桑田貴志 能まつり「碇潜」

本日は「碇潜」(いかりかづき)という能を拝見しました。上演機会が少ない演目ではないでしょうか、ワタクシも初めて観ました。

何と言っても印象的だったのは、シテが扱う大きな碇の作り物です。写真のチラシを見て頂きますと、ピンとくる方もおられると思いますが、そう、歌舞伎や文楽の「義経千本桜」の「碇知盛」ですね。
元々能「碇潜」の翻案により浄瑠璃の「碇知盛」の段が作られましたが、この大きな碇の作り物を使う演出は、歌舞伎・文楽の「碇知盛」から能に逆輸入されたものなのだと解説にありました。へぇ~。そもそも原典の平家物語には知盛が入水の際に碇を担いだという記述はないんですよね。能で生み出された碇のイメージを歌舞伎・文楽が視覚化して、それを能も取り入れたということなのですね~。

また、「大屋形船」というお能で最大の作り物も登場しました。後見が引き廻し(周りの布)を外すと中から4人も登場してビックリ!4人は安徳天皇、二位尼、大納言局、平知盛です。二位尼が幼い安徳天皇と共に入水する場面がありましたが、安徳天皇と同じ年回りの子方が演じていることもあり、静かに船から踏み出す瞬間はやはり涙を誘いますナー。
その後、知盛が薙刀を振り回す勇壮な舞働があり、もはやこれまでと碇を頭上にかつぎ上げて海に飛び込むシーンは迫力満点で、脇正面席のお客さんの多くが体を乗り出して振り返って見るほどでした。船弁慶もそうだけど、お能の知盛って本当にカッコいいナ~。

本日は仕舞が「清経」「女郎花」で、入水に関係ある曲を集めたとのことでした。入水の理由や表現は様々ですが、なかなか粋な選曲でございますな。

五月花形歌舞伎@明治座(後編)

先日の続きです。前編はこちら

2.「男の花道」
これは歌舞伎の古典ではなくて、昭和十六年に公開された長谷川一夫主演の映画(小國英雄脚本、マキノ雅弘監督)を舞台化した作品なんだそうです。さらに元々は講談の「名医と名優」という演目であったそう。舞台化した時の主演も長谷川一夫、相手役は二世市川猿之助(初世猿翁)。普段の歌舞伎のイメージとちょっと違って(当社比)、テレビの時代劇や大衆演劇に近い雰囲気の、人情味あふれる親しみやすいお話でした。

<超ざっくりあらすじ>
人気女方の加賀屋歌右衛門が失明が危ぶまれる眼病にかかるが、長崎でシーボルトからオランダ医学を学んだ土生玄碩(はぶげんせき)に治療してもらい、二人は固い友情を誓い合い刎頸の交わりを結ぶ。四年後、名実ともに名優となった歌右衛門が、窮地に陥った玄碩を救うために芝居中に観客を説得して駆け付ける話。

第一幕の舞台は大阪道頓堀の芝居~東海道金谷の宿場。

まず大阪道頓堀で土生玄碩(市川中車)が芝居を見て加賀屋歌右衛門(市川猿之助)の眼病が深刻であることに気づき治療を強く勧めるが弟子と諍いになるという序幕があります。これは元々の上演にはなかった部分で、現猿之助バージョンで付け足されたものだとか。

江戸へ下る歌右衛門の一行は大井川を渡るために金谷(現在の静岡県)の宿場に泊まっています。その当時は女方の役者は普段も女性の格好のままだったんですって。タカラジェンヌの男役みたい。そんなわけで歌右衛門は(本当は男なんだけど)女性の姿です。お風呂上がりの亀ちゃん(=猿之助さん)は匂い立つような美しさで、病弱で儚く消え入ってしまいそうな透明感がありました。

歌右衛門は失明寸前となりもう役者を続けられなくなるであろうことに思い悩み井戸に身を投げて死のうとしますが、玄碩がそれを止め、命をかけて治療にあたると申し出ます。玄碩の真剣さに打たれた歌右衛門は信頼して全てを託します。

手術後10日たち歌右衛門は治るかどうか気が気でなく、もしこのまま盲目になってしまったらと『奥州安達原』の「袖萩祭文」を三味線と唄を演奏して気を紛らわせたりします。この辺りの芸の披露も見どころ聴かせどころ。

玄碩に包帯を取ってもらった歌右衛門がそっと目を開けるとめでたく眼病が完治していました。喜びに沸く一同。黙って去ろうとする玄碩に歌右衛門は礼金を渡そうとするが玄碩は決して受け取らない。立派な役者になるのが一番のお礼、自分も立派な医者になる、と言う玄碩に、歌右衛門は呼ばれたならいつでも駆け付けると約束します。
目が見えるようになった亀ちゃんは、病弱で消え入りそうな儚さから一転して華やかな生命感があふれていました!

第二幕の舞台は江戸。

ここでようやく(私が個人的にお待ちかねの)ラブリン(=片岡愛之助)登場。婿養子で年上の奥さんに頭が上がらず意地悪で嫌みな大名、田辺嘉右衛門を演じました。

田辺は奥方や義妹にエエところを見せようとして歌右衛門を呼び出させますが、役者は観客のために芸を見せるのが本分で、どんなにお偉い方であっても特定の客を相手にすることはできないと断られ、プライドを傷つけられます。

田辺は奥方や義妹が芝居に熱中している隙に吉原に行こうとして奥方にギャーギャー言われる場面なんかがあって、第一幕のシリアスなシーンから転じたコミカルな雰囲気に客席も笑いに包まれます。

劇中で歌右衛門の芝居が行われている設定の江戸中村座の場所は今の日本橋人形町の辺り。田辺の奥方が「アナタ“新吉原”に行くつもりなんでしょう?きぃーーー!」と言っていたのですが、元々の吉原は人形町辺りにあって、それが幕府の政策で浅草の観音裏の辺りに移転したのでそこが「新吉原」と呼ばれたそうです。歌舞伎や時代劇などで「吉原」といえば、だいたい「新吉原」のことを指すのだそうですよ。へぇーーー。

さて、田辺は贔屓の花魁の眼病を治すために玄碩を呼び出します。吉原に行く前に料亭で芸者を呼んで宴会を始めた田辺。そこで玄碩に酒を飲め、踊れと無理強いしますが、病人を診る前に酒など飲めない、踊る謂われもないと断固として拒否する玄碩。険悪な雰囲気になってしまい、玄碩と歌右衛門が旧知の仲であることを知った田辺は、先ほど自分の呼び出しに従わなかった歌右衛門のことでしゃくに障っていたこともあり、歌右衛門をここに連れてきてお前の代わりに踊らせろとまた無理難題を言い出す。玄碩は、自分のためなら歌右衛門はいつ何時でも必ず来ると歌右衛門宛に文をしたため、もし彼が来なかったら切腹しても構わないと言ってしまうのです(冷静そうに見えて意外と大風呂敷広げちゃうタイプなのねーー)。

ところが、手紙を届けてもらうよう託した後に田辺は「今は芝居の真っ最中だ。大切な観客を放りだして歌右衛門は果たして刻限までに来られるのかな?(ニヤニヤ)」と言うと、玄碩は「しまった!!芝居中だということを考えていなかった!ガーーーン!」と追い詰められます(おいおい、そこんとこ、言われてから気づくんかい、意外とアホね、と突っ込みたくなりました。笑)。

もう玄碩の負けは決定したようなもんです。周りの者が必死に切腹だけは免じてもらおうと、玄碩に踊ることを説得し、田辺に許しを請い、何とか取りなそうとしますが、玄碩は頑として応じません(もう、頑固だなーーー困、そんなアホらしい理由で死んでいいのかよぅ~~~)

そうそう、ラブリンと中車さんは初めての共演って書いてあって、え?そんなことないっしょ??と思ったんですが、そっか、共演したのはTVドラマ「半沢直樹」ですね!歌舞伎では初共演ですって。なるほど。それに「半沢直樹」でもこの二人は実はそんなに絡んでないよね~。

一方、芝居中の歌右衛門。これが、劇中劇で、演目は『伊達娘恋緋鹿子』通称「櫓のお七」の場面。明治座の舞台そのものが劇中劇の舞台となり、従って我々明治座の観客が、中村座の観客・・・という設定になります。「櫓のお七」は人形振りで演じられます。人形振りというのは、歌舞伎などで人間が文楽の人形のような演じ方をすることで、ちゃんと人形遣いの役の人もいます(但し、人形にくっついているのは主遣い(紋付き裃姿)と左遣い(黒衣)のみで、足遣い(黒衣)は離れた位置にいました(つまり足を遣うわけじゃない。足拍子を踏むだけ!)。亀ちゃんが見事な人形振りを演じて観客を魅了します。

ところで歌舞伎の人形振りって本当は文楽の人形みたいに見せるための演出だと思うんですが、文楽の人形って実際にはあそこまでぎこちなくはない、もっとなめらかで人間ぽい動きなんだけどなーーといつも思います。文楽はいかに人形を人間っぽく見せるかが使命で、歌舞伎の人形振りはいかに人形ぽく見せるかが使命だから、お互い極めていくと終には逆転してしまうんだなー、面白いなーーと思います。

さて、話を戻しますが、人形振りがとても見事なので、我々も本来の筋はいったん忘れてしまい、つい劇中劇に魅入ってしまいます。後ろ振りなど主遣いがちゃんと文楽っぽく人形を支える動作をしていて面白いな。でも、人形(ホントは人間)を持ち上げる場面で、主遣いではなく左遣いが持ち上げちゃったのは、え!なんで~~?と思いましたケド(笑)

人形浄瑠璃が元なので、邦楽演奏隊は義太夫節です。歌舞伎だと「竹本」と言うらしい。太夫も三味線も水戸黄門みたいな頭巾を被っていたりして文楽とだいぶ違いますなー。

そうこうして、お七が櫓を上ろうとしている場面の時に、玄碩からの手紙が届きます。芝居中のため一旦は撥ねのける歌右衛門でしたが、あまりの血相に手紙を読みその内容に驚きます。そして、歌右衛門は観客を説得して玄碩の元に走ろうとするのですが、その説得は我々明治座の観客席に向かって行われます。芝居の中断に対してブーイングする観客たちの声がほうぼうから聞こえます。最初から明治座の観客の中に役者さんを仕込ませていたわけなんですね!観客席のあちこちから次々台詞が飛び出すので、本物の観客の中には後ろを振り向いてキョロキョロする人かなり多数。

しかし、歌右衛門のから事情を聞き、芝居と観客は大切なれど人としての心はもっと大切という言葉に観客(劇中客)たちは感動し(本当の客も感動~~)納得して行かせてやります。本物のお客さんで「行ってやれ」と声かけた人がいて和やかな笑いが起きます。

歌右衛門が観客にお礼を行って走り出すのは花道ではなく客席の通路。ワタクシちょうど通路側だったので至近距離を亀ちゃんが走り抜けて行き超ラッキー!(^▽^)

再び料亭に場面が移り、刻限の鐘が鳴り終わってしまい、玄碩は切腹を迫られています。お腹を出して刃を立ててもうダメだぁ~~と絶体絶命の瞬間「しばらく!!!」と歌右衛門登場!めっちゃ急がなきゃならないのにしっかり着替えてきてますがな(笑)。鐘が鳴り終わっているけど、一応歌右衛門が来たということで、切腹はナシになります(ラブリン田辺そんなに悪いヤツではないみたい)。

玄碩の代わりに踊るよう田辺に言われて、歌右衛門が快く応じ「老松」を舞います。着替えてきた衣装は黒地で裾の方に立派な松の絵があしらわれていて絢爛豪華で老松を舞うのにぴったりな着物でした(そうね、お七の衣装のままじゃこの曲は映えないわよね。着替えたの納得(゚д゚(。_。)。長谷川一夫さんが着ていたものを使用しているのだそうです。そして亀ちゃんの舞いに酔いしれます(*´▽`*)はぅーーー。

歌右衛門が一生の恩を忘れず人として大切な約束を果たした、また玄碩が約束の誓いを信じた、男と男の固い友情のお話(走れメロスのようだな~)。感動の大団円でした!面白かったぁ~~~(≧▽≦)

「男の花道」というタイトルは映画化される当初「誓の花道」というタイトルだったんですって。男同士の友情であることを強調したかったのかな。女同士で命をかける友情物語ってあるかしらん?やっぱりこういう話は男同士の方がいいのかもですね。ちょっぴり妬けちゃいますね~。でも片方が女性的なキャラクターなので、女性のお客さんも感情移入しやすいような気がします。

男も女も器用に演じ分けられる亀ちゃん。文楽でいうと桐竹勘十郎さま的な(ついつい文楽と比較してしまう)。今回は男性でありながら女性の魅力を存分に持ち合わせていてそれでいて艶めかしくなりすぎない上品な色気と男気があるキャラクター、ピッタリなお役だと思いました。

年に1度くらいしか観ていなかった歌舞伎、今年は上半期に既に3回も観ていて(浅草新春、平成中村座、明治座花形)、どれも面白くて、なんだか今年は歌舞伎にはまってしまいそうな予感がしてます!

五月花形歌舞伎@明治座(前編)

本日は明治座に五月花形歌舞伎(昼の部)を拝見して参りました。

ワタクシ、能や文楽はしょっちゅう観に行っていますが(中毒)、歌舞伎はせいぜい年に1回くらいしか観に行っていません。なので、あまり詳しくなくて、たまに観に行くとこれまで観たことはほとんど忘れてしまっていて、歌舞伎を初めて観た人のようにいつも新鮮な感覚でいられます。また、能や文楽と似ていることも多いですが、微妙に違っているところがまた特に面白かったりします。そんな初心者の感想を長めに書いてみました(文中のウンチクは公演プログラムかイヤホンガイドの受け売りです)。詳しい方にはアホな感想に見えると思いますが、温かい目でご覧いただき、逆にぜひいろいろ教えてください。

1.歌舞伎十八番の内「矢の根」
主人公は曽我五郎時致(市川右近)です。ふむふむそれならお能にも出てくるしお話は知ってるぞ、と思って見ていたら、正月に宝船の絵を枕にうたた寝する話に展開して何やらのんびりな雰囲気。五郎は冒頭で七福神の悪口を言っちゃってるのに宝船の絵でいい初夢を見ようとしちゃうの?と突っ込みを入れたくなります。この七福神への悪態つきは言葉によって悪霊を鎮めるという意味があるそうです。

舞台上には五郎と、チョンマゲで裃姿の人が二人います。この人達は後見なのだということにややしばらくしてから気づく(遅い)。チョンマゲしてると何かの役の人かと思っちゃうんです。お能の後見は現代風のヘアスタイルで地味に紋付き袴なので(たまに裃の時もあるけど色は地味だし)劇中人物ではないとすぐに認識できるけど、歌舞伎の後見って存在感ありすぎなのよねー(慣れるとどうってことないのか?)。

ところが!その後出てきた大薩摩文太夫(中村亀鶴)が、後見と全く同じ格好をしているのでワタクシは混乱します(x_x) もう一人後見が出てきたって思っちゃたよーー。

五郎が寝転ぶときに、後見が五郎の下に入っちゃったのにビックリ!大きなカツラや帯の形が崩れないように支えているんだそうです。

五郎がうたた寝を始めると、ヒュ~ドロドロ~~、と幽霊が出てくる時のお馴染みの効果音が。そして上手側から幽霊(?)がすべるように出てきます。五郎の兄の曽我十郎祐成(市川笑也)です。十郎は父の敵の工藤の館に囚われているので救ってほしいと告げ姿を消す。幽霊じゃなくてまだ生きてました・・・。

五郎は飛び起き、夢枕に立った兄を救うため支度を始めます。後見が二人がかりで仁王襷という太い綱を五郎に装着します。この綱は子どもの体重ほどの重さがあるという解説でしたが、いったい何歳の子どもなのか説明がなかったので重さは結局不明。とにかく重くて結ぶのが重労働ということが言いたかった模様。

その間、三味線がどんどん早弾きになり緊張感が高まります。邦楽演奏隊(大薩摩太夫+三味線)は上手側にいますが(この場合も床って言っていいのか?)、二人いる三味線さんのうち一人は弾かないでじっと舞台上を凝視しています。弾いている三味線さんと二人の太夫は真っ直ぐ前を向いているのに一人だけ横を見ているのが奇妙な感じです。しかし、じきに仁王襷を締め終えた後見の一人が上手の方を向いて合図をしますと、よそ見していた三味線さんが弾き始めました。そっか、合図を待っていたんですね。よそ見とか言ってすんません。_(_^_)_

支度を終えた五郎の家の前を、大根を積んだ馬をひいた馬士が通りかかります。五郎は緊急なのでその馬を貸してほしいと頼みますが、商売道具なんでと断られます(だよねー)。結局、無理矢理に馬を奪ってしまうんです(んな、乱暴な!)。そして、猛々しく名乗りを上げ、積んであった大根の一本をムチ代わりにして(笑)、五郎は駆け出していくのでした。(幕)

お正月が舞台の祝祭劇。荒事は派手でカッコイイですね。とても歌舞伎っぽくて楽しめました♪

後編は次回に。