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「大田楽」 萬狂言 特別公演 ~八世万蔵十三回忌追善~

能楽堂では初めての上演となる「大田楽」を拝見いたしました。

「大田楽」とは?
能狂言より古い時代に存在した田楽という芸能を題材に、八世野村万蔵氏(五世野村万之丞氏)が構成演出の指揮を執り能楽界を始め様々な分野の演劇人、音楽家、研究家の方々と共に2年間の歳月をかけて創り上げ平成2年に完成させた古くて新しい芸能。
その後、各地に広がり定着。市民参加にまで裾野が広がり26年経った今でも上演が続いており、海外公演も行われている。

この度、万之丞さんの十三回忌追善の会にあたり、原点に立ち返り、初演時に出演した能楽師の方々を再び迎え、万之丞さんの実弟である九世万蔵さんが演出し、現在各地で大田楽を継承・上演されている方々と共に、国立能楽堂で上演する運びとなったそうです。

ワタクシ「大田楽」は映像でしか観たことがなく、しかも能楽堂で初演時のメンバーが再結集ということで、かなりワクワクでございました o(^-^)o

まず、能舞台上に一畳台、大太鼓などが運ばれてきて置かれ、道成寺の鐘を吊す滑車に、神社の鈴が吊られました。(その時、ワタクシは「鈴後見…」という言葉が頭に浮かんでました。どうでもいいですが。笑)

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脇正面席後方の扉が開き、田楽法師一行が隊列を組んで音楽を奏しながら客席の通路を行進してきます。すぐ脇を通っていく演者の皆様を目のあたりにし、否が応でも胸が高鳴ります♪

全員が能舞台に収まるのか!?という大人数が次々と入場。もちろん一度に全員が本舞台にのることはできないので、本舞台の他、橋掛かりや客席通路もまんべんなく使ってパフォーマンスするような形。

複数名の踊り手たちが繰り広げるダイナミックな踊りは、舞台から落っこちてしまうのでは!?と心配になるほどスピード感と躍動感にあふれるものでした。

万之丞さんの一番弟子である小笠原匡さんが踊った番楽は特に躍動感あふれる踊りでとてもカッコ良かった!小笠原さんは大太鼓も打っていて、なんてマルチタレントなの~と思いました。

野村万禄さんの勇壮な王舞。緋の装束に天狗の面をかけて鉾をかざして仁王立ちし後ろに大きくのけぞるポーズを何度かなさったのがとても印象的でした。

色鮮やかで巨大な獅子頭(6キロ近くあるそう!)を操って跳んだり跳ねたり激しく踊る獅子舞はとても豪快でした。
二頭の獅子はシテ方の片山九郎右衛門さんとワキ方の宝生欣哉さんです。初演時には青年だったお二方も26年たって年齢を重ねられ、失礼ながらちょっと心配でした(^_^; しかし初演時には赤坂日枝神社の大階段を登りながら舞った(!)とのことですから、それに比べれば楽勝だったのでは!(笑)

白装束に翁烏帽子姿の田主(一行の長)役である野村萬さまが能舞台後方の台座に着席され、それはそれは高貴で神々しいお姿でした。
萬さまの読み上げる奏上、万之丞さんの功績を称え今なお伝え継がれんことを慶び田楽の開催を宣言する、といったところでしょうか。萬さまの謡がかりで美しい読み上げ声が静まりかえった場内に荘厳に響きました。

稚児舞。二人の稚児は万蔵さんと小笠原さんのご子息方が演じました。橙色と緑色の装束が色鮮やかで可愛らしい♡ でもさすが普段から数々の舞台をこなしているだけあり、きっちり堂々と舞っていました。

万蔵さんの三番叟。翁の三番叟のように黒い面をかけて黒装束。手足に鈴をつけておりました。かなり複雑なリズムで軽快かつ勇壮に足拍子をテンポ良く踏んでいきます。途中で笛の一噌幸弘さんが三番叟にすり寄っていくようなシーンもありユーモラスで面白かったです。

普段は紋付袴姿のお囃子方の先生方が色とりどりの花笠や装束を身にまとっておられたのも見目麗しく新鮮でした^^*

楽器の種類も多種多様。大鼓、小鼓といった能楽でお馴染みの楽器のみならず、腰鼓、編木、銅拍子といった珍しい楽器や、笙や篳篥などの雅楽の楽器、大太鼓。賑やかに囃して祭りを盛り上げます。笛は能管でなくて篠笛?龍笛のようにも見えました。

各地で大田楽を継承されている方々の番楽、日体大の方々のアクロバット、京劇俳優の変面など、次々と繰り出されるパフォーマンスがどれもこれも素晴らしくて、歓声や拍手が起こって会場が沸き、観る方もどんどん気分が高揚していきます。

最後は総勢の群舞となり、土蜘蛛ごとく千筋の糸が客席に向かってまかれ、ワタクシ共、前方席ゆえ両手を差し上げて糸を掴もうとしちゃったり、糸まみれになりながらも満面の笑顔でございました(笑)

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蜘蛛の糸まみれになり喜ぶ我々(笑)

田楽法師一行は再び隊列を組み、舞台を降りて客席の通路を行進して退場します。
名残惜しいとばかりに拍手・拍手・拍手。ワタクシ、長年の能楽堂通いでも、あれほどの割れんばかりの拍手の音をいまだかつて聞いたことはありませんでした。

拍手いつまでも鳴り止まず、いったん退場された万蔵さんと萬さまが再び舞台上におでましになり、観客にご挨拶をなさいました。
萬さまの「後ろで座って見ていながら長男の短く太い人生を追憶することができた」というお言葉には胸が熱く…(;_;)

関わってこられた皆様方の万感の想いが込められた大田楽、実に楽しく感動的な一大エンターテインメントでした。

天国の万之丞さまもきっと楽しんでご覧になっておられたことでしょう。(^_^)

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第99回粟谷能の会 事前鑑賞講座 写真コレクション

第99回粟谷能の会 事前鑑賞講座
2016年2月22日(月) 18:30~20:00 @国立能楽堂 大講義室
<出演>
粟谷明生さん(喜多流シテ方)
森常好さん(下掛宝生流ワキ方)
金子あいさん(女優)

※主催者様および出演者様より写真撮影および掲載の許可を頂戴しております。

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「融」のシテを勤めた喜多流の粟谷明生さん。司会の女優・金子あいさんは、公演当日に能鑑賞案内のお話も担当なさいました。
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名所教えについて地図と照らし合わせて説明。能では事実と異なる方角を示していたりするが、必ずしもリアルである必要はないのでOK!
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ワキの旅僧を勤めた、下掛宝生流の森常好さん。謡いの漢字の意味を強く意識すると情景と結びつかなくなるので、漢字の意味を消す謡い方をするというお話や「文学ではなく能楽を観てください」というお言葉が印象的でした。
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老人が汐汲みをする型を実演する明生さん。型付け通りで無難に勝負しないのは自分の性に合わないし、こういうふうにもできるとかこう解釈できるな、と大きくして表現するのがシテ方としての面白いところだと語っておられました。
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友枝昭世さんが厳島神社の能舞台で、汐汲み場面で舞台のギリギリ端まですごい勢いで進んでいき、海に落ちると思って「あーーーっ」と言ってしまったというエピソードを語る常好さん。
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狩衣の着付け実演。常好さんに着せてもらうというレアな光景。
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「融」では袖は垂らしたままだが、「田村」では甲冑のような形にする。
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「田村」の甲冑袖、完成!
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「融」の後シテで通常使われる「中将」の面。中将は在原業平のこと。なので、眉間のシワは、モテすぎて悩んでいるシワだそうです(笑)
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替えの面としてこれもアリという「今若」。鬼の要素を含んでいる。当日はこちらが使われました!
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シカケ、ヒラキ の型を実演。ものを集めて解放する型。老人の場合はほとんど手をあげない。
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最後に記念写真。お疲れ様でした~。 (2016年2月22日 粟谷能の会 能楽鑑賞講座 終了後)

第99回粟谷能の会の鑑賞レポートはこちら ⇒第99回粟谷能の会

第99回 粟谷能の会

3月6日(日)、第99回「喜多流・粟谷能の会」を拝見いたしました。先だって行われた事前鑑賞講座の内容を織り交ぜながら、感想を書きたいと思います。

今回は「白田村」(シテ:粟谷能夫さん)、「融」(シテ:粟谷明生さん)ということで、共通点の多い二つの演目。能の世界では重複することを「つく」と言い、同時に上演することを嫌うのだそうです。
これまで粟谷能の会ではいつでも上演する演目のバランスがとてもよく考えられていたと思います。しかし、今回は何故つく演目を選曲したのか?お二人とも60代となり「これからはやりたい曲をやる」という方向にシフトしたとのことでした。

とはいえ、最近では、テーマを決めて同じ傾向の演目を上演したり、他流間で同じ演目を上演し比較する企画など、似た演目を同時上演することは珍しくありませんし、また、共通点の中に埋もれた相違点を探し出すことも観る方としてはなかなか楽しい作業なので(少々オタクな趣味なのかもしれませんが。笑)、今回も大変面白く拝見しました。

「白田村」というのは「田村」という演目の小書(こがき=特殊演出)の一つだそうです。通常のタイトルに色の名前を付けて小書であることを表すのは喜多流独特の流儀のようです。今回はシテの装束がオールホワイトで一段と格調高い演出です。前場の童子からはピュアな、後場の坂上田村麿の霊からは神々しい印象を受けました。

「融」は世阿弥作で、「能らしい能」と言える曲だと思います。無駄なものを全て削ぎ落とし、この上なく美しい詩情にあふれた世界観を作り上げる。ここ数年、友人たちと一緒に粟谷能の会を観てきましたが、船弁慶、道成寺、正尊、安宅、と続きましたので、他の能の会を観ていない友人などには今回のような優美な能はかえって新鮮に映ったようです。

「白田村」と「融」の共通点について書きますと、前場で旅の僧(ワキ)が東国から京の都に上り、老人(シテ)がワキに名所を教えるところ(名所教え)はそっくりな設定です。また、旅僧の装束が着流し、後シテの装束が狩衣、女性が登場しない、などの共通点があります。

「白田村」は春の夕暮れ、若者が武勇伝をはつらつと語る、「融」は秋の夜、老人が昔を懐かしんで語る、と言った相違点もあります。ある意味、共通点が多い分、相違点がより際立ち、全く違った印象を受けるのも事実です。演じる方も意識的か無意識かはわかりませんが、「つかないように」ベクトルを逆に向けるようになることもあるのではないかと思いました。

名所教えの場面は「白田村」より「融」の方が多くの名所を紹介します。そのため「白田村」では名所教えがあっさり終わった印象がありました。「融」の方はじっくり何ヶ所も名所を教えるので、なんとなくこちらも教わっているような気分になってきます。

舞台上での方角は流儀により決まっていて、喜多流の場合は揚幕の方向が東となります。観世流などは逆に西になるそうです。方角が違うために流儀ごとの型に違いが生じるというお話は面白いと思いました。喜多流ではシテが登場して定位置についてから揚幕の方を振り返り月を見る型があり、観世流でやると月の方向が逆なのでおかしいことになります(明生さん談)。

ワキとシテが舞台上でそれぞれの方角に体の向きを変えながら、名所について語るのですが、その時、思わず私もその方向を見て、音羽山や清閑寺をまぶたの裏に思い描いていました。観客で埋め尽くされた見所全体が秋の野山や寺社に見えてきました。これまで能舞台上に自分の頭に描いたイメージを投影することはありましたが、観客席にまで脳内イメージが広がったことは今回が初めてで実に面白い体験でした。

「融」では常と異なる演出が多々見られました。例えば、ワキの登場は、通常ならば名乗り笛で登場し本舞台上に到着してから謡い始めるところ、今回は「思立之出」(おもいたちので)という演出で、揚幕が上がるとすぐに「思い立つ~」と謡い出して橋掛かりを歩みます。これは先日の「旧雨の会」で森常好さんがなさっておられたのをご覧になった粟谷明生さんが常好さんに今回も、とリクエストされた演出で、私もとても素敵な出方だなと思いました。

それと、早舞の時、クツロギという舞の途中で橋掛かりへ行き月を見てしばしお休みする演出、笛がいつもと異なる演奏をするところ。また、シテが最後に退場する際に揚幕の手前で本舞台の方を振り返って見るところ(明生さん曰く、未練を残しているのだそうです)など、いろいろな工夫や演出があって、「融」は元々面白い曲だと思いますが、いっそう興味深く拝見しました。

後場が良かったという友人が多かったですが、私は前場がとても良かったと思います。先ほど述べた名所教えの場面で世界がワイドに広がる感覚を得たことや、老人であるシテが変わってしまった自分を嘆く気持ち、喪失感のような思いが、謡い、仕草、表情(面の角度)から切ないほどによく伝わってきました。
また、森常好さんと粟谷明生さんの美声(私が現役能楽師二大美声だと勝手に思っていまして。笑)には、今回も惚れ惚れさせられました。

ところで、ワタクシこれまで能をたくさん観てきましたが最近何となく気になっていたこと、・・・それは「心が震えるほど感動することが極端に少なくなった」ということです。その答えの一つが、今回の「融」を観て導き出された気がしました。

事前講座に参加したり、演者に直接お話を伺ったりして予め知識を得ておくことは、普通なら難しく感じる点が理解しやすくなる手段としてはとても良いのですが、あまり手の内を知ってしまうと感動が薄れてしまうというのも少しあるのかなと思いました。
きっと今回の「融」は何の予備知識も無く見ていたらビックリの連続だったんじゃないかな、と思いまして。そして終わった後にスゴイもの観ちゃったな~という感動が押し寄せてきたのではと思うのです。だけど、観る前にいろいろ知っておきたいという思いも捨てがたく・・・。

知りたい欲求と、感動したい欲求のせめぎ合いで、落とし所が難しいところです。事前鑑賞講座は明生さんとゲストのトークが毎回とても面白いですし、初心者よりは能をよく見ている人にとって興味深いお話がたくさん出てくるので、講座それ自体は非常に価値があると思うんですよね。だからこれからも講座には参加するつもりです。その代わり、森常好さんが仰っていた「言葉の意味に囚われてはいけない。自分でイメージして感じることが大切」というメッセージは本当にその通りだと思いますので、忘れずに心がけて行ければいいのかなと思います。

狂言「鎌腹」は野村万作さまがシテで、大部分が独り芝居であるため、味わい深い熟練の芸を楽しむことができました。和泉流の演出だからなのか万作さまだからなのかはわかりませんが、ちょっとしんみりしてしまい、友人の一人は「あまり笑えなかった」と申しておりました。

狂言といえば笑い、というイメージですが(実際、多くはその通りですが)、万作さまほどの芸域の境地に達すると、笑いに限定せず人間の内面を描写している演目の方がより真価を発揮なさる(このような言い方も僭越なのですが)ような気がして、また実際にそういう演目に出演なさることが多いので、ワタクシは万作さまに対してはいつでも笑いというより胸キュンです(笑)

ところで、揚幕を上げるタイミングはシテが決めるものですが、「鎌腹」のようにシテが追いかけられて橋掛かりに駆け出すような演目の場合は、客席の様子を伺って決めるのだそうです。客席がざわついていたり、いつまでも席に着かない観客がいるとなかなか幕が開けられないそうですよ(という話を今回初めて聞きました。時間が着たら勝手に始まると思っていましたが違うのね(;´Д`))。開演ブザーが鳴りましたら速やかに着席して静かにしませう(←ワタクシのことです。スミマセンでした<(_ _)>)。

能の場合はお調べが聞こえてくるのでこの後すぐに始まるな、とわかるのですが、狂言は突然幕が開いて始まりますので、能と狂言の間に休憩を入れない番組編成になりがちなのはそのせいもあるのかな、と思ったりもしました。

次回の粟谷能の会は100回という節目を迎え、大曲「伯母捨」と「石橋」(半能)が上演されます。次回はまたバランスを考慮した選曲となりましたね(笑)。噂によるとパーマヘアのお獅子が出てくるとか!楽しみにいたしましょう\(^O^)/

第99回粟谷能の会
2016年3月6日(日) 12:45~17:00 @国立能楽堂
<番組>
「白田村」 シテ 粟谷能夫
「鎌腹」 シテ 野村万作
「融」 シテ 粟谷明生

事前鑑賞講座の模様はこちら
第99回粟谷能の会 事前鑑賞講座 写真コレクション

旧雨の会

「旧雨の会」を拝見しました。

一作年12月に57歳という若さで早世された太鼓方金春流23世宗家・金春國和氏を偲び、またご子息の24世金春國直氏を応援する会。

最初に國和さんを偲ぶプレトーク。和やかな雰囲気で時折笑いも交じえながらもやはり切なくてホロリ。

独鼓、一調、仕舞、舞囃子、半能。

能以外の演目の方が長い時間を占めます。能をよく観ている人が好みそうな少し渋い番組構成。

今回お集まりになった能楽師さんの多くは國和さんと同世代、50代60代の方々。体力と表現力のバランスが最も良く安定感があるのである意味安心して拝見することができる世代です。

先日の能楽シンポジウムで野村萬さんが「老・壮・青」の三世代のうち最も大事な世代と位置づけられていた「老」を助け「青」を導く「壮」の世代。
國和さんは能楽師として最も充実の時期を迎え中核を成すべきその世代で亡くなられたのだと思うと本当に惜しく残念なことだと思いました。

さてその安定感ある世代である皆さまの芸を拝見しながら、今回は良い意味で心乱されたのです。みるみる惹き付けられ胸の鼓動の高鳴りを押さえられず鳥肌が立つような思いで観てしまいました。
皆さまそれぞれに気持ちの入り方がいつもとは別次元に思えました。國和さんへの熱き友情の思いと國直さんへのエールがこちらにもひしひしと伝わってきたのです。

能楽師さんが流儀や役を超えて個人的に集まりこういった会を催したということがたいへん素晴らしいですし、この空間と時間を共有できたご縁をありがたく思いました。観に行って良かったと心から思える会でした。

萬狂言 冬公演 大蔵流 和泉流 異流公演 二題

萬狂言 冬公演を拝見しました。萬狂言は和泉流ですが、大蔵流のお二方をお迎えしてのご共演。先日、立合狂言会でも流儀が違う狂言師さん方が集まりましたが、今回は同じ演目内での共演です。ワクワクです!((o(´∀`)o))

二人袴

聟入(結婚後初めて妻の実家に挨拶に行くこと)するにあたって、自分の父親についてきてほしいと頼む聟。親は門前まで見送ったがそれを知った舅が親にも家に入るよう言います。しかし、袴は一つしかありません。さてどうする!?

言わずと知れた人気演目です。聟は結婚したとはいえまだ子どものような年若さで、袴が初めてで履き方がわからず親に着せ付けてもらったり、帰ろうとする親を心細さで引き留めたりします。親も我が子可愛さについ言う通りにしてしまうところが微笑ましいです(^^)

聟役を勤めた野村眞之介くんは野村万蔵さまの三男で12歳。まだ親がかりで子どもっぽさが残る聟の役を初々しく演じていましたよ。この役は初めてとのことですが、緊張した様子もなくのびのびと上手に観客の笑いをとっていました。長袴でのぎこちない歩き方とか、舅や太郎冠者にバレないように必死に隠そうとするところなどめっちゃ笑いました(^o^) 父親役の野村万禄さんもほんわかしたおとぼけぶりで、子どもを気遣う親心が伝わってきましたなぁ~。

節分

節分の日、蓬莱の島から日本にやって来た鬼が一人で留守番する女に恋をして小歌や舞で口説こうとするが、女は怖がって追い出そうとするばかり。しかし終いに女がとった行動は・・?

異流共演その一。鬼の役は野村万蔵さま、大蔵流のお相手は山本則孝さまで女の役を勤められました。

先日、他の公演(和泉流)で観た時は、女が鬼を怖がって追い出そうとする際、かなりおびえながら必死に追い出すっていう感じでしたが、則孝さまの追い出しっぷりは、強い剣幕で「あちへ行けっ!あちへ行けっ!!」と不審者を見つけた警備員みたいに毅然とした態度なのが、すごーく面白かったです(≧▽≦)
大蔵流でも山本東次郎家は顔にはあまり表情を出さず動作やセリフもキビキビしていて、和泉流や大蔵流でも他の家とはまったく芸風が異なるように思います。その辺の面白まじめな感じがこれまた独特で妙に笑えるんですよね(^^)

万蔵さまの鬼は、女に気に入ってもらおうと一所懸命に謡ったり舞ったり、振り向いてもらえなくてエーンエーンと泣き出したり、女に宝を渡すと家に入りこんで亭主ぶってみたり、鬼のくせに人間くさくてとても愛嬌がありました。鬼の面をかけて謡いながら舞うのはかなりの体力が要るでしょうが、次々とテンポ良く繰り出されるキレの良い舞で、則孝さまのお気に召さなくても(笑)観客の目を楽しませてくれました。

結局、鬼は女に宝を取られたあげく追い出されてしまいます。本物の鬼よりも、人間の方がよっぽど鬼だな・・・(^_^;

木六駄

太郎冠者は主人に言いつけられ、木六駄と炭六駄を付けた牛12頭を追いながら、大雪が降り続ける峠を越えて主人の伯父の元に向かいます。あまりの寒さに途中の茶屋で休んだ太郎冠者は・・・。

異流共演その2。太郎冠者を野村萬さま。大蔵流のお相手は善竹十郎さまで茶屋のお役です。

前半の大雪の中での牛追いのシーン。ここは太郎冠者の長い独り芝居となります。言うことを聞かずにあっちに行ったり止まってしまう牛をちゃんと歩かせるように仕向けますが、なにせ牛は12頭もいますからたいへんです。あっちへ走りこっちへ走り牛をコントロールします。ちなみに舞台上には牛は一頭もおりません。太郎冠者のパントマイムであたかも牛がいるように見せなければならないので、ここで役者の力量が問われます。
そこはさすが萬さまですので、全く心配する必要はありませんでした。大雪が降る中、太郎冠者に追われる12頭の牛たちが目にも鮮やかに浮かんできます。86歳の萬さまが思ったより速いスピードで舞台上を走るのには驚かされました。少し呼吸の荒さはあったものの(それも演技?)、足腰の強靱さは目を見張るほど!

降りしきる雪を太郎冠者が「真っ黒になって降る」と言うのが印象的。観客の一人が思わず「真っ黒?」と声をもらしました。でも、雪深い山里で生まれ育った私には真っ黒な雪という表現はそんなに不思議ではありませんでした。雪は白いものですが、時に黒く時に青く透明で、そしてうす赤くなる時すらあるのです。街灯も民家も全く無いような山道、降る雪が黒く見えるというのはありそうなこと。辛い旅路を延々と行かなければならない太郎冠者の心象風景との解釈もあるようですね。

さて、疲れた太郎冠者は峠の茶屋で休みますが、ここから茶屋の主人との長いやり取りが始まります。ここでの萬さまと十郎さまの掛け合いが本当に素晴らしかった!台本は和泉流と大蔵流を合わせて調整したそうですが、流儀が違うことを全く感じさせず(「節分」は逆に全く違う芸風ゆえに楽しめましたが)、あたかもお二人がずっと以前から同じ舞台にしばしば立たれていたと錯覚するほどピッタリと息が合っていて、なごやかで楽しそうな酒宴の様子が伝わってきます。観ているこちらも体がホカホカと温かくなる感覚に。これはやはりお二人の芸が円熟の極みに達しているからこそ成せる技という気がしました。

主人から預かった手酒を全部呑んでしまった二人。酔っ払って良い気分のまま伯父の家に到着した太郎冠者ですが、酒を飲み干し木六駄まで茶屋に渡してしまったことが伯父にバレてやるまいぞと追われて幕です。面白かった!萬さまの木六駄は期待通り素晴らしかったです\(^O^)/

東京は降らなかったけど全国的に大雪が降り寒かったその日、観劇後、すっかり上機嫌になった私と友人はやっぱり日本酒を酌み交わしましたとさ。

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国立能楽堂の企画公演「松囃子-祝祷芸の様々-」

国立能楽堂の企画公演、松囃子-祝祷芸の様々- を拝見して参りました。

開演前に能舞台の上には三方が置かれ、白米を盛り、岩山に見立てられた黒い炭、唐辛子のくちばしと茗荷の尾で作られた鶴、椎茸の亀が飾られていました。
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菊池の松囃子「勢利婦」

松囃子とは室町時代に流行した初春を祝う芸能だそうです。
熊本県菊池市の御松囃子御能保存会によって上演されました。。
舞人が一人、お囃子は太鼓1名、大鼓2名で、小鼓と笛はおりません。
また後ろにはバックコーラスを行う地方が今回は8名(数は決まっていないそうです)。
舞人は立烏帽子に直垂姿で紙垂が付けられた大きな笹を持っていました。他の出演者は全員、半裃姿です。
一同、最初と最後に正面席に向かい拝礼します。昔は将軍様へのご挨拶だったのでしょうか。
何度か出てきた「松やにやに、小松やにやに」という言葉がちょっと面白いと思いました。
三番叟を彷彿させるような軽快な動きのかっこいい舞でした。

舞囃子「高砂」

一流どころのお囃子方をバックに、宝生流の若き宗家が力強く爽やかに舞いました。全員、紋付袴ではなく素袍裃で、常の舞囃子よりも儀式的なおごそかさが増し正月らしいおめでたい雰囲気が漂いました。

狂言「松囃子」

この演目は初めて観ました。シテは最近お気に入りの名古屋の野村又三郎さん。またお会いできましたー(*´▽`*)

ある兄弟の家に毎年正月に松囃子の祝儀を舞うために来る万歳太郎が、年の暮れに送られてくる米が今年は届かなかったので兄弟の家に様子を見に行くと、兄弟ともに米を送らなかったことをすっかり忘れていました。しかし、兄弟は何にも知らずにいつものように松囃子を求めます。大切なことを忘れられてしまったので、太郎はテキトーに舞ってすぐに帰ろうとします。不思議に思う兄弟ですが、そのうち、兄が米のことを思い出し、続いて弟も思い出し、太郎は今度はきちんと「鞨鼓」を舞って新年を寿ぐのでした。

太郎が兄弟に思い出させようとしてあれこれ遠回しに言うのですが兄弟になかなか伝わらないなど前半はコミカルなやり取りが面白く、後半はおめでたい鞨鼓の舞の芸を堪能することができ、なかなか見応えのある楽しい曲でした。

狂言「靭猿」

茂山逸平さんとご長男・慶和くんの親子が猿曳きと猿を勤められました。大名役は逸平さんのお父様の茂山七五三さま、お兄様の宗彦さんが太郎冠者という三世代共演。

「猿に始まり、狐に終わる」と言われる狂言の修行。子方としてデビューする初舞台が「靭猿」ということです。慶和くんの初舞台は4歳の時に「伊呂波」で、靭猿は昨年5歳で初めて勤めたそうです。

子方は猿の面をかけて着ぐるみを身にまとい、四つん這いで歩いて鳴き声を発し、猿のようなしぐさをします。舞台に登場するだけで可愛らしさに見所の雰囲気をなごませる子方の存在ですが、この役では特に、大人たちが演技を続けている長い時間、足をかく、顔をかく、お尻をかく、横向きに転がる、などといった動作を休むことなくずっと続けていたのが本当に健気でした。基本的に同じ動作を繰り返しているだけなのですが、面をかけているし常に動いているのでかなりシンドイのではないかと。また、後半は猿挽きの謡う猿歌に合わせて芸をしますが、大名をひっかこうとしたり寝転んだり月を見たり稲を刈ったりと、結構バリエーションがあり、これが6歳の演技なのかとビックリするほどの密度の濃さです。本当によく頑張りましたねと褒めてあげたいです(*^_^*)

前半は大名が権力で靱に張るために猿の皮を得ようとし猿曳が拒絶して去ろうとするが大名が怒り出し射殺そうとする緊迫した場面、また、猿曳きが大名のあまりの剣幕にやむなく猿を自らの手で殺すことを一度は決心しますが、猿が殺される運命を知らずに芸をしようとするのを見て、子猿の頃から育てて芸を仕込んできた猿を殺すことはやはりできないと泣く場面と続きます。しかし大名もその哀れさに同情し、猿の命を奪うのをやめます。猿曳はお礼に猿歌を謡い猿に芸をさせますが、大名は楽しくなって自らも一緒に舞ったり、自分が身につけているものを次々とご褒美に与えてしまうなど、前半は我が儘で横暴でしたが一転してお茶目なキャラに(笑)

緊迫した場面、悲しい場面と数回のドラマ展開があり、最後には楽しくおめでたい雰囲気で終わる演目で、久々に見ましたがやっぱり大満足でした。

第二回「立合狂言会」東京公演

喜多能楽堂で「立合狂言会」を拝見して参りました。
大蔵流と和泉流、またその中でもいろいろな家の狂言師が一堂に会して演じ合う狂言の会です。

オープニング、この公演の世話役でもある野村万蔵さん(和泉流)と茂山千三郎さん(大蔵流)のお二人がご登場。

狂言では流派や家が違うと一緒の舞台に立つということがほとんどなく、能の会に呼ばれても家単位のため、わかりやすく言えばお互いライバル。
異なる流派や家が一緒に演じ合うことで芸の向上と交流を目的に企画、と公演の趣旨の説明があり、その後、お二人のまるで漫才のような楽しいトークで流派や家の違いなどが語られます。

そして、実際にどう違うかの実演も。

まずは「附子」の水飴の食べ方を万蔵さんと千三郎さんそれぞれに行います。
千三郎さんの方がとーーーーっても美味しそうに食べてました(笑)

次にお互いに酒を酌み交わします。酌する方もされる方もやり方が微妙に違います。
お酒の飲み方もどちらかといえば千三郎さんの方が旨そうでしたね(笑)

茂山家はリアル・誇張、野村家はスマート・上品、といたずらっ子ぽく違いを述べる万蔵さん(笑)

茂山家はセリフが余分に多いよね、余分なものを削ぎ落とすのが狂言だと思うんだけど、と万蔵さん。でも、台本的には野村家の方が多いよね、繰り返しとか、余分だよね、と千三郎さん。
なんかいろいろ揶揄し合っているようにも聞こえますが、言いたいことを言い合える仲ということ。あぁ、このお二人は本当に仲がよろしいのね~と微笑ましくやりとりを拝見 (*´∀`*)

台本的には大蔵流はそれぞれの家であまり違いがないそうで、和泉流はそれぞれ違ってたりするんだそうです。
和泉流は元々違う流派が寄せ集められて作られた流儀なので。だから仲悪いんですよ~、と万蔵さんが軽くジョーク(笑)。

演技的にはこんな位置関係みたいで。
茂山家(大蔵)<野村家(和泉)<山本家(大蔵)
(柔)<-------->(堅)←語弊がありますがあえて言えばこんな感じ?

私の印象はこうです(笑)
茂山家≦野村家<<<<<山本家

私もこれまで和泉流と大蔵流をまんべんなく観ている方だと思うのですが、野村家と茂山家の違いって何?と言われても正直はっきり説明できないんですよね~。それぐらい近いように感じていました。山本家だけは全く違うってわかるんですけど(説明はできないけどモノマネはできます。笑)。

しかし、同時に同じことをやっていただくと、やはりはっきり違いがわかりますね。あ、なんだ、全然違うじゃん!と思いました。

さて、ここで名古屋の野村又三郎さん(和泉流)も加わり、三人同時に小舞「土車」を謡い舞います。
舞は想像していた以上に差がありました。大蔵流が違うのはわかるけど、同じ和泉流でも万蔵さんと又三郎さんでもかなり違いました。
三人で別々の舞をしていてぶつかったりしないのが不思議~。
それでもやはり同じ曲ですから、ぴったり合うところもあります。

同じ部分と異なる部分が混在しているために、相違部分が華やかさと奥行きや幅を生み、共通部分でまとまりがついて締まる感じで非常に面白かったです。江戸城謡初式の三流宗家による舞囃子「弓矢立合」もそんな感じだったなぁ~と遠い目(´ェ`)。

さていよいよ狂言の上演です。番組は以下の五番。
「佐渡狐」大蔵流・山本東次郎家/善竹十郎家
「酢薑」和泉流・三宅狂言会
「簸屑」和泉流・狂言やるまい会
「棒縛」大蔵流・茂山千五郎家
「佐渡狐」和泉流・野村万蔵家

特に「佐渡狐」は異流対決!ということでしょうか、同じ曲をぶつけてきました。やるね!(¬_,¬)b
立合狂言会でも、これは初めての試みだそうです。

さらに、大蔵流の佐渡狐は山本家と善竹家の両家が同じお芝居で共演ということで、これまた珍しいことです(最近はこういう上演形態をたまーに見かけるようになりましたけど、やはりよほど狂言を見まくっていないとなかなかお目にかかれないです)。しゃべり方の調子がまるで違っていますけど、台本は同じと思いますのでそれほど違和感はなかったですね。

「佐渡狐」を見比べた印象ですが、ストーリー的にはほぼ同じでした。でも細かいセリフや所作はいろいろ違っていました(鶏が鶯だったり、袖の下の受取り方とか)。流派でストーリーが大きく違う演目を比較するのは国立能楽堂の企画公演でもありましたが(その時は「鎌腹」で結末が全然違っていた!)、ほぼほぼ同じなのに細かく違うところを意識しながら観るのは間違い探しのようで楽しかったですね~。

この中で初めて拝見したのは「簸屑」。野村又三郎さんのお父様はあまりお好きでなくて出さなかったそうで、現在の又三郎さんはなるべく出すようにしていると仰っていました。そうそう、埋もれたお宝を後世に伝えるってのも大切なことですよね。

次世代を担う若手の狂言師が集い研鑽を積む公演」とご挨拶文にもありました通り、どの演目も若い力が大活躍のフレッシュでエネルギーにあふれる舞台でしたね~。

流儀は同じだけど違うお家の方がそれぞれの後見を勤められていたのも印象的でした。使う小道具が違っていたりするそうなので油断できないですな(^_^;

さて、お名残惜しくも五番の狂言が終わり、最後に出演者全員が再登場して附祝言「猿歌」が謡われました。
最初に和泉流から謡い出し、大蔵流が途中から入ります。大蔵流の方が人数が少なかったんですが、負けてはいませんでした。最後は大蔵流の方が声が大きかったです。やはり良きライバルと競い合う雰囲気が素晴らしいですね♪

附祝言が終わり全員が退場。皆さんいつもの舞台の時のようにまっすぐ前を見て橋掛かりを歩み退場しましたが、最後の千三郎さんだけが客席に向かって会釈されていました(お茶目♡(^o^))。

これで本日の公演は終了~というアナウンスもかかり、観客が帰り支度を始めているところ、出演者の方々が舞台の上に再登場(カーテンコール!?)
これから出演者の記念撮影をするので、みなさんも自由に撮ってもらって楽しかったと書いて拡散してくださいね~と仰っていただき、大撮影大会が始まりました。
全員での「大笑い」を動画撮影させていただいたり、脇正面席の方も向いてください~というリクエストにも応えていただいたり、なんかもうファン感謝デーみたいな感じで本当に楽しかったですぅ~(*´▽`*)

久々にワクワクする公演を拝見できたって感じでしたね~。これで3000円ってめっちゃ安くないですか!?(正面席は4000円)。先だって行われた京都公演では出演のお家も演目も違っていたので、両方観れば良かった!とまで思いました。来年も行われる予定のようですね。とても良い企画だと思うのでぜひ長く続けていただきたいです!\(^O^)/

第73回 野村狂言座

今年初めの野村狂言座を拝見。素囃子の神舞に狂言四番と年初にふさわしい豪華なラインナップ。

「松楪」
祝言的な演目。前半お決まりのやり取りが寄せては返す波のようでついつい眠りの世界へzzz。最後に二人が一体となって舞うのは珍しく面白かった。

「磁石」
名古屋の野村又三郎さん一門がゲスト出演。又三郎さんは近ごろ東京の舞台で何度かお見かけする機会に恵まれ、お若いのに貫禄も実力も十分でキャラクターも良くファンになりつつある。又三郎家の「磁石」は同じ和泉流でも万作家とはまた違うのだそう。どこがどう違うかまではわからなかったけど、とても楽しく拝見した。

「節分 替」
「替」と付くのは小書き(特殊演出)で、通常はシテが謡いながら舞うところ地謡が出て代わりに謡う。老熟の域に達した万作さまの体力を考慮しての新たな演出とのこと。また、万作さまは最初は鬼の面をかけて登場するのだが、途中で(舞が本格的に始まるあたりで)面を外された。これはストーリー的には不自然な感じがしたので、やはり体力面を考えてのことなのだろうか。最初からそういう演出だったのか舞台上の機転なのかはわからない。

実はこの「節分」、チラシには袴狂言(=装束をつけない)で演じると掲載されていた。しかし、実際には装束をつけて上演された。鬼の面をつけて謡ったり舞ったりするのは体力的にかなりきついために袴狂言にするつもりだったのだろうか。装束をつけるよう変更した理由の説明は特になかった。

このところ万作さまは舞台上で動いた後に呼吸が荒くなることが多くなっている。昨日はかなり後方の席だったのに息づかいの音がはっきりと聞こえて心配になるほどだった。しかしながら、身体的な表現はいまだ全く見劣りしない。型や足取りはしっかりしていて座った姿勢から立ち上がるときも全くぶれないし、転がったり跳んだりも問題なく。ご高齢のためにお声は小さくなり心肺能力は衰えてきているとしても、身体の強靱さと動きの正確さは84歳の年齢を感じさせず、まさに超人的。

鬼が人間の女に心を奪われて小歌を謡い艶っぽく口説くところは「花子」を思い出させる。鬼が女に袖にされて「エーンエーン」と泣くところで多くの観客は笑っていたけれども、私は一緒に泣きたかった。万作さまが演じられると笑いだけに留まらず愛や悲しみや皮肉もいろいろ入り交じった深いドラマになるような気がする。芸域の深さってこういうところに出るんじゃなかろか。

「仁王」
これは登場人物も多く素直に笑える表現が多くて文句なく楽しい演目なのだが、近くの席に最初から最後までけたたましく爆笑している人がいて、それが少しばかり体調の悪かった私にはストレスになってしまった(不運)。そのせいなのか、いつも濃いめの演技の萬斎さまが今回は特に脂っこく感じてしまったな。シテの石田幸雄さんは相変わらずとても良かった。

全体として盛り沢山の内容であったが「やっぱり万作さま!」の一言に尽きる。「節分」だけ観たとしても来た甲斐があったと十分に思わせるこの存在感。ご高齢でお身体の心配はついて回るし、苦しそうな息づかいでお気の毒に感じることはあるのだけど、まだまだお舞台を拝見し続けたい!と切に願う。

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宝生能楽堂ロビーに飾られている鏡餅

国立能楽堂特別公演「朝比奈」「木賊」

本日は国立能楽堂の特別公演を拝見し、本年の観能納めとなりました。
演目は仕舞「雲林院」、狂言「朝比奈」、能「木賊」です。
狂言「朝比奈」のシテは野村万蔵さん。本日お誕生日ということで佳き日に大曲をご立派に勤められまことにおめでたいことです\(^O^)/
普段、狂言を拝見した後は「面白かった」もしくは「芸が深い」などという感想を抱くことが多いのですが、本日の感想はズバリ「めっちゃかっこよかった!」でございます(*^_^*)
野村万蔵さん演じる朝比奈は、地獄に責め落とそうとする閻魔大王を力強く突き飛ばし、堂々と戦語りをするところなど、初めから終わりまでとにかく強くてカッコイイのです!
一方、野村又三郎さん演じる閻魔大王は、閻魔さまなのにどこか人間くさくて威厳があまりなくて愛嬌があり、朝比奈をひきたてる非常に重要な役だと感じました。
このお二人とてもよく息が合っていて絶妙な掛け合いで終始引き込まれて最後まで目が離せませんでした。お家が違うので共演機会はあまりないそうですが、このコンビでのお舞台をこれからも度々拝見したいなぁ~。
お囃子や地謡が入り能の様式を取り入れた重厚かつ華やかな演目でとても見応えがありました!
能「木賊」。これはめったに出ない稀曲で私も以前には1回しか観たことがありません。今回抱いた正直な感想は「これは難易度が高い曲だな…」…でした。
演者にとって難曲であることは間違いないと思います。一方で観ている方にもレベルの高さが要求される曲という印象を受けました。
そう感じた理由はいくつかあるのですが、その最たるものは(私だけかもしれないですが)「感情移入できなかった」ことです。
これは、子を探して物狂いになる親が母でなく父である、しかも老親。子方は幼い子どもが演じていているゆえに孫にしか見えない。子方がひと言も発しないので子ども側の思いが伝わってきにくい。といったことが原因かと思います。
ここで私が感情移入できないのは曲のせいでもなく演者のせいでもなく、単に私に想像力が不足しているためだと思いました。能は観る方の想像力が必要な芸能です。観たまま理解しようとするのではなく、想像して感じなくてはならないのです。まだまだ修行が足りませぬ!来年からは顔を洗って出直しまーす(^_^;
自分の未熟さがわかった以外は、やっぱり素晴らしいお舞台でした。梅若玄祥親分の謡は体全体が楽器のようによく響いて聴いていてとても心地良かったです。シテ柱にもたれてしばらく佇み悲しむシーンが切なくて心に響きました。お囃子も一噌仙幸さま、大倉源次郎さま、亀井忠雄さまという豪華出演陣でそれはもう申し分なくたいへん素晴らしかったです。
画像は今公演に関係あるイラストと写真です。何のこっちゃと思われた方は各写真のキャプションを読んでね(^_-)-☆

「木賊」(とくさ)とはこんな植物。細かく縦筋の入った堅い表皮が研磨材として使われたためこの名(=研草)がついたそうです。ちなみに私はこの名前を知る前はニョロニョロと呼んでいました(^_^;
「木賊」(とくさ)とはこんな植物。細かく縦筋の入った堅い表皮が研磨材として使われたためこの名(=研草)がついたそうです。ちなみに私はこの名前を知る前はニョロニョロと呼んでいました(^_^;
朝比奈はこのような七ツ道具を担いでとても強そうなのだ☆ 七ツ道具といいつつ5つしかないよな・・・(´・ω・`)
朝比奈はこのような七ツ道具を担いでとても強そうなのだ☆ 七ツ道具といいつつ5つしかないよな・・・(´・ω・`)
今日一番目が釘付けになったのが、木賊のシテが後半に身につけた装束の柄です!能でこんなポップな柄あってもいいの!?と思ってしまいましたが、解説を読むと「子方用の美麗な掛素袍」とありました。なるほど!可愛いな(*´▽`*)
今日一番目が釘付けになったのが、木賊のシテが後半に身につけた装束の柄です!能でこんなポップな柄あってもいいの!?と思ってしまいましたが、解説を読むと「子方用の美麗な掛素袍」とありました。なるほど!可愛いな(*´▽`*)

第98回粟谷能の会 事前鑑賞講座

毎度おなじみ、喜多流・粟谷能の会が今週末日曜日に迫って参りました。
先日、事前講座が催されたので行って参りましたよ!

今回は、粟谷明生さんの還暦記念の会ということで、明生さんが3度目となる「安宅」のシテ・弁慶を勤められます。
初演は43歳、二回目は53歳の時。三回目は還暦で、舞い納めのつもりで勤めると意気込みを語られました。

さて、事前講座でゲストをお迎えするのは三回目とのこと。一回目は小鼓方の大倉源次郎さん、二回目はワキ方の森常好さんでした。今回は狂言方の野村万蔵さんです!(=´∀`ノノ゙☆パチパチパチ

安宅でアイは二人登場し、一人は義経方につく強力(ごうりき)役(万蔵さん)、もう一人は富樫方につく太刀持(たちもち)役(万蔵さんのご長男・虎之介くん)です。虎之介くんは太刀持は初役だそうで、どんなフレッシュな太刀持になるのか楽しみです(*´▽`*)

さて、今回の安宅、「延年之舞」「貝立」という小書(特殊演出)がついております。
「延年之舞」はシテ方の小書で、男舞という普通の山伏の舞に対し、特別な譜が書かれて通常とは違う特殊な所作をする演出。
「貝立」は狂言方の小書で「延年之舞」の時だけつくそうで、扇をホラ貝に見立ててズーワイといった擬音を出して合図します。万蔵さんのご経験では、シテが出立を告げると強力が自分が持っている扇をホラ貝にする。また、シテが自分の中啓(ちゅうけい)(扇)を強力に渡すというやり方もあるとのこと。

一行は安宅の関に差しかかりますが、立衆の一人が強行突破すればいいと言いますが、弁慶は義経に対し、最初に身につけていた篠懸(すずかけ)を脱がせてみすぼらしい格好にし、笈(おい)を背負わせて、笠を深々と被り後からついて来させる、しかし、どんなに隠してもどうしても光ってしまうね、うちの殿様は、大丈夫かな、というのが前半の見どころ。その義経が背負う笈は実はとても軽いのだそうです。しかし、いかにも重そうにとても恐れ多いという気持ちをこめて静かにゆっくりと運ぶそうです。義経に重い笈を背負わせなければならない弁慶らの苦渋の心情が表れているような表現ですね。

能にはシテなどが登場したときの謡を、地謡が同じ文句を繰り返す「地取り」というものがありますが、この演目はアイが替え歌で地取りをするんだそうです。そして地謡の地取りは地の底から響くような低く小さい声で静かに謡いますが、狂言方の地取りは大きい声でやるんだそうです。通常の地取りのパロディですね。「旅の衣は篠懸の~」という箇所です。本番でも注目いたしましょう!

さて、安宅の見どころの一つとして「勧進帳」の読み上げがあります。
能には安宅(勧進帳)、正尊(起請文)、木曽(願書)の三曲に読物と呼ばれる見せ場があり、喜多流の演目に木曽は無いので、安宅と正尊のみ。
明生さんによると、何も書いていないものを読んでいるのではなく、何か全く違った事が書いてあるものを読んでいて、しかし見られてしまったら正体がばれてしまうので、見られないように隠しながら読むのがミソだそうです。
勧進帳や起請文は、お囃子方との手組が複雑で難しく、拍子を外さないで間違わないで謡えるのがまず第一なのだが、この年齢になるとどのくらいおもしろく読むのか、技術点+芸術点も必要になってくる。昔は剛速球の直球でボンボン謡えれば良かったが、節使い、音の使い方も工夫していきたい、と志を語られました。

読み物での囃子方とのリハーサルは特にしないんだそうです。基本的には一回だけ申し合わせして、後は本番で技術のぶつかり合いとなる、と明生さん。
合わせすぎるとつまらなくなる。お家や先生に習ってきたこと、経験者は自分で作ってきたものを、当日触発する面白さを大事にしているから、と万蔵さん。そういえば、前回の森常好さんも同じような事を仰っていました。

勧進帳の読み上げは、最初は弁慶がゆっくりとどうしようか考えながらいろんな言葉をこじつけながら時間稼ぎをする、途中からは勧進帳の定型文句を持ってくるのでノッてきて、うぁーっっとたたみかけるように謡う。途中で速くなるが、これはわざとそうなっているのであって、くたびれて速くなっているのだとは思わないでください、と明生さん(笑)

虎之介くんは緊迫したシーンの型などをどのようにお稽古していくのか、という金子あいさんの質問に対し、万蔵さん、
そういうものは習わない。申し合わせや本番で、はっ、こんなにふうになるんだ!ということを実際に体感していく。舞台が稽古。申し合わせで感じ取れない緊迫感を本番で感じ取る。とのお答え。

明生さんもからもこのようなお話が。
子方(義経)がしっかりしていないとダメ。弁慶が金剛杖で打擲する場面、昔、喜多実先生が、お芝居だからトントンくらいかと思っていたらボコボコに打ってきた。怖~と思った(明生さん小学1年か2年の時のお話)。子方は杖を取られて笠のひもを持って歯を食いしばる。お稽古の時は笠がないので型だけ教わるが、何が起きるかはその時にはわからない。当日になってボコボコに打たれて、これか~とわかる(笑)そういうところで体感して勉強していく。

頭で考えるんでなく、体感して会得していくのですね。Don’t think. FEEL!

万蔵さん曰く、強力の役がこの物語で一番活躍するところは、先回りして安宅の関の様子を見に行く場面。変装して見に行くと山伏の打たれた首がずらりと並んでいる。その厳しい状況をただ報告するのでは忍びないので一首歌を詠む。命令を実行しながら、他の山伏が殺されたり、兄弟不和のことや源平の戦さの事などの時代背景を、こんなみすぼらしい下の身分の自分だけど教養があるんだ、ということを詠んでくる。狂言回しは頭の回転が良く、文化教養がある。歌は洒落、掛詞になっている。弁慶に小賢しいことをと怒られちゃうんですが(笑)

さて、安宅の話が一段落したので他の2演目についても少しお話がありました。

狂言「鐘の音」について。
今回、万蔵さんのお父様の野村萬さまがシテを勤められます。間抜けな言葉の取り違い(黄金(カネ)←→鐘)をする太郎冠者のお話。太郎冠者は自分の失敗を謡いにして主人の前で謡い舞って見せ、主人は最後に怒りながらも機嫌が直って許す、というあらすじで、祝言の雰囲気が漂う演目。鐘の音を擬音で表現しわける妙が見どころだそうです。ほぼ独り芝居とのことで、至高の芸が拝見できること間違いなしの期待が高まります!
今回、還暦記念を意識して、祝言性を表現できるこの曲を萬さまが選ばれたとのことでした。

能「鉄輪」について。
丑の刻参りのお話です(ざっくりすぎてすみません<(_ _)>)。おシテは明生さんの従兄の粟谷能夫さん。この演目では後シテで「橋姫」または「生成(なまなり)」という能面を使用するそうですが、今回どちらを使うかはまだ明らかにされていません。使用する面によって動き方も変わってくるそうです。当日を楽しみにいたしましょう。

ためになるお話や裏話がてんこ盛りのたっぷり一時間半でした。他にもお二人が素晴らしいことをたくさん仰っていたのですが、私の記憶力と文章力の限界により全てをご紹介しきれなくて残念です。

改めて、三度目の安宅を勤められる粟谷明生さんからのメッセージをご紹介。
43歳の安宅の披きのとき、様式美と芝居心ではどうしても様式美の方が強くなりそこにゆだねてしまった。53歳の時は様式美と芝居もバランス良くうまくできるようになってきた。今は様式美は置いておき、能の境界線のギリギリまで持ってきてどういう「芝居」ができるか、どういった能役者としての弁慶ができるのかというのが勝負だなと思う。安宅という演目を、あるいは粟谷明生の安宅を一回見たからそれでいいということでなく、能役者はどんどん上手になっていっているので、それをぜひ見て頂きたい。とのことでした!

※主催者様および出演者様に写真撮影および掲載の許可を頂戴しております。

第98回粟谷能の会 事前鑑賞講座
2015年9月28日(月) 18:00~19:30 @国立能楽堂 大講義室
<出演>
粟谷明生さん(喜多流シテ方)
野村万蔵さん(和泉流狂言方)
金子あいさん(女優)

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粟谷明生さんと、司会進行の金子あいさん
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スペシャルゲストの野村万蔵さん。笑顔が素敵です!
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小書「貝立」では扇をホラ貝に見立てて吹く演技をする
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義経を強力に扮装させるための笈(おい)。意外と軽い。写真のものは明生さんが子方の時から使っているものだそうです。
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勧進帳を読み上げる弁慶。カッコイイ~(*´▽`*)
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あらすじを読む金子あいさん。あ、余談ですが私の朗読の師匠です。
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生成(なまなり)の面。ツノがキュートなんですけど(笑)
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鉄輪は夫に捨てられ嫉妬に狂って呪いをかける悲しい女の話。最後に I’ll be back. のような台詞を言って去って行く(;´Д`)
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会場は国立能楽堂の大講義室