文楽9月公演「一谷嫩軍記」第一部 イヤホンガイドについて考えてみた

文楽9月公演、通し狂言「一谷嫩軍記」。
第一部を鑑賞しました。(第二部は来週観劇予定)

この作品、ともかくお話が面白いし、技芸員さんたちの熱演も素晴らしかったので、基本的には十分に楽しめたんですけど、唯一残念だったのがイヤホンガイドの解説がしゃべりすぎで興ざめしてしまったこと。

<ここからネタバレを含むので第二部をこれから観る人はスルー推奨します>

文楽で語られるストーリーは、平家物語などで事実として伝えられよく知られた話に「実は…」と別の視点のエピソードを隠された真実として加えることにより、物語をより面白く壮大に脚色していたりします。

二段目の「組討の段」熊谷次郎直実が平敦盛を討つ場面。文楽では直実が殺すのは敦盛ではなく実子の小次郎となっております。その事実は「組討の段」の段階では明確には表現されません。三段目の「熊谷陣屋の段」でそれまでの伏線を全て解決した形で明らかにされます。

ところがイヤホンガイドでは第一部の幕切れで「第二部をご覧にならない方のために・・・」と前置きしたうえで、そのネタバラシをしてしまってました。(なんだよぅ~、第二部をご覧になる方のことは考えてないのかよぅ~(ーー;))

一緒に観に行ったドイツ人のマギーちゃんに聞いたら、英語ガイドでもネタバラシしちゃってたようで、そのせいで話がわかりづらくなったらしく、少し混乱していました。

古典なのだから誰でもストーリーを知っているもので、それをネタバレと憤るなんてナンセンスだと思う人もいるかもしれないけど、一部の段のみ上演するいつもとは違って通しで上演する今回は特に(本当は結末を知ってはいるんだけど)張られた伏線をたどっていって推測してみたり、先はどうなるんだろう~とドキドキしながら観る楽しみを(気分だけでも)味わわせてほしかったなぁ~と思ってしまいました。

そういえば以前に、史実を基にした朝ドラを母と一緒に観ていて「この人はこのあとこうなっちゃうんだよ~」などと母に教えたら「アンタはそういうことあらかじめ調べてしまうからドラマが面白くなくなる!!(*`H´*)=3(怒)」と憤られたことを思い出しました。反省しています・・・。

ところで、前回の5月公演では中央に横書き字幕に変更されていたのが、今公演では左右に縦書き字幕、に再び戻っていました。横書き字幕、なかなか良いと思っていたんだけど、どうして元に戻したのかなぁ~??(←これは不満ではなく単純に疑問に思っただけ)

第弐回 延年之會

和泉流狂言方、小笠原匡さんの延年之會に行って参りました。

狂言「昆布売」

召使いが出払っていて一人で出かけた大名が通りがかりの昆布売りに太刀持ちをさせようとするが、大名になぶられて腹を立てた昆布売りが太刀で脅して代わりに昆布を売らせようとし・・・。

小笠原匡さんのご長男、弘晃君が昆布売り、人間国宝の野村萬さまが大名の役です。
昆布売りが大名に謡節、浄瑠璃節、踊節などで売ってみよと次々と命令するのですが、二人がそれぞれに謡ったり踊ったりするのが面白いです。浄瑠璃節では三味線をマネる場面があり、三味線は比較的新しい楽器で狂言に出てくるのは珍しいような気がして、おや、なんだか新鮮、と思ってしまいました。

萬さまにお相手していただいた弘晃君、年の差は70歳くらいはあり、本当の祖父と孫のように萬さまが温かく包み込んで弘晃君を導き、弘晃君も緊張する様子を見せずのびのびと演じていました^^*

新作落語狂言「子ほめ」

酒好きの男がタダで酒が飲めると聞いてご隠居を訪ねる。ご隠居から人に酒を飲ませてもらうにはお世辞の一つでも言うようにと年齢を見た目より若く言うと良いなどと教わる。そして最近子どもが産まれたという知り合いの家を訪ねてタダ酒にありつこうとする。しかし、元々口が悪い性分に加えて教わったことに応用が利かない男はかえって相手を怒らせてしまい・・・。

落語の「子ほめ」をベースに、故八世野村万蔵さんが劇作・演出した新作狂言です。
小笠原匡さんは八世万蔵さんの一番弟子。師匠の得意曲でシテを演じられました。
私は落語には詳しくないのでイメージとして、少しばかりおバカでズレたキャラが出てきてトンチンカンなことをするというのは、いかにも狂言にありそうな話で、狂言の素材として落語は相性が良さそうです。

上演後の懇親会で九世野村万蔵さんにお伺いしたお話では、落語狂言は何曲かあるそうですが、狂言に合う演目とそうでないのもあるそうで、その中でも子ほめは一番しっくりくる曲じゃないかとおっしゃっていました。

また、演出で細部を変えたりするそうで、確かに今回もエンディングが常と変わっていたり、現代の言葉で洒落を飛ばすような演出がありました。落語自体が古典を現代風にアレンジしたり、客の反応などに応じてどんどん内容を変えていける類の演芸だそうなので、狂言の方も同じように自由に変化させやすいというのはありそうです。

狂言「木六駄」

言わずと知れた狂言の大曲です。以前にも木六駄については書いたことがあるので、あらすじについてはこちらをどうぞ。
萬狂言 冬公演 大倉流和泉流 異流公演 二題

私がまだ能の観始めで狂言は能と能の間に演じられるコメディと捉えていた頃、この曲を観て初めて狂言の演劇性や技芸の奥深さに目覚めたという演目です。以来、この曲が大好きになり上演される時は好んで観に行っています。

小笠原さんは今回この曲のシテを50代で初主演ということでした。野村万蔵さんが茶屋、野村萬さんが伯父を勤め華を添えます。

前半の牛追いのシーンは一人芝居で、雪深い山道の情景や言うことを聞かずに逃げたり動かなくなったりする牛をあたかも舞台上にいるように表現しないといけないたいへん技量の要る場面です。勝手な牛たちに翻弄されてへとへとになる様子はコミカルでもありますが、雪深さと寒さと周囲の静けさを感じさせるような情趣があります。

後半は茶屋との酒盛りがメインのシーンで、主人の酒に勝手に手をつけて酔っていくうちにだんだん気が大きくなり全て飲み干してしまい牛に運ばせてきた薪まで茶屋に渡してしまいます。この酒宴での茶屋との掛け合いはとても楽しい場面です。謡や舞も聴きどころ見どころで、特に相当酔って足をぐらつかせながら舞うのは見てる方は何の気なしに笑ってしまうのですが相当難易度が高そうです。

太郎冠者が行きたくないのにしぶしぶ牛を追っていて苦労する寒くて暗い大雪の山道の場面と、茶屋で酒を呑んで体が温まり最後には酔って気分まで明るくなる、という温度差を感じる展開が演劇的に面白いところだと思います。そして演じる方としては難しいところなんじゃないかと。

この曲はやはり年齢と経験を重ねないと難しい演目だと感じます。

万蔵さんも、相応の年齢になってから演じるのがふさわしい演目だが年を取ってから突然やれと言われてもできるものでないので、若いうちから慣らすために役を当てられ、当然最初はうまくできないのでいろいろ厳しいことを言われてしまう。そうやって演じているうちにふさわしい年齢になって良い舞台ができるようになる、とおっしゃっていました。

小笠原さんは、そういう意味ではこの曲での助走期間は無かった状態での50代の初挑戦だったわけですが、たいへん味わい深くこの曲を仕上げていらしたと思います。師匠の芸に間近で触れつつご自身も様々な曲で修練を重ねてきたことでこの演目に立派に立ち向かうことができたのですね。

小笠原さん、子ほめに続いてお酒がらみの演目。聞いた話ではご本人もお酒がお好きだそうです。酔ってご機嫌になるシーンを見ていたら、こちらも早く呑みたい気分になってきました(笑)

次回の延年之會は、11月27日(大阪)、12月4日(東京)「コンメディア合戦!! イタリア仮面劇 vs 狂言」だそうです。どんな内容になるかは全く想像がつきませんが、小笠原さんの次なる挑戦がとても楽しみです!