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野村萬斎構成・演出『マクベス』

萬斎さまの『マクベス』面白かったです!\(^O^)/
2013年再演時のプレビュー公演も拝見していますが、その時と比べても演出が格段に進化しているように思いました☆

本来であれば大人数の『マクベス』を、マクベス夫妻以外の役は全て三人の魔女たちが演じ分けることでたった五人で展開する舞台。

舞台装置もシンプルで役者自身が転換する手法でテンポ良く、上演時間は100分程度とたいへん短いものでしたが、ミニマムな環境をベースに演劇を作り上げるノウハウはやはり能狂言で培われたものかもしれませんね。

昨年拝見した『敦―山月記・名人伝ー』では、萬斎さまの構成・演出の上手さに甚く感心して、演出家としての萬斎さまにいっそうの期待を寄せるようになったのですが、今回もその時の勢いが止まらない感じでした。
前回はなかった和楽器の生演奏も目新しくて楽しめました♪

初めて観た時に大好きになった三人の魔女たちは相変わらず上手で素敵で可愛くて♡

今回からマクベス夫人を演じられている鈴木砂羽さんは「相棒」「まれ」などのドラマでしか知らず舞台では初めて拝見しましたが、萬斎さまとの相性も良くとてもよかったです。

3年前は脇を固める役者さんたちのレベルがあまりに高く、正直言いますと主演の萬斎さまが彼らに助けられているようにも感じ、萬斎さまはやはり狂言の舞台に立たれている時が一番輝いているのだナァと思いました。

当時も演出は良かっただけに、現代演劇の役者さんを主演に据えてご自身は演出に徹するのもアリなんじゃないかとも思ったりもしました。

しかし、今回改めて観てみると、やはり彼には独特の華やかさとオーラがあり、なんといっても彼のファンは多いですし(今回も立ち見がたくさん出ていました)、彼が主演だから集客できているというのは間違いないと思うので、萬斎さまが主演でもまぁいいか~と思いました(← 萬斎さまファンに殴られそうな何様発言ですね。笑)

余談ですが先週能楽堂で可愛らしいクリクリ坊主頭になってお出ましの萬斎さま、その時はマクベスの役作りなのかな?これは斬新!と思っていましたが、どうやら来年公開される映画の役作りだったようですネ。
昨日観ているうちにだんだん野村又三郎さんに見えてきました(笑)

狂言ござる乃座53rd

本日は能楽堂が初めてという友人と共に「狂言ござる乃座53rd」@国立能楽堂へ。初めての人を能や狂言にお連れする時は気に入って頂けるかどうか非常に気になります。その点、狂言というのは能より親しみやすいと思うので最初の一歩としてはまずよろしいのではないかと。

「梟山伏」
シテ(山伏)は萬斎さまのご長男・裕基くん。この演目は狂言らしい定番曲で素直に笑えます。
梟に取り憑かれた男の兄に頼まれて加持祈祷をする山伏ですが、兄や終いには山伏自身にも梟が取り憑いてしまう。ミイラ取りがミイラに。三人が発する梟の鳴き声や梟っぽい仕草などとても笑えるんですがシュールな怖さも感じます。
裕基くん、ちょっと見ないうちに大人の声になっていました。少し前までは少年の声だったのに。日々成長しておりますね。

「見物左衛門」
シテは萬斎さま。これは狂言では珍しい全くの独り芝居です。公演プログラムによると難曲・稀曲とありましたが、ごく最近見たような気が・・・。そう、昨年の10月に万作さまシテで拝見したばかりでした。でもその時には確か相撲見物のシーンがあったのに今回はなかった。
前回を思い起こすと「深草祭」、今回は「花見」という小書で全く内容が違うのだそうです。要は見物左衛門という男がいろいろ見物して回るただそれだけの話です。「花見」は一人で京都の名所を巡って花見をし酒を飲み謡ったり舞ったりひたすら気ままに過ごす一日の話です。特に笑いの要素はありません。これといったストーリーはなくシテの芸を楽しむ演目と言えます。たった一人で観客に情景を想像させなければならないのは難曲たる所以ですね。
私は小謡や小舞がとても好きなので、こういった曲は大好物で今日もとても楽しめたのですが、やはり万作さまの深草祭の方がより味わい深く感じられたように思います。深草祭は笑いの要素もあったように記憶しているので取っつきやすかったというのもあるかもしれません。
萬斎さまが「入り込むまでに少々忍耐がいる」と述べられていたのはその通りだと思いました。友人は狂言にこのような類の笑いなしの演目があるとは知らなかったとの感想でした。でも感触は悪くなかったようです。さあ次へ。

「鬮罪人」
シテ(太郎冠者)は萬斎さま。怖い主人が出てくる「三主物」の一つです。めったに出ない曲ではあるが何度も勤めていると萬斎さま。
怖い主人を演じたのは万作さまでしたが、これが本当に怖かった!!出しゃばりの太郎冠者が最初は主人に諫められているところ客たちの支持も得てどんどん調子にのり、終いに主従の立場が逆転してしまうのですが、それでも圧倒的な怖さで太郎冠者を封じ込める主人の迫力が凄かったです。舞台で怖い万作さまはあまり見たことがないのでちょっと新鮮でした。
萬斎さまが、万作さまはとても厳しくてお稽古の時に扇が飛んできたりするというお話されていたことがあり、今日の太郎冠者の主人に対するビビり方(何度も腰を抜かしてました)は、子どもの頃にお父様から受けた怖い印象の経験が生きているのかしらんと思ったりしました(笑)
友人は万作さまのことを初めて知ったそうですが、他の演者を超越する芸格の高さを肌で感じた様子でした。

三番のそれぞれ趣の異なる狂言を観て、友人も気に入った様子でまた行きたいと言ってくれました。能や狂言に親しんでもらうには最初が肝心なのです。最初のお役目は無事果たせたとホッと胸をなでおろしました。

第73回 野村狂言座

今年初めの野村狂言座を拝見。素囃子の神舞に狂言四番と年初にふさわしい豪華なラインナップ。

「松楪」
祝言的な演目。前半お決まりのやり取りが寄せては返す波のようでついつい眠りの世界へzzz。最後に二人が一体となって舞うのは珍しく面白かった。

「磁石」
名古屋の野村又三郎さん一門がゲスト出演。又三郎さんは近ごろ東京の舞台で何度かお見かけする機会に恵まれ、お若いのに貫禄も実力も十分でキャラクターも良くファンになりつつある。又三郎家の「磁石」は同じ和泉流でも万作家とはまた違うのだそう。どこがどう違うかまではわからなかったけど、とても楽しく拝見した。

「節分 替」
「替」と付くのは小書き(特殊演出)で、通常はシテが謡いながら舞うところ地謡が出て代わりに謡う。老熟の域に達した万作さまの体力を考慮しての新たな演出とのこと。また、万作さまは最初は鬼の面をかけて登場するのだが、途中で(舞が本格的に始まるあたりで)面を外された。これはストーリー的には不自然な感じがしたので、やはり体力面を考えてのことなのだろうか。最初からそういう演出だったのか舞台上の機転なのかはわからない。

実はこの「節分」、チラシには袴狂言(=装束をつけない)で演じると掲載されていた。しかし、実際には装束をつけて上演された。鬼の面をつけて謡ったり舞ったりするのは体力的にかなりきついために袴狂言にするつもりだったのだろうか。装束をつけるよう変更した理由の説明は特になかった。

このところ万作さまは舞台上で動いた後に呼吸が荒くなることが多くなっている。昨日はかなり後方の席だったのに息づかいの音がはっきりと聞こえて心配になるほどだった。しかしながら、身体的な表現はいまだ全く見劣りしない。型や足取りはしっかりしていて座った姿勢から立ち上がるときも全くぶれないし、転がったり跳んだりも問題なく。ご高齢のためにお声は小さくなり心肺能力は衰えてきているとしても、身体の強靱さと動きの正確さは84歳の年齢を感じさせず、まさに超人的。

鬼が人間の女に心を奪われて小歌を謡い艶っぽく口説くところは「花子」を思い出させる。鬼が女に袖にされて「エーンエーン」と泣くところで多くの観客は笑っていたけれども、私は一緒に泣きたかった。万作さまが演じられると笑いだけに留まらず愛や悲しみや皮肉もいろいろ入り交じった深いドラマになるような気がする。芸域の深さってこういうところに出るんじゃなかろか。

「仁王」
これは登場人物も多く素直に笑える表現が多くて文句なく楽しい演目なのだが、近くの席に最初から最後までけたたましく爆笑している人がいて、それが少しばかり体調の悪かった私にはストレスになってしまった(不運)。そのせいなのか、いつも濃いめの演技の萬斎さまが今回は特に脂っこく感じてしまったな。シテの石田幸雄さんは相変わらずとても良かった。

全体として盛り沢山の内容であったが「やっぱり万作さま!」の一言に尽きる。「節分」だけ観たとしても来た甲斐があったと十分に思わせるこの存在感。ご高齢でお身体の心配はついて回るし、苦しそうな息づかいでお気の毒に感じることはあるのだけど、まだまだお舞台を拝見し続けたい!と切に願う。

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宝生能楽堂ロビーに飾られている鏡餅

狂言大曲「狸腹鼓」

萬歳楽座で、野村萬斎さまの狂言「狸腹鼓」を拝見。一子相伝として重く扱われている秘曲。昨年NHKのドキュメンタリー番組でその大曲に挑む困難さが取り上げられていたし、暑苦しそうな着ぐるみで身を包んで狸の面をかけ、特殊な足使いで素早く移動したり、跳躍したり回転したり…見た目の上でもこの曲の大変さが素人にも少しは理解できるけれども、それでも狂言の一曲である以上、観る方はそれを重々しく感じることなく、軽やかな気持ちで最後に、あぁ面白かった、楽しい舞台だった、と思える方が良いように思う。
昨日はまさにそんな舞台を見せて頂いた。狸の仕草はとても可愛く愛おしく見えたし、命を取ろうとしていた猟師まで一緒になって腹鼓を打ちながらごろごろ回転する楽しい場面から一転して、狸が一匹残って身重のお腹をさすりながら月を見上げるラストシーンは切なさと温かさで心に染みるものがあった。
なお、この後に上演された能「羽衣」はこれ以上ないくらいの豪華な出演陣で眩しすぎて目が開けていられないほどでした!!(いや、ちゃんと観てましたとも!)

第69回 野村狂言座

あけましておめでとうございます。

今年の初観能は「野村狂言座」でございます。

本当はこの前に別の能の公演を一つ観ているんですが、なんか内容がイマイチだったので、観なかったことにしました(苦笑)。

さて、野村狂言座です。これまで年間チケットで毎回木曜日に観ていたんですが、諸事情により今回は年間チケット買いませんでした。年末の公演だけ行こうと思っていたのにやっぱり無性に行きたくなり、行かれなくなった方から良席のチケットを譲っていただけた幸運もあり、金曜日の鑑賞です。

ところで、宝生能楽堂では最近、座席がリニューアルされました。以前の座席は布カバーがかけてあって、時間が経つにつれどんどんお尻が前に滑っていき偉そうな姿勢で鑑賞することになっていたのですが(私だけか?)新しい座席はなかなか座り心地が良いです。

そして、今回気づいたのですが、席番の付け方が変更になっていました。チケットを見ると、正面席へ列64番台。ん?60番台?以前はそんな番号なかったような。一列にはせいぜい20席ほどしかなかったはず。補助席(パイプ椅子?)でも出てるのかしらん、と思って座席を探していましたら、以前は10番台だった席に60番台が割り振られていました。つまり、以前は正面席と中正面席と脇正面席で番号が同じ席があったわけですが、新しい席番は、脇正面席ひと桁番台~10番台、中正面席20~30番台、正面席50~60番台として、各エリアで番号が被らないようにしたようです。慣れていない人は自分の座るべきエリアを間違えて、他のエリアの同じ番号に座ってしまったりすることがよくあったのでしょう。これは些細なことのようでなかなか評価できる変更です。

60番台という新しい席番
60番台という新しい席番

宝生能楽堂は自宅から一番近い能楽堂だし、トイレの個室が多くてどんなに行列が長くてもめちゃくちゃ捌けが良いので、好きな能楽堂です(どんな好きポイントなんだか。笑)

話を戻します。最初に野村萬斎さまの解説。時折ギャグを織り交ぜながら巧みなトークで会場を和ませます。加山雄三の歌がらみのギャグや「(ガール)ハント」というワードは昭和な人にしかわからないであろうに(笑)。ギャグというワード自体、ワタシが昭和だわw

萬斎さまの解説は絶好調で、5分オーバーする勢い。暴走する余り(?)客席に向かって「誰か止めてください」だって(笑)。「昨日はこんなこと話してないんですけどね、イマイチ伝わらなかったみたいなのでね(話を付け足してみた)」…とか(笑)。いつも木曜に行っていましたが、ひょっとしたら解説のみならず演目も、金曜に行った方が木曜の反省が生かされて完成度が高いのかもと思ったりしました。

さあ開演です。まずは囃子方のみによる素囃子「神舞」。正月公演ならではの豪華な幕開きです(幕はないけど。笑)。

つぎに狂言「夷毘沙門」。二人の神様が出てくるお話ですが、平日の会社帰りで疲れていたのか、ここで沈没しかけるワタシ・・・。

狂言「千鳥」はよく上演される演目ですが、太郎冠者が今回は萬斎さまでなく石田幸雄さんでした。萬斎さまは酒屋の役です。いつもと逆パターンの配役でちょっと新鮮。石田さんのお茶目な太郎冠者ぶりもなかなかいいもんでした。まあ、この演目はハズレがないですね。会場からも素直な笑いが起きてました。

休憩を挟んで、最後の演目が「若菜」でした。果報者(高野和憲さん)が海阿弥(野村万作さま)をお供に連れ、野遊びのため大原に出かけると、若菜摘みの大原女たちが通りかかり、二人が女たちを誘って酒宴が始まる、という話です。萬斎さまの解説によると、太郎冠者ではない海阿弥のようなキャラクターが出てくるのはこの作品ぐらいで、萬斎さまが10代の頃に出演された黒澤明監督の映画「乱」での秀虎と狂阿弥の関係性に通じるものがあるそうです。「乱」はシェイクスピアのリア王を題材に作られましたが、「乱」の狂阿弥はリア王の道化とは少しキャラが違う感じがします。黒澤監督は「若菜」を観て秀虎と狂阿弥の関係性を作り上げたような気もしますね。そういえば狂阿弥を演じたピーターに野村万作さまが狂言指導をなさったんですよね。息子が出演してるからなのかと思っていたけど、黒澤監督が能狂言から影響を受けていることを考えると、先に万作さまにオファーがあったと考えるのが自然ですね。

萬斎さまは「若菜」には「笑うところがない」と解説していましたが、確かにその通りでした。酒宴での謡や舞が聴きどころ観どころの作品です。皮肉なところが一つもなくて、誰も彼も性格が良くて、大原女たちは初めは恥ずかしがって誘いを断るのですが、再三の誘いには気持ちよく応じてお酌をし謡って舞います。万作さまの可愛らしくて味わい深い道化の演技も本当に微笑ましく、謡も舞もとても素晴らしかったです。萬斎さまも大原女の一人として出演されていました。お正月にぴったりのほのぼのした雰囲気で心が和みました。萬斎さまが、果報者を妬んだりしないで幸せな人がいるんだなと思って温かい目で観てほしいとおっしゃっていたのですが、実に幸せな気分にさせてもらえる良い作品に出会えた思いです。今年も良い年になりそうです(^_^)

ロビーにはお正月らしく鏡餅と酒樽が。
ロビーにはお正月らしく鏡餅と酒樽が。
能舞台にも正月飾りが。
能舞台にも正月飾りが。

万作を観る会・芸歴八十年記念公演(第二日目)

野村万作さまの芸歴八十年記念公演(第二日目)を拝見して参りました。

チケット応募をすっかり忘れていて落胆していたところ、お友達がチケットを手配してくれていたのです。あぁー万作ラブ熱♡を常々しつこいぐらいに主張しておいてよかったぁ~と思いました(*´▽`*) 感謝の気持ちで国立能楽堂へ!

今回一番観たかった「三番叟」は、万作さま・萬斎さまのお二人ともが三番叟を勤められるという珍しい演式でした。小書に「神楽式・双之舞」とあります。「神楽式」は古より伝わる小書のようですが、「双之舞」は公演プログラムに「二人の三番叟であることを勘案し名付けた」と記載されていましたので、今回の記念公演のために作られたということなのでしょうか。ともかくたいへん珍しいものを見せて頂きました。

二人の三番叟が色違いでお揃いの装束をつけ同じように黒い尉の面をかけて鈴を持ち舞台上で同時に舞います。舞台を広々と使い、並んで舞い離れてはまた近づき交差し、波動と立体感が感じられる舞。三番叟は常でも豪華なものですが、双之舞ではその迫力と華やかさは二倍増しとなりおめでたさが際立つものでした。

千歳はお孫さん(萬斎さまのご長男)の裕基くんが初々しく勤められれ、親子三代共演の三番叟まことに微笑ましい光景です。お囃子方には藤田六郎兵衛さま(笛)、大倉源次郎さま(小鼓頭取)、亀井忠雄さま(大鼓)ら超一流どころが招かれ、素晴らしい演奏で万作さまを祝福なさいました。

万作さまの従兄弟の三宅右近さまの狂言「佐渡狐」、名古屋の野村又三郎さまの小舞「御田」、万作さまのお孫さんの遼太くんの小舞「景清」、万作さま・萬斎さま親子の狂言「痺(しびり)」、そして一門の若手たちの「六地蔵」と、バラエティに富んだ演目でそれぞれにとても楽しめました。中でもいいなぁ~と思ったのが小舞「御田」で、これ覚えて内輪のおめでたい席なんかで舞ったら盛り上がりそうだな~と狂言小舞もちょっと習ってみたいなと思ってしまいました(能の仕舞もろくに練習してないくせに…?(゚∀゚ ;))

萬斎さまはスター☆彡なのでお若い頃から光り輝いていますし最近は人気に負けない実力を兼ね備えて全く非の打ち所なく素敵だと思いますが、お父様の万作さまとご一緒に舞台に立たれますと、どうしてもお父様の素晴らしさの方に目を奪われてしまいます。お年は召されましたが万作さまの芸はいまだ遙かに高いところにおられます。萬斎くんまだまだですなぁ~がんばれ~(笑)

八十三歳とは思えない軽やかな動きを見せて頂いた三番叟の円熟の舞も素晴らしかったですが、「痺」で演じられた太郎冠者のお茶目さ愛らしさもまた万作さまの持ち味を存分に楽しむことができ、ファンには嬉しい番組でした(*^_^*)

お祝いの会にふさわしい豪華で楽しい公演でした。いやホント観に行って良かった!
万作さま、芸歴八十年まことにおめでとうございます。さらに芸歴九十年をめざして今後もお元気にご活躍されますよう心よりお祈り申し上げます!

日経能楽鑑賞会「咲嘩」「求塚」

日経能楽鑑賞会は、日本経済新聞社が開催する喜多流の友枝昭世さんと観世流の浅見真州さんのおシテで同じ演目を二日間に分けて競演する会で、今年で第八回となります。狂言についても同じ和泉流ではありますが、野村萬さん、野村万作さんがやはり同じ演目でそれぞれおシテを勤めます。比べっこが好きな私には嬉しい会ですが、平日で開演時間も早いということで、なかなか両方観るのは難しく。今回は一日目の喜多流を観に行って参りました。

狂言「咲嘩」(さっか)

太郎冠者が主人に伯父を連れてくるよう命じられたがひょんなことから咲嘩(詐欺師)を連れてきてしまう。主人は咲嘩を穏便に帰そうとするが、太郎冠者が馬鹿正直さを発揮して主人をヤキモキさせる話。
野村万作さまが演じる太郎冠者は設定では馬鹿キャラなんだけど、最終的には主人をおちょくっているような流れになっていきとても面白かったですぅ~(*´▽`*)

能「求塚」(もとめづか)

《ざっくりあらすじ》
二人の男に求愛された女が態度を決めかねて二人を勝負させるが決着がつかず、女は自らの罪を感じて入水する。女は地獄に墜ち責め苦に見舞われる。旅の僧が女を成仏させようと祈りを捧げるが・・・。

このお話、たぶん観た人ほとんどが感じることは「女は地獄に墜ちるほど悪いことしてないじゃん!」…だと思います。

女は二人に結婚相手としての決め手がないことから、生田川の鴛鴦を射た方の求婚に応じると言います。二人が射た矢は同時に一羽の鴛鴦に命中します。あらあら困った、決まらない。ここでPK戦サドンデス方式なら決まるまで何度でも対決させられますが、そう何羽も鳥を射るわけにもいきませんよねー。女は鴛鴦を犠牲にしてしまった罪悪感から自らの命を絶ってしまうのです(だったら最初からそんな勝負させなきゃいいのにね…(´ヘ`;))。

入水した女の遺骸が引き上げられ、求塚に葬られます。女の死を知った二人の求婚男たちは、塚の前で刺し違えて二人とも死んでしまいます(←ここちょっと不思議です。なんであんたらまで死ぬの!?)

自殺した女は地獄に墜ちます。女はなぜ地獄に墜ちなければならなかったのでしょう。当時の仏教思想では、そもそも女は成仏できないものらしいですよ。女であること自体が罪であると考えられていたのです(んまぁ、理不尽な!ヽ(゜Д゜)ノ)。ましてや罪もないオシドリを愛を試す道具にして殺してしまい、男二人を手玉に取り(?二股かけてたわけではないんですけど)終いには死なせてしまった罪は重い。それで地獄に墜ちてしまったのでしょう。

地獄で女は二人の男の霊から責められ、犠牲にしたオシドリから攻撃され、そのうえに様々な八大地獄の責めに遭います。

女は思ったでしょう。「なんで私がこんな目に!?」たまたま二人が同時に求婚してこなければこんなことにはならなかったのです。輝かしい未来が待っているはずだった若く美しい女性には思いも寄らなかった運命。晴天の霹靂とはこのこと。

現代なら、どちらも振ってしまうか、とりあえず二人ともとつきあってみて良い方を選ぶ、ということもできたでしょうが(笑)

さて、お能の方ですが、おシテは人間国宝の友枝昭世さまです。好きな能楽師さんの一人です。求塚は重い曲ですが過去にも何度か勤められている模様。

前場は菜摘女の姿でツレ2名と一緒に登場してきます。旅の僧(ワキ)が求塚の所在について尋ねますが、さあねぇ~わからないわ、アタシたち忙しいのよん、と軽くあしらわれたり。この辺、キャピキャピとした(←死語?)若い女のグループがおじさんをからかっている(?)感じで季節も早春で明るい雰囲気です。

ツレとワキのやりとりの間、シテは何やら曰くありげな様子を醸して佇んでおります。

ツレ2名が退場してシテだけが残り、なにゆえアナタだけ残ったの?という僧の問いに、女が昔話を始めますが、最初は他人事のように語っていたのが、実はそれは私の話なのよ~という流れになり、空気が一変します。(この辺、二人静で静の霊が憑依する展開に似ています。同じ菜摘女だし~)

自分の話を語り終えた女は舞台中央に設置された作り物(求塚)の中に入ります(中入り)。

塚の中のシテがお着替え(=後見が着替えさせている)中、間狂言の野村萬斎さまが登場し、女と二人の求婚者の話をより詳しく説明します。要は同じ話のおさらいなのですが、シテの謡に比べるとアイの語りの方が言葉がわかりやすく、またシテの謡では語られなかった内容を若干補足していたりしますので、観客にとっては理解の助けとなります。

ワタクシ、アイが出てきて話し始めると前場の緊張から解き放たれ少しリラックス気分になり、姿勢を崩して体をほぐしたり、時には居眠りしちゃったりすることもあります(狂言方の皆様、ごめんなさ~い_(_^_)_)。
しかしながら、近年の萬斎さまのアイはとてもよろしいので常にしっかと観ております。今回地謡でご出演された粟谷明生さまが「萬斎氏の語りは、単なる物着時間稼ぎの境地を離れ、ひとつの演劇として成立していた」と仰っていましたが、全くその通りだと思います。
以前にある狂言方さんが「経験を重ねるにつれ間狂言の方にこそやり甲斐を感じるようになってきた」と仰っていたことがあり、確かに派手なアクションで補えない分、語りの力量が問われる役なのかもしれないな~と思いました。

さて、お話も終わり(着替えも終わり)、後見が作り物の真後ろにいったん着座します。お囃子の演奏が始まり、じきに中からシテが謡うのが聞こえると、後見が作り物の引き回し(周りを覆う布)を外します。すると、前場では小面をかけていたシテが地獄の女を象徴する痩女という面をかけて登場します。この瞬間、シテの居場所である作り物は求塚から地獄の火宅へと変わったとみなしましょう。

痩女…。中年女の顔のように見えますが、本当は若くして亡くなった女性です。しかし地獄の責め苦に遭って弱り果てすっかり痩せこけてしまったということなのでしょう。

僧が可哀相に供養してあげますと言うと、女はありがたや~と嬉しそうにしますが、その直後、いきなり恐怖に満ちた態度に一変し地獄の責め苦を描写し始めます。ここからの昭世さまの演技は、能にしては珍しくとても写実的でありました。はっと体を引いてみたりビクっと驚くような仕草を見せたり、身体全体を使って自分の身に起きていることを一つ一つ表現していきます。

謡も地獄の責めの苦しさ耐えがたさを生々しく伝える迫力ある詞章であります。二人の男の亡霊それぞれから左右の手を引っ張られて責められ、犠牲にしたオシドリは恐ろしい鉄鳥に姿を変え、女を猛攻撃します。女は鉄鳥のクチバシで脳天を突かれ脳髄を吸い取られます(ひえぇぇ~~~~(((;゚д゚))))。逃げようとしても前は海、後ろは火焔、逃げ場がなくてすがりついた柱もたちまち炎となり体は焼かれ、地獄の鬼どもに鞭で打たれ、八大地獄の全ての責め苦を負わされ、ついには無間地獄の底に上下逆さまに落とされます。シテは必死にワキに助けを求め、ワキも読経し続けますが、願いも空しく、シテは再び火宅(地獄)へと戻ってゆきます。

地獄のすさまじさを表現するために、地謡はかなり激しい感じで謡うのかな~と予想していたのですが、今回、少々抑えめに謡われていました。ちょっと意外でしたがこれがかえって良かったように思えました。地の底から響くような抑えめの地謡が、少しばかりの罪に対して過剰なほどの罰を受けることになった不条理さや、耐えがたい地獄の苦しみが未来永劫続く絶望感をひしひしと感じさせる効果を与えていました。

私には地謡がまるで読経しているように聞こえました。実際に読経しているのはワキなのですが、そんな読経で八大地獄の罰に値する罪深さを救うことなど不可能なのだと突きつけられるかのように・・・。

一般的な能のストーリーには、シテが救いを請う→ワキが供養→めでたく成仏\(^O^)/…というパターンが多いように思いますが、その場合は地謡も元気よく謡ってパァーッと気持ちよく終わることが多いです。しかし、今回は成仏できなかったどころか、再び苦しみの世界に自ら戻っていくのですよね。地獄の責め苦の様子を恐ろしげに描写しながらも、シテの救いを求める気持ちから諦観や絶望感へ至る心の変化がよく表れていました。何とも心が痛くなる結末です。

求塚、奥が深いですよね~。比較のために二日目の観世流も観てみたかったですね。でも、あまりに救いがなく凄惨極まりない重すぎるお話なので、二日続けて観るのはちょっとエネルギーが要るかもしれません。

野村狂言座「蟹山伏」「花盗人」「六人僧」

4月17日(木) 18:30開演 宝生能楽堂

○解説

本日の解説(※)は野村萬斎さまです。解説は万作の会の皆さんが持ち回りでなさっていますが、誰なのかは当日行ってみないとわかりません。(※)解説者が誰であるかはチケット予約サイトでわかるそうです。(ひろみさん情報ありがとう\(^_^)/)
18時30分と早い時間に始まるこの公演、解説に間に合わないことも多いんですが、本日は半休とって会場前に到着、間に合って良かったぁ。

さあ、今回、初めて知ったことは、和泉流は謡本を刊行できないそうで。理由は家元がいないから(へぇ~)。古本屋でしか手に入らない、と萬斎さま。確かに能楽堂で和泉流の謡本は見たことないわな。

さてこれ以降、萬斎さまの解説の内容も織り交ぜまして、各演目の感想などを。

○小舞「海老救川」「田村」

「海老救川」、各地の川の名とそこで獲れるいろいろな海老の名が出てくる楽しい曲です。萬斎さまが子供の頃、初めてお稽古した時に、謡の最後の一節で吹き出したと仰っていたので、一所懸命謡に集中して聴いていたら「海老のハナゲ」という文句が!鼻毛!?海老の触覚のことらしいです。いかにも小学生男子のツボにハマりそうな単語ですよね(笑)

「田村」は能から逆輸入した曲である、と萬斎さま。我々には狂言は能の先行芸能であるという意識がある、と仰っていました。確かに現在では狂言は能の添え物扱いになっているようなところがありますから(狂言の間に休憩している観客も少なくないですし…)それに対する反発があるようですね…。

○狂言「蟹山伏」

山伏物の演目は少ないが人気があってどれもよく上演される、と萬斎さま。

山伏と強力が山で正体不明の化け物と出会い、化け物がかけた謎かけを解いて蟹の精であると見破り退治しようとするが、逆に二人とも耳を挟まれてしまう。

各地に蟹問答の民話や伝説が残っています。謎かけを挑んで答えられなかった僧侶を次々と殺していた化け物を、ある僧侶が謎かけを解き蟹の精の正体をあばいて退治した、という話です。
蟹山伏はこの話をルーツにしたと考えられていますが、民話では蟹の精は退治されるのに、狂言では反対にとっちめられるところが面白いところです(しかも殺されるわけじゃなく耳を挟まれる程度なのが微笑ましいですね)。

狂言では蟹の精など人間以外の役の場合に面をかけますが、子供が演じる場合には面をかけないんだそうです。
本日の子方は素人のお弟子さんとのことで、このように時々素人さんにも舞台を経験させているんだそうです。可愛らしく伸びやかに上手に演じていました。こういう経験をきっかけに、将来、狂言師になってくれれば嬉しいですね。

○狂言「花盗人」

他人の庭の桜の枝を盗んで、庭の主人に捕えられ縄をかけられた男。自分の不遇を儚み行為を悔いて涙を流し、桜にちなんだ古歌を詠みますが、盗人の風流な感性に感心した主人が縄を解いてやります。主人は盗人に酒をふるまい、謡や舞で宴となり、二人で桜を愛でます。満足した主人は盗人に桜の枝を与えます。

萬斎さまによると、笑うところはなく渋い曲、大蔵流の方が面白い、と仰っていました(笑)大蔵流はたくさん人が出てきますが、和泉流は登場人物が二人です。しかし、花尽くしの古詩、古歌、小謡、小舞が次々と披露されて味わい深い芸を楽しむことができ、舞台上に桜の花が飾られて春を感じられ、私は大好きな演目です。

万作さまが縄をかけられて、泣くシーン。なんだか最近、万作さまの泣くシーンをよく見ているような。万作さまの泣き姿は本当に可哀そうで見ているこちらまで切なくなります。あぁーーー、泣かないでください、万作さま…。でも、最後にめでたく終わってホッとします。

狂言には対立している者同士が最後に仲良くなりめでたく終わる曲がたくさんあります(もちろん、やるまいぞやるまいぞ~と怒られて終わるのも多いですが。笑)。風流だからと言って許してあげるところなどは心の豊かさや懐の深さを感じます。世知辛い世の中でも気持ちは斯くありたいものです。

○狂言「六人僧」

三人の男が諸国仏詣の旅に出かけるが、道中、絶対に腹を立てないという誓いを立てる。夜、一人が熟睡しているところ、他の二人がいたずら心を起こして、寝ている一人の頭の毛を剃ってしまう。目を覚ました男が二人の仕業に気付いて憤慨するが、腹を立てない誓いを立てたと返されて二人を責めることもできない。男は何とか仕返しをしたいと思う。国元へ帰り、二人の男の妻を訪ねて、夫らは川で溺れて死んでしまった、そのため自分は二人を供養するために頭を丸めて出家したのだと嘘をつく。二人の妻は悲しみ後を追って自害しようとするが、男はそれを止め、出家して供養するのがよかろうと勧め、二人の妻の頭の毛を剃ってしまう。そうして男は二人の男のもとへ引き返し、妻たちが夫は浮気するために旅に出たという噂を本気にして嫉妬に狂い刺し違えて死んだと嘘をつく。二人は最初は仕返しの嘘に違いないと信じないが、男が剃髪して得た妻たちの髪の束を遺髪だと言い差し出すとすっかり真実だと思い込み自分たちも仏門に入る決心をし頭を丸める。ところがじきに二人の男が真相を知るところとなり、妻たちをそそのかした男の妻も尼にしてやろうと息巻くが・・・。

この演目は初めて観ました。和泉流にしかないらしく、あまり上演されない曲のようです。比較的長い曲ですが、ストーリー性があって登場人物も場面展開も多く、たいへん面白かったです。
いい大人がいたずら心を起こして実行しちゃうところはいかにも狂言ぽいですが、ここまで演劇的な展開の曲は珍しいのではないでしょうか。次はどうなるんだろうとドキドキしながら拝見しました。

最初にいたずらされたシテの石田幸雄さんが機転を利かせて二人の男に一矢報いるところ、一枚上手な感じはさすがです。痛快でした!

夜桜能 第二夜 「小鍛冶」

奉納 靖国神社 夜桜能(第二夜)に行って参りました。

第一夜は晴れて暖かく桜は満開で最高の薪能日和であったそうです。第二夜は夜が深まるにつれ雨が広範囲で降り出すという予報。

16時半に当日の会場が発表されます。雨天の場合は代替会場になりますが、とりあえず靖国神社での開催が決まり、胸をなで下ろします。あとは終演まで降らずに持ってくれることを祈るばかり。

昨年は桜の開花が異様に早く、夜桜能の時期にはほとんど散ってしまい葉桜能となってしまったのですが(笑)今年は満開真っ盛りの時期に当たりまさにどんぴしゃのタイミングです。

まず靖国神社に着いて驚いたのは、花見客の多さ!レジャーシートを敷いて宴会している人々や屋台もたくさん出ていて昨年とは全然違う雰囲気に面食らいました。屋台から食べ物の美味しそうな匂いが漂ってきまして、そっちにふらふら行ってしまいそうになります(笑)

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昨年の夜桜能。花見客などおらず閑散としている。

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それが今年はこのように!
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連なる屋台と花見をする人々。

さて開場時間となり境内に入ります。一般の参詣客が18時からは境内に入れなくなり残念そうに表門の写真を撮っていました。

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開場前。行列する観客達。
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一般参詣客は18時以降入れず立ち尽くす。中には当日券を買って入る人も。

まずは無料の雨ガッパが配布されました。有料ですがひざかけレンタルやイヤホンガイドもあります。昨年も感じましたが、この公演はサービスやスタッフの対応がとてもきめ細かく、観客への気配りが行き届いていてとても気持ちが良いです。

屋外能の場合、寒いのに簡易トイレだったりして、お手洗いに行くのを躊躇しがちなんですが、ここの場合は参集殿のきれいなトイレが使えるのでとても快適です。

千円でプログラムを購入。桜色の表紙のしっかりしたプログラムです。能の詞章も載っています。

プログラムも桜色~♪
プログラムも桜色~♪

境内に入りますと、すぐに能舞台がありますが、わぁーーーー!予想通り桜が満開だぁ!!(*´▽`*)♪

能舞台は120年の歴史があり黒々としていて荘厳な雰囲気が漂います。舞台上に散る桜の花びらがまた風流であります。

脇正面席4列目です。二千人ぐらい?は収容できると思われる野外能。後ろの方では雰囲気は楽しめてもお能自体はあまり見えないと思い今回もSS席を奮発しました。

最初に火入れ式があります。4人の火入れ奉行が裃姿で松明を携え厳かに登場、本舞台の左右に設置された薪に御神火を灯します。薪のすぐそばの席で観ていましたが、なかなかつかず最後にボッと音をたてて超特大の炎が上がったので私は思わずぅわぉっ!と声を出してしまい…周りの方ゴメンナサイ_(_^_)_

屋外で声が後方まで届きにくいのでスピーカーが設置されています。演者はワイヤレスマイクを仕込んでいるようです。昨年はスピーカーから聞こえる声が違和感でしたが、慣れたのか今年は特に気にならず。

舞囃子「三井寺」。桜の花びらが舞う中で裃姿のシテが舞うのを見るのは風雅なものです。もうすっかり江戸城の将軍様気分です。

狂言「宗八」。野村万作さん、萬斎さん親子がご出演。元僧侶だった料理人と、元料理人だった僧侶がそれぞれ主人に魚を料理することと経を読むことを命じられますが、お互い新米のため思うようにできず、それぞれが教え合うことを提案しますが、しまいに役割を交代してしまい、主人に怒られるというお話。

主人が帰ってきた時に慌てて魚を持ったままお経を読んだり、経典の巻物で魚を切ろうとしたりするシーンはドタバタしていてとても楽しい♪ 万作・萬斎親子とても可愛かったです(*´▽`*)

能 「小鍛冶」。三条小鍛治宗近(ワキ)が一条天皇より御剣を打つよう勅命を受けますが、相槌を打てる者がいないのでお引き受けできないと断ります。相槌とは刀工の助手ですが、刀工と同等の力量を持つ者でないと勤めることができないのです。不思議な童子(前シテ)が現れ、中国や日本の名刀奇譚を物語り自分が相鎚を勤めようと約束して消えます。宗近は刀を打つことを決心し仕事の準備をしていると、稲荷明神(後シテ)が出現して相槌を打ち、素晴らしい刀を打つことができたという話です。

中入り後に鍛冶壇として使われる一畳台が持ち込まれました。周りに注連(しめ)が張られ、真ん中に直方体の鉄床(かなどこ)が置かれています。

狂言の最中にぽつりぽつりと雨がほんのわずか落ちてきていましたが、能の中入りあたりから継続的に降り始めました。観客各々が配布された雨ガッパを装着。継続的ですがまだぽつぽつと落ちる程度の弱い雨足。最後まで本降りになるなよ!と祈ります。

後シテの稲荷明神が現れました!頭にかぶる輪冠の上にキツネさんが逆立ちしています!可愛いぃ~~(*´▽`*)♡

中正面寄りの脇正面席だったので目付柱の陰になり、鍛冶を打つシーンは残念ながらよく見えませんでした。能では珍しい写実的なシーンと言えますが、ここは普段能を観る時と同じく心の眼で観ることにします。あぁーー、見えなくとも鍛冶を打つ音が聞こえてくるようです!

稲荷明神のダイナミックな舞は元気いっぱいでとても良かった!シテは宝生流の若き宗家、宝生和英さんでした。

雨には降られましたが、弱い雨だったのでそんなにはストレスを感じずに済み幸いでした。

昨年は寒くて観ている間にどんどん冷えてきて徐々に辛くなってきたのですが、今回も夜にはぐっと冷え込み風も吹いていたにも関わらず、昨年の教訓を生かしコートの下にさらにダウンを着て完全防備で防寒してたまたま雨ガッパ着ることになったおかげもあり全く寒さを感じなくて良かったです。薪のすぐそばだったのでほのかに火の温かさが届いていたせいもあるかもしれません。

昨年は嵐の直後だったので強風が吹いていて桜も終わりかけで桜吹雪がものすごく、それはそれで素晴らしい雰囲気でしたが、次回はぜひとも満開の桜の下でお能を楽しんでみたいと思っていたので願いが通じて良かったです。

昨年の夜桜能→奉納 靖国神社 夜桜能

皆様も来年の夜桜能を楽しんでみてはいかがでしょう?雰囲気は良いですし、あらすじの載ったプログラムやイヤホンガイドもありますので、お能が初めての方でもきっと楽しめると思いますよ!

奉納 靖国神社 夜桜能(第二夜)
4月2日(水)18:40~
@靖国神社能楽堂
舞囃子「三井寺」
狂言「宗八」
能「小鍛冶」

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今年は桜満開であります!キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
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能舞台の上に花びらが散り風雅。
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能舞台を囲むように桜の木が植えられている。舞台上から見てもキレイなのであろうな。
薪に御神火が灯され一層幻想的な雰囲気に。

第95回粟谷能の会「道成寺」(後編)

これまでのお話
第95回粟谷能の会「道成寺」(前編)鐘を吊る
第95回粟谷能の会「道成寺」(中編)乱拍子

4日も経つとさすがに記憶があいまいになってきました…。細かいところ記憶違いがありましたらスミマセン。ご指摘歓迎。

乱拍子を舞っていた白拍子の様子が急に変わり、急ノ舞となります。

シテは激しく舞いながらも鐘の方を何度か見ます。鐘を気にしているような表情です(能面にも表情があるのよ!)。その視線の変化から、徐々に鐘に近づいていっているような印象を受けます。ついにシテはつけていた烏帽子を扇で払い落し、鐘の下に入り足拍子を踏み飛び上ります。それと同時に綱を握って釣鐘を固定していた鐘後見が、綱を緩めて鐘を落とします。

鐘が落ちたときにシテが宙に浮き上がり鐘にしゅっと吸い込まれたように見えました。鐘入り大成功!とてもキレイに決まりました\(o^▽^o)/ヨクデキマシタ!美しい鐘入りと引き換えにシテは頭をぶつけるという代償を払ったはず。本当にたいへんなお仕事ですね…。落ちた直後の鐘が少し浮き上がり回ったのが見えました。中のシテが鐘を回しているのです。これはシテが無事であることの合図だそうです。鐘入りは一歩間違うと大ケガしかねない大勝負なのです。あぁ、とにかく御無事に鐘入りできて良かった…と見ているこちらもまずは安堵( -o-)=з

鐘が落ちると、橋懸かりで控えていたアイがその音に驚いた演技をします。揺りなおせ揺りなおせ、くわばらくわばら、地震か、雷か、などとセリフを言いながら、二人ともごろごろ橋懸かりで転がります。脇正面の橋懸かりすぐそばで観ていた友人は、お能でごろごろ転がるシーンがあると思わなかったと言ってびっくりしていました。

鐘楼の方向から音が聞こえたと二人が見に行くと、吊り上げたはずの鐘が落ちています。鐘が落ちたーーー!?二人は驚き鐘に近づき触れてみると鐘が煮えたぎって熱くて触れません。で、住僧に報告に行かなければということになるのですが、女人禁制と言われていたのに入れてしまったポカをやっちゃってます。住僧に怒られたくない二人は、お前行け、いや、お前が行け、と押し付け合いをします。この辺がちょっとしつこいコントのようです(笑)

結局オモアイの萬斎さんが報告に行くはめになります。報告を受けた住僧は、道成寺の鐘にまつわる因縁を語り始めます。おワキは森常好さんです。いつ聴いても麗しい美声ですぅ~(*´▽`*) ここの語りは聴きどころです。常好さんの語りがあまりに素晴らしくて引き込まれてしまいます。鐘の中に隠れた山伏が鐘に巻きついた大蛇に焼かれて消滅~というところは本当に背筋が寒くなりました・・・彡(-ω-;)彡

そして、ワキとワキツレ(住僧達)が祈祷をして悪霊を払おうとします。祈りを捧げていると、鐘が揺れ、少しずつ上がって蛇体となった後シテが現れます。

鐘の中でシテはたった一人でお色直しをします。鐘の中がどうなっているかは我々には謎ですが、狭くて暗い鐘の中で装束を替えたり面をつけ替えたりするのは大変そうですねぇ。アイの演技やワキの語りの間、ひとり懸命に変身している場面を想像すると頑張れ!(o`・ω・)o、と応援したくなります。

後シテは般若の面をつけています。横の髪を長く垂らしていました。お下げ髪のようでちょっと可愛らしい(くす。笑)。しかし、住僧達に凄みをきかせる般若の面はめっちゃ怖いです~。恐ろしい形相の後シテは住僧らに戦いを挑みます。住僧達も法力で応戦します。

シテがシテ柱に背中をつけてまといつく柱巻き、勇ましく住僧達に立ち向かっていた蛇体ですが、ここで悶えているような苦しげな様子。なんか妙に色っぽいぞ!ヘビ子ちゃんもやっぱり女なのよね~。

激闘のすえ、住僧達が勝利します。ここでシテは橋懸かりを歩み、最後は揚幕の手前で足拍子を踏み、腰をおろしました(日高川に入水したことを表現と思われる)。化生の者は去りました。ワキがユウケン(広げた扇を胸の前で二回右上にはね上げる)をして勝利のポーズ(ここ、かっこいい!)。その間に、シテはすっくと立ち上がり、揚幕の奥に歩み入ります。

シテの退場は、橋懸かりを猛ダッシュして揚幕の奥に勢いよく飛び込むものとばかり思い込んでいたので、この終わり方は意外でした。静かな余韻がかえって不気味で怖い…。話はまだ続きますよ…みたいな。To be continued! (…なのか?)

このエンディング、勢いよく飛び込む演出だと、最後まで化け物パワー持続、もう完全に化け物になっちゃったんだねー、という感じがします。一方、静かに去る演出では、執心のあまり化け物に変化してしまったけど、元々は人間の女の子だったんだよねー、というニュアンスが残る気が。化け物退治して気分爽快、ではなく、ちょっぴり可哀そうな気持ちになりますなぁ…(´-ω-`)

こうして、冒頭少しハラハラする場面もありましたが、大成功で「道成寺」完です。出演者陣は超一流、緊迫と感動の素晴らしいお舞台でした。能では拍手をしないポリシーの私(※)も、思わず周囲の熱気に酔わされて拍手喝采!(o´ェ`ノノ゙☆

(※)この話はこちらに詳しく(お能の拍手について考えてみた)

道成寺は特別な曲です。他の演目より大がかりな作り物を扱い、準備や申し合わせも入念に行い、危険を伴うために安全に細心の注意を払い…。そのため総力結集の度合いは数ある演目の中で群を抜いていましょう。無事に終わった時の演者さん裏方さんの一体感や達成感もひとしおではないでしょうか。

私は道成寺を観る度に、この舞台を作ってきた人たちはこの日のために本当によく頑張ってきたのだ、そして、おシテを始めとした演者さん一人一人が全身全霊で芸に取り組んでいるのだ、と感じます。総力結集の成果を肌で感じ、その場に居合わせることができる幸運をとてもありがたく思うのです。今回もそんな幸せを頂くことができました。

いやぁーーー、いいもん見せていただきました。ありがとうございましたーーー!\(o^▽^o)/

第95回粟谷能の会「道成寺」テレビ放映決定!
「古典芸能への招待」NHK-Eテレ
平成26年4月27日(日)21:00~23:00
※能「道成寺」録画中継

「にっぽんの芸能」NHK-Eテレ
平成26年4月18日(金)22:00~22:58
※収録映像の一部を紹介

次回の粟谷能の会は10月12日ですわよ~ん♪
次回の粟谷能の会は10月12日ですわよ~ん♪