前編はこちら⇒ 第98回粟谷能の会「安宅」(前編)
富樫に促されて弁慶は勧進帳を読み上げることになりました。この「勧進帳の読み上げ」は「安宅」という演目の最大の見どころと言えましょう。弁慶は一巻の巻物(もちろんこれは勧進帳ではない。何か別のことが書かれた書物)を持って高らかに読み上げます。
前回の「正尊」での起請文の読み上げもたいへん素晴らしかったですが、今回もすごかった!直面の良いところは口元が面に遮られることがないので謡の声がよく響き渡ることです。明生さんは元々美声なのですが、いつも以上に素晴らしいお声を聞かせていただきました。
そして、ご本人も仰っていた、若い頃は囃子方の手組みとの掛け合いが難しいため間違わないことが第一だったが、今なら技術点に加えて芸術点を上げていきたいという意気込みですが、これは十分に達成できたと実感なさったのではないでしょうか。遠い脇正面席で表情や所作などは残念ながらよく見えなかったのですが(おそらく富樫が巻物をのぞき込もうとしてそれを見せまいと遮るなど緊迫したやりとりがあったはず)、声のみでもその緊迫感はビンビンと伝わって参りました。
最初は(実際に書いてあることを読んでいるわけでないので)ゆっくり考えて一つ一つ言葉を置くように述べていく弁慶ですが、後半は勧進帳の決まり文句をリズム良く暗唱して最後にはノリノリになります。そして「天も響けと読み上げたり!」と謡うと、この勢いに圧倒された富樫は、急いでお通りください、と一行を通してしまいます。
明生さんのお話によると、歌舞伎では富樫の温情で一行を通すが、能では仏の信仰の圧力によって通すのだ、という解釈なのだそうです。最期の勤行で信仰による恐れの気持ちがふつふつと湧きはじめ、そして勧進帳の読み上げで恐れが最高潮に達して決定打となった、ということなのでしょう。
ところが、いったん通した富樫ですが、判官殿のお通りですぞ、と太刀持に言われ、再度一行を止めます。仏罰の恐怖心から思わず通してしまったがここで我に返ったということなのでしょうか。判官に似ている人がいるので止めたと言う富樫。弁慶が義経を打擲して見せて、富樫方の疑いを晴らそうとします。ご自身が子方の時にはボコボコに打たれたという明生さん。今回は比較的ソフトな打ち方をなさっていたように見えました。ご自分のトラウマからちょっぴり優しさが出たのでしょうか?(笑)
弁慶が義経を打擲するという渾身の演技を見せてもなお富樫は、それでも通せず、と主張したので、弁慶はあんたら賤しい強力の笈を狙うなんて盗人じゃないの!?と言いがかりをかけ、山伏たちは刀を抜きかけてワラワラと富樫らに詰め寄っちゃいます。ビビった富樫は結局またまた通しちゃうのです。これまで慎重にきたのに最後はゴリ押しで突破した感が否めない(笑)
ようやく関所を通過できた弁慶一行は、しばらく行った先で休憩しています。そこへ富樫がやって来て、先ほどの非礼な振る舞いのお詫びにこの辺りの酒を持ってきたと言います。弁慶は富樫と酌を交わし酒宴を始めます。しかし、弁慶は最後まで気を許すことはありません。今回の明生さんの演能レポートに「呑んだふりをして相手が見ていない隙に酒を捨てる型を試みた」と書かれておりました。そこまでちょっと気づけなかったのですが、なるほどもし近くで見ていたら、弁慶の富樫に対する敵対心、決して油断すまいという固い意志のほどがはっきりわかったかも、と思いました。
そして弁慶は「延年之舞」を舞います。
明生さんの解説によりますと、通常の男舞に特殊な囃子方の手組みが入り、シテが跳躍や特殊な足踏みをする小書であり、喜多流では跳躍の後の音を立てない抜き足のような足踏みを大切にしているとのお話でした。どこで跳躍と抜き足が入るのか注意深く見守りました。一度きりの高い跳躍、翁の三番叟からの影響を受けたという、大地を整え種まきをするような動作、常とは異なるこの舞いをとても面白く拝見いたしました。
弁慶が舞うなか、地謡が、おのおのがた、早くお立ちなさい、束の間の心も許してはなりません、と謡い、子方を先頭に郎党らは一斉に橋懸かりをすごい勢いで駆け抜け次々と幕に入ります。それはもうビックリするくらいものすごい速さでした!これは万一足が痺れていたらやばいことに…(^◇^;) 一行の最後に弁慶が続き、三の松で留め拍子を踏んで終わります。
この曲では地謡の出番がかなり限られています。今回はさらに延年之舞の小書により本来謡われるべき詞章(義経の心情などを語る部分)も省略されて通常より少なくなっていました。その分、シテや大勢いるツレの謡が割合として多くなり、セリフ中心の構成となることにより劇的な効果をいっそう高めているように感じました。
今回のお席は脇正面席の三の松あたり左端、三千円也。一万円の正面席に比べると、かなりリーズナブル。橋懸かりかぶりつきでどの席より役者にだんぜん近いです。勧進帳を読むところがよく見えないのだけが残念でしたが、橋懸かりはシテやツレが何度か行き来しますし、シテが橋懸かりの三の松あたりで折り返したりするところや最後のシテの留め拍子も目の前で思わず目が合いそうに感じるほどの近さ、シテやツレの表情も良く見えるし、最後に一行が脱兎の如く走り抜ける際は振動までも伝わってきて臨場感たっぷりの特等席でした。
狂言「鐘の音」。シテが人間国宝の野村萬さまでほとんどが独り芝居、言葉の勘違いから主人に命令されたことと違うとんちんかんなことをしてしまう太郎冠者を演じられました。4つの鐘の音を擬声音でそれぞれ表現し分ける場面や主人の機嫌を直そうと舞い謡いを披露する場面など、完璧としか言い様がなく、その至芸を存分に楽しませていただきました(*^_^*)
能「鉄輪」。シテは粟谷能夫さん。二場物ながらも、1時間ほどの短い能で、安宅という観客も力が入ってしまう能を観た後に拝見するにはバランスの良い選曲。後シテの面が「橋姫」になるのか「生成」になるのか楽しみにしていましたが、結果「生成」を使用なさっていました。事前講座の写真で見た生成の面は人間に近い女性の顔立ちにちょっとしたツノが生えている感じだったのですが、今回使われていたのは目をギロっとむいて口も大きく開いた、より鬼に近づいた形相のものでした。
明生さんが終演後に、演出上、安宅と重なっている部分が多かったのが反省点だったが、能夫さんが気を利かせて最後の場面で三の松で留めて終わるはずのところを、振り返りもせずに消えて行くという演出に変更したと仰っていて、なんて素晴らしい機転なのだろうと、優れた能楽師の対応能力の高さににいたく感心いたしました。
次回の粟谷能の会は来年3月で「白田村」「融」。これまで3月と10月の半年毎に催されてきた「粟谷能の会」は来年より3月のみの年一回になるのだそうです。寂しい限りですが、その分、密度の濃いお舞台を拝見できることになるのではと改めて期待もしております。ワタクシ個人的には明生さんの老女もの、いつごろ来るかな?とそこが気になっているのですが、もう少し先の話でしょうか。再来年は第100回ですのでもしやその時に・・・?いずれにせよ、まずは次の回を楽しみにいたしましょう!