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日経能楽鑑賞会「咲嘩」「求塚」

日経能楽鑑賞会は、日本経済新聞社が開催する喜多流の友枝昭世さんと観世流の浅見真州さんのおシテで同じ演目を二日間に分けて競演する会で、今年で第八回となります。狂言についても同じ和泉流ではありますが、野村萬さん、野村万作さんがやはり同じ演目でそれぞれおシテを勤めます。比べっこが好きな私には嬉しい会ですが、平日で開演時間も早いということで、なかなか両方観るのは難しく。今回は一日目の喜多流を観に行って参りました。

狂言「咲嘩」(さっか)

太郎冠者が主人に伯父を連れてくるよう命じられたがひょんなことから咲嘩(詐欺師)を連れてきてしまう。主人は咲嘩を穏便に帰そうとするが、太郎冠者が馬鹿正直さを発揮して主人をヤキモキさせる話。
野村万作さまが演じる太郎冠者は設定では馬鹿キャラなんだけど、最終的には主人をおちょくっているような流れになっていきとても面白かったですぅ~(*´▽`*)

能「求塚」(もとめづか)

《ざっくりあらすじ》
二人の男に求愛された女が態度を決めかねて二人を勝負させるが決着がつかず、女は自らの罪を感じて入水する。女は地獄に墜ち責め苦に見舞われる。旅の僧が女を成仏させようと祈りを捧げるが・・・。

このお話、たぶん観た人ほとんどが感じることは「女は地獄に墜ちるほど悪いことしてないじゃん!」…だと思います。

女は二人に結婚相手としての決め手がないことから、生田川の鴛鴦を射た方の求婚に応じると言います。二人が射た矢は同時に一羽の鴛鴦に命中します。あらあら困った、決まらない。ここでPK戦サドンデス方式なら決まるまで何度でも対決させられますが、そう何羽も鳥を射るわけにもいきませんよねー。女は鴛鴦を犠牲にしてしまった罪悪感から自らの命を絶ってしまうのです(だったら最初からそんな勝負させなきゃいいのにね…(´ヘ`;))。

入水した女の遺骸が引き上げられ、求塚に葬られます。女の死を知った二人の求婚男たちは、塚の前で刺し違えて二人とも死んでしまいます(←ここちょっと不思議です。なんであんたらまで死ぬの!?)

自殺した女は地獄に墜ちます。女はなぜ地獄に墜ちなければならなかったのでしょう。当時の仏教思想では、そもそも女は成仏できないものらしいですよ。女であること自体が罪であると考えられていたのです(んまぁ、理不尽な!ヽ(゜Д゜)ノ)。ましてや罪もないオシドリを愛を試す道具にして殺してしまい、男二人を手玉に取り(?二股かけてたわけではないんですけど)終いには死なせてしまった罪は重い。それで地獄に墜ちてしまったのでしょう。

地獄で女は二人の男の霊から責められ、犠牲にしたオシドリから攻撃され、そのうえに様々な八大地獄の責めに遭います。

女は思ったでしょう。「なんで私がこんな目に!?」たまたま二人が同時に求婚してこなければこんなことにはならなかったのです。輝かしい未来が待っているはずだった若く美しい女性には思いも寄らなかった運命。晴天の霹靂とはこのこと。

現代なら、どちらも振ってしまうか、とりあえず二人ともとつきあってみて良い方を選ぶ、ということもできたでしょうが(笑)

さて、お能の方ですが、おシテは人間国宝の友枝昭世さまです。好きな能楽師さんの一人です。求塚は重い曲ですが過去にも何度か勤められている模様。

前場は菜摘女の姿でツレ2名と一緒に登場してきます。旅の僧(ワキ)が求塚の所在について尋ねますが、さあねぇ~わからないわ、アタシたち忙しいのよん、と軽くあしらわれたり。この辺、キャピキャピとした(←死語?)若い女のグループがおじさんをからかっている(?)感じで季節も早春で明るい雰囲気です。

ツレとワキのやりとりの間、シテは何やら曰くありげな様子を醸して佇んでおります。

ツレ2名が退場してシテだけが残り、なにゆえアナタだけ残ったの?という僧の問いに、女が昔話を始めますが、最初は他人事のように語っていたのが、実はそれは私の話なのよ~という流れになり、空気が一変します。(この辺、二人静で静の霊が憑依する展開に似ています。同じ菜摘女だし~)

自分の話を語り終えた女は舞台中央に設置された作り物(求塚)の中に入ります(中入り)。

塚の中のシテがお着替え(=後見が着替えさせている)中、間狂言の野村萬斎さまが登場し、女と二人の求婚者の話をより詳しく説明します。要は同じ話のおさらいなのですが、シテの謡に比べるとアイの語りの方が言葉がわかりやすく、またシテの謡では語られなかった内容を若干補足していたりしますので、観客にとっては理解の助けとなります。

ワタクシ、アイが出てきて話し始めると前場の緊張から解き放たれ少しリラックス気分になり、姿勢を崩して体をほぐしたり、時には居眠りしちゃったりすることもあります(狂言方の皆様、ごめんなさ~い_(_^_)_)。
しかしながら、近年の萬斎さまのアイはとてもよろしいので常にしっかと観ております。今回地謡でご出演された粟谷明生さまが「萬斎氏の語りは、単なる物着時間稼ぎの境地を離れ、ひとつの演劇として成立していた」と仰っていましたが、全くその通りだと思います。
以前にある狂言方さんが「経験を重ねるにつれ間狂言の方にこそやり甲斐を感じるようになってきた」と仰っていたことがあり、確かに派手なアクションで補えない分、語りの力量が問われる役なのかもしれないな~と思いました。

さて、お話も終わり(着替えも終わり)、後見が作り物の真後ろにいったん着座します。お囃子の演奏が始まり、じきに中からシテが謡うのが聞こえると、後見が作り物の引き回し(周りを覆う布)を外します。すると、前場では小面をかけていたシテが地獄の女を象徴する痩女という面をかけて登場します。この瞬間、シテの居場所である作り物は求塚から地獄の火宅へと変わったとみなしましょう。

痩女…。中年女の顔のように見えますが、本当は若くして亡くなった女性です。しかし地獄の責め苦に遭って弱り果てすっかり痩せこけてしまったということなのでしょう。

僧が可哀相に供養してあげますと言うと、女はありがたや~と嬉しそうにしますが、その直後、いきなり恐怖に満ちた態度に一変し地獄の責め苦を描写し始めます。ここからの昭世さまの演技は、能にしては珍しくとても写実的でありました。はっと体を引いてみたりビクっと驚くような仕草を見せたり、身体全体を使って自分の身に起きていることを一つ一つ表現していきます。

謡も地獄の責めの苦しさ耐えがたさを生々しく伝える迫力ある詞章であります。二人の男の亡霊それぞれから左右の手を引っ張られて責められ、犠牲にしたオシドリは恐ろしい鉄鳥に姿を変え、女を猛攻撃します。女は鉄鳥のクチバシで脳天を突かれ脳髄を吸い取られます(ひえぇぇ~~~~(((;゚д゚))))。逃げようとしても前は海、後ろは火焔、逃げ場がなくてすがりついた柱もたちまち炎となり体は焼かれ、地獄の鬼どもに鞭で打たれ、八大地獄の全ての責め苦を負わされ、ついには無間地獄の底に上下逆さまに落とされます。シテは必死にワキに助けを求め、ワキも読経し続けますが、願いも空しく、シテは再び火宅(地獄)へと戻ってゆきます。

地獄のすさまじさを表現するために、地謡はかなり激しい感じで謡うのかな~と予想していたのですが、今回、少々抑えめに謡われていました。ちょっと意外でしたがこれがかえって良かったように思えました。地の底から響くような抑えめの地謡が、少しばかりの罪に対して過剰なほどの罰を受けることになった不条理さや、耐えがたい地獄の苦しみが未来永劫続く絶望感をひしひしと感じさせる効果を与えていました。

私には地謡がまるで読経しているように聞こえました。実際に読経しているのはワキなのですが、そんな読経で八大地獄の罰に値する罪深さを救うことなど不可能なのだと突きつけられるかのように・・・。

一般的な能のストーリーには、シテが救いを請う→ワキが供養→めでたく成仏\(^O^)/…というパターンが多いように思いますが、その場合は地謡も元気よく謡ってパァーッと気持ちよく終わることが多いです。しかし、今回は成仏できなかったどころか、再び苦しみの世界に自ら戻っていくのですよね。地獄の責め苦の様子を恐ろしげに描写しながらも、シテの救いを求める気持ちから諦観や絶望感へ至る心の変化がよく表れていました。何とも心が痛くなる結末です。

求塚、奥が深いですよね~。比較のために二日目の観世流も観てみたかったですね。でも、あまりに救いがなく凄惨極まりない重すぎるお話なので、二日続けて観るのはちょっとエネルギーが要るかもしれません。

5月文楽第二部「女殺油地獄」「鳴響安宅新関」

先日は竹本住大夫さんの引退狂言がかかった第一部について大真面目な感想を述べましたが、本日は別の日に拝見した第二部についてのレポートをやわらかめに書いてみます~。

女殺油地獄

《ざっくりすぎるあらすじ》
油屋の放蕩息子、与兵衛が、金目当てに向かいの奥さんお吉を油まみれ血まみれになりながら惨殺する。

文楽にはダメ男がしょっちゅう出てくるんですが、この与兵衛、私が今まで文楽で観た中で、至上最悪のダメ男です!
他のダメ男は、精神的にヤワなところがあったり、同情できる事情がそれぞれあったりするのですが、与兵衛に対しては全く共感できる余地が無く、本当に憎たらしい大馬鹿者ですた!(*`H´*)=3

私はこの演目、はるか昔に一度見たことがありました。17年前のことです。その時は、与兵衛が吉田簑助さん、お吉が故・吉田玉男さん、切場の床が竹本住大夫さんと野澤錦弥(現:錦糸)さんでした。

この配役は少し意外。簑助さんは女形、玉男さんは立役というイメージがありますので、配役逆転という感じです。お二人とも立役、女形のどちらでも器用に遣われる方ですので、まぁそんなにびっくりすることもないんでしょうが、今思い返すと結構貴重なものを観た気がします。

簑助さんの与兵衛役は結構はまっていました。女性のたおやかさを表現するのがお得意の簑助さんですが、根性が悪ぅーーい色男役もとってもお上手。本当に憎たらしくなるぐらいの徹底した悪役ぶりでした(*゚∀゚)=3

そして、その相手役となると、もう当時はつりあう人が文雀さんか玉男さんぐらいだったのでしょうなぁ。

その時の殺人シーンは今でも鮮明に印象に残っております。異様にゆっくりしていて、滑っては追いかけ、逃げては滑って、二人とも油で滑るあまりに、思うように追えない、逃げられない。追う与兵衛がこれでもかこれでもかと執拗に迫る感じが残忍さと凄惨さを際立たせていました。観る方はもどかしさを感じハラハラして、背筋が凍る恐怖心がじわじわ湧いてくるのでした~~(>ω<ノ)ノ

今回は、与兵衛・桐竹勘十郎さん、お吉・吉田和生さん、切場の床・豊竹咲大夫さん、鶴澤燕三さん。簑助玉男バージョンと比べるとはるかにスピード感があり、油で滑るシーンも、正直「滑りすぎなんじゃ…!?」と思ってしまうほど、ものすごい勢いでした。一緒に観た友人が「盗塁のよう」と申していて、言い得て妙(笑)。あれ?という間に殺人シーンが終わってしまっていて、ある意味あっさりした印象を受けましたかな。

しかしながら、人形を滑らせる技術はかなり難しくハードなものと思われます。手摺りの裏ではアスリート並の過酷な走りが課されていたようですなぁ。。。与兵衛の足遣いをなさっている人形遣いさんに手を見せて頂いたところ、痛々しく腫れていました。公演はまだ半分を過ぎたばかりでしたので、終わる頃にはもうボロボロになっちゃうんじゃないでしょうかね・・・可哀相・・・(・ω・。)

実はこの演目三回も観てしまいまして(^_^;) 最初は昔受けた印象とあまりに違っていて、あれれ?と拍子抜けな感じだったのですが、三回目に観た時は前の方の席で、人形もよく見えて、かつ、床の迫力もダイレクトに伝わる位置で、とても良かったです。さすがは勘十郎さんですなぁ。特に殺人シーン終盤で与兵衛が脇差しでぐさぐさ床を刺して這っていくシーンの狂気にはぞくぞくして鳥肌が立ってしまいましたよぉ~~~(((;゚;Д;゚;)))

鳴響安宅新関

歌舞伎十八番の「勧進帳」と同じ題材で作られた演目です。能の「安宅」が原型で、松羽目物と呼ばれ、舞台セットも能舞台を模したものです。

まず、太夫と三味線の多さに面食らいます。総勢15名!文楽廻しは三味線さんでいっぱいになり、太夫さんは舞台の奥まで連なっています。奥の方の太夫さんもう全然見えませんがな(ーー;)

舞台上で主に人形を遣う場所は舟底といい、通常の舞台床面より一段深くなっているものなのですが、「安宅」の場合は、舟底がなく床が完全に平らになっているそうな。人形の足の動きがよく見えるようにわざとそうしているらしいです。このように舟底を使わない形態は松羽目物に多いらしく、ひょっとしたら観客の目線を高くすることによって、能舞台を見上げる感覚を演出しているのかなとも思えてきます。

そんなわけで、人形遣いの腰から下がいつもより余分に見えちゃってます。人形の足が浮いたようにならないためには、少々低めに人形を構えることになり、足遣いもかなり腰を低くして遣わなければならず負担がかなり大きいようです。特にこの弁慶は派手に動く見せ所が多く、通常は出遣い(=顔を出して遣うこと)になるのは主遣いのみですが、この演目では弁慶のみ主・左・足の三人共が出遣いとなっています。今回の弁慶は、主遣い・吉田玉女さん、左遣い・吉田玉佳さん、足遣い・吉田玉勢さん。

この弁慶は足遣い卒業の役とされていて、この足遣いを立派に勤めた後、次のステップの左遣いへと出世するのだそうです。
今回足遣いを勤められた吉田玉勢さんは、既に左遣いとして活躍されている方で、十何年前にこの役の足遣いを勤められましたが、今回再びのお勤め。足遣いを卒業できる人が誰もいなかったからというわけではなく、たまたま他の配役との都合上、そうなったとのことです。玉勢さん、久々の弁慶の足、お疲れ様でしたぁ~(公演の後半日程は別の方が勤められています)。

松羽目物は太夫の語りが謡がかりだったりしますし、人形の動きにも能の所作が取り入れられているそうです。一応、橋懸かりを渡るところなどは、摺り足で歩かなければいけないらしく…、しかし、なかなか摺り足は人形には難しいようですね(地に足がついていないですもんね。笑)。歌舞伎と同じく派手な延年の舞や飛六方もありまして、お能の安宅とはかなり違っておりましたが、とても楽しく拝見しました。

着物友達のmegちゃんと♡
着物友達のmegちゃんと♡

さよなら住大夫さん(七世竹本住大夫引退公演)

住大夫さんが引退の意志を発表されたとき、いつかこういう日が来るとは思っていたが、それでもショックを受けた。

私が文楽を観始めた約20年前、住大夫さんは既に人間国宝で雲の上の人だった。

それ以来、住大夫さんは文楽の世界にいて当たり前の人、国立劇場に文楽を観に行くと必ずいる人、脳梗塞で倒れられた時ですら必ず復帰されると信じていたので、永遠に舞台を観られなくなる日が来ることは全く頭になかったのだ。

そして平成26年5月13日、住大夫さんの最後の舞台(私にとって)を拝見する日がやって来た。

恋女房染分手綱 沓掛村の段 切場。

養父・先代住大夫さんの引退狂言と同じ演目を住大夫さんご自身が選んだという。

今公演は住大夫さんが出演する第一部の入場券は早々に売り切れたという。本日も満員の観客席。ほとんどが住大夫さん目当てだと思われる。

最初の演目「増補忠臣蔵」が終わり30分の長い休憩をはさんでいよいよ「恋女房染分手綱」である。今公演は「沓掛村の段」「坂の下の段」のみの上演である。「沓掛村の段」の前が竹本文字久大夫さん、鶴澤藤蔵さんにより演奏され、文楽廻しが回って住大夫さんと相三味線の野澤錦糸さんが姿を現す。

いつもより大きい満場の拍手に沸く観客席。

そして住大夫さんの語りが始まる。引退公演だからといって気負った様子もなく、特別なことは何もない。淡々といつも通り語る住大夫さん。

その一方で、人形が演じる舞台上では、いつもと違うことが起こっていた。

住大夫さんの引退公演に花を添えるオールスターキャスト。人間国宝の吉田文雀さん、吉田簑助さんを始め、桐竹勘十郎さん、吉田幸助さん、吉田玉佳さん、桐竹紋臣さん、吉田和生さん、桐竹紋壽さん、吉田玉女さん、吉田玉志さん、錚々たる顔ぶれ。しかし、何よりも特筆すべきはその配役である。

一番驚いたのは、吉田簑助さんの倅与之助役。子供の役で普通であれば若手の人形遣いが遣う軽い役である。吉田文雀さんの八蔵母と二人きりの長めのやりとりがある。最も長いつきあいである三人の人間国宝を同時に舞台に立たせる計らいなのだろうか。三人の胸の内に長年一緒に舞台に立ち苦楽を共にしてきた思い出が蘇っていたであろうか。

また、大ベテランの桐竹紋壽さんと吉田玉女さんが端役である悪党の人形を遣って頭ぽかぽか殴られたりしていて、めったに見られない光景で、勧進公演の天地会までいかないけれど、少しお遊び的な感じにして華やかに送りたい意図があったのかもしれない。

住大夫さんの語りは良い意味で力が抜けているというか、アルファ派をたくさん出してくれる(=気持ちよく眠れる。笑)語りなのだが、今日もいつも通りアルファ派をたくさん出してくれていた。もちろん今日ばかりは全く寝てる場合じゃなかったけれど。

名残惜しくも段切りを迎え、満場の拍手に包まれ、文楽廻しが回る。住大夫さんの語りが終わっても演目は続く。心地良い余韻を残したまま。

「恋女房~」の次の演目、「卅三間堂棟由来 平太郎住家より木遣り音頭の段」の切場、豊竹嶋大夫さんと吉田簑助さんの熱演が圧巻で、実を言うと本日拝見して最も良かったと感銘を受けたのはこちらの演目の方であった。

引退する人とこれからも活躍する人の違いが如実に表れていた。嶋大夫さんと簑助さんもご高齢だが、脂が乗った状態はまだ続いているし、これからもご活躍なさっていくだろう。

住大夫さんほどの人になると、語りというものが、食べたり呼吸するのと同じ生態活動のようなものになっていて、何の苦も無く自然に身体が動くのだろう、だから力が入らず自然体なのだろうな、と思う。しかし、老いと共に普通に食べたり呼吸するのも辛くなる時があるように、語りも辛い時があるようになってきたんだろうな。そういうことだと思う。

今回、観に行って本当に良かったと思う。
まだ引退しないでほしいとも思っていたが、本日の舞台を拝見することで、これが引退にふさわしい時期だったのだと納得することができた。
住大夫さんも余力が残った状態できちっと最後まで演じ切って辞められれば悔いはないと思う。ぼろぼろになりながらも続けて思い通りの語りができないことが重なり悔いを残したまま辞めざるを得なくなるよりずっと良い。

過日、第二部の方を拝見したのだが、第一部に重鎮の方々のご出演が集中してしまったせいなのか、若手中心でキャスティングされ、かつ、出番も多かったり長かったりで、非常に若々しい舞台に仕上がった印象だった。
第一部と第二部を比較してみると文楽の世代交代を見ているようで、住大夫さんたちが長年培ってきた歴史を感じるとともに、若い技芸員たちが確実に育っていることに気づかされるものでもあった。

まだ千秋楽まで二週間ありますが・・・

住大夫さん、長きに渡って文楽の第一線でご活躍され、文楽の振興や後進の指導にご尽力され文楽界を牽引し、偉大な功績を残されたこと、尊敬の念に堪えません。本当にお疲れ様でございました。今後もお身体にお気をつけになって、お元気に日常を過ごされますよう、心よりお祈り申し上げております。

9月からはここで住大夫さんを観られなくなる・・・
9月からはここで住大夫さんを観られなくなる・・・

公演プログラムには、住大夫さんミニ写真集の付録が!
公演プログラムには、住大夫さんミニ写真集の付録が!

称名寺薪能

昼間、鎌倉観光をたっぷり楽しんで、一路横浜へ。目的地は金沢文庫駅から歩いて一五分のところにある称名寺です。GW期間中はライトアップしているとのことで、ライトアップした橋や建物をバックに薪能が見られるということで、期待が高まります。

地元のための催しということで、区役所窓口でチケット販売されており、良い席は窓口で買うのが一番なのでしょう。ネットで買ったせいか、かなりの後方席。しかも、私の一つ後ろの列からは一段高くなっているのに、最前列から私の列までは全く段差が無く。もう一つ後ろだったら良かったのに・・・(´・ω・`)

なんだか雨が降りそうなビミョーな天気になってきました。寒っ!薪能では絶対に忘れちゃならない防寒対策を全くしてこなかった(ーー;) ダウンを着ている人もちらほら。まずいな、こりゃ。

最初に横浜副市長の挨拶があり、次にこの地域の子供達や一般の素人さん達の謡が披露されます。子供達も全員着物でかわいい♡ 謡っている最中に遠くから唄声が聞こえてきます。何か別の催し?薪能をやる日に別のイベントを重ねるなんて気が利かないなと思いました。せっかく謡っている声が全く聞こえません。

素人さんの謡が終わると火入れ式です。この薪能にずっと参加しているという地元の方が火入れ奉行を勤めます。火が本堂から運ばれてくるのですが、先ほどの唄声がだんだんこちらに近づいてきます。あれ?別の催しではなかったの?そして松明の火と一緒に法被姿のいなせな男達が唄いながら会場に入ってきたのです。どうやら地元のきやり保存会の人達で木遣り唄のようです。儀式の一環としてこの行列行進を入れたのでしょう。しかし、素謡の最中にいれたのはいかがなものでしょう。謡っている最中に別の音が入るなんて普通の謡曲会や発表会ではありえませんぜ。せっかく習った成果を披露しているのにはっきり言って邪魔。せめて発表が終わってから、火入れの行列を始めれば良かったのではないかな?

火入れ式が終わり、仕舞、狂言「蚊相撲」能「放下僧」と続きます。天候の関係で休憩はなしになりました。、確かに雨降りそう。あるいは謡の発表と木遣り唄がかぶったのも、時間を短縮するためだったのかもしれません。運営側の苦労がしのばれます。しかし、寒い中であるからこそトイレ休憩はしっかり確保して頂きたかったと思います。トイレが会場内に無く、いったん会場の外に出ないとならないので、休憩を設けると戻ってくるのに時間がかかり、予定が押してしまう懸念があったのかもしれません。

雨が降ってきたら、もっと悲惨なことになるのはわかっていますが、観客には不親切な対応だったと感じ残念に思いました。

肝腎のお能ですが、前の人の頭でほとんど舞台が丸ごと見えませんでした。段差の無い列のお客さんは皆、右か左に頭を傾けて必死に見ようとしています。椅子もすこしずつずらすように配置して、前の列の頭と頭の間から見られるようにすればいいのに・・・と思いました。私はもう観ようとするのを諦めて、聴くことに専念、一度見たことがある演目なので、今あれやっている、これやっているとひたすら想像です。

幸運にも結局雨は降らず。美しいライトアップを堪能して参りました。次に見に行く機会があったらぜったいに正面席の前の方を取ろう!

金剛流定期能 「濯ぎ川」「二人静」@セルリアンタワー能楽堂

4月20日(日)午後13時開演 セルリアンタワー能楽堂
解説 金子直樹
狂言「濯ぎ川」 
 男 茂山千五郎 
 女 茂山茂 
 姑 茂山正邦 
能「二人静」
 シテ(女/静御前の霊)金剛永謹 
 ツレ(菜摘女)    金剛龍謹
 ワキ(勝手明神神職) 宝生閑(工藤和哉休演につき代演)
 アイ(従者)     松本薫 
 笛 藤田次郎 小鼓 森澤勇司 大鼓 亀井実
 後見 宇高通成 廣田幸稔 豊嶋幸洋
 地頭 今井清隆

○狂言「濯ぎ川」

60年前に劇作家の飯沢匡さんが作られた新作狂言だそうです。飯沢さんが大蔵流に贈られたそうで、また、最初に上演した茂山千五郎家でしか実質上演されていないとのこと。茂山家は京都の狂言方なので、東京での上演機会は少ないため今回はとても珍しいものを観られたと思います。

<あらすじ>
嫁と姑にいつも用事を言いつけられこき使われている婿がいた。川で洗濯をしていると、嫁と姑が入れ替わり立ち替わり現れて、まだ終わらないのか、愚鈍な男だ、などと罵倒し、他にもあれしろこれしろと次々と用事を言いつける。たまらなくなった婿は、やるべきことを紙に書いてもらい、それ以外のことはやらないという約束をとりつける。婿が洗濯をしていた小袖を川に流し、流された小袖を取りに入った嫁が流されて溺れそうになるが・・・。

この後の展開は想像がつきますよね(笑)

新作狂言ですが、伝統的な狂言の形式をしっかり踏襲した演目です(言われなければ新作とはわからないほどです)。とても楽しく拝見しました。嫁と姑が最強で、入り婿の立場では頭が上がらないなんて、今も昔も変わらない永遠のテーマですよね。婿が「さてもさてもわわしい女どもかな」と忌々しく言うところ(しかし嫁姑に直接は言えないところ)など、見所の男性のお客さんもわかるわかるみたいな顔して見てました(笑)

○能「二人静」

今月初めの夜桜能で観世流の二人静を観ました。
夜桜能 第三夜 「二人静」

あらすじはこちらに書きました。
琵琶と語りと夢幻の世界

本日は金剛流の宗家と若宗家の親子が二人の静を舞います。親子だからでしょうか、声質も体格も似ていて息もぴったりです。

観世流で見た時は、静の亡霊が床几(葛桶)に座って菜摘女が一人で舞う場面があったのですが、今回はなかったです。ひたすら相舞です。流儀の違いなのか演出の違いなのかはよくわかりませんが、全然違っていて面白いと思いました。観世流と同じく二人は全く同じ装束をつけて舞います。長絹の紐の色と扇の柄が若干違っていました。それ以外は全く一緒。身長差がそんなになかったので、目を離してしまうと本当にどっちがどっちなのかわからなくなりそうです(笑)

二人静はもちろん舞が見どころの曲と言えますが、菜摘女が神官に報告している最中に静御前が取り憑いて途中から急に静御前の語り口調となる場面などはお芝居として観ても面白いところです。今回は取り憑く前後で極端に声色が変わったりはしなかったのですが、変わる瞬間のタメが絶妙でした。その一瞬のタメによって、アッここで取り憑いた!と観ている者がわかるのです。すごいなぁ。

しかし菜摘女に取り憑いたのに、さらに自分自身も出てくるとは、よほど供養してほしかったのねん。静たん。(´・ω・`)

おワキが工藤和哉さんの予定でしたが休演とのことで、宝生閑さまが代演されました。思いがけず閑さまを拝見できたのは嬉しいですが工藤さんは体調でも崩されたのでしょうか。心配です。

さて、セルリアンタワー能楽堂ですが、東急ホテル内にある能楽堂です。実はこれまで御縁がなく一度も入ったことがありませんでした。こじんまりしていますがしっかりと能楽堂です。ホテル内の施設なので瀟洒な感じです。お手洗いも広くて化粧スペースも独立していて使いやすくありがたいことです。スタッフさんの対応も丁寧に行き届いていてとても気持ちが良かったです。ここで結婚式もできちゃうみたいですよ。今回初めて入りましたので、許可をいただき舞台と見所の写真を何枚か撮ってきました。

国立能楽堂 4月定例公演 「酢薑」「海士」

4月18日(金)18:30開演 国立能楽堂

急に予定がキャンセルとなりヒマになってしまったので、冷たい雨の中、ふらりと国立能楽堂に来ちゃった私。ふらり能楽堂のときは一番安い席と決めています。中正面席2430円(あぜくら会価格)。でも右端でほぼ正面席と変わらぬ見やすい位置。ラッキー☆

国立能楽堂の主催公演は、週末だと満席のことも多いのですが、本日は平日夜のため、しかも雨だからか空席が目立ち、がらすきでもないけど閑散とした雰囲気。通常の公演より外国のお客さん比率がとても高かったです。チケットがお安く英語字幕ありだからでしょうか。

見所でマナーの悪い人と遭遇してしまい残念だったのですが(※)こうして舞台を思い返してみると今となってはどうでもいい話になりました。良い思い出だけを残し、悪い思い出は忘れましょう!

※その話はこちらに詳しく(能楽堂で隣り合う人を選べないがために若干満足度が下がったという話)

○酢薑

薑売りと酢売りが出会い、自分こそが商売司と、お互いの商売物の由緒を自慢し合い、さらに薑の辛いの「から」と酢の酸っぱいの「す」がついた言葉を言い合って勝負します。二人は街を巡りながら目に入るものを次々とテンポ良く言葉にしていきます。競っているつもりがお互いの優れた秀句に感心して笑ってしまう。交互に秀句を発しては二人で大笑いする繰り返しでなごやかな良い雰囲気に。意気投合した二人は最後は一緒に商いをしようと言い笑って別れます。

他愛のないやりとりですが、対立していた二人がすぐに仲の良い雰囲気になり、リズミカルな言葉遊びも楽しく、最初から最後まで温かい笑いにつつまれていました。

薑(はじかみ)とは生姜のことですが、辞書をひいたら古には山椒のことだったらしいです。どちらも辛いのでどっちでもいいですけど!

シテ(酢売り)が三宅右近さん、アド(薑売り)が石田幸雄さん、同じ和泉流ですが、家が違うのでこのお二人の共演はちと珍しかったです。
このあと石田さんは野村狂言座にご出演のため、宝生能楽堂へ移動してハシゴ出演されたはず。お疲れ様でした!

○海士

観世流なので「海士」ですが、他流では「海人」と書きます。読み方は「あま」です。おシテは浅見真州さま。

淡海公(藤原不比等)との間にできた子の立身出世のために自分の命と引き換えに龍宮から宝の玉を奪還した母のお話。

このお宝奪還のエピソードを語る箇所は「玉ノ段」と呼ばれ仕舞でも観る機会が多く、舞・謡ともに見どころ聴きどころの場面です。

母は剣を手に龍宮に飛び込み、三十丈の玉塔に籠められ龍王や悪魚・鰐たちに守られた玉を奪います。剣で乳房の下を掻き切って奪った玉を押し込め(うひゃあ!痛そう…)死んだと思わせて追っ手を惑わし逃げきります(龍宮の連中が死人を忌み嫌う習わしを利用して死んだふりをし、あらかじめつないでおいた命綱を地上の人々にびゅんと引っ張ってもらう。頭いいなこの人は)。壮絶すぎまする!結果母は死んじゃうんですけど、宝の玉は無事に淡海公の手に渡ります。我が子の将来のために母は命をかけたんですね。すごいな、この母は!

母の望み通り大臣となった藤原房前が母の供養のため讃岐の志度の浦を訪れたところ、一人の海士が現れ(房前の母の亡霊)、水面に映った月が観たいから邪魔な海中の藻を刈ってきてよ、と頼まれ、そういえば昔も海に潜ったことがあった、と語りだすのが先述の玉ノ段の箇所。房前は海士が自分の母の霊だと知り、追善法要の管弦講を催すことにします。

中入り後に海士は龍女に変身して再登場!早舞といって通常は貴人の男性などが舞うかっこいい舞を舞います。本日は《懐中之舞》という小書(特殊演出)つきでしたので、後シテの龍女が懐中に経典を入れたまま舞い、舞い終わったあとに経典を房前に渡します。小書なしの場合は、舞う前に渡すそうです。
経典を懐中に入れたまま舞うことで、御経の力で成仏できた感がより一層増すのでしょう!御経ありがとう!おかげで成仏できたわ、いえぇーーい!という喜びにあふれた様子でノリノリで舞うシテ。子供にも会えたし、もう思い残すことはないことでしょう!

房前大臣の役は子方が勤めます。今回は谷本悠太郎くん、まだ6~7歳くらいの小さい子でした。1時間50分ほどの長丁場、床几に腰かけているとはいえ、最初から最後までじっとしていなくてはならず、しかも子方の型やセリフが多いこの曲、かなりたいへんだったと思います。やはり後半はちょっときつそうだったかな。しかし最後まできちんと勤めあげました。受け取った経典をたどたどしく巻き巻きする様子がかえって微笑ましかったりして。子供は可愛いというだけで全て許されますですネ。

強き母(海士/龍女)が最初から最後までかっこいいこの曲、たびたび観たいと思わせる演目であります。

野村狂言座「蟹山伏」「花盗人」「六人僧」

4月17日(木) 18:30開演 宝生能楽堂

○解説

本日の解説(※)は野村萬斎さまです。解説は万作の会の皆さんが持ち回りでなさっていますが、誰なのかは当日行ってみないとわかりません。(※)解説者が誰であるかはチケット予約サイトでわかるそうです。(ひろみさん情報ありがとう\(^_^)/)
18時30分と早い時間に始まるこの公演、解説に間に合わないことも多いんですが、本日は半休とって会場前に到着、間に合って良かったぁ。

さあ、今回、初めて知ったことは、和泉流は謡本を刊行できないそうで。理由は家元がいないから(へぇ~)。古本屋でしか手に入らない、と萬斎さま。確かに能楽堂で和泉流の謡本は見たことないわな。

さてこれ以降、萬斎さまの解説の内容も織り交ぜまして、各演目の感想などを。

○小舞「海老救川」「田村」

「海老救川」、各地の川の名とそこで獲れるいろいろな海老の名が出てくる楽しい曲です。萬斎さまが子供の頃、初めてお稽古した時に、謡の最後の一節で吹き出したと仰っていたので、一所懸命謡に集中して聴いていたら「海老のハナゲ」という文句が!鼻毛!?海老の触覚のことらしいです。いかにも小学生男子のツボにハマりそうな単語ですよね(笑)

「田村」は能から逆輸入した曲である、と萬斎さま。我々には狂言は能の先行芸能であるという意識がある、と仰っていました。確かに現在では狂言は能の添え物扱いになっているようなところがありますから(狂言の間に休憩している観客も少なくないですし…)それに対する反発があるようですね…。

○狂言「蟹山伏」

山伏物の演目は少ないが人気があってどれもよく上演される、と萬斎さま。

山伏と強力が山で正体不明の化け物と出会い、化け物がかけた謎かけを解いて蟹の精であると見破り退治しようとするが、逆に二人とも耳を挟まれてしまう。

各地に蟹問答の民話や伝説が残っています。謎かけを挑んで答えられなかった僧侶を次々と殺していた化け物を、ある僧侶が謎かけを解き蟹の精の正体をあばいて退治した、という話です。
蟹山伏はこの話をルーツにしたと考えられていますが、民話では蟹の精は退治されるのに、狂言では反対にとっちめられるところが面白いところです(しかも殺されるわけじゃなく耳を挟まれる程度なのが微笑ましいですね)。

狂言では蟹の精など人間以外の役の場合に面をかけますが、子供が演じる場合には面をかけないんだそうです。
本日の子方は素人のお弟子さんとのことで、このように時々素人さんにも舞台を経験させているんだそうです。可愛らしく伸びやかに上手に演じていました。こういう経験をきっかけに、将来、狂言師になってくれれば嬉しいですね。

○狂言「花盗人」

他人の庭の桜の枝を盗んで、庭の主人に捕えられ縄をかけられた男。自分の不遇を儚み行為を悔いて涙を流し、桜にちなんだ古歌を詠みますが、盗人の風流な感性に感心した主人が縄を解いてやります。主人は盗人に酒をふるまい、謡や舞で宴となり、二人で桜を愛でます。満足した主人は盗人に桜の枝を与えます。

萬斎さまによると、笑うところはなく渋い曲、大蔵流の方が面白い、と仰っていました(笑)大蔵流はたくさん人が出てきますが、和泉流は登場人物が二人です。しかし、花尽くしの古詩、古歌、小謡、小舞が次々と披露されて味わい深い芸を楽しむことができ、舞台上に桜の花が飾られて春を感じられ、私は大好きな演目です。

万作さまが縄をかけられて、泣くシーン。なんだか最近、万作さまの泣くシーンをよく見ているような。万作さまの泣き姿は本当に可哀そうで見ているこちらまで切なくなります。あぁーーー、泣かないでください、万作さま…。でも、最後にめでたく終わってホッとします。

狂言には対立している者同士が最後に仲良くなりめでたく終わる曲がたくさんあります(もちろん、やるまいぞやるまいぞ~と怒られて終わるのも多いですが。笑)。風流だからと言って許してあげるところなどは心の豊かさや懐の深さを感じます。世知辛い世の中でも気持ちは斯くありたいものです。

○狂言「六人僧」

三人の男が諸国仏詣の旅に出かけるが、道中、絶対に腹を立てないという誓いを立てる。夜、一人が熟睡しているところ、他の二人がいたずら心を起こして、寝ている一人の頭の毛を剃ってしまう。目を覚ました男が二人の仕業に気付いて憤慨するが、腹を立てない誓いを立てたと返されて二人を責めることもできない。男は何とか仕返しをしたいと思う。国元へ帰り、二人の男の妻を訪ねて、夫らは川で溺れて死んでしまった、そのため自分は二人を供養するために頭を丸めて出家したのだと嘘をつく。二人の妻は悲しみ後を追って自害しようとするが、男はそれを止め、出家して供養するのがよかろうと勧め、二人の妻の頭の毛を剃ってしまう。そうして男は二人の男のもとへ引き返し、妻たちが夫は浮気するために旅に出たという噂を本気にして嫉妬に狂い刺し違えて死んだと嘘をつく。二人は最初は仕返しの嘘に違いないと信じないが、男が剃髪して得た妻たちの髪の束を遺髪だと言い差し出すとすっかり真実だと思い込み自分たちも仏門に入る決心をし頭を丸める。ところがじきに二人の男が真相を知るところとなり、妻たちをそそのかした男の妻も尼にしてやろうと息巻くが・・・。

この演目は初めて観ました。和泉流にしかないらしく、あまり上演されない曲のようです。比較的長い曲ですが、ストーリー性があって登場人物も場面展開も多く、たいへん面白かったです。
いい大人がいたずら心を起こして実行しちゃうところはいかにも狂言ぽいですが、ここまで演劇的な展開の曲は珍しいのではないでしょうか。次はどうなるんだろうとドキドキしながら拝見しました。

最初にいたずらされたシテの石田幸雄さんが機転を利かせて二人の男に一矢報いるところ、一枚上手な感じはさすがです。痛快でした!

能楽堂で隣り合う人を選べないがために若干満足度が下がったという話

昨日、セルリアンタワー能楽堂で隣の男性が最初から最後までずっと鼻水をずずずーっとすすり続けていて、マスクしていたので風邪か花粉症だと思うんですけど、せっかくの静寂が破られて幽玄な雰囲気がぶちこわしに。マナーが悪いわけではなく、生理現象は仕方がないと思うんですけど、休憩時間に鼻をかむとか周りに気を遣ってほしかったなと思う。まあ、かんでも出てきちゃうのがハナですが(笑)

まあ、そんなのはまだたいしたことないんです。音のマナーの話は以前(※)にも書きましたが、今回はさらに目が点になるツワモノに遭遇しました。ちょっと聞いてよ奥さん!

※こちらに詳しく(能を観るときの雑音について考えてみた)

金曜日の夜に国立能楽堂の定例公演に行きました。

狂言が始まって5分ほど経った頃、空いていた隣席に若い女性が遅れて到着。

すると彼女、バッグを床に置いたが、バッグの中からスマホをわざわざ取り出してひざの上に置く。オイオイ、ここは電波は届かないよ、意味ないよ、それにスマホの電源を切りなさいよ、と思う私。既に狂言が始まっているにも関わらず、時々、スマホいじっている。チラ見したらLINE(か、その類のチャット)やってる!なんでよ、電波届いてるの?国立能楽堂は携帯電話の電波をスクランブル抑止しているはずなのに!?

思わず画面に目をやるとチャットの会話は中国語。それに一緒にひざの上にのせていた東京の地図、地名は中国語の簡体字で書かれていて、皇居などの観光スポットに手書きでマルしてある。中国語をメインで使う外国からの観光客と思われます。

彼女、たまーに舞台をチラ見するものの、ほとんど最初から最後までずーーーっと下見たままスマホいじってた。

日本に来たのだから何か日本的なものを観たいと思って能楽堂とやらに来てみたのかもしれないけど、途中まで見て退屈になったからというのならまだしも、到着して即刻その調子だったので全く理解できません。他の誰かと一緒に来て本人は乗り気じゃなかったというのならわかりますが、彼女は一人で来てました。いったい何しに来たんだよぅ~。

周りの観客がマナーが悪くてもなるべく気にしないようにしたいんだけど、音を立てなくても画面の光が目に入るし、隣で頻繁にフリック入力されるとやはりどうしても気が散っちゃいます。お願いだから能楽堂の見所では携帯電話使わないでくださいよぅ。使うなら外に出てやって!

国立能楽堂や国立劇場の観客席では携帯電波をスクランブル抑止しています。気になったので終演後に自分の携帯電話とモバイルwifi(ドコモ)の電源を入れてみたら、案の定圏外でした。なるほど全ての周波数に対応しているわけではないのか。マナーの悪い人と隣り合うかどうかは運を天に任せるしかありませんね!

琵琶と語りと夢幻の世界

友人が出演する琵琶の演奏会に行って参りました。渋谷のバリカフェで。琵琶とバリ島って不思議な組み合わせですよね。

琵琶といっても、平家物語の琵琶法師みたいのではないようです。

先週、別の場所で薩摩琵琶の演奏を聴きました。平家物語の「祇園精舎」やおなじみの「さくら」を演奏したのですが、まぁ琵琶のイメージそのままでした。「さくら」では咲いた桜も散るところまでいっちゃいそうな激しい感じの演奏でしたよ(笑)

今回は筑前琵琶のようです(違いはよくわかってないです。汗)
しかも、創作音楽!だそうな。どんなのでしょうか!?わくわく((o(´∀`)o))

<第一部>ナカムラユウコさん
「赤い蝋燭と人魚」
このお話は、子供のころに読んだことがありました。原作は小川未明さんという「日本のアンデルセン」と呼ばれた作家が書かれたそうで、それにナカムラユウコさんが曲をつけ、語り、歌い、演奏します。お話を読んだときはあまりに幼かったのでなにやら悲しい話だったという記憶しかなかったのですが、琵琶の演奏と共に聴いて、悲しさが何倍にもなって押し寄せてきました。そしてそれ以上に恐ろしさが何倍にも!やはり怖いお話には琵琶の音色は合っているなぁ~~~。

民謡三題
「五木の子守唄」
「祖谷の粉挽き唄」
「朝日のあたる家」
五木の子守唄はよく知られているメロディーとは違うバージョンでした。実際に地元で唄われている節だそうです。祖谷の粉挽き唄は労働歌だけど詞(ことば)がキレイなので気に入って歌っているとナカムラさん。「朝日のあたる家」はアメリカ民謡だそうですが、琵琶ととてもよく合っていました。

<第二部>藤本はるかさん
ここで我らがはるかちゃんの登場!いぇーーーい!\(o^▽^o)/

「月とあざらし」原作:小川未明
前述の「赤い蝋燭と人魚」と同じ作家の作品です。先ほどの「赤い蝋燭~」は怖い終わり方でしたが、このお話の最後は救いがあってホッとしました。前半は寒々とした北の海で子を失ったあざらしが寂しいと訴えるシーンが続くのですが、後半、あざらしのために楽しいものを与えたいと願った月が見た、人々が笛や太鼓で踊るシーンでそれまでとガラッと曲調が変わり音楽が俄然楽しく!琵琶で楽しい曲調の演奏は初めて聞きました。イメージとしてはウクレレで奏でる曲のような。琵琶でハワイアンもいけそうだわ~。

「虔十公園林」原作:宮沢賢治
いい話だなぁ~。宮沢賢治といえば「銀河鉄道の夜」「雨ニモマケズ」などの有名作品しか思い浮かばない私ですが、こういう短編もあったのですね。
知恵おくれの虔十(けんじゅう)が杉の苗を植えて林を作るが、うまく育たず冗談を真に受けて下枝を刈ると枝がほとんどなくなって明るくがらんとした林になってしまった。しかし子供たちの格好の遊び場になり、虔十は後にチフスで亡くなってしまうが、この林で遊んで育ち立派になった大人たちが林を残すことにして、その公園林がその後も多くの人々に本当の幸せとは何たるかを教えたという話。
このお話は知らなかったので、はるかさんの語りで聞けて良かったです。良い作品に出会うためにも琵琶の語りは一役買うなぁと思いました。

<第三部>ナカムラユウコさん/藤本はるかさん
「二人静」
おぉーーー、偶然にも3日前にお能で「二人静」を観てマイブームが来ているワタシには嬉しい曲目であります!

正月に菜摘女が若菜を摘んでいるとどこからともなく一人の女が現れ、自分の跡を供養するよう神官に伝えることを求める。菜摘女が名を尋ねると答えず、疑う者があらばそなたに取り憑き名を明かすと言って去る。菜摘女が神社に戻り神官にそのことを告げるが、つい疑う言葉を発してしまう。そのとたん最前の女が菜摘女に取り憑き、自分は静御前とほのめかす。神官は静御前ならば舞って見せれば跡を懇ろに弔おうと言う。菜摘女が舞の装束をつけ舞い始めると、全く同じ装束を身につけた女が現れ一緒に舞い始める。現れた女は静御前の亡霊であった。静の亡霊は再び神官に回向を頼み消え去っていく。

お能では能面をつけた二人がぴたりと動きを揃えて同じ舞を舞うことから非常に難易度が高い演目とされています。さて、琵琶演奏ではいかに?

ナカムラさんが静御前の亡霊、はるかさんが静御前に取り憑かれた菜摘女のお役です。
ナカムラさんが語る静御前は、吉野山で捨てられて疲れながらも気品と気高さを持ち続けている雰囲気が出ていました。はるかさんは最初は素朴な乙女の菜摘女だったのが、取り憑かれた瞬間、声の調子が変わり、周りの空気がさぁーっと変わって。このあたりは演劇的な感じです。さすが平家物語朗読で鍛えられています!

言葉づかいは古めかしく謡曲の詞章に近い感じです。でも詞がすんなりと入ってくるのは音楽のせいもあるのでしょう。二人の語りが重なり合い琵琶の合奏が始まったとき、能の相舞のように息がぴたっと合っているのがわかりました。二人の合奏は静御前の無念や悲しみにあふれていました。二人の静が寄り添って舞う姿が見えたような気がしました。

「祇園精舎」
ここでスペシャルゲストのご登場!アフリカの打楽器を演奏される方だそうです。
まず、楽器の説明がありました。仏事で使われる鈴(リン)(=シンギング・ボウルというそうです。へぇ~!)や、アフリカの子供たちのおもちゃが起源のお手玉のような楽器、口琴(「僕らの世代ではど根性ガエルでお馴染み」とおっしゃっていましたが、お若く見えるのにおいくつなのでしょ?笑)などが紹介されました。

琵琶といえば平家物語。先日、薩摩琵琶で「祇園精舎」を聞いた時は、ほぼイメージ通りのおどろおどろしい演奏でした。
しかし今回は!始まってみてびっくり!これはまさしく「ロック祇園精舎」であります!!
祇園精舎の!祇園精舎の!祇園精舎の鐘の音ーーー(いぇーーーー)!!
琵琶ですがまるでギターのようなリズム。ディープパープルのごときリフです。かけ声も、ワンツースリーフォーだし(笑)
めっちゃノリノリです!演奏者さん方も楽しそうです♪諸行無常感がどっかに吹っ飛んじゃう感じですが(笑)まあいいんです♪もう最高に楽しかったから!\(^o^)/

アフリカ打楽器奏者さんが参加されることが決まって、リズム入れよう!ということになったんだそうです(byはるかちゃん)。この自由なノリがまた良し(^_^)v

本当に失礼ながら、琵琶って暗い曲ばかり演奏されているイメージがあったので、今回は目からうろこが落ちました。やりようによって何でもアリだなって思いました。一番前のかぶりつきの席で観ていたのですが、本当に楽しくてあっという間の2時間でした♪

お二人の着物姿もとてもお似合いで素敵だったです。

琵琶と語りと夢幻の世界
~花を散らすと見る夢は春の弥生の琵琶ものがたり
2014年4月6日(日)15時半~
@バリ カフェ モンキーフォレスト(渋谷区)
琵琶演奏と語り:ナカムラユウコさん、藤本はるかさん

弓矢立合@よみうり大手町ホール開館記念能

先月末、勤務先の1ブロック隣によみうり大手町ホールが開館しまして、こけら落としの能楽公演を拝見して参りました。

中でも江戸幕府が江戸城大広間で行っていた正月3日の謡初式を再現したという演目は初めて拝見しましてたいへん珍しかったのでレポートを書いてみます。

筆記用具を忘れてしまい記憶だけを元に書き起こしたので曖昧な点はお許しください。また、舞台から遠かったためよく見えなかった場面もありまして(始めから言い訳モードですみません)。ご覧になった方、記憶違いの部分、正確さに欠く部分へのご指摘歓迎いたします。

橋掛りより三流の宗家(観世流=観世清河寿氏、金春流=金春安明氏、金剛流=金剛永謹氏)、地謡方(各流3名ずつ合計9名)が入場します。全員が素袍裃に侍烏帽子のお姿です。三宗家が前列、地謡方が後列の二列にずらりと並び、後座(本舞台の後方)に着座します。

続いて半裃姿の男性が1名入場。番組を見ると御奏者番とあります。御奏者番は目付け柱(本舞台前方左端)の位置に立ち、三宗家と地謡の方に向きます。

三宗家、地謡方が一同深々と礼をします。額が床につかんばかりの平伏です。江戸城儀式の再現ですから将軍様に対する礼であると理解。一同が平伏したまますぐに謡が始まります。

観世流宗家による「四海波」。なんと深くお辞儀したままの体制で謡います。宗家のお顔が徐々に赤くなり体が小刻みに震えています。これはとても辛そうです…!

切戸口よりワキ方、囃子方が入場します。素袍裃、侍烏帽子です。ワキは福王流宗家、福王茂十郎氏(なぜ公演プログラムに紹介がないのか!?)。

ワキは観世流宗家の左隣に着座。囃子方(笛・小鼓・大鼓・太鼓)は地謡座(本舞台右手)に着座しました。

番組を見ると観世・金春・金剛の順に三宗家による居囃子、とあります。居囃子とは何ぞや?と思って見ていたら、曲の一部をお囃子付きで謡うものでした。舞は無いので座ったままです。

観世流「老松」、金春流「東北」、金剛流「高砂」の居囃子が立て続けに演奏されます。

観世流の居囃子が終わるとワキ、太鼓はいったん切戸口より退場しました(金春流の居囃子には出番なし)。

そして、金剛流の居囃子が始まる際にワキと太鼓が再び入場します。ワキは金剛流宗家の右隣に着座します。

三流儀の謡を続けて聴くと、流儀の違いなのか個人的な違いなのかわかりませんが、三者三様、各宗家のキャラクターの強さもあってかあまりにも違うのでとても面白く。曲の違いもありますけど、こんなに違うものなんだなぁ~と興味深く聴き入りました。

居囃子が終わった時点で、御奏者番とワキ方、囃子方は一旦退場します。

再び御奏者番が入場し、新たに御使番と呼ばれる二人が入場しました。御使番も半裃姿で、一人は装束らしきもの、もう一人は鬘桶(かづらおけ)を持ってます。

三人はワキ座(本舞台の右手前方)まで行き着座します。御奏者番が鬘桶に腰掛けます。

三宗家が代わる代わる御奏者番の前に行き頭を下げますと、御奏者番は白い装束を宗家の肩にかけます。かけ方はバサッといささか乱暴な感じです。宗家は深々と礼をしています。宗家が定位置に戻ると流儀の地謡方が宗家に装束を着つけます。

白地の装束は裏地が真赤で綿が入っているような分厚さに見えました。遠目からはどてら(丹前)のように見えました。儀式的に意味がある装束なのだろうと思いますが、どてら着たお三方、ちょっと可愛らしかったです(笑)

三宗家にどてら(注:どてらという呼び方は私がそう見えたというだけで、能楽的には違う呼び名があるかもしれませんが知らないのでゴメンナサイ)を渡した後、御奏者番は何やら紙のようなもの(あるいは布?)を床に放り投げました。床に放られた紙(or布)は、金剛流の地謡の一人が取りにきてまた定位置に戻りました。
どてらのぞんざいなかけ方や投げ与えるという行為から察するに、御奏者番は相当身分の高い人であることがわかります(今回は能楽師でなく作家で国文学者の林望氏が勤めていました。江戸時代は老中あるいは大名級の人が勤めたのか??)。

三宗家による舞囃子「弓矢立合」。「弓矢立合」とは「翁」の上演形式のひとつだそうです。能面はつけません。三宗家が舞い始めると同時に囃子方が切戸口より再入場します。

謡は「釈尊ナ釈尊は~」という詞章から始まりました。元々は「桑の弓蓬の矢の政」から始まるもっと長い詞章だったのが、江戸中期から各流で詞章が変わってしまい、途中のこの部分から舞うようになったとお伺いしています。
詞章が同じでも流儀が違えばリズム、スピード、高低や強弱が異なるものと思われますが、意外と違和感はありませんでした。リズムとスピードはお囃子のおかげでおのずと合うのかな?

舞はもちろん流儀ごとの型で舞われているので、謡以上に違いが目立ちます。逆の方向に動いたりしてぶつからないのかな~とか要らぬ心配をしてしまいましたが、きっと事前に申し合わせしてますよね。
三人で舞うと全く違う型であっても不思議とハーモニーのように相乗効果を生んで一つの面白い作品に仕上がっていました。以前に狂言方の和泉流と大蔵流で同じ曲を同時に舞うという企画を観たことがあるのですが、共通している部分+異なる部分があるため、相違部分ではふくらみが出てむしろダイナミックになり、共通部分で調和が取れて全体のバランスを崩さずにまとまるといった感じで意外としっくりきたのを思い出しました。

(すみません、このあたりからかなり記憶がアバウトになってきています・・・全然レポートになってませんね。お許しください・・・)

弓矢立合が終わった後、御奏者番が宗家(観世宗家だったと思う)に布と思しきもの(小袖かな…?)を渡しました。そして、御奏者番はおもむろに自分の肩衣を脱ぎだしました!(何??いったい何が始まるの!?と一瞬焦るワタクシ。袴まで脱ぎださなくて良かった…。←何考えてるんでしょうかね。笑)そして脱いだ肩衣を軽くたたんで床に放り投げました。宗家(だったと思うがどっち?金春?金剛?両方?もはや記憶が…(゚_゚;))が前に進み脱ぎ捨てられた肩衣を拾って戻ります。後ろで二人の御使番も肩衣を脱いでいます。こちらは放り投げずたたんで自分たちのそばに置きます。

囃子方は退場したかもしれないし残っていたかもしれない…。ストリップのパニックでそこまで注意が及びませんでした(*゚∀゚*)

最後に御奏者番、御使番が正先(本舞台中央前方)に進んで客席側へ向いて着座し、後方の三宗家&地謡方を含め舞台上の全員が平伏します。御奏者番が謡初式が滞りなく相済みし旨を、高らかに宣言します。そして全員退場して終了です。

いやぁ、何もかも目新しくて実に面白かった!筆記用具とオペラグラスを持って行かなかったのを後悔しました。能楽堂でなくホールだったせいなのか、リラックスして見られましたねぇ。通常の「翁」で感じるような共に儀式に参加しているような緊張感はなく、好奇心を持って記録映像を傍観しているような感覚でした。

20分の休憩をはさんで、狂言「棒縛」。人間国宝の野村萬さん、野村万作さん兄弟の共演。萬さんの太郎冠者、万作さんの次郎冠者。主人(野村万蔵さん)の留守中にお酒を飲むので縛られてしまった二人がやっぱり策を講じてお酒を飲み主人に見つかって怒られるのがとても楽しかった。このお二人が同じ舞台上で共演するのを何十年ぶりに観たのであろう・・・(たまたま私が観ていなかっただけかもしれませんが、本当に何十年も観ていなかった気がします)。とても嬉しくて涙が出そう。めったに見られないものを拝見し、この場に居合わせられた幸せに感謝です!

最後に能「石橋」。半能でしたので、後半の獅子が登場するところから始まりました。大獅子の小書(特殊演出)がついているので、獅子は二頭登場します。白い獅子が親で赤い獅子が子だそうです。豪快で華やかな二頭の獅子舞で盛り上がり、こけら落としの能楽公演はめでたく御開きと相成りました。

よみうり大手町ホール開館記念能
平成26年4月5日(土)14時開演
@よみうり大手町ホール
<番組>
小謡「四海波」(観世流)
居囃子「老松」(観世流)
居囃子「東北」(金春流)
居囃子「高砂」(金剛流)
舞囃子「弓矢立合」(観世流・金春流・金剛流)
狂言「棒縛」(和泉流)
半能「石橋 大獅子」(観世流)

地下鉄大手町駅直結
地下鉄大手町駅直結

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ホールの舞台上に作られた能舞台

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公演プログラム