった」ことです。
これは、子を探して物狂いになる親が母でなく父である、しかも老親。子方は幼い子どもが演じていているゆえに孫にしか見えない。子方がひと言も発しないので子ども側の思いが伝わってきにくい。といったことが原因かと思います。
ここで私が感情移入できないのは曲のせいでもなく演者のせいでもなく、単に私に想像力が不足しているためだと思いました。能は観る方の想像力が必要な芸能です。観たまま理解しようとするのではなく、想像して感じなくてはならないのです。まだまだ修行が足りませぬ!来年からは顔を洗って出直しまーす(^_^;
自分の未熟さがわかった以外は、やっぱり素晴らしいお舞台でした。梅若玄祥親分の謡は体全体が楽器のようによく響いて聴いていてとても心地良かったです。シテ柱にもたれてしばらく佇み悲しむシーンが切なくて心に響きました。お囃子も一噌仙幸さま、大倉源次郎さま、亀井忠雄さまという豪華出演陣でそれはもう申し分なくたいへん素晴らしかったです。
画像は今公演に関係あるイラストと写真です。何のこっちゃと思われた方は各写真のキャプションを読んでね(^_-)-☆

「木賊」(とくさ)とはこんな植物。細かく縦筋の入った堅い表皮が研磨材として使われたためこの名(=研草)がついたそうです。ちなみに私はこの名前を知る前はニョロニョロと呼んでいました(^_^;
「木賊」(とくさ)とはこんな植物。細かく縦筋の入った堅い表皮が研磨材として使われたためこの名(=研草)がついたそうです。ちなみに私はこの名前を知る前はニョロニョロと呼んでいました(^_^;
朝比奈はこのような七ツ道具を担いでとても強そうなのだ☆ 七ツ道具といいつつ5つしかないよな・・・(´・ω・`)
朝比奈はこのような七ツ道具を担いでとても強そうなのだ☆ 七ツ道具といいつつ5つしかないよな・・・(´・ω・`)
今日一番目が釘付けになったのが、木賊のシテが後半に身につけた装束の柄です!能でこんなポップな柄あってもいいの!?と思ってしまいましたが、解説を読むと「子方用の美麗な掛素袍」とありました。なるほど!可愛いな(*´▽`*)
今日一番目が釘付けになったのが、木賊のシテが後半に身につけた装束の柄です!能でこんなポップな柄あってもいいの!?と思ってしまいましたが、解説を読むと「子方用の美麗な掛素袍」とありました。なるほど!可愛いな(*´▽`*)

萬狂言特別公演~大曲二題~「枕物狂」

大曲二題、続きましては、野村萬さんがシテを勤められた「枕物狂」についての鑑賞レポートです。

「花子」レポートはこちら
萬狂言特別公演~大曲二題~「花子」

「枕物狂」あらすじ
百歳を越えた祖父(おおじ)が恋に悩んでいるという噂を聞いた孫二人が想いを叶えてあげたいと祖父に話を聞きに行く。最初は志賀寺の上人や柿本の紀僧正の昔の恐ろしい恋について物語っているうちに、いつの間にか自分の恋心を謡い上げてしまう祖父。祖父の意中の女性が地蔵講の折に見かけた刑部三郎の娘の乙御前(おとごぜ)であることがわかり、孫の一人が乙御前を連れてくる。祖父は老いの恥を晒した恨み言を謡うものの、嬉しそうに乙御前と連れ立って行く。

シテの祖父を人間国宝の野村萬さん、孫を野村虎之介くん、野村拳之介くん(二人は萬さんの実のお孫さんでもあります)、そして祖父が恋する相手の乙御前を、先ほど「花子」でわわしい妻の役を好演した野村又三郎さんが演じられました。

この曲には地謡とお囃子も登場し、とても格調高い雰囲気です。

祖父は笹の小枝を手に持って登場します。笹には小さな俵型の枕が結びつけられています。笹は「物狂い」の象徴で、枕は「恋愛」の象徴なのだとか。なので、この笹のことを「狂い笹」といいます。狂言や能での「物狂い」とは、頭がおかしくなっているということではなく、精神が高揚して神がかっている状態のことを言うのだそうです。

枕がゆらゆら揺れる笹を持った萬さんは、時折、ひょい、ひょいとよろめきながら、橋懸かりをゆっくりと進みます。このひょい、ひょい、という感じが狂言らしくてとてもキュートです♡

本舞台に入ると床机にかけ、孫二人にちゃんと聞くのだぞと言って話して聞かせます。謡がかりで語るというのがまた祖父の教養の高さや上品さを表している感じがしますが、ひょっとしたらおじいちゃん、自分の恋バナを素の会話でするのがちょっぴり恥ずかしかったので仰々しい謡いで語ったのかもしれませんね(笑)

孫が連れてきた乙御前が頭上にかぶった衣をはずすと、そこには可愛い「乙」の面をした女の子が!「乙」の面は、おかめ、おたふく、お福、などとも言われる、愛嬌のある女面ですね。乙御前が顔を出した瞬間、客席からも温かい笑い声が。祖父のお相手が、ものすごい美人っていうわけでなく、味わい深い顔立ちの娘だった、というんで、観てる方も何だかホッとしてます(やはり、おじいさんにはあまりギラギラしてほしくないと皆さん思っておられるのだなぁ~。笑)。

最後、祖父は嬉しそうに乙御前と仲良さそうに連れ立って行き、ハッピーエンドです。乙御前が本当に祖父のことを受け入れたのかはわかりませんが(笑)ほのぼのするお話でしたね~。

「枕物狂」は三老曲の一つとして重く扱われており、披きの年齢もそれなりです(60~70代くらいでしょうか)。しかし、年齢さえ重ねれば誰しもこの役がちゃんと勤まるかというとそういうわけでもなさそうです。やはり謡いがかりの語りなどテクニックが必要な部分に加えて、これまで長年の修行で積み重ねてきた自分なりの芸というものを反映していくことによって、味わい深さや枯れ感、ちょっぴり色気、その他もろもろ祖父のカラーが、十人十色ににじみ出すもののように思えます。

萬さんは御年85歳で、百歳にはまだまだ遠いご年齢ではありますが、非の打ち所のない演技を見せていただき、今がまさに枕物狂適齢期なのだと感じました。しかし、さらに年齢を重ねた萬さんの枕物狂をいつかまた拝見したい、と熱望するのは贅沢なことでしょうか?

さて、今回は「花子」「枕物狂」という狂言の大曲二番の他に、観世流シテ方による能の仕舞と舞囃子が上演されました。仕舞「班女」は鵜澤光さん、舞囃子「恋重荷」はシテ・野村四郎さん、ツレ・鵜澤光さん。「班女」は「花子」の設定元となった作品であり、「恋重荷」は老人が高貴な若い女性に恋する物語で、その謡が「枕物狂」に引用されています。

「恋重荷」の舞囃子の時に、重荷の作り物が出ていたのが印象的でした。通常、舞囃子で作り物が出されることはありません。後でお伺いしたお話でこの公演での特別の演出であったことがわかりました。

余談ですが、ワタクシ以前から野村四郎さんの舞姿に憧れておりまする(*´▽`*) 仕舞入門のご本やDVDも持っておりましてそれを見ながら家でお稽古しています♪ 今回、四郎さんの舞囃子まで拝見できてテンション上がってしまいました↑↑

演目、演出、配役、何をとっても大胆かつ繊細な工夫が凝らされ、また、厳選された出演者陣の達人芸が堪能できる素晴らしい公演でした。観に行けて本当に良かった!!

万蔵さま、襲名十周年まことにおめでとうございます。これからも頑張ってください~~\(^O^)/

桑田貴志 能まつり「碇潜」

本日は「碇潜」(いかりかづき)という能を拝見しました。上演機会が少ない演目ではないでしょうか、ワタクシも初めて観ました。

何と言っても印象的だったのは、シテが扱う大きな碇の作り物です。写真のチラシを見て頂きますと、ピンとくる方もおられると思いますが、そう、歌舞伎や文楽の「義経千本桜」の「碇知盛」ですね。
元々能「碇潜」の翻案により浄瑠璃の「碇知盛」の段が作られましたが、この大きな碇の作り物を使う演出は、歌舞伎・文楽の「碇知盛」から能に逆輸入されたものなのだと解説にありました。へぇ~。そもそも原典の平家物語には知盛が入水の際に碇を担いだという記述はないんですよね。能で生み出された碇のイメージを歌舞伎・文楽が視覚化して、それを能も取り入れたということなのですね~。

また、「大屋形船」というお能で最大の作り物も登場しました。後見が引き廻し(周りの布)を外すと中から4人も登場してビックリ!4人は安徳天皇、二位尼、大納言局、平知盛です。二位尼が幼い安徳天皇と共に入水する場面がありましたが、安徳天皇と同じ年回りの子方が演じていることもあり、静かに船から踏み出す瞬間はやはり涙を誘いますナー。
その後、知盛が薙刀を振り回す勇壮な舞働があり、もはやこれまでと碇を頭上にかつぎ上げて海に飛び込むシーンは迫力満点で、脇正面席のお客さんの多くが体を乗り出して振り返って見るほどでした。船弁慶もそうだけど、お能の知盛って本当にカッコいいナ~。

本日は仕舞が「清経」「女郎花」で、入水に関係ある曲を集めたとのことでした。入水の理由や表現は様々ですが、なかなか粋な選曲でございますな。

乱能~鎌倉能舞台45周年記念公演

2月17日、乱能を拝見してきました。乱能とは、シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方の玄人全員が専門外のお役を担当して行う演能形式です。歌舞伎や文楽で言うところの天地会みたいなものです。
普段と勝手が違う役割に、ハプニング続出、セリフを忘れて後ろから教えてもらったり、カンペ取り出して見たり、他の人にぶつかったり、舞が全然揃ってなかったり、棒読みだったり。またオリジナル演出やありえない小物、誇張気味の表現なども楽しく、後見がカメラ持って撮影してたり、能面で視界が狭くなってるシテツレが下向いて足伸ばして爪先で舞台の端っこ探っていたり、長袴の裾を翻して隣の人の頭に引っかかったり、誰かサンを真似してるのか大袈裟な台詞回しをする人、土蜘蛛の投げた糸で観客までも糸まみれ…などと、とにかく可笑しくて抱腹絶倒。
その一方でなかなかのクオリティを披露した方も少なくなく、特にお囃子は皆さんお上手で正直驚きました。楽器が一番難しいんじゃないかと思っていたので。お囃子方でシテなどを演じられとても声の良かった方も。
演目の中で、翁、鉄輪、高砂は、おふざけはなく真剣に演じられ、普通にお能を観るようにすっかり魅入ってしまいました。素人の発表会とは雲泥の差。やはりお役が違うとはいえ普段慣れ親しんでいる領域なので、自然と感覚が身に付いているのかもしれませんね。
野村万作さまの翁は何の違和感もなく、そのまま正月にやってもいいんじゃない?と思いましたわ~。
朝10時から夕方5時過ぎまでの長丁場でしたが、自由席、休憩時間は特に設けられず出入り自由の気楽な雰囲気、折々に舞台から客席にアメが撒かれたり、樽酒が振舞われたりして、お祭りムードでとても楽しい一日でした!

国立能楽堂 4月定例公演 「酢薑」「海士」

4月18日(金)18:30開演 国立能楽堂

急に予定がキャンセルとなりヒマになってしまったので、冷たい雨の中、ふらりと国立能楽堂に来ちゃった私。ふらり能楽堂のときは一番安い席と決めています。中正面席2430円(あぜくら会価格)。でも右端でほぼ正面席と変わらぬ見やすい位置。ラッキー☆

国立能楽堂の主催公演は、週末だと満席のことも多いのですが、本日は平日夜のため、しかも雨だからか空席が目立ち、がらすきでもないけど閑散とした雰囲気。通常の公演より外国のお客さん比率がとても高かったです。チケットがお安く英語字幕ありだからでしょうか。

見所でマナーの悪い人と遭遇してしまい残念だったのですが(※)こうして舞台を思い返してみると今となってはどうでもいい話になりました。良い思い出だけを残し、悪い思い出は忘れましょう!

※その話はこちらに詳しく(能楽堂で隣り合う人を選べないがために若干満足度が下がったという話)

○酢薑

薑売りと酢売りが出会い、自分こそが商売司と、お互いの商売物の由緒を自慢し合い、さらに薑の辛いの「から」と酢の酸っぱいの「す」がついた言葉を言い合って勝負します。二人は街を巡りながら目に入るものを次々とテンポ良く言葉にしていきます。競っているつもりがお互いの優れた秀句に感心して笑ってしまう。交互に秀句を発しては二人で大笑いする繰り返しでなごやかな良い雰囲気に。意気投合した二人は最後は一緒に商いをしようと言い笑って別れます。

他愛のないやりとりですが、対立していた二人がすぐに仲の良い雰囲気になり、リズミカルな言葉遊びも楽しく、最初から最後まで温かい笑いにつつまれていました。

薑(はじかみ)とは生姜のことですが、辞書をひいたら古には山椒のことだったらしいです。どちらも辛いのでどっちでもいいですけど!

シテ(酢売り)が三宅右近さん、アド(薑売り)が石田幸雄さん、同じ和泉流ですが、家が違うのでこのお二人の共演はちと珍しかったです。
このあと石田さんは野村狂言座にご出演のため、宝生能楽堂へ移動してハシゴ出演されたはず。お疲れ様でした!

○海士

観世流なので「海士」ですが、他流では「海人」と書きます。読み方は「あま」です。おシテは浅見真州さま。

淡海公(藤原不比等)との間にできた子の立身出世のために自分の命と引き換えに龍宮から宝の玉を奪還した母のお話。

このお宝奪還のエピソードを語る箇所は「玉ノ段」と呼ばれ仕舞でも観る機会が多く、舞・謡ともに見どころ聴きどころの場面です。

母は剣を手に龍宮に飛び込み、三十丈の玉塔に籠められ龍王や悪魚・鰐たちに守られた玉を奪います。剣で乳房の下を掻き切って奪った玉を押し込め(うひゃあ!痛そう…)死んだと思わせて追っ手を惑わし逃げきります(龍宮の連中が死人を忌み嫌う習わしを利用して死んだふりをし、あらかじめつないでおいた命綱を地上の人々にびゅんと引っ張ってもらう。頭いいなこの人は)。壮絶すぎまする!結果母は死んじゃうんですけど、宝の玉は無事に淡海公の手に渡ります。我が子の将来のために母は命をかけたんですね。すごいな、この母は!

母の望み通り大臣となった藤原房前が母の供養のため讃岐の志度の浦を訪れたところ、一人の海士が現れ(房前の母の亡霊)、水面に映った月が観たいから邪魔な海中の藻を刈ってきてよ、と頼まれ、そういえば昔も海に潜ったことがあった、と語りだすのが先述の玉ノ段の箇所。房前は海士が自分の母の霊だと知り、追善法要の管弦講を催すことにします。

中入り後に海士は龍女に変身して再登場!早舞といって通常は貴人の男性などが舞うかっこいい舞を舞います。本日は《懐中之舞》という小書(特殊演出)つきでしたので、後シテの龍女が懐中に経典を入れたまま舞い、舞い終わったあとに経典を房前に渡します。小書なしの場合は、舞う前に渡すそうです。
経典を懐中に入れたまま舞うことで、御経の力で成仏できた感がより一層増すのでしょう!御経ありがとう!おかげで成仏できたわ、いえぇーーい!という喜びにあふれた様子でノリノリで舞うシテ。子供にも会えたし、もう思い残すことはないことでしょう!

房前大臣の役は子方が勤めます。今回は谷本悠太郎くん、まだ6~7歳くらいの小さい子でした。1時間50分ほどの長丁場、床几に腰かけているとはいえ、最初から最後までじっとしていなくてはならず、しかも子方の型やセリフが多いこの曲、かなりたいへんだったと思います。やはり後半はちょっときつそうだったかな。しかし最後まできちんと勤めあげました。受け取った経典をたどたどしく巻き巻きする様子がかえって微笑ましかったりして。子供は可愛いというだけで全て許されますですネ。

強き母(海士/龍女)が最初から最後までかっこいいこの曲、たびたび観たいと思わせる演目であります。

弓矢立合@よみうり大手町ホール開館記念能

先月末、勤務先の1ブロック隣によみうり大手町ホールが開館しまして、こけら落としの能楽公演を拝見して参りました。

中でも江戸幕府が江戸城大広間で行っていた正月3日の謡初式を再現したという演目は初めて拝見しましてたいへん珍しかったのでレポートを書いてみます。

筆記用具を忘れてしまい記憶だけを元に書き起こしたので曖昧な点はお許しください。また、舞台から遠かったためよく見えなかった場面もありまして(始めから言い訳モードですみません)。ご覧になった方、記憶違いの部分、正確さに欠く部分へのご指摘歓迎いたします。

橋掛りより三流の宗家(観世流=観世清河寿氏、金春流=金春安明氏、金剛流=金剛永謹氏)、地謡方(各流3名ずつ合計9名)が入場します。全員が素袍裃に侍烏帽子のお姿です。三宗家が前列、地謡方が後列の二列にずらりと並び、後座(本舞台の後方)に着座します。

続いて半裃姿の男性が1名入場。番組を見ると御奏者番とあります。御奏者番は目付け柱(本舞台前方左端)の位置に立ち、三宗家と地謡の方に向きます。

三宗家、地謡方が一同深々と礼をします。額が床につかんばかりの平伏です。江戸城儀式の再現ですから将軍様に対する礼であると理解。一同が平伏したまますぐに謡が始まります。

観世流宗家による「四海波」。なんと深くお辞儀したままの体制で謡います。宗家のお顔が徐々に赤くなり体が小刻みに震えています。これはとても辛そうです…!

切戸口よりワキ方、囃子方が入場します。素袍裃、侍烏帽子です。ワキは福王流宗家、福王茂十郎氏(なぜ公演プログラムに紹介がないのか!?)。

ワキは観世流宗家の左隣に着座。囃子方(笛・小鼓・大鼓・太鼓)は地謡座(本舞台右手)に着座しました。

番組を見ると観世・金春・金剛の順に三宗家による居囃子、とあります。居囃子とは何ぞや?と思って見ていたら、曲の一部をお囃子付きで謡うものでした。舞は無いので座ったままです。

観世流「老松」、金春流「東北」、金剛流「高砂」の居囃子が立て続けに演奏されます。

観世流の居囃子が終わるとワキ、太鼓はいったん切戸口より退場しました(金春流の居囃子には出番なし)。

そして、金剛流の居囃子が始まる際にワキと太鼓が再び入場します。ワキは金剛流宗家の右隣に着座します。

三流儀の謡を続けて聴くと、流儀の違いなのか個人的な違いなのかわかりませんが、三者三様、各宗家のキャラクターの強さもあってかあまりにも違うのでとても面白く。曲の違いもありますけど、こんなに違うものなんだなぁ~と興味深く聴き入りました。

居囃子が終わった時点で、御奏者番とワキ方、囃子方は一旦退場します。

再び御奏者番が入場し、新たに御使番と呼ばれる二人が入場しました。御使番も半裃姿で、一人は装束らしきもの、もう一人は鬘桶(かづらおけ)を持ってます。

三人はワキ座(本舞台の右手前方)まで行き着座します。御奏者番が鬘桶に腰掛けます。

三宗家が代わる代わる御奏者番の前に行き頭を下げますと、御奏者番は白い装束を宗家の肩にかけます。かけ方はバサッといささか乱暴な感じです。宗家は深々と礼をしています。宗家が定位置に戻ると流儀の地謡方が宗家に装束を着つけます。

白地の装束は裏地が真赤で綿が入っているような分厚さに見えました。遠目からはどてら(丹前)のように見えました。儀式的に意味がある装束なのだろうと思いますが、どてら着たお三方、ちょっと可愛らしかったです(笑)

三宗家にどてら(注:どてらという呼び方は私がそう見えたというだけで、能楽的には違う呼び名があるかもしれませんが知らないのでゴメンナサイ)を渡した後、御奏者番は何やら紙のようなもの(あるいは布?)を床に放り投げました。床に放られた紙(or布)は、金剛流の地謡の一人が取りにきてまた定位置に戻りました。
どてらのぞんざいなかけ方や投げ与えるという行為から察するに、御奏者番は相当身分の高い人であることがわかります(今回は能楽師でなく作家で国文学者の林望氏が勤めていました。江戸時代は老中あるいは大名級の人が勤めたのか??)。

三宗家による舞囃子「弓矢立合」。「弓矢立合」とは「翁」の上演形式のひとつだそうです。能面はつけません。三宗家が舞い始めると同時に囃子方が切戸口より再入場します。

謡は「釈尊ナ釈尊は~」という詞章から始まりました。元々は「桑の弓蓬の矢の政」から始まるもっと長い詞章だったのが、江戸中期から各流で詞章が変わってしまい、途中のこの部分から舞うようになったとお伺いしています。
詞章が同じでも流儀が違えばリズム、スピード、高低や強弱が異なるものと思われますが、意外と違和感はありませんでした。リズムとスピードはお囃子のおかげでおのずと合うのかな?

舞はもちろん流儀ごとの型で舞われているので、謡以上に違いが目立ちます。逆の方向に動いたりしてぶつからないのかな~とか要らぬ心配をしてしまいましたが、きっと事前に申し合わせしてますよね。
三人で舞うと全く違う型であっても不思議とハーモニーのように相乗効果を生んで一つの面白い作品に仕上がっていました。以前に狂言方の和泉流と大蔵流で同じ曲を同時に舞うという企画を観たことがあるのですが、共通している部分+異なる部分があるため、相違部分ではふくらみが出てむしろダイナミックになり、共通部分で調和が取れて全体のバランスを崩さずにまとまるといった感じで意外としっくりきたのを思い出しました。

(すみません、このあたりからかなり記憶がアバウトになってきています・・・全然レポートになってませんね。お許しください・・・)

弓矢立合が終わった後、御奏者番が宗家(観世宗家だったと思う)に布と思しきもの(小袖かな…?)を渡しました。そして、御奏者番はおもむろに自分の肩衣を脱ぎだしました!(何??いったい何が始まるの!?と一瞬焦るワタクシ。袴まで脱ぎださなくて良かった…。←何考えてるんでしょうかね。笑)そして脱いだ肩衣を軽くたたんで床に放り投げました。宗家(だったと思うがどっち?金春?金剛?両方?もはや記憶が…(゚_゚;))が前に進み脱ぎ捨てられた肩衣を拾って戻ります。後ろで二人の御使番も肩衣を脱いでいます。こちらは放り投げずたたんで自分たちのそばに置きます。

囃子方は退場したかもしれないし残っていたかもしれない…。ストリップのパニックでそこまで注意が及びませんでした(*゚∀゚*)

最後に御奏者番、御使番が正先(本舞台中央前方)に進んで客席側へ向いて着座し、後方の三宗家&地謡方を含め舞台上の全員が平伏します。御奏者番が謡初式が滞りなく相済みし旨を、高らかに宣言します。そして全員退場して終了です。

いやぁ、何もかも目新しくて実に面白かった!筆記用具とオペラグラスを持って行かなかったのを後悔しました。能楽堂でなくホールだったせいなのか、リラックスして見られましたねぇ。通常の「翁」で感じるような共に儀式に参加しているような緊張感はなく、好奇心を持って記録映像を傍観しているような感覚でした。

20分の休憩をはさんで、狂言「棒縛」。人間国宝の野村萬さん、野村万作さん兄弟の共演。萬さんの太郎冠者、万作さんの次郎冠者。主人(野村万蔵さん)の留守中にお酒を飲むので縛られてしまった二人がやっぱり策を講じてお酒を飲み主人に見つかって怒られるのがとても楽しかった。このお二人が同じ舞台上で共演するのを何十年ぶりに観たのであろう・・・(たまたま私が観ていなかっただけかもしれませんが、本当に何十年も観ていなかった気がします)。とても嬉しくて涙が出そう。めったに見られないものを拝見し、この場に居合わせられた幸せに感謝です!

最後に能「石橋」。半能でしたので、後半の獅子が登場するところから始まりました。大獅子の小書(特殊演出)がついているので、獅子は二頭登場します。白い獅子が親で赤い獅子が子だそうです。豪快で華やかな二頭の獅子舞で盛り上がり、こけら落としの能楽公演はめでたく御開きと相成りました。

よみうり大手町ホール開館記念能
平成26年4月5日(土)14時開演
@よみうり大手町ホール
<番組>
小謡「四海波」(観世流)
居囃子「老松」(観世流)
居囃子「東北」(金春流)
居囃子「高砂」(金剛流)
舞囃子「弓矢立合」(観世流・金春流・金剛流)
狂言「棒縛」(和泉流)
半能「石橋 大獅子」(観世流)

地下鉄大手町駅直結
地下鉄大手町駅直結

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ホールの舞台上に作られた能舞台

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公演プログラム

若手能「道成寺」

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公演プログラム。黄色いのは国立能楽堂開場三十周年記念のシール。

国立能楽堂で催された「若手能」を拝見してきました。
「若手能」とは次代を担う若手能楽師が集う能楽若手研究会公演のこと。若手能楽師中心に配役され、国立能楽堂養成研修の修了生が数多く出演されています。

さて、今回は国立能楽堂開場三十周年を記念して大曲『道成寺』が上演されました。

『道成寺』は人気曲です。本日もほぼ満席でした。チケットはいつも争奪戦です(今回は友人のお力添えあり入手できました。ありがたや~(*’▽’*))。『道成寺』は能の演目の中でもかなり異色な部類に入りましょう。特色はやはり巨大な鐘の作り物(=大道具)が登場し、鐘入り、乱拍子などの他の能ではみられない特殊な演出が取り入れられていることです。

☆鐘入りとは・・・シテが落ちてくる鐘に飛び込む最大の見どころです。鐘の重量は80キロほどで、万一失敗すると大怪我の恐れもある命がけの場面です。シテは暗い鐘の中でたった一人で面と装束を替えます。鐘が上がると般若の面をかけ装束替えしたシテ(=蛇体)が現れます。

☆乱拍子とは・・・シテと小鼓が演じる最も難しい演じどころです。小鼓の掛け声と打音に合わせてシテが足拍子を踏みます。シテと小鼓の息づかいのみで間を合わせます。間合いが非常に長いため、舞台も見所も息を呑むような緊張感が張り詰めます。

乱拍子は何度見ても実に奇妙な舞だな~と思ってしまいます。シテが片足のつま先だけ上げてしばらく静止(これまたべらぼうに長い間)。小鼓の掛け声と息を合わせて足拍子。その繰り返し。シテと小鼓の一騎打ちな感じ。時々笛は入ります(大鼓はお休み)。字幕解説によると「白拍子が鐘楼への階段を登る様を表現」とありました。ふーーん、そうなのか。初めて知りました。今回、乱拍子は約25分でした。これは結構長い方ではないか?

鐘入りは、シテが鐘の内側に入り壁面に手をかけ足拍子を踏み、鐘が落ちると同時に飛び上がって鐘の中にすっぽり入ります。鐘より先にシテが落下することのないよう飛ぶのが良しとされています。できるだけ高く飛べばよさそうですが、鐘の天井に頭を打ってもいけないので飛ぶタイミングがとても難しそう。今回は非常にキレイに決まっていました!( ゚∀゚ノノ゙パチパチパチ

今回は観世流宗家の弟サンがシテを勤めました。52歳で若手??40、50は若手の世界なんでしょうか。なにゆえシテは養成研修修了生でないのか?せっかくだからシテも修了生にやってもらえばいいのに~と思っていたら、国立能楽堂で養成してるのはワキ方・囃子方・狂言方だけなんですね~(これまた初めて知った)。シテ方は間に合ってるということでしょうか。というよりシテ方以外が極端に不足しているってことなんでしょうね。

そういや観世宗家がいつのまにか改名していました(観世清和→観世清河寿)。キヨ君プログラムにいないよどーした?とものすごく探してしまったよ。ちゃんと後見で出ていました。なんでも渋谷の観世能楽堂を銀座に建て直すそうで。3月には能と文楽との競演、金剛流宗家との競演などいろいろ予定されてるみたいで・・・飛ぶ鳥落とす勢いですね!

それはともかく、今回お能が初めて&二回目という友人達も満足してくれたようです。能として典型的な演目ではないけど、見どころがたくさんあってお能好きはもちろん初心者でも十分楽しめる曲だとワタシは思っています。

3月は喜多流の道成寺を観に行きます!上掛り(観世・宝生)と下掛り(金春・金剛・喜多)では演出が大きく異なります。それも何度観ても飽きない所以かもしれません。次の道成寺はどんなのかな!?楽しみですっ!(*´▽`*)

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今回で二十三回目を迎える若手能。国立能楽堂開場三十周年を記念して若手能として初めて道成寺が上演された。