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古今狂言会

本日は野村万蔵さん・南原清隆さんの「古今狂言会」を拝見しました\(^O^)/

お二人が十年間取り組まれていた現代狂言シリーズから生まれた新しい形の公演の東京初お目見え。プロの狂言師である万蔵さん、万之丞さんと共に、南原さん(ナンチャン)を筆頭とするタレントさん・役者さんたちが古典や新作の狂言を演じられました。

一緒に観た友人が「タレントさんも上手だったけど、本物の狂言師さんは歩き方や発声が全然違うねー」と申しておりました。彼女は狂言は数えるほどしか観たことがないのに、おぬしなかなか見る目があるな!と感心しました(笑)

今回特に楽しみにしていた、ナンチャン作の新作狂言「AI」(エーアイ)は、ナンチャンが仕事をサボりたがる太郎冠者、万蔵さんが人間型お掃除ロボットという配役。

万蔵さん扮するAI(人工知能)お掃除ロボットが、セリフも動きも可愛らしくてめっちゃ微笑ましかったです(*^o^*)。発声もセリフもあまり狂言っぽさを感じさせなくそれがかえって新鮮でした。

また、お掃除ロボットには体力的にハードであろう動きが多く、かなりお身体をはっておられました(^◇^;) 冒頭に茸(くさびら)みたいなキノコ歩き(しゃがんだまま素速く歩く)にて登場したので、友人は「何かに乗って移動してきたのかと思った!」とビックリしていました。

ナンチャンも十年間、現代狂言で修行(?)しただけあって、堂に入った太郎冠者ぶりでとてもお上手でした(^o^)

「AI」はもう最初から最後まで面白くて笑い通しだったんですが、現代社会への風刺・未来への暗示も感じられました。何かの番組で、あるAIを設計した技術者が、プログラミングした自分自身でさえもこのAIが今後どういう行動をするのかもはや予測不可能になっている、と言っていたのを思い出しました。怖いですね〜(^_^;)

古典狂言の「口真似」「六地蔵」にも遊び心のあるアレンジがあり、最後は普段の狂言公演では行わないカーテンコールもありました。お客さんの誰もが笑顔でした。たくさん笑って楽しい会でした。また行きたい!

萬狂言新春特別公演 野村萬 米寿記念

萬狂言新春特別公演 野村萬さまの米寿記念公演を拝見して参りました。
今回は萬さまの記念の会ということで、当然ながら萬さまの三番叟が核ではありましたが、もう一つの特徴としては全体を通じて「演出」にこだわった内容になっており、たいへん興味深く鑑賞いたしました。

三番叟〈式一番之伝〉

お正月などに上演されるいわゆる「翁」は正式には「式三番」という名称です。演劇ではなく祭礼として行われる儀式的演目で、もともとは「父ノ尉」「白式尉(翁)」「黒式尉(三番叟)」の三番立てであったため、式三番と呼ばれていましたが、じきに、父ノ尉が省略され、現在ではシテ方が演じる「翁」と狂言方が演じる「三番叟」の二つのみが残った形で上演されています。

今回はさらに翁が省略された、三番叟のみの演出でした。しかしながら、三番叟のみ抜き出したというものではなく、一番のみで儀式として完成されたものに作られていました。

三番叟を演じる萬さまが真っ白な装束をお召しになり、正面に向かって拝礼後「どうどうたらり〜」と謡い始め、その後に千歳の舞、三番叟と続き、一見すると翁と三番叟のミックスのようでしたが、これは通常であれば翁の役が演じる太夫(司祭役)を、この演出では三番叟の役が演じるという位置づけだそうです。ちなみに地謡も全て狂言方が勤めました。

珍しい演出はもちろんですが、やはり88歳になる萬さまが三番叟という動きの激しい役を演じるというところに興味が注がれます。昨年4月に開場した銀座の観世能楽堂でのこけら落とし公演でも、本来であれば人間国宝の萬さまが三番叟を踏まれるのが最も望まれるであろうところを、ご高齢という理由で息子の万蔵さんにお譲りになられており、最近では萬さまの三番叟を拝見する機会はなくなっていました。ですから、今回米寿の節目に萬さまの三番叟を拝見できたことは、我々ファンにとってもたいへん喜ばしいことでした。

激しく動いた後は多少呼吸が荒くなることもありましたが、足腰はいまだしっかりしたもので、まだまだ力強さと迫力にあふれていました。全身全霊をこめた舞が身体的な年齢をさほど感じさせないほど我々を圧倒する一方で、年齢を重ねることにより生み出される気品や神々しさが際立っていました。

千歳はお孫さんの万之丞さんがお勤めになりました。萬さまの円熟の芸に対して若々しく颯爽とした万之丞さんの舞を拝見していると、親から子そして孫へ脈々と芸の継承が行われてきたことを感じることができました。

元日の語

これは和泉流にしかない語りだそうです。萬さまのお孫さんである、拳之介くん、眞之介くんのお二人により晴れやかに語られました。天子の長寿の慶びを表す語りは、萬さまの長寿御祝いにふさわしい内容で祝賀ムードに華を添えました。

蝸牛〈替之型〉

これはよく上演される演目で、太郎冠者が主人に命じられてカタツムリを捕りに行くのですが、カタツムリを見たことがない太郎冠者は籔で一休みしている山伏がカタツムリではないかと問いかけたところ、山伏は自分こそが確かにカタツムリであると太郎冠者に信じ込ませてからかいます。「でんでんむーしむし」と言って囃すフレーズとリズムがとても愉快で何度観ても楽しいお話です。

今回は野村又三郎家に伝わる演出〈替之型〉で、主人と太郎冠者の設定が兄と弟になっていました。シテの山伏は野村又三郎さん、カタツムリを探しに行く弟の役はまだ中学生の奥津健一郎くんが勤めました。

特に子どもが演じるという演目ではないので、たまたま子どもに配役したんだな〜とぼんやりと思っていましたら、驚きの展開が!でんでんむーしむし、と囃す場面で、なんと又三郎さんが健一郎くんを持ち上げて肩車し、この姿勢のままでひたすら演技を続けたのです!こんなのは観たことがなくてたまげました!!

又三郎さんは中学生を肩車して笑顔で足踏みしつつ囃し続けるのは間違いなくきつかったでしょう。健一郎くんも肩の上で真っ直ぐに姿勢を保って囃し続けるのは想像以上に大変だったと思います。肩車も昔から伝わる演出なのでしょうか?だとすれば、演じられる人が限られる演出ですよね(^_^;

山伏の装束で梵天(結袈裟についているポンポンみたいなの)が真っ赤なのが印象的でした。梵天の色は身分を示していて赤は位が高いと聞いたことがありますが宗派にもよるのかな?

信長占い〈一管〉

昨年の7月に萬狂言夏公演で初演された、歴史学者の磯田道史さん作、万蔵さん台本・演出の新作狂言です。今回は〈一管〉という一噌幸弘さんの笛の演奏が入った演出でした。

信長が自分と生年月日が同じ人物を探したとされる史実に基づいたお話だそうです。元の話を知らなくても、信長と家康の関係性など歴史を知っていた方がより楽しめる演目と思います。装束もそれぞれのキャラクターにビッタリで良かったです。

信長の役は万蔵さん。派手な装束に付け髭をつけて暴君ぶりがものすごくハマっていました。実際にはやさしい方だと思いますけど(笑)。あぁ、そういえば先日には万蔵さんの月見座頭を拝見して感動し、座頭がハマリ役だと思ったばかりなのでした。芸域の幅が半端ないですね〜。ハマリ役といえば森蘭丸役の河野佑紀さんもお小姓役にぴったりなキレイはお顔立ちでしたわ〜。

信長シリーズの新作狂言、登場人物も増やして新しいバージョンもどんどん作っていただきたいです!

若菜〈立合小舞・新作下リ端〉

笑うところは特になく皮肉や風刺もないですが、お囃子が入って華やかさがあり、登場人物が嫌味のない良い人ばかりで、ほのぼのと謡と舞が主体で展開し、春の雰囲気に包まれ幸せな気分になれる演目です。今回は万蔵さんの新演出だそうです。

萬さまの海阿弥、万蔵さんの果報者という配役。万蔵家の他に、野村又三郎家、三宅家、井上松次郎さんら和泉流の他家の皆様も大原女としてご出演され、華麗な舞の競演、装束もそれぞれ異なる色で9名が並ぶととてもカラフルで綺麗でした。

大原女が次々と舞い謡う間、にこやかに控えていた萬さまが、最後に謡い舞う様子にうっとり見惚れておりましたが、終盤で片足けんけんする型をなさったのにはびっくり!三番叟という大仕事の後に、まだまだそれだけの余力があったのには驚かされました。これからもまだまだお元気にご活躍いただけそうです(*^_^*)

萬狂言 秋公演

ファミリー狂言会の後は、萬狂言 秋公演を拝見しました。以下、感想など。

小舞

野村万蔵さんの3人のご子息による小舞三番。若々しくそれぞれの個性が出ていてとても良かった。「鮒」はとても難易度が高そうだった。三番叟を披かれた万之丞さんはどんどん難しい曲に挑戦していくのだろう。今回もお稽古の成果が十二分に発揮できていたと思う。

萩大名

この演目は何度観たかわからないほど度々観ている。しかし配役によって毎回違った印象を受けるので何度観ても面白いと思う。大名がアホすぎてオチはわかっているけどやっぱり笑ってしまう。太郎冠者が教養高くて賢いっていうのがちょっと珍しい。

休憩時間に国立能楽堂の中庭に出てみたら折良く萩がたくさんの花を咲かせていた。しかも、萩大名に出てきたミヤギノハギ。なんとタイムリーな!

鳴子

これを観ただけでも来た甲斐があったと思うくらい素晴らしかった。野村萬さまと万蔵さん親子の太郎冠者と次郎冠者。主人に命じられて稲穂実る山の田に群鳥を追いにやってくるが、主人が差し入れてくれた酒を呑み、酒盛りが始まって謡ったり舞ったりのお決まりパターン。

しかし、他の演目と違うのは二人の連吟や連舞という芸を楽しめること。二人交互に舞い謡うならよくあるかもだけど、一緒にというのがポイント。二人仲良く並んで、向かって右側の太郎冠者と左側の次郎冠者が鳴子を鳴らしたり、揃って舞う姿は美しいシンメトリーであり祭礼的な神々しさすら感じさせられる。脇正面席で観ていたが、今回は正面席にすればよかったとちょっぴり後悔した。

酒盛り芸で好きな演目は「木六駄」だが、主人に命じられて仕方なく冬の雪深い山道を牛を追わなくちゃ行けないなどの厳しさがある。「鳴子」は季節が秋で田園風景が広がり、人間関係でギスギスしたものが一切無く、この上なくほのぼのとしている。平和を乱すのは稲穂を狙う鳥くらいだ。それも二人の鳴子によって追い払われる。また平和が戻って優しい時間が流れていく。

主人の役は万之丞さん。三世代の共演。働く二人をねぎらいお酒を差し入れる優しいご主人様。こういう上司がいたらいいよね。それでもなかなか帰って来ない二人が酔い潰れて眠り込んでいるのを発見して追い込むパターンはおなじみ。見つかってこれはシマッタという顔で逃げ出す万蔵さんと、あぁバレちゃった〜でもまぁいいよね(てへぺろ♪)みたいな余裕の笑顔で逃げる萬さま。毎回この笑顔にやられっぱなし(主人も観客も。笑)。

引く物尽くしや名所尽くしの長い謡だとか、鳴子を持って拍子を踏んだり浮き廻りを繰り返したり、体力が要ること間違いなしのこの芸を、いかにも楽しそうに謡い舞うというのは、よほどの技量が必要だろう。

「鳴子」を観たのはおそらく初めてだけど、この二人で観てしまったので、次に別の配役で観てもなかなか満足できないかもしれない。

合柿

柿売りが甘い柿だと言って参詣人らに売ろうとするが、試しに食べさせた柿が渋柿で、柿売りが食べてみてそれが甘かったらカゴごと買ってやるという参詣人らに、食べたらやっぱり渋柿で柿売りはそれを甘いように振る舞うがごまかしきれず、最後は参詣人にどつかれて売り物の柿もばらまかれて終わる話。

これ結局どっちが悪いのかな?柿売りが渋柿と知っていながら甘いと騙して売りつけようとした?それとも柿売りには悪気はなく試したのがたまたま渋柿で参詣人らが過剰なイジメをした?
柿売りは渋くてもとにかく売れればいいとズルい考えを抱いていたかもだけど、最後のしっぺ返しには多勢に無勢の感があり、ちょっと柿売りに同情してしまった。柿売りを演じた万禄さんが難しい役柄を好演。


秋を感じさせる演目の数々、甘い話も苦い話も楽しゅうございました。ごちそうさまでした。

萬狂言 ファミリー狂言会 秋

萬狂言 ファミリー狂言会に初参加しました。以下、感想など。

柿山伏

近頃は小学校6年生の教科書に載っているとのこと。私が小学生の頃には「附子」が載っていた。
「附子」はストーリーが滑稽で単純に面白いと思うが、「柿山伏」の場合は動物の鳴き声(それも昔の表現)が出てきたりするので、言葉の面白さが小学生の好奇心をそそるのではないかな。

小笠原匡さんの解説

「首引」の解説で、鬼がかける狂言面を実際につけて鬼が人間を怖がらせる演技。小笠原さんが「どうです?怖いでしょう〜〜」と言うと子どもたち「怖くないーー笑」。子どもは正直だな(笑)。次にやはり同じ面をかけて今度は情けない演技。先ほどの怖い鬼と対比すると全く違う印象に、場内からほおぉーーと感嘆の息が漏れる。

次に「首引」に出てくるセリフをみんなで大きな声で言ってみるお稽古。小笠原さんが見本をやって見せ、後について復唱。小笠原さんが「これは嬉しそうに!怖そうに!痛そうに!」と言うんだけど、なかなかオーバーな表現は難しいみたい。やっぱり恥ずかしいのかな。

小笠原さんは観客をノセるのがとても上手い。子どもたちも楽しげに前のめりになって体験を楽しんでいた。

首引

人を喰らう恐ろしい鬼も可愛い娘には親バカになってしまうところが、鬼なのに人間くさくて可愛らしい。そういえば、「人くさい」という言葉は狂言では「美味しそうな人間のにおいがする」の意味と解説されていた。狂言に出てくる鬼は人間以上に人間っぽいところがあって面白い(人間の方がよっぽど鬼かと思うことがある)。

小鬼たちが姫鬼を加勢する場面のかけ声「えーいさらさ、えいさらさー」を一緒に声出していいですよ、と事前に小笠原さんに言われていたので、子どもたちの中には一緒にかけ声を掛ける子も。

上演後に「鬼が怖かった人ーー、可愛いと思った人ーー」と聞かれて、みんな「可愛いーー♡」と答えていた。この後、「えーいさらさ、えいさらさー」がしばらく頭を離れなくなる。

狂言たいそう

実はひそかにこれを楽しみにしてきた。河野佑紀さん始め、若手の狂言師の皆さんが舞台上に勢揃い。まず小学生までの子どもたちがその場で立つように促される。それ以外の大きい人達は場所が空いていたら立つ。

河野さんから個々の歌詞や動作の説明があって、音楽がかかる。おぉーー、音楽があるんだ!?と楽しい気分になってくる。歌は万蔵さん!手持ちのプログラムを見ると歌詞も万蔵さん作。振り付けは歌のおにいさんの佐藤弘道さんと一緒に作ったんだって。

大人は誰も立っていなかったので座席に座ったままで一緒にたいそうした(本当は立ちたかった。笑)。狂言の台詞や動作がたくさん入っていて楽しかった。全国の小学校で流行らせたいな。

初めてファミリー狂言会に参加したが、子どもたちのお行儀が良い。騒ぐ子は一人もいなかった。大人の言うことをよく聞く良い子ばかりだ。でもちょっとおとなしかったかな。

私の前列に座っていた小学校高学年の男の子が終始とっても楽しそうだったんだけど(彼のワクワク感が伝わってきた)、隣のお母さんの顔色を気にして立ち上がる勇気が出なかった様子。お母さんが笑顔で「ほら立ってやってごらん」と促せば彼はきっと立ち上がって楽しくたいそうしただろう。

シャイな子どもも多いから、大人が率先してノリノリで楽しむところを見せた方がいいんじゃないかなと思った。場合によっては大人も一緒になってたいそうする。ほらお父さん、お母さん、恥ずかしがらずにご一緒に!


ファミリー狂言会とても楽しかったです。お子様はもちろん、演目も解説もわかりやすいので、狂言初心者の大人にもお勧めと思いました。

萬狂言 秋公演につづく。

萬狂言特別公演 六世野村万之丞襲名披露

萬狂言新春公演を拝見しました。

野村万蔵さんのご長男・虎之介さんが六世野村万之丞襲名を披露なさる特別公演であり、また、万蔵さんの3人の息子さんがそれぞれ三番叟、奈須与市語、千歳の披キ(=重要な曲を初演すること)というたいへん豪華な公演でした。

いつでもお披きのお舞台は、拝見する私共もワクワクしながらも緊張が伝わってくるようでつい手に汗をにぎってしまいます。今回もそのような複雑な思いで舞台を見つめます。

しかも、正面席の最前列という幸せ。この歴史的瞬間をしかと眼に焼き付けますぜ!という気分です^^

万之丞となった虎之介さんの三番叟は、名家に生まれて伝統を受け継いでいくという、背負うものの重さをしっかりと受け止め覚悟を決めたかのように思える、非常に気迫に満ちたものでした。

重圧による緊張は極限に達していただろうと想像しますが、進行と共にノリが良くなり、この大舞台を楽しんでいるようにさえ見えてきて、初めてとは思えないほど堂々とした素晴らしい三番叟でした。

同様に次男の拳之介くんの奈須与市語も、これまた初めてとは信じ難い堂に入った熱演であり圧倒されました。

三男の眞之介くんの千歳は一所懸命さが伝わってきてとても初々しかったです(*^o^*)

3人ともきっとお稽古をそれこそ死に物狂いで重ねてきてものすごく頑張ったんだろうな~と胸が熱くなりました。

この貴重な経験を糧にして大きく羽ばたいてくれることでしょう。

ほかにも野村萬さまを始め豪華な出演陣での狂言、小舞、舞囃子など豪華なラインナップで大満足。

最後に上演された「歌仙」は、和泉流固有曲ですが、和泉流の他家の方々や大蔵流の方々が共演され、元々登場人物が多くお囃子や地謡も入って華やかな曲ではありますが、万蔵さんのアイディアでさらにわかりやすく面白く改作されており、ご出演の皆さまのキャラも立っていてたいへん楽しく拝見しました。

ところで、歌仙はおめでたい曲として位置づけられていると本で読みましたが、以前に観た時には、喧嘩して終わる話なので、これっておめでたい話なの?と素朴な疑問を感じていました。

ところが今回は、さっきまで喧嘩していた歌仙たちが一緒にピョンピョンと飛び跳ねながら退場するエンディングが意表をついていて笑いが止まらず、ともかく楽しい気分でお開きとなったのでたいへんヨカッタです(^o^)

萬狂言 秋公演

萬狂言の秋公演を拝見いたしました。

袷の着物がちょうど良い気温となり、週末としては久々の雨の心配がない日で、いそいそと出かけましたよ(^^)

「樋の酒」は鉄板の面白さ。野村萬さまの太郎冠者が主人に叱られてもまだなお酒を飲もうとするシチュエーションは幾度となく拝見してきた場面ですが今回もまたイタズラっ子ぽい笑顔にやられましたわ〜(*´▽`*)

大蔵流との異流共演「茶壷」。流儀が異なるとかなりの難しさがあると万蔵さんが解説でおっしゃっていましたが、観ている方には全くその困難さがわからないほど自然な掛け合いでした。
一方で、二人の男が同じ内容を語りながら一緒に舞う型にははっきりわかる相違があり、そこは流儀の違いなのでしょうね。でも、舞が違っていることでかえって面白く感じました。

河野佑紀さんの「奈須与市語」はお披きでした。
御本人はさぞや…ですが、観ているこちらも手に汗握る緊張、すっかり母の気分に^^; ともかく最後まで無事に勤められて安心いたしました。
とても良い経験になったと思いますので、今後のご活躍を期待してます^^*

「釣針」は、文楽にもこの狂言が基になって作られた「釣女」という演目があります。
主人の妻を釣ったら美女だったので、太郎冠者も負けじと妻を釣るのだがそれが醜女だった、という筋はあらかた同じなのですが、狂言では美女の方は観客に顔を見せないんですね(文楽では美女の顔を見せます。歌舞伎ではどうなの?)。
美女の狂言面って無いのかしらん?でも、醜女の演技を通じて、あっちは美女なんだって思わせるのはさすがです。

同行の友人はこの日の午前に行われたファミリー狂言会も観て、チビッコたちに混じって狂言たいそうにも挑戦してきたそうで、とても楽しかったと言っていたので、次は挑戦してみようかな!

「大田楽」 萬狂言 特別公演 ~八世万蔵十三回忌追善~

能楽堂では初めての上演となる「大田楽」を拝見いたしました。

「大田楽」とは?
能狂言より古い時代に存在した田楽という芸能を題材に、八世野村万蔵氏(五世野村万之丞氏)が構成演出の指揮を執り能楽界を始め様々な分野の演劇人、音楽家、研究家の方々と共に2年間の歳月をかけて創り上げ平成2年に完成させた古くて新しい芸能。
その後、各地に広がり定着。市民参加にまで裾野が広がり26年経った今でも上演が続いており、海外公演も行われている。

この度、万之丞さんの十三回忌追善の会にあたり、原点に立ち返り、初演時に出演した能楽師の方々を再び迎え、万之丞さんの実弟である九世万蔵さんが演出し、現在各地で大田楽を継承・上演されている方々と共に、国立能楽堂で上演する運びとなったそうです。

ワタクシ「大田楽」は映像でしか観たことがなく、しかも能楽堂で初演時のメンバーが再結集ということで、かなりワクワクでございました o(^-^)o

まず、能舞台上に一畳台、大太鼓などが運ばれてきて置かれ、道成寺の鐘を吊す滑車に、神社の鈴が吊られました。(その時、ワタクシは「鈴後見…」という言葉が頭に浮かんでました。どうでもいいですが。笑)

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脇正面席後方の扉が開き、田楽法師一行が隊列を組んで音楽を奏しながら客席の通路を行進してきます。すぐ脇を通っていく演者の皆様を目のあたりにし、否が応でも胸が高鳴ります♪

全員が能舞台に収まるのか!?という大人数が次々と入場。もちろん一度に全員が本舞台にのることはできないので、本舞台の他、橋掛かりや客席通路もまんべんなく使ってパフォーマンスするような形。

複数名の踊り手たちが繰り広げるダイナミックな踊りは、舞台から落っこちてしまうのでは!?と心配になるほどスピード感と躍動感にあふれるものでした。

万之丞さんの一番弟子である小笠原匡さんが踊った番楽は特に躍動感あふれる踊りでとてもカッコ良かった!小笠原さんは大太鼓も打っていて、なんてマルチタレントなの~と思いました。

野村万禄さんの勇壮な王舞。緋の装束に天狗の面をかけて鉾をかざして仁王立ちし後ろに大きくのけぞるポーズを何度かなさったのがとても印象的でした。

色鮮やかで巨大な獅子頭(6キロ近くあるそう!)を操って跳んだり跳ねたり激しく踊る獅子舞はとても豪快でした。
二頭の獅子はシテ方の片山九郎右衛門さんとワキ方の宝生欣哉さんです。初演時には青年だったお二方も26年たって年齢を重ねられ、失礼ながらちょっと心配でした(^_^; しかし初演時には赤坂日枝神社の大階段を登りながら舞った(!)とのことですから、それに比べれば楽勝だったのでは!(笑)

白装束に翁烏帽子姿の田主(一行の長)役である野村萬さまが能舞台後方の台座に着席され、それはそれは高貴で神々しいお姿でした。
萬さまの読み上げる奏上、万之丞さんの功績を称え今なお伝え継がれんことを慶び田楽の開催を宣言する、といったところでしょうか。萬さまの謡がかりで美しい読み上げ声が静まりかえった場内に荘厳に響きました。

稚児舞。二人の稚児は万蔵さんと小笠原さんのご子息方が演じました。橙色と緑色の装束が色鮮やかで可愛らしい♡ でもさすが普段から数々の舞台をこなしているだけあり、きっちり堂々と舞っていました。

万蔵さんの三番叟。翁の三番叟のように黒い面をかけて黒装束。手足に鈴をつけておりました。かなり複雑なリズムで軽快かつ勇壮に足拍子をテンポ良く踏んでいきます。途中で笛の一噌幸弘さんが三番叟にすり寄っていくようなシーンもありユーモラスで面白かったです。

普段は紋付袴姿のお囃子方の先生方が色とりどりの花笠や装束を身にまとっておられたのも見目麗しく新鮮でした^^*

楽器の種類も多種多様。大鼓、小鼓といった能楽でお馴染みの楽器のみならず、腰鼓、編木、銅拍子といった珍しい楽器や、笙や篳篥などの雅楽の楽器、大太鼓。賑やかに囃して祭りを盛り上げます。笛は能管でなくて篠笛?龍笛のようにも見えました。

各地で大田楽を継承されている方々の番楽、日体大の方々のアクロバット、京劇俳優の変面など、次々と繰り出されるパフォーマンスがどれもこれも素晴らしくて、歓声や拍手が起こって会場が沸き、観る方もどんどん気分が高揚していきます。

最後は総勢の群舞となり、土蜘蛛ごとく千筋の糸が客席に向かってまかれ、ワタクシ共、前方席ゆえ両手を差し上げて糸を掴もうとしちゃったり、糸まみれになりながらも満面の笑顔でございました(笑)

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蜘蛛の糸まみれになり喜ぶ我々(笑)

田楽法師一行は再び隊列を組み、舞台を降りて客席の通路を行進して退場します。
名残惜しいとばかりに拍手・拍手・拍手。ワタクシ、長年の能楽堂通いでも、あれほどの割れんばかりの拍手の音をいまだかつて聞いたことはありませんでした。

拍手いつまでも鳴り止まず、いったん退場された万蔵さんと萬さまが再び舞台上におでましになり、観客にご挨拶をなさいました。
萬さまの「後ろで座って見ていながら長男の短く太い人生を追憶することができた」というお言葉には胸が熱く…(;_;)

関わってこられた皆様方の万感の想いが込められた大田楽、実に楽しく感動的な一大エンターテインメントでした。

天国の万之丞さまもきっと楽しんでご覧になっておられたことでしょう。(^_^)

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狂言ござる乃座53rd

本日は能楽堂が初めてという友人と共に「狂言ござる乃座53rd」@国立能楽堂へ。初めての人を能や狂言にお連れする時は気に入って頂けるかどうか非常に気になります。その点、狂言というのは能より親しみやすいと思うので最初の一歩としてはまずよろしいのではないかと。

「梟山伏」
シテ(山伏)は萬斎さまのご長男・裕基くん。この演目は狂言らしい定番曲で素直に笑えます。
梟に取り憑かれた男の兄に頼まれて加持祈祷をする山伏ですが、兄や終いには山伏自身にも梟が取り憑いてしまう。ミイラ取りがミイラに。三人が発する梟の鳴き声や梟っぽい仕草などとても笑えるんですがシュールな怖さも感じます。
裕基くん、ちょっと見ないうちに大人の声になっていました。少し前までは少年の声だったのに。日々成長しておりますね。

「見物左衛門」
シテは萬斎さま。これは狂言では珍しい全くの独り芝居です。公演プログラムによると難曲・稀曲とありましたが、ごく最近見たような気が・・・。そう、昨年の10月に万作さまシテで拝見したばかりでした。でもその時には確か相撲見物のシーンがあったのに今回はなかった。
前回を思い起こすと「深草祭」、今回は「花見」という小書で全く内容が違うのだそうです。要は見物左衛門という男がいろいろ見物して回るただそれだけの話です。「花見」は一人で京都の名所を巡って花見をし酒を飲み謡ったり舞ったりひたすら気ままに過ごす一日の話です。特に笑いの要素はありません。これといったストーリーはなくシテの芸を楽しむ演目と言えます。たった一人で観客に情景を想像させなければならないのは難曲たる所以ですね。
私は小謡や小舞がとても好きなので、こういった曲は大好物で今日もとても楽しめたのですが、やはり万作さまの深草祭の方がより味わい深く感じられたように思います。深草祭は笑いの要素もあったように記憶しているので取っつきやすかったというのもあるかもしれません。
萬斎さまが「入り込むまでに少々忍耐がいる」と述べられていたのはその通りだと思いました。友人は狂言にこのような類の笑いなしの演目があるとは知らなかったとの感想でした。でも感触は悪くなかったようです。さあ次へ。

「鬮罪人」
シテ(太郎冠者)は萬斎さま。怖い主人が出てくる「三主物」の一つです。めったに出ない曲ではあるが何度も勤めていると萬斎さま。
怖い主人を演じたのは万作さまでしたが、これが本当に怖かった!!出しゃばりの太郎冠者が最初は主人に諫められているところ客たちの支持も得てどんどん調子にのり、終いに主従の立場が逆転してしまうのですが、それでも圧倒的な怖さで太郎冠者を封じ込める主人の迫力が凄かったです。舞台で怖い万作さまはあまり見たことがないのでちょっと新鮮でした。
萬斎さまが、万作さまはとても厳しくてお稽古の時に扇が飛んできたりするというお話されていたことがあり、今日の太郎冠者の主人に対するビビり方(何度も腰を抜かしてました)は、子どもの頃にお父様から受けた怖い印象の経験が生きているのかしらんと思ったりしました(笑)
友人は万作さまのことを初めて知ったそうですが、他の演者を超越する芸格の高さを肌で感じた様子でした。

三番のそれぞれ趣の異なる狂言を観て、友人も気に入った様子でまた行きたいと言ってくれました。能や狂言に親しんでもらうには最初が肝心なのです。最初のお役目は無事果たせたとホッと胸をなでおろしました。

第99回粟谷能の会 事前鑑賞講座 写真コレクション

第99回粟谷能の会 事前鑑賞講座
2016年2月22日(月) 18:30~20:00 @国立能楽堂 大講義室
<出演>
粟谷明生さん(喜多流シテ方)
森常好さん(下掛宝生流ワキ方)
金子あいさん(女優)

※主催者様および出演者様より写真撮影および掲載の許可を頂戴しております。

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「融」のシテを勤めた喜多流の粟谷明生さん。司会の女優・金子あいさんは、公演当日に能鑑賞案内のお話も担当なさいました。
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名所教えについて地図と照らし合わせて説明。能では事実と異なる方角を示していたりするが、必ずしもリアルである必要はないのでOK!
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ワキの旅僧を勤めた、下掛宝生流の森常好さん。謡いの漢字の意味を強く意識すると情景と結びつかなくなるので、漢字の意味を消す謡い方をするというお話や「文学ではなく能楽を観てください」というお言葉が印象的でした。
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老人が汐汲みをする型を実演する明生さん。型付け通りで無難に勝負しないのは自分の性に合わないし、こういうふうにもできるとかこう解釈できるな、と大きくして表現するのがシテ方としての面白いところだと語っておられました。
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友枝昭世さんが厳島神社の能舞台で、汐汲み場面で舞台のギリギリ端まですごい勢いで進んでいき、海に落ちると思って「あーーーっ」と言ってしまったというエピソードを語る常好さん。
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狩衣の着付け実演。常好さんに着せてもらうというレアな光景。
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「融」では袖は垂らしたままだが、「田村」では甲冑のような形にする。
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「田村」の甲冑袖、完成!
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「融」の後シテで通常使われる「中将」の面。中将は在原業平のこと。なので、眉間のシワは、モテすぎて悩んでいるシワだそうです(笑)
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替えの面としてこれもアリという「今若」。鬼の要素を含んでいる。当日はこちらが使われました!
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シカケ、ヒラキ の型を実演。ものを集めて解放する型。老人の場合はほとんど手をあげない。
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最後に記念写真。お疲れ様でした~。 (2016年2月22日 粟谷能の会 能楽鑑賞講座 終了後)

第99回粟谷能の会の鑑賞レポートはこちら ⇒第99回粟谷能の会

第99回 粟谷能の会

3月6日(日)、第99回「喜多流・粟谷能の会」を拝見いたしました。先だって行われた事前鑑賞講座の内容を織り交ぜながら、感想を書きたいと思います。

今回は「白田村」(シテ:粟谷能夫さん)、「融」(シテ:粟谷明生さん)ということで、共通点の多い二つの演目。能の世界では重複することを「つく」と言い、同時に上演することを嫌うのだそうです。
これまで粟谷能の会ではいつでも上演する演目のバランスがとてもよく考えられていたと思います。しかし、今回は何故つく演目を選曲したのか?お二人とも60代となり「これからはやりたい曲をやる」という方向にシフトしたとのことでした。

とはいえ、最近では、テーマを決めて同じ傾向の演目を上演したり、他流間で同じ演目を上演し比較する企画など、似た演目を同時上演することは珍しくありませんし、また、共通点の中に埋もれた相違点を探し出すことも観る方としてはなかなか楽しい作業なので(少々オタクな趣味なのかもしれませんが。笑)、今回も大変面白く拝見しました。

「白田村」というのは「田村」という演目の小書(こがき=特殊演出)の一つだそうです。通常のタイトルに色の名前を付けて小書であることを表すのは喜多流独特の流儀のようです。今回はシテの装束がオールホワイトで一段と格調高い演出です。前場の童子からはピュアな、後場の坂上田村麿の霊からは神々しい印象を受けました。

「融」は世阿弥作で、「能らしい能」と言える曲だと思います。無駄なものを全て削ぎ落とし、この上なく美しい詩情にあふれた世界観を作り上げる。ここ数年、友人たちと一緒に粟谷能の会を観てきましたが、船弁慶、道成寺、正尊、安宅、と続きましたので、他の能の会を観ていない友人などには今回のような優美な能はかえって新鮮に映ったようです。

「白田村」と「融」の共通点について書きますと、前場で旅の僧(ワキ)が東国から京の都に上り、老人(シテ)がワキに名所を教えるところ(名所教え)はそっくりな設定です。また、旅僧の装束が着流し、後シテの装束が狩衣、女性が登場しない、などの共通点があります。

「白田村」は春の夕暮れ、若者が武勇伝をはつらつと語る、「融」は秋の夜、老人が昔を懐かしんで語る、と言った相違点もあります。ある意味、共通点が多い分、相違点がより際立ち、全く違った印象を受けるのも事実です。演じる方も意識的か無意識かはわかりませんが、「つかないように」ベクトルを逆に向けるようになることもあるのではないかと思いました。

名所教えの場面は「白田村」より「融」の方が多くの名所を紹介します。そのため「白田村」では名所教えがあっさり終わった印象がありました。「融」の方はじっくり何ヶ所も名所を教えるので、なんとなくこちらも教わっているような気分になってきます。

舞台上での方角は流儀により決まっていて、喜多流の場合は揚幕の方向が東となります。観世流などは逆に西になるそうです。方角が違うために流儀ごとの型に違いが生じるというお話は面白いと思いました。喜多流ではシテが登場して定位置についてから揚幕の方を振り返り月を見る型があり、観世流でやると月の方向が逆なのでおかしいことになります(明生さん談)。

ワキとシテが舞台上でそれぞれの方角に体の向きを変えながら、名所について語るのですが、その時、思わず私もその方向を見て、音羽山や清閑寺をまぶたの裏に思い描いていました。観客で埋め尽くされた見所全体が秋の野山や寺社に見えてきました。これまで能舞台上に自分の頭に描いたイメージを投影することはありましたが、観客席にまで脳内イメージが広がったことは今回が初めてで実に面白い体験でした。

「融」では常と異なる演出が多々見られました。例えば、ワキの登場は、通常ならば名乗り笛で登場し本舞台上に到着してから謡い始めるところ、今回は「思立之出」(おもいたちので)という演出で、揚幕が上がるとすぐに「思い立つ~」と謡い出して橋掛かりを歩みます。これは先日の「旧雨の会」で森常好さんがなさっておられたのをご覧になった粟谷明生さんが常好さんに今回も、とリクエストされた演出で、私もとても素敵な出方だなと思いました。

それと、早舞の時、クツロギという舞の途中で橋掛かりへ行き月を見てしばしお休みする演出、笛がいつもと異なる演奏をするところ。また、シテが最後に退場する際に揚幕の手前で本舞台の方を振り返って見るところ(明生さん曰く、未練を残しているのだそうです)など、いろいろな工夫や演出があって、「融」は元々面白い曲だと思いますが、いっそう興味深く拝見しました。

後場が良かったという友人が多かったですが、私は前場がとても良かったと思います。先ほど述べた名所教えの場面で世界がワイドに広がる感覚を得たことや、老人であるシテが変わってしまった自分を嘆く気持ち、喪失感のような思いが、謡い、仕草、表情(面の角度)から切ないほどによく伝わってきました。
また、森常好さんと粟谷明生さんの美声(私が現役能楽師二大美声だと勝手に思っていまして。笑)には、今回も惚れ惚れさせられました。

ところで、ワタクシこれまで能をたくさん観てきましたが最近何となく気になっていたこと、・・・それは「心が震えるほど感動することが極端に少なくなった」ということです。その答えの一つが、今回の「融」を観て導き出された気がしました。

事前講座に参加したり、演者に直接お話を伺ったりして予め知識を得ておくことは、普通なら難しく感じる点が理解しやすくなる手段としてはとても良いのですが、あまり手の内を知ってしまうと感動が薄れてしまうというのも少しあるのかなと思いました。
きっと今回の「融」は何の予備知識も無く見ていたらビックリの連続だったんじゃないかな、と思いまして。そして終わった後にスゴイもの観ちゃったな~という感動が押し寄せてきたのではと思うのです。だけど、観る前にいろいろ知っておきたいという思いも捨てがたく・・・。

知りたい欲求と、感動したい欲求のせめぎ合いで、落とし所が難しいところです。事前鑑賞講座は明生さんとゲストのトークが毎回とても面白いですし、初心者よりは能をよく見ている人にとって興味深いお話がたくさん出てくるので、講座それ自体は非常に価値があると思うんですよね。だからこれからも講座には参加するつもりです。その代わり、森常好さんが仰っていた「言葉の意味に囚われてはいけない。自分でイメージして感じることが大切」というメッセージは本当にその通りだと思いますので、忘れずに心がけて行ければいいのかなと思います。

狂言「鎌腹」は野村万作さまがシテで、大部分が独り芝居であるため、味わい深い熟練の芸を楽しむことができました。和泉流の演出だからなのか万作さまだからなのかはわかりませんが、ちょっとしんみりしてしまい、友人の一人は「あまり笑えなかった」と申しておりました。

狂言といえば笑い、というイメージですが(実際、多くはその通りですが)、万作さまほどの芸域の境地に達すると、笑いに限定せず人間の内面を描写している演目の方がより真価を発揮なさる(このような言い方も僭越なのですが)ような気がして、また実際にそういう演目に出演なさることが多いので、ワタクシは万作さまに対してはいつでも笑いというより胸キュンです(笑)

ところで、揚幕を上げるタイミングはシテが決めるものですが、「鎌腹」のようにシテが追いかけられて橋掛かりに駆け出すような演目の場合は、客席の様子を伺って決めるのだそうです。客席がざわついていたり、いつまでも席に着かない観客がいるとなかなか幕が開けられないそうですよ(という話を今回初めて聞きました。時間が着たら勝手に始まると思っていましたが違うのね(;´Д`))。開演ブザーが鳴りましたら速やかに着席して静かにしませう(←ワタクシのことです。スミマセンでした<(_ _)>)。

能の場合はお調べが聞こえてくるのでこの後すぐに始まるな、とわかるのですが、狂言は突然幕が開いて始まりますので、能と狂言の間に休憩を入れない番組編成になりがちなのはそのせいもあるのかな、と思ったりもしました。

次回の粟谷能の会は100回という節目を迎え、大曲「伯母捨」と「石橋」(半能)が上演されます。次回はまたバランスを考慮した選曲となりましたね(笑)。噂によるとパーマヘアのお獅子が出てくるとか!楽しみにいたしましょう\(^O^)/

第99回粟谷能の会
2016年3月6日(日) 12:45~17:00 @国立能楽堂
<番組>
「白田村」 シテ 粟谷能夫
「鎌腹」 シテ 野村万作
「融」 シテ 粟谷明生

事前鑑賞講座の模様はこちら
第99回粟谷能の会 事前鑑賞講座 写真コレクション