唄う楽器「篠笛」語る楽器「能管」@和gaku庵(前編)

和gaku庵@繪処アラン・ウエストin谷中。今回はお笛のレクチャーです。
講師は福原流笛方の福原寛先生。歌舞伎や日本舞踊などの古典はもちろん独自の演奏活動や他ジャンルとのコラボなど多方面でご活躍の御方です。

本日のメニューは篠笛と能管のレクチャーと演奏。
篠笛は歌舞伎や日舞ではもちろん、お祭りのお囃子や映画・テレビの時代劇にもよく使われていますので、日本で生まれ育った方ならどなたでも音色を聴いたことがあるお馴染みの楽器だと思います。しかしワタクシ長年のお能中毒により(笑)能管のことはそれなりに知っているのですが、篠笛については不勉強で知識がほとんどありません。どんなお話が飛び出すのかワクワクです!((o(´∀`)o))

オープニング、福原寛先生が笛がたくさん入った布袋を携えて爽やかにご登場!
和gaku庵の先生方は本当にいつも素敵な方ばかりです,゜.:。+゜主催者の佐藤さん曰く「外見と実力の両方を兼ね備えておられる方にお願いしています」だそうです。

とても優しそうな雰囲気の福原寛先生。お弟子さんに聞いたらお稽古でもお優しいそうですよ~。
とても優しそうな雰囲気の福原寛先生。お弟子さんに聞いたらお稽古でも優しいそうですよ~。

さて、大量の笛です。レクチャーで紹介するためにいろいろな種類の笛をお持ちになったのかな?と思っていたら、常時これだけの笛を持ち歩かれているとのこと。能管1本を除き全て篠笛です。長さや太さが少しずつ異なるものが幾本も。なぜ何本もの笛が必要となるのか?寛先生がその秘密を明かされます。

演奏の際はいつもこれだけの笛を持ち歩かれているという
演奏の際はいつもこれだけの笛を持ち歩かれているという。左端の黒い笛が能管。

篠笛は基本的に唄や三味線と合奏する楽器です。音の調子は立唄や立三味線と呼ばれる主奏者に合わせます(多くの場合、立唄のキーに合わせます)。西洋音楽のオーケストラなどでは絶対音でチューニングしますが、邦楽には洋楽のような絶対音が無くて、基準となる音を自分で決めることになります。その人自身の声の高低やその時の体調・気持ちなどによっても基音は変わります。三味線は糸巻きを回して調弦することができますが、笛の場合は機構的に調律する仕組みを持たないため、少しずつ調子の異なる笛を何本も準備し選んで使うというわけです。そのためにたくさんの笛が必要となるのですね!そのほか息を吹き込む角度などで調子を変えたりもするそうです。微妙な音程の変化に対応できるのですね。な~る~。

さてそれではなぜ能管は一本のみなのでしょう。それは能管というのは基本的に他の奏者に合わせてメロディを吹く楽器ではないからです。能管は元々能で使われる笛です。能の舞台を観ているとわかりますが、能には三味線のようにメロディを奏でる楽器が出てきません。シテやワキの謡には音階があり他の邦楽と同様に基音は役者自身が決めます。しかし笛はその音に合わせるということをしていません。能では個々の楽器がかなり主張の強い演奏をします。決して謡の伴奏ではないのです。楽器自体が役者と同じく情景や心象を描写する役割を担っていると言えます。そんなわけで他と音の調子を合わせる必要がないので一本で足りるのですね~。

たくさん持っている笛のうち能管は一本だけ。残りは全て篠笛なのだ。
たくさん持っている笛のうち能管は一本だけ。残りは全て篠笛なのだ。

そういった笛の特徴を寛先生は「唄う楽器・篠笛、語る楽器・能管」と表現されました。特徴の違いを見事にひとことで言い表していますよね!

寛先生が篠笛と能管の曲の演奏を交えつつレクチャーは進行します。

長くなりました。つづきは明日に。

レクチャーの会場となった日本画家アラン・ウエストさんの画廊兼アトリエ「繪処アラン・ウエスト」。谷中にある風情のある古民家。
レクチャーの会場となった日本画家アラン・ウエストさんの画廊兼アトリエ「繪処アラン・ウエスト」。谷中にある風情のある古民家。

※主催者および福原寛先生から写真撮影および掲載の許可を得ています。

着付け習い始めてからフォーマルな着物を初めて着るの巻

友人の結婚式でした。

着付け教室では二重太鼓の結び方は習っていましたが、時間に制限がある中、きちんと結べるか不安だったのと、伊達襟を自分で付けたことがなかったので、着付けの先生にお願いして結婚式当日の朝に直前レッスンしてもらいました。レッスンのはずだったけど、結局半分以上は先生に着せてもらっちゃった…(^◇^;)

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この付け下げは妹の結婚式のために誂えた物で、16年前にただ一度、袖を通したきりだった^ ^ ;
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帯も素敵でしょ?これからも度々着る機会があればいいな。

語る楽器「琵琶」@和gaku庵

下町の風情あふれる谷中にひっそりとたたずむ日本画家アラン・ウエストさんの画廊で、薩摩琵琶のレクチャーに参加してきました。

先日友人の琵琶の演奏会に初めて行ったときに琵琶の奥深さを知ってしまい、もっと琵琶に触れてみたいと今回の参加を決意。
(友人の演奏会の模様はこちらに詳しく→琵琶と語りと夢幻の世界

講師は川嶋信子さん。和服姿がよくお似合いのお綺麗な女性です。
演奏するお姿はまるで弁天様のようです。お美しぅ~(*´▽`*)
公式ホームページはこちら↓
薩摩琵琶奏者・川嶋信子公式サイト

琵琶についてはほとんど何も知らなかったので今回はとても勉強になりました。以下、講習の内容から一部をご紹介。

日本の琵琶

琵琶にはたくさんの種類があって、現代の日本においてよく演奏されているのは薩摩琵琶と筑前琵琶。元々、琵琶は大陸から伝来した楽器ですが、日本に入ってから独自の発展をしてきました。そのため現代の日本の琵琶と中国の琵琶(ピパ)は材質、音質、奏法など異なり、全く違う楽器と言ってよいそうです。

歴史について

雅楽で使われる楽琵琶、平家物語でお馴染みの平家琵琶、という系譜を辿り、盲僧琵琶へ。盲僧琵琶とは目の見えないお坊さんが檀家を回って演奏するために使っていた物。背中に背負うために小ぶりだったようです。そういや琵琶法師って盲目の僧侶でしたよね。そして、盲僧琵琶は地域により大きく筑前盲僧琵琶と薩摩盲僧琵琶に分かれて、薩摩盲僧琵琶は武士のための薩摩琵琶となり発展して現代に至ります。(一方で筑前盲僧琵琶は現代の筑前琵琶の起源となります)

演奏方法について

楽琵琶などは横にして演奏しますが、薩摩琵琶は立てて演奏します。薩摩琵琶は大きな撥(バチ)を用いた激しい演奏が特徴です。撥は大きな二等辺三角形の頂点に小さな扇がついたような形をしていて、三角形の部分を握り、扇状の部分に小指をかけます。撥で弦をベベンとはじくお馴染みの弾き方の他に、撥で弦をしごいて「きゅるきゅる」「しゃーー」というような音を出したり、胴の部分を撥で叩いて音を出したりする奏法も行われます。撥が大きいのはそういった奏法に対応するためでもあるんですね。
また、元々武士の精神統一の手段として使われていたという琵琶。そのため、万一敵に襲われても撥を投げつけて敵を撃退できるように大きい撥となったという説があったとかなかったとか・・・(笑)
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薩摩琵琶と筑前琵琶

さて、私、薩摩琵琶と筑前琵琶にどういう違いがあるのかこれまでよくわかっていませんでした。その疑問の答えも今回明らかに。
まず、材質が違います。薩摩琵琶は桑の木で作られていて、筑前琵琶は桐の木で作られています。堅い桑の木で作られている薩摩琵琶だからこそ叩きつける奏法が適していると言えます。ちなみにこれだけの大きさの一枚板を切り出すには樹齢100年以上の桑の木が必要だとか。非常に貴重なものですよね!
また、筑前琵琶は明治以降にできたもので、薩摩琵琶と三味線の中間のようなものだそうです。薩摩琵琶は、歌う→演奏→歌う→演奏…という構成の曲ですが、筑前琵琶は三味線音楽のように歌いながら演奏する曲が多いようです。

曲について

平家物語に代表されるように題材が物語である曲が演奏されることが多く、歌うというより、浄瑠璃のように「語る」と言う方がふさわしい音楽です。歌詞は謡や浄瑠璃と比較するとわかりやすかったです。耳で聴いただけですんなりと理解できました。文語ではありますが、作られたのが最近だからなのでしょうか。大正時代に琵琶が大流行し、かつては琵琶歌の作詞家がたくさん活躍していたが今は全くいなくなってしまったと川嶋さんも残念がっておられました。

今回演奏して頂いた「西郷隆盛」と「本能寺」はどちらも人の最期を描写している曲。明るい曲はほとんど無いそうです。激しい演奏が特徴ですが哀愁漂う音色もまた心に染みいります。曲の構成は、歌ってベベーン、歌ってベベーンの繰り返しなのですが、ベベーン(歌なし)の部分が思った以上にかなり長いです。
演奏を聴いて気づいたのですが、この長い琵琶ソロの部分があることによって、聴く人が語りの内容を反芻したり情景を想像したりできるようになっているように思われました。「本能寺」では信長が館に火を放ったという語りの後、撥で弦をしごいて音を出す奏法が繰り返されるのですが、ここで火が燃え広がっていく光景が目前に広がるような感覚にとらわれました。琵琶は単なる伴奏楽器ではなく、心理描写や情景描写に重要な役割を果たしていることがわかります。

締めくくりに会場の全員で平家物語の「祇園精舎」を歌いました。歌詞カードも楽譜も無く「オウム返し」で一度だけ教わり、琵琶の演奏に合わせてみんなで合唱しました。「祇園精舎」は朗読教室で習いましたが、歌うのは初めて。にもかかわらず結構上手に歌えたような気がします(^_^)

<講演メモ>
和gaku庵(和文化サロン)語る楽器「琵琶」
2014年10月15日(水)@繪処アラン・ウエスト
講師:川嶋信子(薩摩琵琶 鶴田流)

能楽五人囃子「能の来た道、日本のゆく道」

皆既月食が観測された日、国立能楽堂で、能楽五人囃子「能の来た道、日本のゆく道」を拝見して参りました。

講演ということでしたが、トーク、ワークショップ、実演で構成されていて、リラックスしたムードで堅苦しくなく飽きさせない内容でした。

オープニングはお囃子方の四名で「獅子」(石橋)を演奏。能は眠くなるというイメージを払拭するため(?)この選曲で元気よくスタートです!

大倉源次郎さんが中心となってお話しなさいました。源次郎さんは見た目はシュッとしていてカッコよくて演奏するときの真剣なお顔も凜々しいのですが、実際にお話しなさるととても気さくで面白い方。大阪人だから?サービス精神が旺盛で会場の笑いを誘うコメントも織り交ぜながら楽しいトークが進みます。ダジャレを言ってもオヤジギャグに聞こえないところはイイ男の特権ですよねぇ(*^_^*)

雛人形の五人囃子について。能舞台での並び方と同じで向かって右から、謡、笛、小鼓、大鼓、太鼓。覚え方は、音を出す位置が口から近い方から順に並ぶということです。へ~。そういや子どもの頃、右端のこの人だけなんで楽器持ってないんだろう?ってずっと思ってました。能を見るようになってから初めて謡だと気づいて、この人意味不明だったけどバンドで言えばボーカルじゃん!と思った記憶が(^_^;)

次に各楽器についての解説。能楽師さんたちは「お道具」と呼び、単なる楽器を超えた大切なものとして扱っているそうです。

能の笛は能管と呼ばれており、音程の取りにくい構造になっております…みたいな説明が源次郎さんからありまして。ところが…この一噌幸弘さん、能管で楽ラクと音程を取ってしまう稀有な才能の持ち主でして…。笑点のテーマやちびまる子ちゃんの踊るポンポコリンを披露(しかも全フレーズ。笑)。笛でメロディーを吹くなどごく普通のことのように思われますが、能管でそれやっちゃうのはスゴイんですよ!たいへん特殊な才能の持ち主です。幸弘さん、もっと吹いてもっとしゃべりたそうでしたが~(笑)

小鼓と大鼓は桜の木の胴に馬皮が麻紐で締め上げて張られています。材質が同じなのに全く音色は異なります。締め上げる強さが全然違うそうです。小鼓はバラっと分解してすぐに組み上げることができますが(源次郎さん実演)、大鼓は力一杯締め上げるため、組み上げるのに10分くらいかかってしまうとか(だから実演は無しよ)。
また小鼓は5年10年100年と年数が経つほど良い物に育っていくものですが、大鼓の革は消耗品で数回の演奏で新調しなければならないのだそうです。今講演では言及がなかったのですが、小鼓の革は湿らせて使い、大鼓の革は乾燥させて使う、というのは良く知られている話です。同じ材質なのに対照的な楽器ですよね。

一方、太鼓は欅の胴に麻紐で牛皮が張られています。太鼓を載せる台は又右衛門台と呼ばれているそうです。又右衛門さんという方が考案されたからとか。だらんとぶら下げると人間の形をしていてユーモラス(^o^)

囃子方は事前に合わせるためのお稽古するのかというとそうではなく、お互いのかけ声が合図となる決まり事があって、いきなりでも息を合わせられるのだそうです。かけ声だけで合わせられることを示すために、小鼓と大鼓がお互いが見えないよう背中合わせとなり演奏を披露。見事に決まりました!

一通り解説と実演が済んだところで観客席も体験のお時間です。グーにした左手に右手を当て右肩の位置まで持ってきて小鼓を打つマネをします。かけ声もかけます。そう、エア鼓です(笑)。 これは別のワークショップでも体験したことがあるのですが、一人一人にお道具を持たせる必要もなく手軽にできて楽しい体験です。しかもホンモノの小鼓の音に合わせての合奏。気分上がりますよ♪

後半はシテ方のワークショップ。解説は観世流シテ方の坂口貴信さん、能楽界きってのイケメン能楽師さんです。能舞台の説明、能の演目の種類についての説明の後、能面の解説と装束付けの実演など。
演目のオススメを問われてですね、貴信さん「能には『神・男・女・狂・鬼』という演目の種類があり、自分に好みに合った演目を選ぶことです。『女』は最も動きがゆっくりで時間も長い…最も能らしいとも言えますし、能楽師としてはとても大切な演目ですが…」…はっきりおっしゃらなかったですが初心者の方は「女」の演目は難易度が高いのでなるべく避けた方がいいとおっしゃりたかったのでは。わかります~。私もよく夢の世界に行ってます(笑)

解説の後は観客席の謡体験です。オウム返しというお稽古の方法で、貴信さんの後について観客全員で謡を練習。「高砂」を謡いました。一度お稽古したあと、お囃子方に入って頂き全員で謡います。おぉー、これはかなり気分が良いですネー♪ その後、貴信さんによる舞囃子「高砂」の実演です。貴信さんは舞姿がたいへんお美しいです。イケメンのうえ舞上手♡ 眼福でございました~(〃▽〃)

解説で印象に残ったお話をいくつか。

能舞台上の結界の話。シテは装束をつけて縦板が張られた三間四方の本舞台で演じます。それに対し、本舞台の後ろ(鏡板の前)にある横板が張られた後座は場面からいないものとなることを意味し、囃子方や後見などはここに座っています。シテもこの位置に入ると場面から一時いなくなったことを意味します(だから見て見ぬふりしてくださいね~)。
ところで、囃子方は実はつま先の部分は縦板にかかっているんだそうです。体の前半分はお芝居に参加しているという位置づけなんですかね~。お囃子の演奏もシテやその他の役者の心象描写(演技)の一部とも考えられますものね。

橋掛かりについて。普通(歌舞伎などの)花道は、客席の方に向かっていますが、能舞台の橋掛かりは必ず客席から離れるような角度で設置されています。花道が観客(=人間の世界)に近づくのに対し、橋懸かりの向こうにはあの世(=人間の世界でない)があるという意味合いからだそうです。この世のものでないナニカが、あちらの世界から橋掛かりを渡ってやってくるんですね~。

再び源次郎さんのトークのお話に戻ります。能の来た道。はるか神話の時代から明治維新、現代に至るまで、能の源流と歩んできた歴史について。源次郎さんは能の演目には平和の祈りが込められているとおっしゃいます。能には戦いを題材にしている演目が多いし戦いが当たり前の時代に作られているので、私は平和への祈りが込められているとは考えたこともありませんでした。歴史の表面だけを見ると人類は何千年も戦いや争いを繰り返してきて、戦いはこの世から無くならない人間の性や業のようなものという気がしていましたが、平家物語を読んでいると、戦うことの苦しみや悲しみがよく書かれています。平家物語はどちらかといえば戦争ドキュメンタリーのようなリアルな描写ですが、これが能になりますと、戦いで死んでしまった武将が浮かばれない霊になって現れて、戦いの悲惨さや苦しさを切々と語ったり、地獄の苦しみから逃れたいために回向を請うなど、戦いなんて良いことないぞ~やめとけオーラ出しまくりですものね。

足利義満、豊臣秀吉などの時の権力者に擁護されて繁栄することになった能が、徳川家康の時代になり社会を武力から文化へシフトするため、諸国大名に能をやらせて式楽として確立させた。元禄の頃には印刷技術が発達し謡本が出版されて庶民も謡を嗜むようになりさらに裾野が広がった。そのため明治維新となり全国から集まった人々がお互い方言で話して通じなかったところ、能や狂言の言葉で互いに話しかけることで通じたりした。明治維新以降の人々の交流の拡大に一役かったのではないか、という説はなかなか興味深いものでした。

日本のゆく道。若い人達にも観て頂き日本文化を通じて平和な世の中を願いみんな仲良く暮らして行きましょう。という締めでした。

出演者陣は豪華だし、とても内容が濃かったし楽しかったです♪(^o^)

ジャポニスム振興会 東京公演
能楽五人囃子「能の来た道、日本のゆく道」
平成26年10月8日(水)国立能楽堂

出演者
大倉源次郎(小鼓)
一噌幸弘(笛)
安福光雄(大鼓)
観世元伯(太鼓)
坂口貴信(観世流シテ方)

ナビゲーター
中村暁

鏡板に描かれている老松は石高によって松の立派度が違うらしく。国立能楽堂の松は江戸城の能舞台を復刻したのだそうです。だからあんなに立派なんですね~。
鏡板に描かれている老松は石高によって松の立派度が違うらしく。国立能楽堂の松は江戸城の能舞台を復刻したのだそうです。だからあんなに立派なんですね~。