旧雨の会

「旧雨の会」を拝見しました。

一作年12月に57歳という若さで早世された太鼓方金春流23世宗家・金春國和氏を偲び、またご子息の24世金春國直氏を応援する会。

最初に國和さんを偲ぶプレトーク。和やかな雰囲気で時折笑いも交じえながらもやはり切なくてホロリ。

独鼓、一調、仕舞、舞囃子、半能。

能以外の演目の方が長い時間を占めます。能をよく観ている人が好みそうな少し渋い番組構成。

今回お集まりになった能楽師さんの多くは國和さんと同世代、50代60代の方々。体力と表現力のバランスが最も良く安定感があるのである意味安心して拝見することができる世代です。

先日の能楽シンポジウムで野村萬さんが「老・壮・青」の三世代のうち最も大事な世代と位置づけられていた「老」を助け「青」を導く「壮」の世代。
國和さんは能楽師として最も充実の時期を迎え中核を成すべきその世代で亡くなられたのだと思うと本当に惜しく残念なことだと思いました。

さてその安定感ある世代である皆さまの芸を拝見しながら、今回は良い意味で心乱されたのです。みるみる惹き付けられ胸の鼓動の高鳴りを押さえられず鳥肌が立つような思いで観てしまいました。
皆さまそれぞれに気持ちの入り方がいつもとは別次元に思えました。國和さんへの熱き友情の思いと國直さんへのエールがこちらにもひしひしと伝わってきたのです。

能楽師さんが流儀や役を超えて個人的に集まりこういった会を催したということがたいへん素晴らしいですし、この空間と時間を共有できたご縁をありがたく思いました。観に行って良かったと心から思える会でした。

能楽シンポジウム「江戸式楽、そして現代」

能楽協会主催シンポジウム「江戸式楽、そして現代」に参加して参りました。

豪華出演陣の半能「石橋 大獅子」を観ることができたのと、戦後の能楽界の歩みをご自身の経験や活動の話を交えて語られた野村萬さまによる素晴らしい基調講演を聴くことができまして、なんとこれで無料ですよ!!びっくりぽん!

パネルディスカッションは、私の期待していた内容とちょっと違っていて(てっきり「式能」の話が中心なのかと思っていた)、オリンピックの話や海外へ能を広める方向性の話になってました(パネリストが元東京五輪招致委員会CEOと元外交官だったんだから気づけよワタシ~)。最初は出演者としては名前が載っていなかった観世喜正さん(萬さまの要請で急遽ご出演)が、萬さまに話をふられる度にうまく話をまとめてくれていたのがとても良かったと思います。

そんな中で配られた資料に、昭和39年東京五輪での「オリンピック能楽祭」の番組が載っていて、それが10日間も催されていたという夢のような事実にワタクシもう目が釘付けに…!2020年も20日間くらい連続でやらんかなーと思ったりして(笑)

野村萬さまの基調講演はとても面白かったです。能楽協会の発足準備がまだ戦時中であった昭和20年6月から始まっていたことや(設立認可は終戦後の9月)、昭和26年に催された第一回「能楽賞の会」で故・観世寿夫さまが第一位、萬さま(当時の名は万之丞)が奈須語で第二位だったこと(そして審査員の先生方が明治生まれの怖~いお歴々だったとか。笑)、能楽師が能狂言以外の演劇に出演するムーブメントが起きた頃の話(千作さま・千之丞さまが能楽協会を除名されそうになったり!)、などなど興味深い話がてんこ盛りでした。

ディスカッションでの萬さまのお話も面白かった。フランス人のジャン=ルイ・バローに能の真髄を教わってしまったお話なんかも(笑)。あと、現在毎年催されている式能は時間が限られているので選曲が難しく、いかにも能らしい能を上演することができないのが悩みであるそうで。確かに一日に翁付きで能五番狂言四番やりますから、どうしても一曲一曲が短い演目になってしまうんですよね~。

萬さまがディスカッションの最後に仰っていて特に印象的だったのは、伝承を考えた時「老・壮・青」の三つの世代のうち「壮」が最も大切である、という主張です。そして観る方々も「壮」の世代に注目してくださいと仰っておられました。観客としてはどうしても華やかな若者か国宝級の重鎮に目が行ってしまいますものね~。でも「壮」の世代こそ「老」を助け「青」を導く重要な役割であると。うむ、確かに!

また、基調講演の最後に萬さまは「能楽は常に人々と共にある芸能」と力強く二度繰り返されました。またこれからの時代の伝承のためには「民」が重要であるということも。主体として活動される能楽師さんたちはもちろん努力し続けるでしょうが、観客としての我々も能楽を支えていかにゃーならんですね。50年後、100年後のためにも!

宝生閑さまの訃報に接し

ワキ方の名人、宝生閑さまが亡くなられた。

お能を観始めた頃からずっと憧れの人だった。

メロディを奏でるような音楽的で朗々としたお謡が大好きだった。

近年はお声が小さくなられてはいたが、舞台でお姿を拝見すると安心した。

何年前だったか出番を終えられ能楽堂から一人でお出になった閑先生にばったりお会いしたことがある。
私はとっさに「こんにちは」とお声をかけたところ、私のことなどご存じである由もないのに、優しい微笑みで会釈を返してくださってとても感激した。

もうあのお姿を二度と拝見できないと思うと悲しくて淋しくてどうしようもない。

今年の八月には三年ぶりとなるご流儀の会が催される予定となっていて閑先生のご出演を楽しみにしていたが、それも叶わぬ夢となってしまった。

下掛宝生流の能楽師さんの中には直接存じ上げている方も何人かおられるので、皆様の心境は如何ばかりかと思うと胸が痛む。

悲しい、、、、、。

閑先生、どうか天国でも安らかに。

能舞台に閑先生の面影を追いそうで、しばらくは能楽堂に行くことも辛くなりそうです・・・。