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国立能楽堂特別公演「朝比奈」「木賊」

本日は国立能楽堂の特別公演を拝見し、本年の観能納めとなりました。
演目は仕舞「雲林院」、狂言「朝比奈」、能「木賊」です。
狂言「朝比奈」のシテは野村万蔵さん。本日お誕生日ということで佳き日に大曲をご立派に勤められまことにおめでたいことです\(^O^)/
普段、狂言を拝見した後は「面白かった」もしくは「芸が深い」などという感想を抱くことが多いのですが、本日の感想はズバリ「めっちゃかっこよかった!」でございます(*^_^*)
野村万蔵さん演じる朝比奈は、地獄に責め落とそうとする閻魔大王を力強く突き飛ばし、堂々と戦語りをするところなど、初めから終わりまでとにかく強くてカッコイイのです!
一方、野村又三郎さん演じる閻魔大王は、閻魔さまなのにどこか人間くさくて威厳があまりなくて愛嬌があり、朝比奈をひきたてる非常に重要な役だと感じました。
このお二人とてもよく息が合っていて絶妙な掛け合いで終始引き込まれて最後まで目が離せませんでした。お家が違うので共演機会はあまりないそうですが、このコンビでのお舞台をこれからも度々拝見したいなぁ~。
お囃子や地謡が入り能の様式を取り入れた重厚かつ華やかな演目でとても見応えがありました!
能「木賊」。これはめったに出ない稀曲で私も以前には1回しか観たことがありません。今回抱いた正直な感想は「これは難易度が高い曲だな…」…でした。
演者にとって難曲であることは間違いないと思います。一方で観ている方にもレベルの高さが要求される曲という印象を受けました。
そう感じた理由はいくつかあるのですが、その最たるものは(私だけかもしれないですが)「感情移入できなかった」ことです。
これは、子を探して物狂いになる親が母でなく父である、しかも老親。子方は幼い子どもが演じていているゆえに孫にしか見えない。子方がひと言も発しないので子ども側の思いが伝わってきにくい。といったことが原因かと思います。
ここで私が感情移入できないのは曲のせいでもなく演者のせいでもなく、単に私に想像力が不足しているためだと思いました。能は観る方の想像力が必要な芸能です。観たまま理解しようとするのではなく、想像して感じなくてはならないのです。まだまだ修行が足りませぬ!来年からは顔を洗って出直しまーす(^_^;
自分の未熟さがわかった以外は、やっぱり素晴らしいお舞台でした。梅若玄祥親分の謡は体全体が楽器のようによく響いて聴いていてとても心地良かったです。シテ柱にもたれてしばらく佇み悲しむシーンが切なくて心に響きました。お囃子も一噌仙幸さま、大倉源次郎さま、亀井忠雄さまという豪華出演陣でそれはもう申し分なくたいへん素晴らしかったです。
画像は今公演に関係あるイラストと写真です。何のこっちゃと思われた方は各写真のキャプションを読んでね(^_-)-☆

「木賊」(とくさ)とはこんな植物。細かく縦筋の入った堅い表皮が研磨材として使われたためこの名(=研草)がついたそうです。ちなみに私はこの名前を知る前はニョロニョロと呼んでいました(^_^;
「木賊」(とくさ)とはこんな植物。細かく縦筋の入った堅い表皮が研磨材として使われたためこの名(=研草)がついたそうです。ちなみに私はこの名前を知る前はニョロニョロと呼んでいました(^_^;
朝比奈はこのような七ツ道具を担いでとても強そうなのだ☆ 七ツ道具といいつつ5つしかないよな・・・(´・ω・`)
朝比奈はこのような七ツ道具を担いでとても強そうなのだ☆ 七ツ道具といいつつ5つしかないよな・・・(´・ω・`)
今日一番目が釘付けになったのが、木賊のシテが後半に身につけた装束の柄です!能でこんなポップな柄あってもいいの!?と思ってしまいましたが、解説を読むと「子方用の美麗な掛素袍」とありました。なるほど!可愛いな(*´▽`*)
今日一番目が釘付けになったのが、木賊のシテが後半に身につけた装束の柄です!能でこんなポップな柄あってもいいの!?と思ってしまいましたが、解説を読むと「子方用の美麗な掛素袍」とありました。なるほど!可愛いな(*´▽`*)

能楽五人囃子「能の来た道、日本のゆく道」

皆既月食が観測された日、国立能楽堂で、能楽五人囃子「能の来た道、日本のゆく道」を拝見して参りました。

講演ということでしたが、トーク、ワークショップ、実演で構成されていて、リラックスしたムードで堅苦しくなく飽きさせない内容でした。

オープニングはお囃子方の四名で「獅子」(石橋)を演奏。能は眠くなるというイメージを払拭するため(?)この選曲で元気よくスタートです!

大倉源次郎さんが中心となってお話しなさいました。源次郎さんは見た目はシュッとしていてカッコよくて演奏するときの真剣なお顔も凜々しいのですが、実際にお話しなさるととても気さくで面白い方。大阪人だから?サービス精神が旺盛で会場の笑いを誘うコメントも織り交ぜながら楽しいトークが進みます。ダジャレを言ってもオヤジギャグに聞こえないところはイイ男の特権ですよねぇ(*^_^*)

雛人形の五人囃子について。能舞台での並び方と同じで向かって右から、謡、笛、小鼓、大鼓、太鼓。覚え方は、音を出す位置が口から近い方から順に並ぶということです。へ~。そういや子どもの頃、右端のこの人だけなんで楽器持ってないんだろう?ってずっと思ってました。能を見るようになってから初めて謡だと気づいて、この人意味不明だったけどバンドで言えばボーカルじゃん!と思った記憶が(^_^;)

次に各楽器についての解説。能楽師さんたちは「お道具」と呼び、単なる楽器を超えた大切なものとして扱っているそうです。

能の笛は能管と呼ばれており、音程の取りにくい構造になっております…みたいな説明が源次郎さんからありまして。ところが…この一噌幸弘さん、能管で楽ラクと音程を取ってしまう稀有な才能の持ち主でして…。笑点のテーマやちびまる子ちゃんの踊るポンポコリンを披露(しかも全フレーズ。笑)。笛でメロディーを吹くなどごく普通のことのように思われますが、能管でそれやっちゃうのはスゴイんですよ!たいへん特殊な才能の持ち主です。幸弘さん、もっと吹いてもっとしゃべりたそうでしたが~(笑)

小鼓と大鼓は桜の木の胴に馬皮が麻紐で締め上げて張られています。材質が同じなのに全く音色は異なります。締め上げる強さが全然違うそうです。小鼓はバラっと分解してすぐに組み上げることができますが(源次郎さん実演)、大鼓は力一杯締め上げるため、組み上げるのに10分くらいかかってしまうとか(だから実演は無しよ)。
また小鼓は5年10年100年と年数が経つほど良い物に育っていくものですが、大鼓の革は消耗品で数回の演奏で新調しなければならないのだそうです。今講演では言及がなかったのですが、小鼓の革は湿らせて使い、大鼓の革は乾燥させて使う、というのは良く知られている話です。同じ材質なのに対照的な楽器ですよね。

一方、太鼓は欅の胴に麻紐で牛皮が張られています。太鼓を載せる台は又右衛門台と呼ばれているそうです。又右衛門さんという方が考案されたからとか。だらんとぶら下げると人間の形をしていてユーモラス(^o^)

囃子方は事前に合わせるためのお稽古するのかというとそうではなく、お互いのかけ声が合図となる決まり事があって、いきなりでも息を合わせられるのだそうです。かけ声だけで合わせられることを示すために、小鼓と大鼓がお互いが見えないよう背中合わせとなり演奏を披露。見事に決まりました!

一通り解説と実演が済んだところで観客席も体験のお時間です。グーにした左手に右手を当て右肩の位置まで持ってきて小鼓を打つマネをします。かけ声もかけます。そう、エア鼓です(笑)。 これは別のワークショップでも体験したことがあるのですが、一人一人にお道具を持たせる必要もなく手軽にできて楽しい体験です。しかもホンモノの小鼓の音に合わせての合奏。気分上がりますよ♪

後半はシテ方のワークショップ。解説は観世流シテ方の坂口貴信さん、能楽界きってのイケメン能楽師さんです。能舞台の説明、能の演目の種類についての説明の後、能面の解説と装束付けの実演など。
演目のオススメを問われてですね、貴信さん「能には『神・男・女・狂・鬼』という演目の種類があり、自分に好みに合った演目を選ぶことです。『女』は最も動きがゆっくりで時間も長い…最も能らしいとも言えますし、能楽師としてはとても大切な演目ですが…」…はっきりおっしゃらなかったですが初心者の方は「女」の演目は難易度が高いのでなるべく避けた方がいいとおっしゃりたかったのでは。わかります~。私もよく夢の世界に行ってます(笑)

解説の後は観客席の謡体験です。オウム返しというお稽古の方法で、貴信さんの後について観客全員で謡を練習。「高砂」を謡いました。一度お稽古したあと、お囃子方に入って頂き全員で謡います。おぉー、これはかなり気分が良いですネー♪ その後、貴信さんによる舞囃子「高砂」の実演です。貴信さんは舞姿がたいへんお美しいです。イケメンのうえ舞上手♡ 眼福でございました~(〃▽〃)

解説で印象に残ったお話をいくつか。

能舞台上の結界の話。シテは装束をつけて縦板が張られた三間四方の本舞台で演じます。それに対し、本舞台の後ろ(鏡板の前)にある横板が張られた後座は場面からいないものとなることを意味し、囃子方や後見などはここに座っています。シテもこの位置に入ると場面から一時いなくなったことを意味します(だから見て見ぬふりしてくださいね~)。
ところで、囃子方は実はつま先の部分は縦板にかかっているんだそうです。体の前半分はお芝居に参加しているという位置づけなんですかね~。お囃子の演奏もシテやその他の役者の心象描写(演技)の一部とも考えられますものね。

橋掛かりについて。普通(歌舞伎などの)花道は、客席の方に向かっていますが、能舞台の橋掛かりは必ず客席から離れるような角度で設置されています。花道が観客(=人間の世界)に近づくのに対し、橋懸かりの向こうにはあの世(=人間の世界でない)があるという意味合いからだそうです。この世のものでないナニカが、あちらの世界から橋掛かりを渡ってやってくるんですね~。

再び源次郎さんのトークのお話に戻ります。能の来た道。はるか神話の時代から明治維新、現代に至るまで、能の源流と歩んできた歴史について。源次郎さんは能の演目には平和の祈りが込められているとおっしゃいます。能には戦いを題材にしている演目が多いし戦いが当たり前の時代に作られているので、私は平和への祈りが込められているとは考えたこともありませんでした。歴史の表面だけを見ると人類は何千年も戦いや争いを繰り返してきて、戦いはこの世から無くならない人間の性や業のようなものという気がしていましたが、平家物語を読んでいると、戦うことの苦しみや悲しみがよく書かれています。平家物語はどちらかといえば戦争ドキュメンタリーのようなリアルな描写ですが、これが能になりますと、戦いで死んでしまった武将が浮かばれない霊になって現れて、戦いの悲惨さや苦しさを切々と語ったり、地獄の苦しみから逃れたいために回向を請うなど、戦いなんて良いことないぞ~やめとけオーラ出しまくりですものね。

足利義満、豊臣秀吉などの時の権力者に擁護されて繁栄することになった能が、徳川家康の時代になり社会を武力から文化へシフトするため、諸国大名に能をやらせて式楽として確立させた。元禄の頃には印刷技術が発達し謡本が出版されて庶民も謡を嗜むようになりさらに裾野が広がった。そのため明治維新となり全国から集まった人々がお互い方言で話して通じなかったところ、能や狂言の言葉で互いに話しかけることで通じたりした。明治維新以降の人々の交流の拡大に一役かったのではないか、という説はなかなか興味深いものでした。

日本のゆく道。若い人達にも観て頂き日本文化を通じて平和な世の中を願いみんな仲良く暮らして行きましょう。という締めでした。

出演者陣は豪華だし、とても内容が濃かったし楽しかったです♪(^o^)

ジャポニスム振興会 東京公演
能楽五人囃子「能の来た道、日本のゆく道」
平成26年10月8日(水)国立能楽堂

出演者
大倉源次郎(小鼓)
一噌幸弘(笛)
安福光雄(大鼓)
観世元伯(太鼓)
坂口貴信(観世流シテ方)

ナビゲーター
中村暁

鏡板に描かれている老松は石高によって松の立派度が違うらしく。国立能楽堂の松は江戸城の能舞台を復刻したのだそうです。だからあんなに立派なんですね~。
鏡板に描かれている老松は石高によって松の立派度が違うらしく。国立能楽堂の松は江戸城の能舞台を復刻したのだそうです。だからあんなに立派なんですね~。

第95回粟谷能の会「道成寺」(中編)

鐘が吊り上げられ妖しくも美しい白拍子が登場したところで前回は終わりました。
前回まで⇒ 第95回粟谷能の会「道成寺」(前編)

これが後編と思いきや、書いているうちにどんどん長くなって、まだ中編です。もうしばらくおつきあいを~。

乱拍子とは、シテが小鼓と息を合わせて独特のリズムで足拍子を踏む舞です。動きが止まっている時間が長く、その分、小鼓のかけ声・打音とシテの足拍子の瞬間の迫力がすごいです。シテと小鼓の一騎打ちとも言える緊迫した場面です。

最初はまっすぐ正面を向いていた小鼓方の大倉源次郎さんが、床几ごと体の向きを少し斜めに変え、シテの方を見る格好となりました。
シテと相対する準備万端です。ここからは二人だけの世界に入っていくのです。源次郎さんの真剣な表情が凛々しすぎる!おシテの明生さんもお顔は見えませんが能面の裏側は真剣な面持ちであったことでしょう。今、この二人は精神的に強く結び付きあったのだ…!この情景を傍から見ながら、二人の青春は私の青春、このままずっと見ていたい、などと妄想(笑)

喜多流では、道成寺は幸流の小鼓方が勤められるのが通例だそうで、おシテの粟谷明生さんも披き(初演)では幸流の小鼓方と共演されたとのことです。二度目の今回は大倉流の小鼓方との共演を望まれました。実際に演じてみてどのような違いがあったのでしょう?私は残念ながら初演を拝見していないので違いを知る由もありませんが、明生さんご本人は大いに感じるものがおありになったことと思います。

シテが小鼓のかけ声と打音に合わせて、つま先やかかとを上げたり下げたりひねったりして少しずつ足を動かし、そのとき動きが完全に止まっている間がしばし続き(乱拍子がラジオ放送で無音事故になったことがあるというのは本当なのだろうか)、そして足拍子、という動作が基本なのですが、この舞と言えるのかどうかもわからない奇妙な動きにどういった意味があるのか未だよくわかりません・・σ( ・´_`・ )。oO

意味・・・?能の動きに意味を求めるのはナンセンスなのかもしれません。能は観る者がそれぞれ想像力を働かせて感じる芸能です。しかしあえて意味を考えてみました。

乱拍子の解釈は多々あると思うのですが、鐘楼への階段を昇る白拍子の歩みを表しているという一説がありました。なるほど~、一理あります。だから足づかい中心の動きなんだと説明がつきます。

私は白拍子が鐘に近づくために足技を使って妖力をかけているんじゃないかという気がしてきました。白拍子が舞っている最中に人々は眠ってしまいます。これ、催眠術をかけられたんじゃないですかね?足づかい中心なのでどうしても一点を注目することになりますよね。一点を見つめていると暗示にかかりやすくなるのでは。5円玉揺らす代わりに足を少しずつ動かして見せる。科学的根拠は全くないですが、そんな妄想を巡らせてしまいました(笑)

静寂の中で、小鼓のかけ声と音、足拍子の音、そして時折の笛の音のみが響き渡り、見所には異様な空気がはりつめています。少しの物音もたててはいけないそんな雰囲気です。舞台上には妖力が満ち満ちている。それを観客が傍観しています。妖しく美しい女性がこれから何をしでかそうとしているのか固唾を飲んで見守っているのです。感覚は研ぎ澄まされ、一つ一つの動きや音も逃すまいと舞台に目と耳が釘付けになります。そして舞台上から流れてくる妖力の影響を受けた一部のお客さんは夢の世界に(笑)

ワタクシこれまで数知れぬほど道成寺を観てきてますけど、乱拍子でこれは素晴らしいと唸らされたものは本当に数少ないです。正直申しますと、途中でちょっと飽きてくることが多かったです。だからよく時計を見てしまうのですが、今回は舞台から目が離せず時間を見るのもすっかり忘れていました。実際には長くもなく短くもなく…だったのでしょうか。感覚的には5分か10分で終わってしまったように思えるほどあっという間でした(あぁ~もっと観ていたかった…、けど、やる方はしんどいっすよね。笑)。

明生さんと源次郎さんのこの上ない素晴らしい共演、ひとつひとつの動作や発音が丁寧に扱われていて、息もぴったり合い真剣な中にも楽しそうにノッている様子ですらある。記憶には映像と音声がしっかり刻み込まれて、思い起こすといまだに鮮明に蘇りますが、なぜなのか言葉にしたくてもこれ以上うまく言葉にできないのです~。あぁぁ、語彙不足で本当に申し訳ない。そんなわけで、実際の映像は4月27日のNHKの放送をご覧ください(笑)

乱拍子の終盤にシテ謡があり、大鼓の演奏が再び入り、とたんにお囃子がにぎやかモードに。シテも激しく舞いだします。急ノ舞です。この急展開で妖力によって眠らされていたお客さんたちも覚醒します(笑)

さあ物語はいよいよクライマックスへ。つづきは明日です!

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第95回粟谷能の会「道成寺」(前編)

このところ毎回拝見してはまっております喜多流・粟谷能の会。今回は道成寺ということもあり、SS席を奮発いたしましたよ~。正面席、前から2列目ど真ん中。最上級のお席です。この幸せに感謝であります(*´▽`*)

<ざっくりあらすじ>
道成寺で鐘を再建することになり、寺の能力が新しい鐘を吊り上げる。女人禁制の鐘楼に、能力は白拍子を入れてしまう。白拍子は舞いながら鐘に近づき、鐘の中に入ってしまう。と、同時に鐘が落ちてしまった。能力は住僧に鐘が落ちたことを報告すると、住僧は鐘にまつわる話をし、祈祷で鐘の呪いを払おうとする。すると鐘が上がり、中から蛇が現れる。蛇と僧たちが闘った末、僧たちが勝利し、蛇は日高川に逃れていく。

下掛り流儀なので、アイが芝居がかりで鐘を運んで設置します(上掛り流儀(観世・宝生)の場合は、最初に後見が運んできて設置する)。鐘の重さは80キロほどあるそうですので、実際にはアイ2人、後見2人が鐘の竜頭に通した太い竹の棒を担ぎ、後見2人が横から鐘を支えて、6人がかりで運んできます。アイの野村萬斎さん、深田博治さんが「えいやーえいとーなんと重い鐘ではないか~」などと途中挫折しそうになりながら運ぶお芝居をします。鐘はかなり高さがあるので(人ひとりが入るんだからそりゃそう)担ぐ4人は両手を高く掲げて棒を持ち上げ、つま先立ちで歩いてきます。重いものを担いでつま先立ちで歩くのはさぞやキツいことでしょうなぁ。

鐘は鮮やかな緑色でした。ワタクシ喜多流の道成寺をこのところしばらく観てなかったようです。道成寺の鐘っていうと紺色か紫色のイメージがありました。でも、緑色がホンモノの鐘の色に一番近いかも~、いいかも~。

舞台中央まで行きますと、アイが鐘を吊るします。能舞台の天井に滑車が設置されていて、そこに鐘の竜頭に付けられた綱を通します。天井に届くくらいの長い竹の棒が二本用意されます。綱の先端は輪になっていて、まずは先が二つに分かれた竹の棒の先に綱の先端部分を挟み、天井の滑車に綱の先端(輪の部分)を差し込みひっかけます。そして、先に鉤がついているもう1本の竹の棒で綱の輪をひっぱると、挟んである方の竹の棒がはずれ、滑車に綱が通ります。いつも思うのですが、能の作り物や道具は本当によくできているなぁと感心します。動きに無駄がでないように合理的にできています。

しかし、今回、珍しく鐘を吊るのにかなり手間取りました。竹の先端に綱を挟む時もすんなり挟まらず。深田さん少し緊張?うまくいかないことが多い、綱の輪っかを滑車にひっかけるのは一発で成功したのですが、そのあと、滑車がぐるぐる回ってしまって思い通りの向きに定まらず、綱がどうしても真っ直ぐかかりません。しまいに電話の受話器のコードのようにこんがらかってしまいました。綱が真っ直ぐになっていないと、鐘を落とす時にたいへん危険です。何度も直そうとするのですが、なかなかうまくいきません。いったん萬斎さんが鐘を吊るときのセリフを言い始めましたが、萬斎さん、思い直したようにセリフを止めまた綱をほどいてやり直し始めました。見てる方もなんだかハラハラです(゚д゚;) リトライの結果、今度はきれいに綱がかかりました。こちらも思わず「ヨシ!これで大丈夫!」と心の中でガッツポーズ。改めて鐘が吊りあげられ、演技再開です。

さあさ、鐘が吊り下がりました。能力(アイ)は住僧(ワキ)に「女人を入れてはいけないよ~」と命じられています。

そこへ、白拍子(前シテ)が妖しげな雰囲気を醸しながら登場します。

本日のおシテは喜多流・粟谷明生さん(58歳)です。道成寺は2回目とのこと。披きのフレッシュさとまた違った円熟味を見せていただけることを大いに期待ですっ!!\(o^▽^o)/

鐘の供養をしたいと申し出た白拍子に、能力は舞って見せるなら~とあっさり許可してしまいます(あらあら~)。

そして、白拍子が烏帽子をつけて舞い始めます。「乱拍子」という独特の舞です。

長くなりましたので、つづきはまた明日に。

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第95回粟谷能の会 事前講座

3月に拝見する予定の第95回粟谷能の会(喜多流)の事前講座に行って参りました。
今回は「道成寺」がテーマ、初の夜開催、また、小鼓方大倉流宗家・大倉源次郎さんというビッグなゲストをお迎えするということで、これは絶対に行かずにはいられない!会社を早退して国立能楽堂の大講義室に駆けつけましたよ~。

前半は、今回、道成寺でシテを勤められる粟谷明生さん、明生さんのお弟子さんで私の朗読のお師匠さまでもある女優の金子あいさんによって、道成寺という作品のあらすじや見どころ、シテを演じるにあたっての意気込みなどが語られました。

道成寺を年に2~3回は観ているワタクシですが、演者さん自身からお話を伺う機会は滅多に無いので、初めて知るお話がてんこ盛りで目からうろこが落ちまくりでした。

「鐘入り」ではシテの足がすっぽり隠れるような入り方、すなわち鐘が落ちるより先にシテが落下しないよう飛ぶことが良しとされています。そりゃ頭ぶつけないように飛び込むのは至難の業だろうな~足見えちゃっても仕方ないよな~とこれまで思っていたのですが、明生さん曰く「頭にガーンと衝撃があったら、きれいに飛べている」・・・そうだったのか!ちょっとどころじゃなくしっかり頭ぶつけてるんですね。こりゃビックリ w(゚o゚)w キレイな鐘入りは見たいですけど、どうかお怪我なさいませんように~~~。

後半は小鼓の大倉源次郎さんもトークに加わり、主に「乱拍子」について、流儀による違いやシテと小鼓が呼吸を合わせるそのヒミツなどが語られました。

小鼓方四流の中で幸流だけは「よっ」ボン「ほっ」ボン、みたいにかけ声が短い。今回は大倉流で「ぃよぉーーーーっ」ポン「ほぉーーーーっ」ポン、みたいな感じでかけ声が長くなります。そのためシテと小鼓の呼吸の合わせ方や間合いが大きく異なってくる。なるほどーーー。同じ乱拍子でも何か雰囲気がだいぶ違うと感じたのはそのせいもあったのか。

シテ方や狂言方の流儀の違いは巷でもよく話題に上るし、舞台を観ていてなんとなくわかることもありますが、囃子方やワキ方の流儀の違いは正直これまであまり意識することがありませんでした。しかし、お話を聞くとこんなにまでも違っていてそれが他の役にも大きな影響を与え、全く異なった舞台を生み出すのだということがわかり、こりゃオモシロイ。これからもっと注目して観ようと思いました。

喜多流では幸流の小鼓での道成寺が通例だそうで、明生さんも初演は幸流であり、二度目である今回はぜひ大倉流で!と望まれ豪華共演が実現する運びとなりました。ラッキー\(^O^)/

その他にもたくさんのお宝話が飛び出しましたが、長文になりすぎるので以下省略します(*-∀-)ゞ

「美」と「妖」が交錯する雰囲気、乱拍子に続き急の舞となり、蛇となって鐘に飛び込むその変化を見て欲しいと明生さん。「精神は高め時間は短縮される演出」を目指す、と締めくくられ講座は終了しました。事前講座により演目に関する理解が深まり興味がいっそう掻き立てられ演者さんたちの意気込みもしっかり伝わってきて参加して良かったです(*’▽’*)アリガトウー!

精神が高まることでまた濃厚な舞台が生まれるのでしょう。3月2日の「道成寺」では、1年前の粟谷能の会の「船弁慶」で感じた、演者のエネルギーを観客が受け取り、舞台と見所が一体となる感覚をまた味わいたい、いやそれ以上のもの凄いことが起きるに違いないと大いに期待しております!!

第95回粟谷能の会 事前講座
2014年2月12日(水) 18:00~19:30 @国立能楽堂 大講義室
<出演>
粟谷明生さん(シテ方喜多流)
大倉源次郎さん(小鼓方大倉流宗家)
金子あいさん(女優)

※主催者および出演者に写真撮影および掲載の許可を得ています。

60名以上のお客様がご来場。
60名以上のお客様がご来場。
最前列に陣取りました。
最前列に陣取りました。
進行役の女優の金子あいさんと、道成寺のシテを勤められる粟谷明生さん。
進行役の女優の金子あいさんと、道成寺のシテを勤められる粟谷明生さん。
 明生さん、道成寺を勤められるのは2度目だそうです。お父様の菊生さんは生涯1度だったそうです。初演の演技を振り返り二度目に臨む決意を語ります。
明生さん、道成寺を勤められるのは2度目だそうです。お父様の菊生さんは生涯1度だったそうです。初演の演技を振り返り二度目に臨む決意を語ります。
 道成寺のあらすじを紹介するあいさん。
道成寺のあらすじを紹介するあいさん。
 鐘を作る話が興味深かったです。鐘(に限らず道具は全て)は能楽師さんらが自ら手作りします。木製で周りにわらを巻き、竹で土台を作って布を被せて縫い付けます。最初から作ることもありますが、途中まではできていて、5~6人で2日ほどで完成。
鐘を作る話が興味深かったです。鐘(に限らず道具は全て)は能楽師さんらが自ら手作りします。木製で周りにわらを巻き、竹で土台を作って布を被せて縫い付けます。最初から作ることもありますが、途中まではできていて、5~6人で2日ほどで完成。
 大倉源次郎さんがトークに加わります。大倉流の宗家というので高嶺の雰囲気を想像していましたが、お話も上手で親しみやすく気さくなお人柄。
大倉源次郎さんがトークに加わります。大倉流の宗家というので高嶺の雰囲気を想像していましたが、お話も上手で親しみやすく気さくなお人柄。
 小鼓を実際に鳴らしていただきます。音の種類が4種類ありチ・タ・プ・ポと表現されるなど実演付きで解説。
小鼓を実際に鳴らしていただきます。音の種類が4種類ありチ・タ・プ・ポと表現されるなど実演付きで解説。
 左手の握り方と、右手のどの指で(何本で)打つかで、音の種類が決まるわけですね。
左手の握り方と、右手のどの指で(何本で)打つかで、音の種類が決まるわけですね。
 打つ姿があまりにカッコいいので何枚も撮影してしまいましたぁ~(*´▽`*)
打つ姿があまりにカッコいいので何枚も撮影してしまいましたぁ~(*´▽`*)