萬狂言 冬公演 大蔵流 和泉流 異流公演 二題

萬狂言 冬公演を拝見しました。萬狂言は和泉流ですが、大蔵流のお二方をお迎えしてのご共演。先日、立合狂言会でも流儀が違う狂言師さん方が集まりましたが、今回は同じ演目内での共演です。ワクワクです!((o(´∀`)o))

二人袴

聟入(結婚後初めて妻の実家に挨拶に行くこと)するにあたって、自分の父親についてきてほしいと頼む聟。親は門前まで見送ったがそれを知った舅が親にも家に入るよう言います。しかし、袴は一つしかありません。さてどうする!?

言わずと知れた人気演目です。聟は結婚したとはいえまだ子どものような年若さで、袴が初めてで履き方がわからず親に着せ付けてもらったり、帰ろうとする親を心細さで引き留めたりします。親も我が子可愛さについ言う通りにしてしまうところが微笑ましいです(^^)

聟役を勤めた野村眞之介くんは野村万蔵さまの三男で12歳。まだ親がかりで子どもっぽさが残る聟の役を初々しく演じていましたよ。この役は初めてとのことですが、緊張した様子もなくのびのびと上手に観客の笑いをとっていました。長袴でのぎこちない歩き方とか、舅や太郎冠者にバレないように必死に隠そうとするところなどめっちゃ笑いました(^o^) 父親役の野村万禄さんもほんわかしたおとぼけぶりで、子どもを気遣う親心が伝わってきましたなぁ~。

節分

節分の日、蓬莱の島から日本にやって来た鬼が一人で留守番する女に恋をして小歌や舞で口説こうとするが、女は怖がって追い出そうとするばかり。しかし終いに女がとった行動は・・?

異流共演その一。鬼の役は野村万蔵さま、大蔵流のお相手は山本則孝さまで女の役を勤められました。

先日、他の公演(和泉流)で観た時は、女が鬼を怖がって追い出そうとする際、かなりおびえながら必死に追い出すっていう感じでしたが、則孝さまの追い出しっぷりは、強い剣幕で「あちへ行けっ!あちへ行けっ!!」と不審者を見つけた警備員みたいに毅然とした態度なのが、すごーく面白かったです(≧▽≦)
大蔵流でも山本東次郎家は顔にはあまり表情を出さず動作やセリフもキビキビしていて、和泉流や大蔵流でも他の家とはまったく芸風が異なるように思います。その辺の面白まじめな感じがこれまた独特で妙に笑えるんですよね(^^)

万蔵さまの鬼は、女に気に入ってもらおうと一所懸命に謡ったり舞ったり、振り向いてもらえなくてエーンエーンと泣き出したり、女に宝を渡すと家に入りこんで亭主ぶってみたり、鬼のくせに人間くさくてとても愛嬌がありました。鬼の面をかけて謡いながら舞うのはかなりの体力が要るでしょうが、次々とテンポ良く繰り出されるキレの良い舞で、則孝さまのお気に召さなくても(笑)観客の目を楽しませてくれました。

結局、鬼は女に宝を取られたあげく追い出されてしまいます。本物の鬼よりも、人間の方がよっぽど鬼だな・・・(^_^;

木六駄

太郎冠者は主人に言いつけられ、木六駄と炭六駄を付けた牛12頭を追いながら、大雪が降り続ける峠を越えて主人の伯父の元に向かいます。あまりの寒さに途中の茶屋で休んだ太郎冠者は・・・。

異流共演その2。太郎冠者を野村萬さま。大蔵流のお相手は善竹十郎さまで茶屋のお役です。

前半の大雪の中での牛追いのシーン。ここは太郎冠者の長い独り芝居となります。言うことを聞かずにあっちに行ったり止まってしまう牛をちゃんと歩かせるように仕向けますが、なにせ牛は12頭もいますからたいへんです。あっちへ走りこっちへ走り牛をコントロールします。ちなみに舞台上には牛は一頭もおりません。太郎冠者のパントマイムであたかも牛がいるように見せなければならないので、ここで役者の力量が問われます。
そこはさすが萬さまですので、全く心配する必要はありませんでした。大雪が降る中、太郎冠者に追われる12頭の牛たちが目にも鮮やかに浮かんできます。86歳の萬さまが思ったより速いスピードで舞台上を走るのには驚かされました。少し呼吸の荒さはあったものの(それも演技?)、足腰の強靱さは目を見張るほど!

降りしきる雪を太郎冠者が「真っ黒になって降る」と言うのが印象的。観客の一人が思わず「真っ黒?」と声をもらしました。でも、雪深い山里で生まれ育った私には真っ黒な雪という表現はそんなに不思議ではありませんでした。雪は白いものですが、時に黒く時に青く透明で、そしてうす赤くなる時すらあるのです。街灯も民家も全く無いような山道、降る雪が黒く見えるというのはありそうなこと。辛い旅路を延々と行かなければならない太郎冠者の心象風景との解釈もあるようですね。

さて、疲れた太郎冠者は峠の茶屋で休みますが、ここから茶屋の主人との長いやり取りが始まります。ここでの萬さまと十郎さまの掛け合いが本当に素晴らしかった!台本は和泉流と大蔵流を合わせて調整したそうですが、流儀が違うことを全く感じさせず(「節分」は逆に全く違う芸風ゆえに楽しめましたが)、あたかもお二人がずっと以前から同じ舞台にしばしば立たれていたと錯覚するほどピッタリと息が合っていて、なごやかで楽しそうな酒宴の様子が伝わってきます。観ているこちらも体がホカホカと温かくなる感覚に。これはやはりお二人の芸が円熟の極みに達しているからこそ成せる技という気がしました。

主人から預かった手酒を全部呑んでしまった二人。酔っ払って良い気分のまま伯父の家に到着した太郎冠者ですが、酒を飲み干し木六駄まで茶屋に渡してしまったことが伯父にバレてやるまいぞと追われて幕です。面白かった!萬さまの木六駄は期待通り素晴らしかったです\(^O^)/

東京は降らなかったけど全国的に大雪が降り寒かったその日、観劇後、すっかり上機嫌になった私と友人はやっぱり日本酒を酌み交わしましたとさ。

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国立能楽堂の企画公演「松囃子-祝祷芸の様々-」

国立能楽堂の企画公演、松囃子-祝祷芸の様々- を拝見して参りました。

開演前に能舞台の上には三方が置かれ、白米を盛り、岩山に見立てられた黒い炭、唐辛子のくちばしと茗荷の尾で作られた鶴、椎茸の亀が飾られていました。
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菊池の松囃子「勢利婦」

松囃子とは室町時代に流行した初春を祝う芸能だそうです。
熊本県菊池市の御松囃子御能保存会によって上演されました。。
舞人が一人、お囃子は太鼓1名、大鼓2名で、小鼓と笛はおりません。
また後ろにはバックコーラスを行う地方が今回は8名(数は決まっていないそうです)。
舞人は立烏帽子に直垂姿で紙垂が付けられた大きな笹を持っていました。他の出演者は全員、半裃姿です。
一同、最初と最後に正面席に向かい拝礼します。昔は将軍様へのご挨拶だったのでしょうか。
何度か出てきた「松やにやに、小松やにやに」という言葉がちょっと面白いと思いました。
三番叟を彷彿させるような軽快な動きのかっこいい舞でした。

舞囃子「高砂」

一流どころのお囃子方をバックに、宝生流の若き宗家が力強く爽やかに舞いました。全員、紋付袴ではなく素袍裃で、常の舞囃子よりも儀式的なおごそかさが増し正月らしいおめでたい雰囲気が漂いました。

狂言「松囃子」

この演目は初めて観ました。シテは最近お気に入りの名古屋の野村又三郎さん。またお会いできましたー(*´▽`*)

ある兄弟の家に毎年正月に松囃子の祝儀を舞うために来る万歳太郎が、年の暮れに送られてくる米が今年は届かなかったので兄弟の家に様子を見に行くと、兄弟ともに米を送らなかったことをすっかり忘れていました。しかし、兄弟は何にも知らずにいつものように松囃子を求めます。大切なことを忘れられてしまったので、太郎はテキトーに舞ってすぐに帰ろうとします。不思議に思う兄弟ですが、そのうち、兄が米のことを思い出し、続いて弟も思い出し、太郎は今度はきちんと「鞨鼓」を舞って新年を寿ぐのでした。

太郎が兄弟に思い出させようとしてあれこれ遠回しに言うのですが兄弟になかなか伝わらないなど前半はコミカルなやり取りが面白く、後半はおめでたい鞨鼓の舞の芸を堪能することができ、なかなか見応えのある楽しい曲でした。

狂言「靭猿」

茂山逸平さんとご長男・慶和くんの親子が猿曳きと猿を勤められました。大名役は逸平さんのお父様の茂山七五三さま、お兄様の宗彦さんが太郎冠者という三世代共演。

「猿に始まり、狐に終わる」と言われる狂言の修行。子方としてデビューする初舞台が「靭猿」ということです。慶和くんの初舞台は4歳の時に「伊呂波」で、靭猿は昨年5歳で初めて勤めたそうです。

子方は猿の面をかけて着ぐるみを身にまとい、四つん這いで歩いて鳴き声を発し、猿のようなしぐさをします。舞台に登場するだけで可愛らしさに見所の雰囲気をなごませる子方の存在ですが、この役では特に、大人たちが演技を続けている長い時間、足をかく、顔をかく、お尻をかく、横向きに転がる、などといった動作を休むことなくずっと続けていたのが本当に健気でした。基本的に同じ動作を繰り返しているだけなのですが、面をかけているし常に動いているのでかなりシンドイのではないかと。また、後半は猿挽きの謡う猿歌に合わせて芸をしますが、大名をひっかこうとしたり寝転んだり月を見たり稲を刈ったりと、結構バリエーションがあり、これが6歳の演技なのかとビックリするほどの密度の濃さです。本当によく頑張りましたねと褒めてあげたいです(*^_^*)

前半は大名が権力で靱に張るために猿の皮を得ようとし猿曳が拒絶して去ろうとするが大名が怒り出し射殺そうとする緊迫した場面、また、猿曳きが大名のあまりの剣幕にやむなく猿を自らの手で殺すことを一度は決心しますが、猿が殺される運命を知らずに芸をしようとするのを見て、子猿の頃から育てて芸を仕込んできた猿を殺すことはやはりできないと泣く場面と続きます。しかし大名もその哀れさに同情し、猿の命を奪うのをやめます。猿曳はお礼に猿歌を謡い猿に芸をさせますが、大名は楽しくなって自らも一緒に舞ったり、自分が身につけているものを次々とご褒美に与えてしまうなど、前半は我が儘で横暴でしたが一転してお茶目なキャラに(笑)

緊迫した場面、悲しい場面と数回のドラマ展開があり、最後には楽しくおめでたい雰囲気で終わる演目で、久々に見ましたがやっぱり大満足でした。

第二回「立合狂言会」東京公演

喜多能楽堂で「立合狂言会」を拝見して参りました。
大蔵流と和泉流、またその中でもいろいろな家の狂言師が一堂に会して演じ合う狂言の会です。

オープニング、この公演の世話役でもある野村万蔵さん(和泉流)と茂山千三郎さん(大蔵流)のお二人がご登場。

狂言では流派や家が違うと一緒の舞台に立つということがほとんどなく、能の会に呼ばれても家単位のため、わかりやすく言えばお互いライバル。
異なる流派や家が一緒に演じ合うことで芸の向上と交流を目的に企画、と公演の趣旨の説明があり、その後、お二人のまるで漫才のような楽しいトークで流派や家の違いなどが語られます。

そして、実際にどう違うかの実演も。

まずは「附子」の水飴の食べ方を万蔵さんと千三郎さんそれぞれに行います。
千三郎さんの方がとーーーーっても美味しそうに食べてました(笑)

次にお互いに酒を酌み交わします。酌する方もされる方もやり方が微妙に違います。
お酒の飲み方もどちらかといえば千三郎さんの方が旨そうでしたね(笑)

茂山家はリアル・誇張、野村家はスマート・上品、といたずらっ子ぽく違いを述べる万蔵さん(笑)

茂山家はセリフが余分に多いよね、余分なものを削ぎ落とすのが狂言だと思うんだけど、と万蔵さん。でも、台本的には野村家の方が多いよね、繰り返しとか、余分だよね、と千三郎さん。
なんかいろいろ揶揄し合っているようにも聞こえますが、言いたいことを言い合える仲ということ。あぁ、このお二人は本当に仲がよろしいのね~と微笑ましくやりとりを拝見 (*´∀`*)

台本的には大蔵流はそれぞれの家であまり違いがないそうで、和泉流はそれぞれ違ってたりするんだそうです。
和泉流は元々違う流派が寄せ集められて作られた流儀なので。だから仲悪いんですよ~、と万蔵さんが軽くジョーク(笑)。

演技的にはこんな位置関係みたいで。
茂山家(大蔵)<野村家(和泉)<山本家(大蔵)
(柔)<-------->(堅)←語弊がありますがあえて言えばこんな感じ?

私の印象はこうです(笑)
茂山家≦野村家<<<<<山本家

私もこれまで和泉流と大蔵流をまんべんなく観ている方だと思うのですが、野村家と茂山家の違いって何?と言われても正直はっきり説明できないんですよね~。それぐらい近いように感じていました。山本家だけは全く違うってわかるんですけど(説明はできないけどモノマネはできます。笑)。

しかし、同時に同じことをやっていただくと、やはりはっきり違いがわかりますね。あ、なんだ、全然違うじゃん!と思いました。

さて、ここで名古屋の野村又三郎さん(和泉流)も加わり、三人同時に小舞「土車」を謡い舞います。
舞は想像していた以上に差がありました。大蔵流が違うのはわかるけど、同じ和泉流でも万蔵さんと又三郎さんでもかなり違いました。
三人で別々の舞をしていてぶつかったりしないのが不思議~。
それでもやはり同じ曲ですから、ぴったり合うところもあります。

同じ部分と異なる部分が混在しているために、相違部分が華やかさと奥行きや幅を生み、共通部分でまとまりがついて締まる感じで非常に面白かったです。江戸城謡初式の三流宗家による舞囃子「弓矢立合」もそんな感じだったなぁ~と遠い目(´ェ`)。

さていよいよ狂言の上演です。番組は以下の五番。
「佐渡狐」大蔵流・山本東次郎家/善竹十郎家
「酢薑」和泉流・三宅狂言会
「簸屑」和泉流・狂言やるまい会
「棒縛」大蔵流・茂山千五郎家
「佐渡狐」和泉流・野村万蔵家

特に「佐渡狐」は異流対決!ということでしょうか、同じ曲をぶつけてきました。やるね!(¬_,¬)b
立合狂言会でも、これは初めての試みだそうです。

さらに、大蔵流の佐渡狐は山本家と善竹家の両家が同じお芝居で共演ということで、これまた珍しいことです(最近はこういう上演形態をたまーに見かけるようになりましたけど、やはりよほど狂言を見まくっていないとなかなかお目にかかれないです)。しゃべり方の調子がまるで違っていますけど、台本は同じと思いますのでそれほど違和感はなかったですね。

「佐渡狐」を見比べた印象ですが、ストーリー的にはほぼ同じでした。でも細かいセリフや所作はいろいろ違っていました(鶏が鶯だったり、袖の下の受取り方とか)。流派でストーリーが大きく違う演目を比較するのは国立能楽堂の企画公演でもありましたが(その時は「鎌腹」で結末が全然違っていた!)、ほぼほぼ同じなのに細かく違うところを意識しながら観るのは間違い探しのようで楽しかったですね~。

この中で初めて拝見したのは「簸屑」。野村又三郎さんのお父様はあまりお好きでなくて出さなかったそうで、現在の又三郎さんはなるべく出すようにしていると仰っていました。そうそう、埋もれたお宝を後世に伝えるってのも大切なことですよね。

次世代を担う若手の狂言師が集い研鑽を積む公演」とご挨拶文にもありました通り、どの演目も若い力が大活躍のフレッシュでエネルギーにあふれる舞台でしたね~。

流儀は同じだけど違うお家の方がそれぞれの後見を勤められていたのも印象的でした。使う小道具が違っていたりするそうなので油断できないですな(^_^;

さて、お名残惜しくも五番の狂言が終わり、最後に出演者全員が再登場して附祝言「猿歌」が謡われました。
最初に和泉流から謡い出し、大蔵流が途中から入ります。大蔵流の方が人数が少なかったんですが、負けてはいませんでした。最後は大蔵流の方が声が大きかったです。やはり良きライバルと競い合う雰囲気が素晴らしいですね♪

附祝言が終わり全員が退場。皆さんいつもの舞台の時のようにまっすぐ前を見て橋掛かりを歩み退場しましたが、最後の千三郎さんだけが客席に向かって会釈されていました(お茶目♡(^o^))。

これで本日の公演は終了~というアナウンスもかかり、観客が帰り支度を始めているところ、出演者の方々が舞台の上に再登場(カーテンコール!?)
これから出演者の記念撮影をするので、みなさんも自由に撮ってもらって楽しかったと書いて拡散してくださいね~と仰っていただき、大撮影大会が始まりました。
全員での「大笑い」を動画撮影させていただいたり、脇正面席の方も向いてください~というリクエストにも応えていただいたり、なんかもうファン感謝デーみたいな感じで本当に楽しかったですぅ~(*´▽`*)

久々にワクワクする公演を拝見できたって感じでしたね~。これで3000円ってめっちゃ安くないですか!?(正面席は4000円)。先だって行われた京都公演では出演のお家も演目も違っていたので、両方観れば良かった!とまで思いました。来年も行われる予定のようですね。とても良い企画だと思うのでぜひ長く続けていただきたいです!\(^O^)/

第73回 野村狂言座

今年初めの野村狂言座を拝見。素囃子の神舞に狂言四番と年初にふさわしい豪華なラインナップ。

「松楪」
祝言的な演目。前半お決まりのやり取りが寄せては返す波のようでついつい眠りの世界へzzz。最後に二人が一体となって舞うのは珍しく面白かった。

「磁石」
名古屋の野村又三郎さん一門がゲスト出演。又三郎さんは近ごろ東京の舞台で何度かお見かけする機会に恵まれ、お若いのに貫禄も実力も十分でキャラクターも良くファンになりつつある。又三郎家の「磁石」は同じ和泉流でも万作家とはまた違うのだそう。どこがどう違うかまではわからなかったけど、とても楽しく拝見した。

「節分 替」
「替」と付くのは小書き(特殊演出)で、通常はシテが謡いながら舞うところ地謡が出て代わりに謡う。老熟の域に達した万作さまの体力を考慮しての新たな演出とのこと。また、万作さまは最初は鬼の面をかけて登場するのだが、途中で(舞が本格的に始まるあたりで)面を外された。これはストーリー的には不自然な感じがしたので、やはり体力面を考えてのことなのだろうか。最初からそういう演出だったのか舞台上の機転なのかはわからない。

実はこの「節分」、チラシには袴狂言(=装束をつけない)で演じると掲載されていた。しかし、実際には装束をつけて上演された。鬼の面をつけて謡ったり舞ったりするのは体力的にかなりきついために袴狂言にするつもりだったのだろうか。装束をつけるよう変更した理由の説明は特になかった。

このところ万作さまは舞台上で動いた後に呼吸が荒くなることが多くなっている。昨日はかなり後方の席だったのに息づかいの音がはっきりと聞こえて心配になるほどだった。しかしながら、身体的な表現はいまだ全く見劣りしない。型や足取りはしっかりしていて座った姿勢から立ち上がるときも全くぶれないし、転がったり跳んだりも問題なく。ご高齢のためにお声は小さくなり心肺能力は衰えてきているとしても、身体の強靱さと動きの正確さは84歳の年齢を感じさせず、まさに超人的。

鬼が人間の女に心を奪われて小歌を謡い艶っぽく口説くところは「花子」を思い出させる。鬼が女に袖にされて「エーンエーン」と泣くところで多くの観客は笑っていたけれども、私は一緒に泣きたかった。万作さまが演じられると笑いだけに留まらず愛や悲しみや皮肉もいろいろ入り交じった深いドラマになるような気がする。芸域の深さってこういうところに出るんじゃなかろか。

「仁王」
これは登場人物も多く素直に笑える表現が多くて文句なく楽しい演目なのだが、近くの席に最初から最後までけたたましく爆笑している人がいて、それが少しばかり体調の悪かった私にはストレスになってしまった(不運)。そのせいなのか、いつも濃いめの演技の萬斎さまが今回は特に脂っこく感じてしまったな。シテの石田幸雄さんは相変わらずとても良かった。

全体として盛り沢山の内容であったが「やっぱり万作さま!」の一言に尽きる。「節分」だけ観たとしても来た甲斐があったと十分に思わせるこの存在感。ご高齢でお身体の心配はついて回るし、苦しそうな息づかいでお気の毒に感じることはあるのだけど、まだまだお舞台を拝見し続けたい!と切に願う。

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宝生能楽堂ロビーに飾られている鏡餅