ふなべんけい三昧

昨日の「関寺小町」ではなんかもぞもぞしていた子方の片山清愛君が、今日はのびのびと義経を演じていたなぁ。
今日の船辨慶(観世流)は、昨日の関寺と出演者がだいぶ重なってました。しかしながら、他の四流の仕舞も含めて、出演者は30~40代中心。なんだかまぶしいくらい若々しいお舞台でしたわ~。funabenkei1

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関寺小町

sekiderakomachi

「関寺小町」・・・
お能の演目の中でも最高位とされ、長い年月の修練の末、ふさわしい実力が備わった者にのみ演じることが許される重習いの曲。演じられる能楽師が少ないため上演回数が極めて少なくおのずと稀曲となっています。

すみません、最初にお断りしておきますが、今回はお能ネタにしては珍しく、ネガティブな内容です。批判と言ってよいです。その手の投稿がお嫌いな方はお読みにならずにスルーしてくださいませ。

5月は文楽に夢中になっていたため、お能鑑賞はしばらくお休みしていました。

本日、1ヶ月ぶりのお能、しかも、数年ぶりの「関寺小町」を拝見できるとあって、私は気合いが入っていました。午後休をとり、一刻も早く着きたいので「特急あずさ号」に乗って、職場から国立能楽堂へ。

おシテの片山幽雪さん(82歳)は3回目の「関寺」だそうで。三度も「関寺」を勤めた人は近頃ではほとんどいないんじゃないでしょうか。あー今ググったら明治以降では例がないそうですね。

私の感想をひと言で言えば「二度でやめておけばよかったのに」でした。
「関寺」を勤めるには、彼は衰えすぎていました。謡が抜けたり飛んだりする。一人で立ち上がることもできない。明らかに老化です。舞も、老女の舞とはいえ、美しさが微塵も感じられなかった・・。

百歳の老婆に見えたといえばそうなのかも(?)しれませんが、芸に秀でた経験豊かな演者が百歳の老人を演じるからこそ意味があるのであって、リアルな老人のドキュメンタリーを見たかったわけではないのです。

お年を召したなら舞台から退くべきとは決して思いませんが、「関寺」はシテ方が一生に一度できるかできないかという特別な曲です。崇高な目標です。ボロボロになりながら記録に挑戦するための曲ではないのです。既に二度も勤めているのだし、潮時を悟るべきでした。

ネット上では賞賛する声もありましたが、人間国宝という権威がそういった感想を生むのかなと思われました。あるいは「関寺」を観る機会が少なく他との比較が難しいというのもあるのかもしれません。観世流宗家が後見を勤めていましたし、他の出演者も凄すぎる布陣だっただけに、それが全く生かされることがなく終わったのは、まことに残念なことでした。

久々のお能だったのにー、なんか不完全燃焼で終わってしまいましたー(´д`)
明日は船弁慶で口直しと行きますか!

sekiderakomachi2

ひょんなことから大先輩と文楽

本日、文楽五月公演、第一部を拝見してきました。友人が急用ができて観られなくなり、代わりに彼女のお父様がお越しになりご一緒させていただきました。
初めて文楽を観たのが、なんと戦前だそうです。幼い頃に親御さんに連れられて観に行き、まだ話の内容などわからず大人達が何故泣いているのかなぁなどと思っていたそうです。演目が「伽羅先代萩」であったことを覚えていらっしゃいました。
本日の文楽鑑賞は久々だったそうで、楽しんでいただけたようです。「楽しかった。ありがとう。命の洗濯ができました。生涯最後の文楽かな」などと仰っていましたが、いやいやそんなこと仰らず、まだまだお元気で次回はぜひ娘さんと一緒にご鑑賞を!

bunrakusenpai

文楽を観ていると昔の時の流れがいかにゆっくりだったかを感じるという話

文楽『一谷嫩軍記』、今公演で既に2度観た私、ホント好きですね~。

三段目「熊谷陣屋の段」は単独で上演される機会も多いと思いますが、今回はその前の段である「熊谷桜の段」が上演されたのと、赤坂花形文楽でさらに二段目「組討の段」を素浄瑠璃で拝見していたことにより、「熊谷陣屋」をより一層楽しめたと思います。

平家物語では熊谷直実が平敦盛を討ち取る挿話はごくごくあっさりしているそうですから、浄瑠璃になったときにかなり面白く脚色されたんですね。

「組討の段」では直実が敦盛を討つことを躊躇します。我が子と同じ年頃の若者を殺すに忍びないということですよね。そして討ち取って直実は涙します。戦場で敵を殺したからといっていちいち泣いていては武士の名折れです。いくら年端もいかぬ若者とはいえ、敵である敦盛を殺したことをなぜそんなに悲しむのか。種明かしをすると実は敦盛は我が子小次郎なわけです。直実が泣くのは我が子を殺してしまったから・・。そう考えると涙の理由も納得できます。

ところで、敦盛が実は小次郎であることを、観客のほとんどはそれが明らかになるシーンに至る前から知っています。
「熊谷陣屋の段」は人気演目ですから既に観ていて話を知っている人も多いですし、現代の観客は浄瑠璃を初めて聞いて言葉を完全に理解できる人はほとんどいませんから、あらかじめストーリーを予習してきたり、プログラムのあらすじに目を通したりする人が多いです。

浄瑠璃だけを予備知識なく初めて聞いて話を理解してなるほどそうだったのか!と思うことは実際には少ないと思うんです。伝統芸能の楽しみ方って現代演劇や映画を観る場合と少し違っていますよね。ある程度、予備知識が要る、ストーリーも知っていないと厳しい、それが現実です。

話を戻すと、観客は直実が我が子を殺したことを知っていますが、「組討の段」ではまだその事実が明らかにされていないという建前です。実は「組討の段」の語りってものすごく難しいんじゃないでしょうかね。結末をわかっている観客に対して、この時点で自明でない事実はできる限り出し過ぎないようにして、しかし後段への伏線は上手に張らなければなりません。もし通しで上演されるのなら、ここがうまく語れていないと後が台無しになってしまうと思います。

「熊谷陣屋」で観客は「組討」の直実の涙の理由を知ることになります。つくづくよくできている話だなぁと思いました。

しかし、ここでふと別の疑問が湧いてきます。

直実がなぜ我が子を敦盛の身代わりにしたかというと、義経から渡された「一枝を切らば一指を切るべし」という制札による謎かけが発端です。直接命を受けたわけでなくヒントだけ与えられて意思を察するわけです。息子小次郎もあらかじめ義経から意思を聞いて覚悟していた可能性があります。
しかし「組討の段」では、主人に忠義を尽くすために父と子が互いに示し合わせたというわけではありません。自分自身が成すべきことは双方承知していたとしても、相手がなぜそうするのか(父がなぜ自分を殺そうとしているのか、息子がなぜ黙って殺されようとするのか)はわからないはず・・。二人の間に戸惑いはなかったのだろうか・・?
これはもう親子の「以心伝心」であったのではないか?と私は理解しました。私の知識ではこれ以外の説明をつけることができません。

この疑問は全段を通して観ればわかることなのでしょうか。通しで観たことがないのでわかりません。ご存知の方いらしたら教えていただきたいです。

やはり文楽は本来、通しで観るのが最高なのかなと思います。技芸員の負担や集客のことを考えると全ての公演を通し上演にするのはこの現代においては不可能な話です。しかし、全部を通して観ると途轍もなく長い時間を費やす演劇を鑑賞することが普通だった時代には、おそらく今よりもはるかにゆったりとした時が流れていたのだろうなぁと思うと何だかうらやましい限りです。・・と、ここでようやく表題につながりました(笑)

浅草三社祭

浅草三社祭。宮出前の本社神輿(一之宮、二之宮、三之宮)と神楽殿。@浅草神社
午前1時頃でしたが、既に場所取りしている人もいました。

一之宮。鳳凰がカッコイイ。
一之宮。鳳凰がカッコイイ。
二之宮
二之宮
三之宮
三之宮
神楽殿。能舞台よりちょと小さいです。
神楽殿。能舞台よりちょと小さいです。

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[平家物語]三郎地獄に陥る

平家物語朗読教室。今日は体験の方もいらして、男性3名、女性3名でいろんな人の朗読が聞けて楽しかったぁ~(*´▽`*)
そんな中、相変わらず旧仮名遣いの読み方に慣れない私。「さぶらふ」は「さぶろう」と読まなければならないのに、いちいちつっかえてしまうのです・・・。結局、全部の「さぶらふ」にフリガナをふりましたよ。(*´-д-)フゥ-3
あと、清盛が寵愛していた白拍子「祇王」からもっと若い「仏御前」に心を移すシーンでは「清盛は目がハートになっている状態です♡」「誰でもいいので、大好きでたまらない人を思い浮かべて!」と先生のアドバイスを受けたので、とっさに一所懸命考えてみたけど、誰も大好きな人が思い浮かびませんでした・・・悲すぅーいぃ~~(ToT)

heikesaburo

赤坂花形文楽

本日、赤坂花形文楽♪♪♪
当日券もあるそうですよ!(*´▽`*)
私は会社を早引きして参ります!(気合い入ってます!笑) ミヽ( ‘з’)ノ

赤坂花形文楽は、若手を応援するとともに、技術の向上を計り、さらなる普及発展を目的とした、若手の登竜門のような会です。未来の名人を目指す若手たちをぜひ応援してあげてください!

5月8日(水)
18:00開演(17:30開場)20:50終演予定
会場:赤坂区民センター 区民ホール(3階)
料金:4500円(全席指定)

プログラム
素浄瑠璃「一谷嫩軍記 ~組討の段」
 豊竹芳穂大夫、鶴澤清公

おしゃべり文楽(トーク&デモ)
 豊竹呂勢大夫、鶴澤藤蔵、吉田幸助、吉田一輔

文楽「壺坂観音霊験記 ~沢市内より山の段」
 豊竹呂勢大夫、鶴澤藤蔵、吉田幸助、吉田一輔 ほかの皆さん