浅草寺庭園の見事なしだれ桜がちょうど見頃

このところ毎年この時期に期間限定公開されている、浅草寺伝法院庭園。本日はお天気も良く心地良い陽気で、名物のしだれ桜が満開になっておりました。しだれ桜は樹齢300年だそうです。

昨年は桜の開花が早すぎて庭園には行きましたが桜は散った後でしたので、今年はラッキーでした(*^_^*)

宝物展と庭園拝観はゴールデンウイークまで開催されています。桜は今が見頃ですが庭園自体が素晴らしいですし、寺宝の大絵馬も面白いので、浅草寺にお参りの機会がありましたら、ぜひ寄って観てみてくださいね!

金流山 浅草寺「大絵馬寺宝展と庭園拝観」
開催場所:浅草寺特別展示館・庭園(五重塔のすぐそばです)
開催期間:2014年3月14日(金)~5月7日(水)
入場時間:午前10時~午後4時(4時30分閉館)
拝観料:300円(大人と同伴の中学生以下の方は2名まで無料)
※収益は東日本大震災の義援金となります。

杉本文楽・曽根崎心中付り観音巡り@世田谷パブリックシアター

「杉本文楽・曽根崎心中付り観音巡り」@世田谷パブリックシアター、千秋楽を観てきました。

杉本博司さんという現代美術作家がプロデュースした作品で、東京では前売券が即日完売するほど人気の公演です。今回は当日券も出たようですが観られなくて悔しい思いをした人も多いと思います。

私は以前に杉本博司さんプロデュースの野村萬斎さん三番叟を観て、これはあまり好きではない!と思ってしまったので、その先入観もあり、少々構えて観てしまったかもしれません。

これ以降、この作品に対する思うところを書きますが、結論から言うと文楽自体は良かったですが、杉本演出はやはり好きになれませんでした。決して批判するつもりはなく、これは好き嫌いの問題なので、杉本ファンの方お怒りにならないでください。

正直申しまして、本公演で観た曽根崎心中ほどの感動には至りませんでした。昨年5月に本公演で観たばかりでその感動をまだ覚えていますので、もっと間が空いていれば少し感想は違っていたかもしれません。

演劇にはエンターテインメントとアートの要素があると思いますが、よりアート色が強い作品のように感じました。

杉本さんは文楽を材料にしてご自分のアート作品を作りたかったのだと思います。作品を完成させてご自分で眺めて良いものができたと満足したかったのだと思われます。文楽を観にきたお客さんをお芝居で楽しませることが目的ではなくて、杉本文楽という作品をわかる人だけがわかればいいと考えておられる。究極に言ってしまえば満足するのはご自身だけでも良かったのかもしれません。
アーティストとしてはそういう姿勢でも全くかまわないと思います。天才肌のアーティストはむしろ観る者に歩み寄らない孤高の存在である方が素晴らしいものが作れたり、価値が高く感じられるようなところもありますので、それはそれで一つの形として結構なのです。

映像収録用の公演(本来と違う公演)をわざわざ催すと聞いたので、なおさらそう感じてしまったのかもしれません。
先日ある能の会でテレビ収録のカメラが入り、演者さんが「観客の皆様にはご迷惑をおかけいたします」とおっしゃっいました。何気ない一言ですがテレビ収録というイベントも大切な中で、その場で観ている観客への心遣いが嬉しかったのです。今回はそれとは間逆の対応の気がしましたので。

人形遣いは主遣いも含めて全員が頭巾をかぶった黒子姿でした。舞台には手摺りがなく普段は見えない足もとまで全身丸見えです。
目立たないようにという意味があって黒子のはずなのに、なぜか出遣いの時よりも妙に目立って感じました。人形一体に三人の人形遣いですから、お初と徳兵衛の二人しかいなくても6人もの黒い人間がモコモコひしめいていてまるで羊の群れのように見えます。あぁ、いつもあんなに狭そうにやっていたのね、たいへんそう…。たいへんそうに見えるのは演出としてどうなのかな?

本来の文楽公演でも全員黒子姿の演目や場もあるというのに、今回殊さらそう感じたのは何故なのでしょう。全身が見えてしまっていることや、いつもは床のそばで見上げるように人形を見ていたのが、今回は上から見下ろす感じで観る劇場だったせいもあるのかもしれません。

個人的な感想では、主遣いは出遣いでも良かったんじゃないかな~と思います。人形の表情や指先の動きまでよく見えるような舞台間近の席で観られる人は例外ですが、ほとんどの人には全体は見えても人形の細かな動きや表情は遠くてよく見えていません。にも関わらずこれまで人形の動きや表情がよく見えているように感じていたのは何故か。

実は観ている方は、主遣いの顔の向きや目線、体の動きによって人形の動きや表情をとらえていたのではないだろうか。出遣いシステムは人形遣いのスター化がもたらしたと勝手に思い込んでいましたが、劇場が広い場合には出遣いの方が人形の動きをわかりやすく見せることができることに気付いて今の方式になったんじゃないかな、と思えてきました。

そういえば今回は観音巡りの勘十郎さんによる一人遣いが見どころの一つだったのですが、なぜかあまり人形の印象が残らなかったのです。床(大夫・三味線)の音楽の斬新さと背景のアニメーション動画のインパクトが強かったので、それに負けてしまった感がありました。出遣いであればバランスが良かったのでは…という気がしてます。

主遣いがいつもの高い舞台下駄を履いていなかったのも演出の都合なのでしょうが、いつもと違う高さで遣わなければならない左遣いや足遣いは辛いんじゃないかなぁ…と心配したり。そういえば三谷文楽でも舞台下駄を履いてませんでしたが、どういう演出効果を狙っていたのか知りたいところです。

三味線の譜面台が出ていたのが珍しかったです。本公演ではもちろん譜面は見ないで演奏しますし、その他の公演でも譜面を見ながら演奏したのは見たことがありません。清治さんが眼鏡をかけてめくっていたので実際に譜面を見ていたのだと思います。
観音巡り以外は本公演でもたびたび演奏していると思うのですが、今回かなり内容が違っていたのでしょうか。演出や曲が違っていたとしても清治さんご自身が作っていると思うんですけど。一回きりの舞台ならまだしも、欧州公演も含めるとかなりの回数を上演しているので暗譜してないわけがないと思うのですが。ちょっと不思議に思いました。

床は総じてとても良かったです。観音巡り、清治さん作曲の音楽は何か現代的な感じでテンポもリズムも良く、呂勢大夫さんはよく挑んでおられました。
天満屋の段、嶋大夫さんの語りは、杉本だろうが何だろうが関係ない、ワシはワシの浄瑠璃を語るんじゃ、的ないつもと全然変わりない感じが良かったです。

道行も良かった。5月公演ほどでなかったけど、やはり胸にこみあげるものがありました。ここは技芸員さん全員の本領発揮という感じがしましたので、杉本演出がもはやあまり気にならなくなっていました。

欲を言えば字幕があれば良かったんじゃないかな~と。解説つきの台本が500円で販売されていましたが、上演中は客席の照明は暗く落とされてしまい読めないですし、開演前に読む十分な時間もありません。アートに無粋な電光字幕はNGだというのはよくわかるんですけど。特に観音巡りは普段上演されていないものですから、ほとんどの人が初見ですし言葉も難しくわかりにくいので、字幕があった方が語りの面白さがもっと楽しめたような気がします。

私は(古典とコラボした)杉本作品がやはり好みではないと今回はっきりわかりましたが、技芸員さんたちの頑張りはよく伝わってきました。観てる間は太夫の語りや三味線の演奏、人形の動きをそれなりに楽しみながらも、やっぱり何だかな~ともやもやしていたりしたのですが、カーテンコールで汗びっしょりで観客の拍手に応えてくださった技芸員さんたちのお顔はみな晴れやかで、難しい要求に応えつつ全身全霊で演じて楽しませてくれたのだと感激しました。

野村萬斎さんの時は、杉本さんの個性に萬斎さんが飲み込まれてしまった感がありました(萬斎三番叟はやはり能楽堂で観るのが一番だと思いました)。しかし、今回の文楽は演出は変わってもこれまで古典で培ってきた自身の芸をそれぞれに貫いて撥ね返すだけのパワーがあったように感じました。伝統芸能と現代アートのコラボや、古典への現代演劇的アプローチには懐疑的な私なのですが、三業の技芸員たちの力量によってかえって伝統芸能の底力と揺るぎなさを感じることができたように思いました。観ないままでは何も評価できないし、こんなにいろいろ考えてしまうほどに自分はやはり文楽が好きなんだと再認識できたので、観に行って本当に良かったと思います。

これをきっかけに文楽を初めて知ったり、本来の文楽公演も観に行きたいと思われたお客さんがいらっしゃれば何よりだと思います。むしろ、これを見ただけで文楽はこういうものだと思い込んでほしくない、ぜひ本当の文楽に触れていただきたいです。

もし可能であれば観音巡りをいつの日か、東京か大阪の本公演でも上演できる機会が訪れればいいなと思います。

意欲的に取り組まれた技芸員の皆様方の努力には敬意を表し、本当にお疲れ様でしたと申し上げるばかりです。大阪公演でも数多くのお客様に楽しんでいただけますよう、皆様方のご活躍を願っております。

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お稽古日記-謡・仕舞ともに新しい曲

今月から謡も仕舞も区切りよく新しい曲、どちらも3曲目に入りました。謡は「土蜘蛛」、仕舞は「紅葉狩」。両方とも化け物系ですな~(笑)

謡は初の弱吟です。今まで習ってきた強吟とは同じ記号でも意味が違ってきます。音階もちょっとばかり複雑になります。聴いた感じは弱吟の方が強吟よりメロディアスに感じます。うまく謡えるととても気持ちが良さそう。でもまだ記号の違いに混乱しておりまして、気持ちよく謡える段階でもありません。

まずは師匠のお手本をひたすら反復することで暗記してしまいます。すっかり覚えてしまってから記号を復習することにします。暗記場所は主にお風呂と通勤途中です。謡本を見なくてもすらすら謡えるために細切れ時間をフル活用。もう周囲を気にしてなんていられません(笑) 今までも謡はだいたいこのやり方で練習してます。

仕舞は、師匠に今回はどんな曲がいい?と問われて「女性が舞う曲がやりたいです」と希望しました。兄姉弟子を見ていると武将が舞う曲がかっこいいな~と思い惹かれてしまうのですが、動きが速いと次から次へと型をこなすのが精一杯でやっつけ仕事になってしまいそうなので、ゆったりしている方が基本の型をきちっと身につける方に集中できると思ったからです。

紅葉狩のシテの本性は人間の女性でなく鬼なんです。でも男を誘惑して油断させるために(取って喰うために!)妖しくしっとり舞うべきなんだろうな~、という理想はありますが、そんな余裕をかますのは10年早いですね!

ともかく、9月の発表会でこの曲を舞わせて頂けるよう、お稽古頑張りたいと思いますヽ(´▽`)/

三社神輿が浅草寺本堂に御泊りになる日

推古36年(西暦628年)3月18日、浅草寺のご本尊である観音様が示現(衆生を救うためにこの世に現れた)と伝えられています。本日はその聖日にあたります。
この本尊示現会の時期に、浅草神社の宮神輿が本堂に上げられ、一晩お籠もりします。今朝お参りしましたら、本堂に宮神輿3基が鎮座ましましていました(写真)。お籠もりの日は昨晩だったようです。
お寺の本堂にお神輿が上げられるなんて神仏習合の日本らしい光景ですよね!

梅の花写真集@神遊 雪月花三番能

観世能楽堂で「神遊 雪月花三番能」を観て参りました。能三番・狂言一番、5時間半。観る方も大変ですが、今回は観世喜正さんがお一人で三番ともシテを勤め、囃子方や地謡方にもフル出演の方がいらして、演る方もきっと大変だったことでございましょう。
雪=「鉢木」、花=「杜若」、月=「融」と、「雪月花」にちなんだ三演目でございました。
演目に季節を当てはめてみると、鉢木は冬、杜若は夏、融は秋、…では、春は?? 観世能楽堂の玄関前の梅の木の花が咲いておりました。今日は17度まで気温が上がったこともあり、本格的な春到来!休憩時間に梅を愛でるお客さん多数。私も写真撮りまくってきました(^^)
休憩時間に「鉢木」のおワキの森常好さんとロビーでお目にかかることができました。ボケーッと歩いていたらお声をかけられて…既に私服に着替えられていたので、最初、誰!?と思ってしまいました(めっちゃ油断してました。笑) 舞台の謡もですけど普段お話しするお声も素敵ですわ~(*^^*)

文楽3月地方公演@サンパール荒川

文楽地方公演@サンパール荒川(荒川区)に行って参りました。

地方公演では初お目見えの会場。大きな会場ですが認知度が今ひとつだったのか都内にも関わらず大入りでなくてもったいない。A席2000円で10列目でしたから結構お得感はありました(S席は3000円)。

花競四季寿より万歳、鷺娘、ひらかな盛衰記より松右衛門内の段、逆櫓の段。面白い演目で楽しめました。

昼間に貸し切りで行われた学校公演のプログラムを無料でいただきまして(夜公演のプログラムは有料500円)、これを観るわけじゃないのになんで?と思いましたが、他の地方公演ではもらえない(ここだけプログラムが違うんだそうです)ものなのでまあレアものゲットということで(笑)

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本日、夜の部の演目は、花競四季寿、ひらかな盛衰記でございます~。

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サンパール荒川(荒川区民会館)大ホール。なかなか広い会場です。都電荒川線の駅からは近いけど、メトロの駅からはちょっと遠いかな~。

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昼間の学校公演のプログラム(無料)。実際に観た夜公演とは違う演目なので、なぜこれをくれたのが不思議です(余ったからくれたのかな?)

コバケン・ワールドVol.6 @サントリーホール

炎のマエストロ、コバケンこと小林研一郎さん(指揮)と日本フィルハーモニー交響楽団の、初心者にもなじみやすい選曲のクラシックコンサートシリーズです。曲の合間にマエストロのわかりやすいお話も入り、毎回とても楽しい音楽会です。

今回は、民族色あふれる音楽をテーマに、チェコ、ハンガリー、ロシアの音楽が多く選曲されていました。どの曲も限りなく美しく勇壮でもの悲しく…。東欧の音楽は長く凍てつく冬を連想させる気がして、故郷の北海道を思い出します。

チャイコフスキー・バイオリン協奏曲ニ長調、第一楽章の盛り上がりでもう胸にこみ上げるものがあり、目頭が熱くなってきます。バイオリン・ソロの南紫音さん、素晴らしい演奏でした。しかし、ワタシ的には第一楽章で気持ち的に盛り上がりすぎてしまい、第二楽章ではすでに抜け殻のようになっていました。すみません_(_^_)_

マーラー交響曲第5番第4楽章。翌々日にせまった3年前の忌むべき日の悲しみにあふれている、とマエストロ。鎮魂の意味をこめて選曲・演奏されたのですね。その言葉に感化されたのか曲のデキが良すぎたのか、後ろの席のお客さんがめっちゃハナすすって泣いてました。単なる花粉症かもしれませんけど?しかし、私はこの曲を聴くとどうしても条件反射で「ベニスに死す」の世界に入ってしまいます。東北ではなくヴェネツィアの海岸を思い出していました。ああ、タジォー。

最後の曲はお待ちかね、ボレロです。いろんな場面でよく聴いていますが、生オケで聴くのは久しぶりです。

マエストロのお話、人生は寄せては返す波のようなもの。最初のスネアドラムのチッチキチ、チッチキチ、チッチッ、と規則正しく繰り返す音が、心臓の鼓動を表しているかのようだ、と解説。そこへ最初のテーマがフルートで入ります。そのテーマは打ち寄せる波で人生の営みを表し、もう一つのテーマが立ち向かうもの、欲望のようなものではないだろうか、と語られました。よくわからないけど、ウンウンそんな感じがしますぞ!

徐々に盛り上がっていき、いよいよ最高潮に達したときに光が見えます!とマエストロ。そこで客席に向かって合図をしてくれると予告。その予告通り、一番盛り上がるところでマエストロは振り返り客席に向かい左手を高々と差し上げました!

ボレロが終わった大喝采の拍手の中、マエストロ、客席へ挨拶をして、お礼を述べ、そのまま終わるような雰囲気に。あれ?アンコールは?という客席の様子にマエストロ、「ボレロのあとにアンコールというのはいかがなものか…と思いますので…」と、ボレロのクライマックス、終盤の1分間を再度演奏。確かにボレロでこれだけ盛り上がったあとにできる曲はないですよね~。なかなか粋な計らいだと思いました。

マエストロは今度はさらに大きく振り返り完全に客席に体を向け天高く手を差し上げました。ここで客席からヤンヤヤンヤの拍手が起こるかと思いきや、さすがにクラシック音楽のお客さんはお行儀が良いようで各自静かに心の中で盛り上がります(二回目なんだから拍手しても良かったような気がするけど~)。

マエストロ、翌日からハンガリーへ発ち、1ヶ月間ハンガリーのオケを指揮するそうです。それで今年は日本の桜が見られないだろう・・・と桜を贈ってもらったそうな。ホールのエントランスに飾ってあったらしいのですが、いったいどこにあったのでしょう!?私の目は節穴なんでしょうか??それが見られなかったことだけが心残りです・・・ショボ――(´-ω-`)――ン

平成26年3月9日(日)
コバケン・ワールド Vol.6
@サントリーホール

指揮とお話:小林研一郎
バイオリン:南紫音
日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:木野雅之

ドヴォルジャーク:スラヴ舞曲第1番
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
<休憩>
ブラームス:ハンガリー舞曲第1番、第4番、第5番
マーラー:交響曲第5番より第4楽章
ラヴェル:ボレロ

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第95回粟谷能の会「道成寺」(後編)

これまでのお話
第95回粟谷能の会「道成寺」(前編)鐘を吊る
第95回粟谷能の会「道成寺」(中編)乱拍子

4日も経つとさすがに記憶があいまいになってきました…。細かいところ記憶違いがありましたらスミマセン。ご指摘歓迎。

乱拍子を舞っていた白拍子の様子が急に変わり、急ノ舞となります。

シテは激しく舞いながらも鐘の方を何度か見ます。鐘を気にしているような表情です(能面にも表情があるのよ!)。その視線の変化から、徐々に鐘に近づいていっているような印象を受けます。ついにシテはつけていた烏帽子を扇で払い落し、鐘の下に入り足拍子を踏み飛び上ります。それと同時に綱を握って釣鐘を固定していた鐘後見が、綱を緩めて鐘を落とします。

鐘が落ちたときにシテが宙に浮き上がり鐘にしゅっと吸い込まれたように見えました。鐘入り大成功!とてもキレイに決まりました\(o^▽^o)/ヨクデキマシタ!美しい鐘入りと引き換えにシテは頭をぶつけるという代償を払ったはず。本当にたいへんなお仕事ですね…。落ちた直後の鐘が少し浮き上がり回ったのが見えました。中のシテが鐘を回しているのです。これはシテが無事であることの合図だそうです。鐘入りは一歩間違うと大ケガしかねない大勝負なのです。あぁ、とにかく御無事に鐘入りできて良かった…と見ているこちらもまずは安堵( -o-)=з

鐘が落ちると、橋懸かりで控えていたアイがその音に驚いた演技をします。揺りなおせ揺りなおせ、くわばらくわばら、地震か、雷か、などとセリフを言いながら、二人ともごろごろ橋懸かりで転がります。脇正面の橋懸かりすぐそばで観ていた友人は、お能でごろごろ転がるシーンがあると思わなかったと言ってびっくりしていました。

鐘楼の方向から音が聞こえたと二人が見に行くと、吊り上げたはずの鐘が落ちています。鐘が落ちたーーー!?二人は驚き鐘に近づき触れてみると鐘が煮えたぎって熱くて触れません。で、住僧に報告に行かなければということになるのですが、女人禁制と言われていたのに入れてしまったポカをやっちゃってます。住僧に怒られたくない二人は、お前行け、いや、お前が行け、と押し付け合いをします。この辺がちょっとしつこいコントのようです(笑)

結局オモアイの萬斎さんが報告に行くはめになります。報告を受けた住僧は、道成寺の鐘にまつわる因縁を語り始めます。おワキは森常好さんです。いつ聴いても麗しい美声ですぅ~(*´▽`*) ここの語りは聴きどころです。常好さんの語りがあまりに素晴らしくて引き込まれてしまいます。鐘の中に隠れた山伏が鐘に巻きついた大蛇に焼かれて消滅~というところは本当に背筋が寒くなりました・・・彡(-ω-;)彡

そして、ワキとワキツレ(住僧達)が祈祷をして悪霊を払おうとします。祈りを捧げていると、鐘が揺れ、少しずつ上がって蛇体となった後シテが現れます。

鐘の中でシテはたった一人でお色直しをします。鐘の中がどうなっているかは我々には謎ですが、狭くて暗い鐘の中で装束を替えたり面をつけ替えたりするのは大変そうですねぇ。アイの演技やワキの語りの間、ひとり懸命に変身している場面を想像すると頑張れ!(o`・ω・)o、と応援したくなります。

後シテは般若の面をつけています。横の髪を長く垂らしていました。お下げ髪のようでちょっと可愛らしい(くす。笑)。しかし、住僧達に凄みをきかせる般若の面はめっちゃ怖いです~。恐ろしい形相の後シテは住僧らに戦いを挑みます。住僧達も法力で応戦します。

シテがシテ柱に背中をつけてまといつく柱巻き、勇ましく住僧達に立ち向かっていた蛇体ですが、ここで悶えているような苦しげな様子。なんか妙に色っぽいぞ!ヘビ子ちゃんもやっぱり女なのよね~。

激闘のすえ、住僧達が勝利します。ここでシテは橋懸かりを歩み、最後は揚幕の手前で足拍子を踏み、腰をおろしました(日高川に入水したことを表現と思われる)。化生の者は去りました。ワキがユウケン(広げた扇を胸の前で二回右上にはね上げる)をして勝利のポーズ(ここ、かっこいい!)。その間に、シテはすっくと立ち上がり、揚幕の奥に歩み入ります。

シテの退場は、橋懸かりを猛ダッシュして揚幕の奥に勢いよく飛び込むものとばかり思い込んでいたので、この終わり方は意外でした。静かな余韻がかえって不気味で怖い…。話はまだ続きますよ…みたいな。To be continued! (…なのか?)

このエンディング、勢いよく飛び込む演出だと、最後まで化け物パワー持続、もう完全に化け物になっちゃったんだねー、という感じがします。一方、静かに去る演出では、執心のあまり化け物に変化してしまったけど、元々は人間の女の子だったんだよねー、というニュアンスが残る気が。化け物退治して気分爽快、ではなく、ちょっぴり可哀そうな気持ちになりますなぁ…(´-ω-`)

こうして、冒頭少しハラハラする場面もありましたが、大成功で「道成寺」完です。出演者陣は超一流、緊迫と感動の素晴らしいお舞台でした。能では拍手をしないポリシーの私(※)も、思わず周囲の熱気に酔わされて拍手喝采!(o´ェ`ノノ゙☆

(※)この話はこちらに詳しく(お能の拍手について考えてみた)

道成寺は特別な曲です。他の演目より大がかりな作り物を扱い、準備や申し合わせも入念に行い、危険を伴うために安全に細心の注意を払い…。そのため総力結集の度合いは数ある演目の中で群を抜いていましょう。無事に終わった時の演者さん裏方さんの一体感や達成感もひとしおではないでしょうか。

私は道成寺を観る度に、この舞台を作ってきた人たちはこの日のために本当によく頑張ってきたのだ、そして、おシテを始めとした演者さん一人一人が全身全霊で芸に取り組んでいるのだ、と感じます。総力結集の成果を肌で感じ、その場に居合わせることができる幸運をとてもありがたく思うのです。今回もそんな幸せを頂くことができました。

いやぁーーー、いいもん見せていただきました。ありがとうございましたーーー!\(o^▽^o)/

第95回粟谷能の会「道成寺」テレビ放映決定!
「古典芸能への招待」NHK-Eテレ
平成26年4月27日(日)21:00~23:00
※能「道成寺」録画中継

「にっぽんの芸能」NHK-Eテレ
平成26年4月18日(金)22:00~22:58
※収録映像の一部を紹介

次回の粟谷能の会は10月12日ですわよ~ん♪
次回の粟谷能の会は10月12日ですわよ~ん♪

第95回粟谷能の会「道成寺」(中編)

鐘が吊り上げられ妖しくも美しい白拍子が登場したところで前回は終わりました。
前回まで⇒ 第95回粟谷能の会「道成寺」(前編)

これが後編と思いきや、書いているうちにどんどん長くなって、まだ中編です。もうしばらくおつきあいを~。

乱拍子とは、シテが小鼓と息を合わせて独特のリズムで足拍子を踏む舞です。動きが止まっている時間が長く、その分、小鼓のかけ声・打音とシテの足拍子の瞬間の迫力がすごいです。シテと小鼓の一騎打ちとも言える緊迫した場面です。

最初はまっすぐ正面を向いていた小鼓方の大倉源次郎さんが、床几ごと体の向きを少し斜めに変え、シテの方を見る格好となりました。
シテと相対する準備万端です。ここからは二人だけの世界に入っていくのです。源次郎さんの真剣な表情が凛々しすぎる!おシテの明生さんもお顔は見えませんが能面の裏側は真剣な面持ちであったことでしょう。今、この二人は精神的に強く結び付きあったのだ…!この情景を傍から見ながら、二人の青春は私の青春、このままずっと見ていたい、などと妄想(笑)

喜多流では、道成寺は幸流の小鼓方が勤められるのが通例だそうで、おシテの粟谷明生さんも披き(初演)では幸流の小鼓方と共演されたとのことです。二度目の今回は大倉流の小鼓方との共演を望まれました。実際に演じてみてどのような違いがあったのでしょう?私は残念ながら初演を拝見していないので違いを知る由もありませんが、明生さんご本人は大いに感じるものがおありになったことと思います。

シテが小鼓のかけ声と打音に合わせて、つま先やかかとを上げたり下げたりひねったりして少しずつ足を動かし、そのとき動きが完全に止まっている間がしばし続き(乱拍子がラジオ放送で無音事故になったことがあるというのは本当なのだろうか)、そして足拍子、という動作が基本なのですが、この舞と言えるのかどうかもわからない奇妙な動きにどういった意味があるのか未だよくわかりません・・σ( ・´_`・ )。oO

意味・・・?能の動きに意味を求めるのはナンセンスなのかもしれません。能は観る者がそれぞれ想像力を働かせて感じる芸能です。しかしあえて意味を考えてみました。

乱拍子の解釈は多々あると思うのですが、鐘楼への階段を昇る白拍子の歩みを表しているという一説がありました。なるほど~、一理あります。だから足づかい中心の動きなんだと説明がつきます。

私は白拍子が鐘に近づくために足技を使って妖力をかけているんじゃないかという気がしてきました。白拍子が舞っている最中に人々は眠ってしまいます。これ、催眠術をかけられたんじゃないですかね?足づかい中心なのでどうしても一点を注目することになりますよね。一点を見つめていると暗示にかかりやすくなるのでは。5円玉揺らす代わりに足を少しずつ動かして見せる。科学的根拠は全くないですが、そんな妄想を巡らせてしまいました(笑)

静寂の中で、小鼓のかけ声と音、足拍子の音、そして時折の笛の音のみが響き渡り、見所には異様な空気がはりつめています。少しの物音もたててはいけないそんな雰囲気です。舞台上には妖力が満ち満ちている。それを観客が傍観しています。妖しく美しい女性がこれから何をしでかそうとしているのか固唾を飲んで見守っているのです。感覚は研ぎ澄まされ、一つ一つの動きや音も逃すまいと舞台に目と耳が釘付けになります。そして舞台上から流れてくる妖力の影響を受けた一部のお客さんは夢の世界に(笑)

ワタクシこれまで数知れぬほど道成寺を観てきてますけど、乱拍子でこれは素晴らしいと唸らされたものは本当に数少ないです。正直申しますと、途中でちょっと飽きてくることが多かったです。だからよく時計を見てしまうのですが、今回は舞台から目が離せず時間を見るのもすっかり忘れていました。実際には長くもなく短くもなく…だったのでしょうか。感覚的には5分か10分で終わってしまったように思えるほどあっという間でした(あぁ~もっと観ていたかった…、けど、やる方はしんどいっすよね。笑)。

明生さんと源次郎さんのこの上ない素晴らしい共演、ひとつひとつの動作や発音が丁寧に扱われていて、息もぴったり合い真剣な中にも楽しそうにノッている様子ですらある。記憶には映像と音声がしっかり刻み込まれて、思い起こすといまだに鮮明に蘇りますが、なぜなのか言葉にしたくてもこれ以上うまく言葉にできないのです~。あぁぁ、語彙不足で本当に申し訳ない。そんなわけで、実際の映像は4月27日のNHKの放送をご覧ください(笑)

乱拍子の終盤にシテ謡があり、大鼓の演奏が再び入り、とたんにお囃子がにぎやかモードに。シテも激しく舞いだします。急ノ舞です。この急展開で妖力によって眠らされていたお客さんたちも覚醒します(笑)

さあ物語はいよいよクライマックスへ。つづきは明日です!

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第95回粟谷能の会「道成寺」(前編)

このところ毎回拝見してはまっております喜多流・粟谷能の会。今回は道成寺ということもあり、SS席を奮発いたしましたよ~。正面席、前から2列目ど真ん中。最上級のお席です。この幸せに感謝であります(*´▽`*)

<ざっくりあらすじ>
道成寺で鐘を再建することになり、寺の能力が新しい鐘を吊り上げる。女人禁制の鐘楼に、能力は白拍子を入れてしまう。白拍子は舞いながら鐘に近づき、鐘の中に入ってしまう。と、同時に鐘が落ちてしまった。能力は住僧に鐘が落ちたことを報告すると、住僧は鐘にまつわる話をし、祈祷で鐘の呪いを払おうとする。すると鐘が上がり、中から蛇が現れる。蛇と僧たちが闘った末、僧たちが勝利し、蛇は日高川に逃れていく。

下掛り流儀なので、アイが芝居がかりで鐘を運んで設置します(上掛り流儀(観世・宝生)の場合は、最初に後見が運んできて設置する)。鐘の重さは80キロほどあるそうですので、実際にはアイ2人、後見2人が鐘の竜頭に通した太い竹の棒を担ぎ、後見2人が横から鐘を支えて、6人がかりで運んできます。アイの野村萬斎さん、深田博治さんが「えいやーえいとーなんと重い鐘ではないか~」などと途中挫折しそうになりながら運ぶお芝居をします。鐘はかなり高さがあるので(人ひとりが入るんだからそりゃそう)担ぐ4人は両手を高く掲げて棒を持ち上げ、つま先立ちで歩いてきます。重いものを担いでつま先立ちで歩くのはさぞやキツいことでしょうなぁ。

鐘は鮮やかな緑色でした。ワタクシ喜多流の道成寺をこのところしばらく観てなかったようです。道成寺の鐘っていうと紺色か紫色のイメージがありました。でも、緑色がホンモノの鐘の色に一番近いかも~、いいかも~。

舞台中央まで行きますと、アイが鐘を吊るします。能舞台の天井に滑車が設置されていて、そこに鐘の竜頭に付けられた綱を通します。天井に届くくらいの長い竹の棒が二本用意されます。綱の先端は輪になっていて、まずは先が二つに分かれた竹の棒の先に綱の先端部分を挟み、天井の滑車に綱の先端(輪の部分)を差し込みひっかけます。そして、先に鉤がついているもう1本の竹の棒で綱の輪をひっぱると、挟んである方の竹の棒がはずれ、滑車に綱が通ります。いつも思うのですが、能の作り物や道具は本当によくできているなぁと感心します。動きに無駄がでないように合理的にできています。

しかし、今回、珍しく鐘を吊るのにかなり手間取りました。竹の先端に綱を挟む時もすんなり挟まらず。深田さん少し緊張?うまくいかないことが多い、綱の輪っかを滑車にひっかけるのは一発で成功したのですが、そのあと、滑車がぐるぐる回ってしまって思い通りの向きに定まらず、綱がどうしても真っ直ぐかかりません。しまいに電話の受話器のコードのようにこんがらかってしまいました。綱が真っ直ぐになっていないと、鐘を落とす時にたいへん危険です。何度も直そうとするのですが、なかなかうまくいきません。いったん萬斎さんが鐘を吊るときのセリフを言い始めましたが、萬斎さん、思い直したようにセリフを止めまた綱をほどいてやり直し始めました。見てる方もなんだかハラハラです(゚д゚;) リトライの結果、今度はきれいに綱がかかりました。こちらも思わず「ヨシ!これで大丈夫!」と心の中でガッツポーズ。改めて鐘が吊りあげられ、演技再開です。

さあさ、鐘が吊り下がりました。能力(アイ)は住僧(ワキ)に「女人を入れてはいけないよ~」と命じられています。

そこへ、白拍子(前シテ)が妖しげな雰囲気を醸しながら登場します。

本日のおシテは喜多流・粟谷明生さん(58歳)です。道成寺は2回目とのこと。披きのフレッシュさとまた違った円熟味を見せていただけることを大いに期待ですっ!!\(o^▽^o)/

鐘の供養をしたいと申し出た白拍子に、能力は舞って見せるなら~とあっさり許可してしまいます(あらあら~)。

そして、白拍子が烏帽子をつけて舞い始めます。「乱拍子」という独特の舞です。

長くなりましたので、つづきはまた明日に。

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