文楽『一谷嫩軍記』、今公演で既に2度観た私、ホント好きですね~。
三段目「熊谷陣屋の段」は単独で上演される機会も多いと思いますが、今回はその前の段である「熊谷桜の段」が上演されたのと、赤坂花形文楽でさらに二段目「組討の段」を素浄瑠璃で拝見していたことにより、「熊谷陣屋」をより一層楽しめたと思います。
平家物語では熊谷直実が平敦盛を討ち取る挿話はごくごくあっさりしているそうですから、浄瑠璃になったときにかなり面白く脚色されたんですね。
「組討の段」では直実が敦盛を討つことを躊躇します。我が子と同じ年頃の若者を殺すに忍びないということですよね。そして討ち取って直実は涙します。戦場で敵を殺したからといっていちいち泣いていては武士の名折れです。いくら年端もいかぬ若者とはいえ、敵である敦盛を殺したことをなぜそんなに悲しむのか。種明かしをすると実は敦盛は我が子小次郎なわけです。直実が泣くのは我が子を殺してしまったから・・。そう考えると涙の理由も納得できます。
ところで、敦盛が実は小次郎であることを、観客のほとんどはそれが明らかになるシーンに至る前から知っています。
「熊谷陣屋の段」は人気演目ですから既に観ていて話を知っている人も多いですし、現代の観客は浄瑠璃を初めて聞いて言葉を完全に理解できる人はほとんどいませんから、あらかじめストーリーを予習してきたり、プログラムのあらすじに目を通したりする人が多いです。
浄瑠璃だけを予備知識なく初めて聞いて話を理解してなるほどそうだったのか!と思うことは実際には少ないと思うんです。伝統芸能の楽しみ方って現代演劇や映画を観る場合と少し違っていますよね。ある程度、予備知識が要る、ストーリーも知っていないと厳しい、それが現実です。
話を戻すと、観客は直実が我が子を殺したことを知っていますが、「組討の段」ではまだその事実が明らかにされていないという建前です。実は「組討の段」の語りってものすごく難しいんじゃないでしょうかね。結末をわかっている観客に対して、この時点で自明でない事実はできる限り出し過ぎないようにして、しかし後段への伏線は上手に張らなければなりません。もし通しで上演されるのなら、ここがうまく語れていないと後が台無しになってしまうと思います。
「熊谷陣屋」で観客は「組討」の直実の涙の理由を知ることになります。つくづくよくできている話だなぁと思いました。
しかし、ここでふと別の疑問が湧いてきます。
直実がなぜ我が子を敦盛の身代わりにしたかというと、義経から渡された「一枝を切らば一指を切るべし」という制札による謎かけが発端です。直接命を受けたわけでなくヒントだけ与えられて意思を察するわけです。息子小次郎もあらかじめ義経から意思を聞いて覚悟していた可能性があります。
しかし「組討の段」では、主人に忠義を尽くすために父と子が互いに示し合わせたというわけではありません。自分自身が成すべきことは双方承知していたとしても、相手がなぜそうするのか(父がなぜ自分を殺そうとしているのか、息子がなぜ黙って殺されようとするのか)はわからないはず・・。二人の間に戸惑いはなかったのだろうか・・?
これはもう親子の「以心伝心」であったのではないか?と私は理解しました。私の知識ではこれ以外の説明をつけることができません。
この疑問は全段を通して観ればわかることなのでしょうか。通しで観たことがないのでわかりません。ご存知の方いらしたら教えていただきたいです。
やはり文楽は本来、通しで観るのが最高なのかなと思います。技芸員の負担や集客のことを考えると全ての公演を通し上演にするのはこの現代においては不可能な話です。しかし、全部を通して観ると途轍もなく長い時間を費やす演劇を鑑賞することが普通だった時代には、おそらく今よりもはるかにゆったりとした時が流れていたのだろうなぁと思うと何だかうらやましい限りです。・・と、ここでようやく表題につながりました(笑)