萬狂言特別公演~大曲二題~「枕物狂」

大曲二題、続きましては、野村萬さんがシテを勤められた「枕物狂」についての鑑賞レポートです。

「花子」レポートはこちら
萬狂言特別公演~大曲二題~「花子」

「枕物狂」あらすじ
百歳を越えた祖父(おおじ)が恋に悩んでいるという噂を聞いた孫二人が想いを叶えてあげたいと祖父に話を聞きに行く。最初は志賀寺の上人や柿本の紀僧正の昔の恐ろしい恋について物語っているうちに、いつの間にか自分の恋心を謡い上げてしまう祖父。祖父の意中の女性が地蔵講の折に見かけた刑部三郎の娘の乙御前(おとごぜ)であることがわかり、孫の一人が乙御前を連れてくる。祖父は老いの恥を晒した恨み言を謡うものの、嬉しそうに乙御前と連れ立って行く。

シテの祖父を人間国宝の野村萬さん、孫を野村虎之介くん、野村拳之介くん(二人は萬さんの実のお孫さんでもあります)、そして祖父が恋する相手の乙御前を、先ほど「花子」でわわしい妻の役を好演した野村又三郎さんが演じられました。

この曲には地謡とお囃子も登場し、とても格調高い雰囲気です。

祖父は笹の小枝を手に持って登場します。笹には小さな俵型の枕が結びつけられています。笹は「物狂い」の象徴で、枕は「恋愛」の象徴なのだとか。なので、この笹のことを「狂い笹」といいます。狂言や能での「物狂い」とは、頭がおかしくなっているということではなく、精神が高揚して神がかっている状態のことを言うのだそうです。

枕がゆらゆら揺れる笹を持った萬さんは、時折、ひょい、ひょいとよろめきながら、橋懸かりをゆっくりと進みます。このひょい、ひょい、という感じが狂言らしくてとてもキュートです♡

本舞台に入ると床机にかけ、孫二人にちゃんと聞くのだぞと言って話して聞かせます。謡がかりで語るというのがまた祖父の教養の高さや上品さを表している感じがしますが、ひょっとしたらおじいちゃん、自分の恋バナを素の会話でするのがちょっぴり恥ずかしかったので仰々しい謡いで語ったのかもしれませんね(笑)

孫が連れてきた乙御前が頭上にかぶった衣をはずすと、そこには可愛い「乙」の面をした女の子が!「乙」の面は、おかめ、おたふく、お福、などとも言われる、愛嬌のある女面ですね。乙御前が顔を出した瞬間、客席からも温かい笑い声が。祖父のお相手が、ものすごい美人っていうわけでなく、味わい深い顔立ちの娘だった、というんで、観てる方も何だかホッとしてます(やはり、おじいさんにはあまりギラギラしてほしくないと皆さん思っておられるのだなぁ~。笑)。

最後、祖父は嬉しそうに乙御前と仲良さそうに連れ立って行き、ハッピーエンドです。乙御前が本当に祖父のことを受け入れたのかはわかりませんが(笑)ほのぼのするお話でしたね~。

「枕物狂」は三老曲の一つとして重く扱われており、披きの年齢もそれなりです(60~70代くらいでしょうか)。しかし、年齢さえ重ねれば誰しもこの役がちゃんと勤まるかというとそういうわけでもなさそうです。やはり謡いがかりの語りなどテクニックが必要な部分に加えて、これまで長年の修行で積み重ねてきた自分なりの芸というものを反映していくことによって、味わい深さや枯れ感、ちょっぴり色気、その他もろもろ祖父のカラーが、十人十色ににじみ出すもののように思えます。

萬さんは御年85歳で、百歳にはまだまだ遠いご年齢ではありますが、非の打ち所のない演技を見せていただき、今がまさに枕物狂適齢期なのだと感じました。しかし、さらに年齢を重ねた萬さんの枕物狂をいつかまた拝見したい、と熱望するのは贅沢なことでしょうか?

さて、今回は「花子」「枕物狂」という狂言の大曲二番の他に、観世流シテ方による能の仕舞と舞囃子が上演されました。仕舞「班女」は鵜澤光さん、舞囃子「恋重荷」はシテ・野村四郎さん、ツレ・鵜澤光さん。「班女」は「花子」の設定元となった作品であり、「恋重荷」は老人が高貴な若い女性に恋する物語で、その謡が「枕物狂」に引用されています。

「恋重荷」の舞囃子の時に、重荷の作り物が出ていたのが印象的でした。通常、舞囃子で作り物が出されることはありません。後でお伺いしたお話でこの公演での特別の演出であったことがわかりました。

余談ですが、ワタクシ以前から野村四郎さんの舞姿に憧れておりまする(*´▽`*) 仕舞入門のご本やDVDも持っておりましてそれを見ながら家でお稽古しています♪ 今回、四郎さんの舞囃子まで拝見できてテンション上がってしまいました↑↑

演目、演出、配役、何をとっても大胆かつ繊細な工夫が凝らされ、また、厳選された出演者陣の達人芸が堪能できる素晴らしい公演でした。観に行けて本当に良かった!!

万蔵さま、襲名十周年まことにおめでとうございます。これからも頑張ってください~~\(^O^)/

燦ノ会「井筒」

本日は喜多流・大島輝久さんがおシテの「井筒」を拝見いたしました。作ったご本人の世阿弥が、これサイコー!と自画自賛した作品です。

「井筒」は本当に絵になる能でした。正面席の真ん中で観ていたおかげもありますが、どの場面を見ても美しく決まっていて、そのまま写真集にできちゃいそうなシーンばかりでした。

輝久さんは「井筒」のシテは今回が初めて。「井筒」を舞う時にはこの配役で、というのをずーーーっと前から心に決めていらしたそうです。それぐらいこの曲に思い入れがあるのですね。

特に地頭の友枝昭世さん、大鼓の亀井忠雄さんの人間国宝お二方は輝久さんの憧れの方々で、お願いしてみたところ快く引き受けてくださったのだそうです。

おかげで舞台が格調高くなりましたねー。華がありました。輝久さんもご満足だったのではないでしょうか。それとも緊張したでしょうか(^_^;)

最近、能・狂言で恋バナづいているワタクシ。先日は「松風」で輝久さんがツレで妹・村雨を演じていたのを拝見しました。

姉は自由に自分を解放するタイプ、妹は冷静で自分を制するタイプと、姉妹で性格が全然違いますが、劇中では仲良く共通の恋人を慕っています。

姉の方が恋の妄執で物狂い状態になってしまうのですが、その時、妹は「お姉ちゃん、これは彼じゃなくて松なのよ」と姉を止めようとします。妹が姉のことを思って冷静に対応したようにも見えますが、ワタクシには妹の姉に対する「何よお姉ちゃんばかりいつもズルい!」みたいなキラッとした嫉妬心が垣間見えてしまいましたよ。

で、本日の「井筒」。輝久さん、先日は姉の陰で自制する妹でしたが、今日は遠慮無く物狂う方を演じられます(笑)。

井筒の女は最後に井戸の中をのぞき込むんですが、水面に映る自分の顔に夫(在原業平)の面影を偲び…と解説にはありますが、絶対に自分の顔を夫本人だと思い込んでしまったと思います。
「アァ業平さま、そこにいらしたのですね。ワタクシも今すぐそちらに参りますぅぅーー」と井戸に飛び込まんばかりに思い詰めている表情に見えましたよ。

周りが見えなくなるほど恋に妄執できるなんて、たとえ狂っていても幸せなことなのかもしれませんね。(現実にはとてもムリですが…)

さてさて恋の話も十分に堪能したので、そろそろ武将が暴れるお能を見たくなってきた今日この頃です。平家物語カモン!

余談ですが喜多能楽堂の舞台の床って以前からあんなにギシギシ音が立ちましたっけ?床は数年前に張り替えたばかりだと思うのですが~(゜-゜)?

萬狂言特別公演~大曲二題~「花子」

九世野村万蔵襲名十周年記念、また、万蔵さんが五十歳を迎える年でもあるということで、今回この節目の会を拝見する幸運に恵まれました。この特別公演では、「花子」「枕物狂」という大曲二題と、両曲に関係の深い、能「班女」の仕舞、能「恋重荷」の舞囃子が上演されました。

まずは野村万蔵さんがシテを勤められた「花子」についての鑑賞レポートです。

「花子」配役
シテ 夫    野村万蔵
アド 妻    野村又三郎
アド 太郎冠者 井上松次郎

京都の洛外に住む男(万蔵さん)がおりました。男が美濃国で馴染みとなった遊女・花子(はなご)が、男恋しさに都に上り、会いたいとしきりに文を寄こし、終いには身投げまでほのめかします。男も会いたいとは思うのですが、男の妻(又三郎さん)はかなり嫉妬深く、とても会いに行ける状況ではありません。
なんとか家を出ることができるよう男は妻に「夢見が悪いから諸国行脚したい」などと言って家を出ようとしますが、妻はどうにも許しません。

そこで男は「一晩だけ持仏堂にこもり座禅を行う」と偽り、妻を承諾させます。そして「それならば自分も持仏堂に行き夫を見舞おう」と言う妻に、来てはならないと何度も念押しします(←この辺りで鶴の恩返しフラグが。笑)。

男は嫌がる太郎冠者(松次郎さん)に無理やり座禅衾(ざぜんぶすま)をかぶせて自分の身代わりをさせます。そして、花子の元へ颯爽と向かうのです(この瞬間の万蔵さんの嬉しそうな様子といったら!笑)。男はいったん揚幕から退場。

妻は来てはならないと言われたものの、やはり夫のことが心配になり持仏堂に様子を見に来ます。すると衣を被った夫がとても窮屈そう。可哀相に思い衣を取ろうとします。必死に抵抗する太郎冠者!(そりゃそう、バレては大変です。笑) しかし、ついに太郎冠者は衣をひっぱがされてしまい、妻は夫に騙されていたことを知ります。地団駄踏んで悔しがる妻!

妻は太郎冠者に代わって衣をまとい、太郎冠者に見えないところで休むようにと言い、夫の帰りを待つことにします。

花子との逢瀬を楽しんだ男が朝帰りしてきます。肩衣を片方脱いで謡いながらのんびり歩いて夢うつつの様子。花子と過ごした一夜の余韻を楽しみながらも名残り惜しんでいる様子です。少し酔った感じです。歌舞伎化された「身替座禅」では本当に酒に酔っている演出になっているそうですが、こちらはまさに「恋に酔っている」ような艶っぽい雰囲気を上手に漂わせる万蔵さん。

二、三歌ったところで、男は太郎冠者に身代わりをさせていることをハッと思い出し、夢から醒めて我に返ります。

男は持仏堂に戻りますが、そこでまた花子との甘いひとときのことを思い出したのか、そのことを人に話したくなります(かなり恋に浮かれています。笑)。それで、そこにいる太郎冠者に話して聞かせようとするのですが、聞かせたいんだけど恥ずかしいから衣を被ったままで聞くように言います(当然、中身は妻なんですが。笑)。

男は花子との逢瀬の一部始終を小歌を交えて語ります。小歌は当時の流行歌なので、和歌や謡などに比べたら少し俗っぽいのかもしれませんが、現代の我々が聞くと古語っていうだけでかなり風雅に聞こえます。
語りだけで展開するのでなく、小歌を交えているため、逢瀬話が露骨に生々しくなることがなく、しかしほのかに艶っぽさは感じ取ることができます(実に良くできていますね~)。「寝乱れ髪をおし撫でて」なんてちょっとドキッとする歌詞もあったりしますが(〃▽〃)

男が宿の戸をたたいたところで、花子は「誰そよ」と言う。男が、自分以外には誰も来ないはずなのに「どなた」とは他にも待つような恋人がいるのかね、とイヤミを言う。なかなか会いに来なかった男に対して少し突き放すような態度を取った花子に、男がちょっと拗ねるようなところがまたいいですね~(*´▽`*)

そんなこんなのやり取りを、男は小歌と仕方話で語っていきます。この間、太郎冠者(実は奥方w)はひと言も声を発しないので(時々嫉妬に震える動作などはあり。笑)、シテの独演がしばらく続きます。

ついに夜が明け帰らねばならない時がきた辺りの語りに入りますと、これまでのウキウキとした調子から、ぐっと寂しい調子に変化します。
花子が袖をつかんで引き留めようとするのを振り切って男は別れを告げます。あぁ・・・この名残惜しい感じ・・・切ないですねぇ・・(;;)
「帰り道で花子の面影の立つ方を振り返って見たら月は細く残っていた。。。」・・・この余韻といったら!!!万蔵さん絶妙すぎて憎いほど上手い!と思ってしまいました。こんなにも想われる花子に私もなりたい(≧▽≦)!(笑)

そんな余韻のあと「…という話じゃ」と、あっさり素に戻る万蔵さん(笑)

男は太郎冠者(実は奥方様ww)に座禅衾を取るように言いますが、彼(彼女)はイヤイヤと大きくかぶりを振ります。それでも無理やり衣を引っぱがすと・・・!!! (皆様、ご想像の通り!(=´∀`ノノ゙☆パチパチパチ)。
中身が妻であることに気づいた夫、ひどくギョッとして(この表情、最高です!)抜き足差し足でそろりそろりと逃げようとします(絶対逃げられっこないのに~。笑)。これまでずーーっと黙っていた妻が、ヤイそこなヤツ!とばかりにドンッと足拍子を踏むと夫はビビってひっくり返ります(この辺りは期待通りのオーバーアクションです。笑)。
実は筑紫までお参りに出かけていたとか仲間と連歌の会に出ていたとか苦しい言い訳をしますが時すでに遅し。逃げていく夫と追いかける妻。狂言お決まりのラストシーンで二人は幕に入ります。

1時間以上の大曲です。大曲たる所以は、やはり型を伴った小歌と仕方話の長い独演、というのがメインなのでしょうが、うまく妻を騙して嬉々として愛人の元に走り、甘く幸せな逢瀬の夜を過ごし、そして別れの名残のため寂しさでいっぱいになる、といった男自身の心情の変化を上手に表現しつつ、舞台には出てこない花子のキャラクターや心情を男の語りを通じて見せることの難しさにあるのではないでしょうか。

今回花子を演じるのが十年ぶり三回目となる万蔵さんは見事にその難しさをクリアし、男と花子のラブストーリーを私たちの脳裏に投影してくださいました。そして、妻を演じた又三郎さん、太郎冠者を演じた松次郎さん、同じ和泉流でもお家が異なる実力派の方々が脇を固められていたこともスパイスとなり華やかな舞台になったと思います。

シテの装束と扇も鮮やかな色彩で美しく、この曲が特別に扱われていることを感じました。

今回この曲を観ていてふと思ったのですが、シテの年齢によって男のキャラや花子との関係性がかなり変わってくるんじゃないかなぁと。
万蔵さんは30歳、40歳、50歳とこの曲のシテを演じたわけですが、まだお若いのでエネルギーにあふれる男性と対等な女性の関係性に見えました。
私が以前に拝見したもう少々ご年配のおシテの花子は、枯れた男性が恋に迷うことで花子の母性みたいなものが見え隠れする面白いものでした。
どちらがいいというわけではなくそれぞれに面白いとは思うのですが、万蔵さんが60代、70代になってくると、さらに変化して面白い花子になりそうな気がします。

また万蔵さんの花子を拝見できる機会が巡ってきますように!

次回は「枕物狂」について書きます。

第98回粟谷能の会「安宅」(後編)

前編はこちら⇒ 第98回粟谷能の会「安宅」(前編)

富樫に促されて弁慶は勧進帳を読み上げることになりました。この「勧進帳の読み上げ」は「安宅」という演目の最大の見どころと言えましょう。弁慶は一巻の巻物(もちろんこれは勧進帳ではない。何か別のことが書かれた書物)を持って高らかに読み上げます。

前回の「正尊」での起請文の読み上げもたいへん素晴らしかったですが、今回もすごかった!直面の良いところは口元が面に遮られることがないので謡の声がよく響き渡ることです。明生さんは元々美声なのですが、いつも以上に素晴らしいお声を聞かせていただきました。

そして、ご本人も仰っていた、若い頃は囃子方の手組みとの掛け合いが難しいため間違わないことが第一だったが、今なら技術点に加えて芸術点を上げていきたいという意気込みですが、これは十分に達成できたと実感なさったのではないでしょうか。遠い脇正面席で表情や所作などは残念ながらよく見えなかったのですが(おそらく富樫が巻物をのぞき込もうとしてそれを見せまいと遮るなど緊迫したやりとりがあったはず)、声のみでもその緊迫感はビンビンと伝わって参りました。

最初は(実際に書いてあることを読んでいるわけでないので)ゆっくり考えて一つ一つ言葉を置くように述べていく弁慶ですが、後半は勧進帳の決まり文句をリズム良く暗唱して最後にはノリノリになります。そして「天も響けと読み上げたり!」と謡うと、この勢いに圧倒された富樫は、急いでお通りください、と一行を通してしまいます。

明生さんのお話によると、歌舞伎では富樫の温情で一行を通すが、能では仏の信仰の圧力によって通すのだ、という解釈なのだそうです。最期の勤行で信仰による恐れの気持ちがふつふつと湧きはじめ、そして勧進帳の読み上げで恐れが最高潮に達して決定打となった、ということなのでしょう。

ところが、いったん通した富樫ですが、判官殿のお通りですぞ、と太刀持に言われ、再度一行を止めます。仏罰の恐怖心から思わず通してしまったがここで我に返ったということなのでしょうか。判官に似ている人がいるので止めたと言う富樫。弁慶が義経を打擲して見せて、富樫方の疑いを晴らそうとします。ご自身が子方の時にはボコボコに打たれたという明生さん。今回は比較的ソフトな打ち方をなさっていたように見えました。ご自分のトラウマからちょっぴり優しさが出たのでしょうか?(笑)

弁慶が義経を打擲するという渾身の演技を見せてもなお富樫は、それでも通せず、と主張したので、弁慶はあんたら賤しい強力の笈を狙うなんて盗人じゃないの!?と言いがかりをかけ、山伏たちは刀を抜きかけてワラワラと富樫らに詰め寄っちゃいます。ビビった富樫は結局またまた通しちゃうのです。これまで慎重にきたのに最後はゴリ押しで突破した感が否めない(笑)

ようやく関所を通過できた弁慶一行は、しばらく行った先で休憩しています。そこへ富樫がやって来て、先ほどの非礼な振る舞いのお詫びにこの辺りの酒を持ってきたと言います。弁慶は富樫と酌を交わし酒宴を始めます。しかし、弁慶は最後まで気を許すことはありません。今回の明生さんの演能レポートに「呑んだふりをして相手が見ていない隙に酒を捨てる型を試みた」と書かれておりました。そこまでちょっと気づけなかったのですが、なるほどもし近くで見ていたら、弁慶の富樫に対する敵対心、決して油断すまいという固い意志のほどがはっきりわかったかも、と思いました。

そして弁慶は「延年之舞」を舞います。

明生さんの解説によりますと、通常の男舞に特殊な囃子方の手組みが入り、シテが跳躍や特殊な足踏みをする小書であり、喜多流では跳躍の後の音を立てない抜き足のような足踏みを大切にしているとのお話でした。どこで跳躍と抜き足が入るのか注意深く見守りました。一度きりの高い跳躍、翁の三番叟からの影響を受けたという、大地を整え種まきをするような動作、常とは異なるこの舞いをとても面白く拝見いたしました。

弁慶が舞うなか、地謡が、おのおのがた、早くお立ちなさい、束の間の心も許してはなりません、と謡い、子方を先頭に郎党らは一斉に橋懸かりをすごい勢いで駆け抜け次々と幕に入ります。それはもうビックリするくらいものすごい速さでした!これは万一足が痺れていたらやばいことに…(^◇^;) 一行の最後に弁慶が続き、三の松で留め拍子を踏んで終わります。

この曲では地謡の出番がかなり限られています。今回はさらに延年之舞の小書により本来謡われるべき詞章(義経の心情などを語る部分)も省略されて通常より少なくなっていました。その分、シテや大勢いるツレの謡が割合として多くなり、セリフ中心の構成となることにより劇的な効果をいっそう高めているように感じました。

今回のお席は脇正面席の三の松あたり左端、三千円也。一万円の正面席に比べると、かなりリーズナブル。橋懸かりかぶりつきでどの席より役者にだんぜん近いです。勧進帳を読むところがよく見えないのだけが残念でしたが、橋懸かりはシテやツレが何度か行き来しますし、シテが橋懸かりの三の松あたりで折り返したりするところや最後のシテの留め拍子も目の前で思わず目が合いそうに感じるほどの近さ、シテやツレの表情も良く見えるし、最後に一行が脱兎の如く走り抜ける際は振動までも伝わってきて臨場感たっぷりの特等席でした。

狂言「鐘の音」。シテが人間国宝の野村萬さまでほとんどが独り芝居、言葉の勘違いから主人に命令されたことと違うとんちんかんなことをしてしまう太郎冠者を演じられました。4つの鐘の音を擬声音でそれぞれ表現し分ける場面や主人の機嫌を直そうと舞い謡いを披露する場面など、完璧としか言い様がなく、その至芸を存分に楽しませていただきました(*^_^*)

能「鉄輪」。シテは粟谷能夫さん。二場物ながらも、1時間ほどの短い能で、安宅という観客も力が入ってしまう能を観た後に拝見するにはバランスの良い選曲。後シテの面が「橋姫」になるのか「生成」になるのか楽しみにしていましたが、結果「生成」を使用なさっていました。事前講座の写真で見た生成の面は人間に近い女性の顔立ちにちょっとしたツノが生えている感じだったのですが、今回使われていたのは目をギロっとむいて口も大きく開いた、より鬼に近づいた形相のものでした。
明生さんが終演後に、演出上、安宅と重なっている部分が多かったのが反省点だったが、能夫さんが気を利かせて最後の場面で三の松で留めて終わるはずのところを、振り返りもせずに消えて行くという演出に変更したと仰っていて、なんて素晴らしい機転なのだろうと、優れた能楽師の対応能力の高さににいたく感心いたしました。

次回の粟谷能の会は来年3月で「白田村」「融」。これまで3月と10月の半年毎に催されてきた「粟谷能の会」は来年より3月のみの年一回になるのだそうです。寂しい限りですが、その分、密度の濃いお舞台を拝見できることになるのではと改めて期待もしております。ワタクシ個人的には明生さんの老女もの、いつごろ来るかな?とそこが気になっているのですが、もう少し先の話でしょうか。再来年は第100回ですのでもしやその時に・・・?いずれにせよ、まずは次の回を楽しみにいたしましょう!

狂言大曲「狸腹鼓」

萬歳楽座で、野村萬斎さまの狂言「狸腹鼓」を拝見。一子相伝として重く扱われている秘曲。昨年NHKのドキュメンタリー番組でその大曲に挑む困難さが取り上げられていたし、暑苦しそうな着ぐるみで身を包んで狸の面をかけ、特殊な足使いで素早く移動したり、跳躍したり回転したり…見た目の上でもこの曲の大変さが素人にも少しは理解できるけれども、それでも狂言の一曲である以上、観る方はそれを重々しく感じることなく、軽やかな気持ちで最後に、あぁ面白かった、楽しい舞台だった、と思える方が良いように思う。
昨日はまさにそんな舞台を見せて頂いた。狸の仕草はとても可愛く愛おしく見えたし、命を取ろうとしていた猟師まで一緒になって腹鼓を打ちながらごろごろ回転する楽しい場面から一転して、狸が一匹残って身重のお腹をさすりながら月を見上げるラストシーンは切なさと温かさで心に染みるものがあった。
なお、この後に上演された能「羽衣」はこれ以上ないくらいの豪華な出演陣で眩しすぎて目が開けていられないほどでした!!(いや、ちゃんと観てましたとも!)

第98回粟谷能の会「安宅」(前編)

第98回 粟谷能の会 に行って参りました。

今回は粟谷明生さんが還暦記念で「安宅」のシテ・弁慶を勤められました。今年3月の会の「正尊」と同様の現在物、また、正尊の起請文と同じく「三読物」の一つとして重く扱われている「勧進帳」読み上げがあります。

「安宅」はこれまでに何度も観ている大好きな演目。また、今公演に先駆けての事前講座にも参加し、プチ薀蓄も加わりもうワクワクです((o(´∀`)o))
事前鑑賞講座の模様はこちら ⇒第98回粟谷能の会 事前鑑賞講座

まず、安宅の関守であるワキ(富樫)とアドアイ(太刀持ち)が舞台上に登場します。ワキは森常好さん、アドアイは野村虎之介くん。
太刀持は富樫を守る役ですが、森常好さんの体格と雰囲気がご立派すぎて、とても強そうな富樫、SPは必要なさそうです(笑)
虎之介くんは太刀持が初役ということでしたが、のびのびとした声で堂々と演じており、また若さあふれる体当たりの演技で、たいへん良かったと思いました(^_^)

次に、子方(義経)、シテ(弁慶)、シテツレ(義経の郎党7名)、オモアイ(強力)が登場します。子方は友枝大風くん、オモアイは野村万蔵さん、シテツレは喜多流の若手イケメン能楽師たち。
一行は本舞台に入ると向かいあって並びます。大きな男たちがたくさん立つと舞台上はかなりキツキツな感じ。昔はワキとアドアイも本舞台(地謡の前とワキ座)に座ったそうですが、これではとても無理だろうなと思います。富樫と太刀持は舞台奥に下がります。

シテ・ツレの次第の後に通常ですと地謡により行われる地取りが、オモアイによってちょっとした替え歌で行われます。このような狂言方の地取りがあるのはこの曲だけとのこと。
弁慶と郎党らが「旅の衣は篠懸の。旅の衣は篠懸の。露けき袖やしをるらん」と謡うと、強力が「おれが衣は篠懸の破れて事やかきぬらん」と続けます。大きな声でするのも特徴的です。

強行突破しようという血気盛んな郎党の意見に、ここは慎重にいくべき、と言う弁慶。弁慶が義経に強力の姿に身を変えて関を越える提案をする場面は、うやうやしく平伏したままで行なわれ、本来なら許されないほど恐れ多いことだがこの非常時に義経をお守りするためにはやむを得ない決心をしてのお願いであるのだという弁慶の義経に対する崇敬の念が伝わってきます。

義経に背負わせる笈(おい)を運ぶシーンでは、笈が強力→弁慶→従者と順繰りに手渡されます。実は軽い笈がいかにも重そうに扱われる様子は、主君である義経にこれから滅相もないことをさせてしまいますがどうぞお許しくださいと恐縮するような重苦しい雰囲気です。

弁慶は強力に関の様子を偵察に行くように命じます。強力が山伏と悟られないように兜巾(ときん)を外し、関まで行くと、これまでに捕らえられて殺された山伏の首がずらっと並んでいます。強力は、何と恐ろしいこと、山伏の姿に身をやつしている自分たちも同じ目に合うに違いないと恐れおののきます。

そんなに凄惨な状況だというのに、面白いのが、ここで強力が一首和歌を詠むことです。
「山伏は貝吹いてこそ逃げにけれ。誰追ひかけて阿比羅吽欠(あびらうんけん)、阿比羅吽欠」
万蔵さんの事前解説によると、身分の低い強力でも、教養があるんだということを表しているそうです。それなのに弁慶に「小賢しいことを言うやつだ、いいから黙って付いてこい」みたいに言われてしまい立つ瀬がないですが…(^_^;)

ここで「貝立」という狂言方の小書。これは「延年之舞」の時にのみにつく小書だそうです。
弁慶が「近頃小賢しき事を申す者かな」に続けて「さらば貝を立て候へ」と言うと、強力は自分の右手に扇を半分ほど開いて持ち、左手を下に添えて、あたかもホラ貝を持って吹いているような格好をします。そして、ズーワイ、ズーワイ、という擬声音を発し、ホラ貝の音を表現します。実に写実的で本物のホラ貝が見えてくるようでした。

この曲でのアイは、多くの能で演じられるような状況説明するだけのための役割とは違い、しっかり芝居の配役の一員となっています。万蔵さんが味わい深いキャラクターの強力を好演され、他の登場人物を引き立てつつ自分の存在感も示すことで、お芝居に深みや奥行きが出るよう味付けなさっていたように感じました。

万蔵さんは以前、能は主役第一主義の演劇で様々な登場人物がいてもシテがドンと存在しており他の役が周囲にある。普通の能は本当にシテだけ。しかし、現在物になるとある程度いろんな役柄の大物の力、演技が表立って見えてくる。みんなでお芝居を作っている。と仰っていらして、それをアイの立場から今まさに体現なさっているのだなぁと思いました。

強力に変装した義経を後ろに従え、弁慶たちは安宅の関に到着します。そこで関守をしている富樫に、弁慶は東大寺大仏建立の勧進のために旅をしていると説明しますが、富樫は山伏だけはこの関を通すことができない、山伏は全員斬ると言います。ここで弁慶は斬られるなら最期の勤行を、と願い富樫も承諾します。弁慶らが勤行を終えると富樫は、勧進というからには勧進帳を持っているはず、それを読むようにと促します。

長くなりました。後編に続く!

第98回粟谷能の会 事前鑑賞講座

毎度おなじみ、喜多流・粟谷能の会が今週末日曜日に迫って参りました。
先日、事前講座が催されたので行って参りましたよ!

今回は、粟谷明生さんの還暦記念の会ということで、明生さんが3度目となる「安宅」のシテ・弁慶を勤められます。
初演は43歳、二回目は53歳の時。三回目は還暦で、舞い納めのつもりで勤めると意気込みを語られました。

さて、事前講座でゲストをお迎えするのは三回目とのこと。一回目は小鼓方の大倉源次郎さん、二回目はワキ方の森常好さんでした。今回は狂言方の野村万蔵さんです!(=´∀`ノノ゙☆パチパチパチ

安宅でアイは二人登場し、一人は義経方につく強力(ごうりき)役(万蔵さん)、もう一人は富樫方につく太刀持(たちもち)役(万蔵さんのご長男・虎之介くん)です。虎之介くんは太刀持は初役だそうで、どんなフレッシュな太刀持になるのか楽しみです(*´▽`*)

さて、今回の安宅、「延年之舞」「貝立」という小書(特殊演出)がついております。
「延年之舞」はシテ方の小書で、男舞という普通の山伏の舞に対し、特別な譜が書かれて通常とは違う特殊な所作をする演出。
「貝立」は狂言方の小書で「延年之舞」の時だけつくそうで、扇をホラ貝に見立ててズーワイといった擬音を出して合図します。万蔵さんのご経験では、シテが出立を告げると強力が自分が持っている扇をホラ貝にする。また、シテが自分の中啓(ちゅうけい)(扇)を強力に渡すというやり方もあるとのこと。

一行は安宅の関に差しかかりますが、立衆の一人が強行突破すればいいと言いますが、弁慶は義経に対し、最初に身につけていた篠懸(すずかけ)を脱がせてみすぼらしい格好にし、笈(おい)を背負わせて、笠を深々と被り後からついて来させる、しかし、どんなに隠してもどうしても光ってしまうね、うちの殿様は、大丈夫かな、というのが前半の見どころ。その義経が背負う笈は実はとても軽いのだそうです。しかし、いかにも重そうにとても恐れ多いという気持ちをこめて静かにゆっくりと運ぶそうです。義経に重い笈を背負わせなければならない弁慶らの苦渋の心情が表れているような表現ですね。

能にはシテなどが登場したときの謡を、地謡が同じ文句を繰り返す「地取り」というものがありますが、この演目はアイが替え歌で地取りをするんだそうです。そして地謡の地取りは地の底から響くような低く小さい声で静かに謡いますが、狂言方の地取りは大きい声でやるんだそうです。通常の地取りのパロディですね。「旅の衣は篠懸の~」という箇所です。本番でも注目いたしましょう!

さて、安宅の見どころの一つとして「勧進帳」の読み上げがあります。
能には安宅(勧進帳)、正尊(起請文)、木曽(願書)の三曲に読物と呼ばれる見せ場があり、喜多流の演目に木曽は無いので、安宅と正尊のみ。
明生さんによると、何も書いていないものを読んでいるのではなく、何か全く違った事が書いてあるものを読んでいて、しかし見られてしまったら正体がばれてしまうので、見られないように隠しながら読むのがミソだそうです。
勧進帳や起請文は、お囃子方との手組が複雑で難しく、拍子を外さないで間違わないで謡えるのがまず第一なのだが、この年齢になるとどのくらいおもしろく読むのか、技術点+芸術点も必要になってくる。昔は剛速球の直球でボンボン謡えれば良かったが、節使い、音の使い方も工夫していきたい、と志を語られました。

読み物での囃子方とのリハーサルは特にしないんだそうです。基本的には一回だけ申し合わせして、後は本番で技術のぶつかり合いとなる、と明生さん。
合わせすぎるとつまらなくなる。お家や先生に習ってきたこと、経験者は自分で作ってきたものを、当日触発する面白さを大事にしているから、と万蔵さん。そういえば、前回の森常好さんも同じような事を仰っていました。

勧進帳の読み上げは、最初は弁慶がゆっくりとどうしようか考えながらいろんな言葉をこじつけながら時間稼ぎをする、途中からは勧進帳の定型文句を持ってくるのでノッてきて、うぁーっっとたたみかけるように謡う。途中で速くなるが、これはわざとそうなっているのであって、くたびれて速くなっているのだとは思わないでください、と明生さん(笑)

虎之介くんは緊迫したシーンの型などをどのようにお稽古していくのか、という金子あいさんの質問に対し、万蔵さん、
そういうものは習わない。申し合わせや本番で、はっ、こんなにふうになるんだ!ということを実際に体感していく。舞台が稽古。申し合わせで感じ取れない緊迫感を本番で感じ取る。とのお答え。

明生さんもからもこのようなお話が。
子方(義経)がしっかりしていないとダメ。弁慶が金剛杖で打擲する場面、昔、喜多実先生が、お芝居だからトントンくらいかと思っていたらボコボコに打ってきた。怖~と思った(明生さん小学1年か2年の時のお話)。子方は杖を取られて笠のひもを持って歯を食いしばる。お稽古の時は笠がないので型だけ教わるが、何が起きるかはその時にはわからない。当日になってボコボコに打たれて、これか~とわかる(笑)そういうところで体感して勉強していく。

頭で考えるんでなく、体感して会得していくのですね。Don’t think. FEEL!

万蔵さん曰く、強力の役がこの物語で一番活躍するところは、先回りして安宅の関の様子を見に行く場面。変装して見に行くと山伏の打たれた首がずらりと並んでいる。その厳しい状況をただ報告するのでは忍びないので一首歌を詠む。命令を実行しながら、他の山伏が殺されたり、兄弟不和のことや源平の戦さの事などの時代背景を、こんなみすぼらしい下の身分の自分だけど教養があるんだ、ということを詠んでくる。狂言回しは頭の回転が良く、文化教養がある。歌は洒落、掛詞になっている。弁慶に小賢しいことをと怒られちゃうんですが(笑)

さて、安宅の話が一段落したので他の2演目についても少しお話がありました。

狂言「鐘の音」について。
今回、万蔵さんのお父様の野村萬さまがシテを勤められます。間抜けな言葉の取り違い(黄金(カネ)←→鐘)をする太郎冠者のお話。太郎冠者は自分の失敗を謡いにして主人の前で謡い舞って見せ、主人は最後に怒りながらも機嫌が直って許す、というあらすじで、祝言の雰囲気が漂う演目。鐘の音を擬音で表現しわける妙が見どころだそうです。ほぼ独り芝居とのことで、至高の芸が拝見できること間違いなしの期待が高まります!
今回、還暦記念を意識して、祝言性を表現できるこの曲を萬さまが選ばれたとのことでした。

能「鉄輪」について。
丑の刻参りのお話です(ざっくりすぎてすみません<(_ _)>)。おシテは明生さんの従兄の粟谷能夫さん。この演目では後シテで「橋姫」または「生成(なまなり)」という能面を使用するそうですが、今回どちらを使うかはまだ明らかにされていません。使用する面によって動き方も変わってくるそうです。当日を楽しみにいたしましょう。

ためになるお話や裏話がてんこ盛りのたっぷり一時間半でした。他にもお二人が素晴らしいことをたくさん仰っていたのですが、私の記憶力と文章力の限界により全てをご紹介しきれなくて残念です。

改めて、三度目の安宅を勤められる粟谷明生さんからのメッセージをご紹介。
43歳の安宅の披きのとき、様式美と芝居心ではどうしても様式美の方が強くなりそこにゆだねてしまった。53歳の時は様式美と芝居もバランス良くうまくできるようになってきた。今は様式美は置いておき、能の境界線のギリギリまで持ってきてどういう「芝居」ができるか、どういった能役者としての弁慶ができるのかというのが勝負だなと思う。安宅という演目を、あるいは粟谷明生の安宅を一回見たからそれでいいということでなく、能役者はどんどん上手になっていっているので、それをぜひ見て頂きたい。とのことでした!

※主催者様および出演者様に写真撮影および掲載の許可を頂戴しております。

第98回粟谷能の会 事前鑑賞講座
2015年9月28日(月) 18:00~19:30 @国立能楽堂 大講義室
<出演>
粟谷明生さん(喜多流シテ方)
野村万蔵さん(和泉流狂言方)
金子あいさん(女優)

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粟谷明生さんと、司会進行の金子あいさん
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スペシャルゲストの野村万蔵さん。笑顔が素敵です!
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小書「貝立」では扇をホラ貝に見立てて吹く演技をする
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義経を強力に扮装させるための笈(おい)。意外と軽い。写真のものは明生さんが子方の時から使っているものだそうです。
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勧進帳を読み上げる弁慶。カッコイイ~(*´▽`*)
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あらすじを読む金子あいさん。あ、余談ですが私の朗読の師匠です。
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生成(なまなり)の面。ツノがキュートなんですけど(笑)
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鉄輪は夫に捨てられ嫉妬に狂って呪いをかける悲しい女の話。最後に I’ll be back. のような台詞を言って去って行く(;´Д`)
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会場は国立能楽堂の大講義室