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「大田楽」 萬狂言 特別公演 ~八世万蔵十三回忌追善~

能楽堂では初めての上演となる「大田楽」を拝見いたしました。

「大田楽」とは?
能狂言より古い時代に存在した田楽という芸能を題材に、八世野村万蔵氏(五世野村万之丞氏)が構成演出の指揮を執り能楽界を始め様々な分野の演劇人、音楽家、研究家の方々と共に2年間の歳月をかけて創り上げ平成2年に完成させた古くて新しい芸能。
その後、各地に広がり定着。市民参加にまで裾野が広がり26年経った今でも上演が続いており、海外公演も行われている。

この度、万之丞さんの十三回忌追善の会にあたり、原点に立ち返り、初演時に出演した能楽師の方々を再び迎え、万之丞さんの実弟である九世万蔵さんが演出し、現在各地で大田楽を継承・上演されている方々と共に、国立能楽堂で上演する運びとなったそうです。

ワタクシ「大田楽」は映像でしか観たことがなく、しかも能楽堂で初演時のメンバーが再結集ということで、かなりワクワクでございました o(^-^)o

まず、能舞台上に一畳台、大太鼓などが運ばれてきて置かれ、道成寺の鐘を吊す滑車に、神社の鈴が吊られました。(その時、ワタクシは「鈴後見…」という言葉が頭に浮かんでました。どうでもいいですが。笑)

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脇正面席後方の扉が開き、田楽法師一行が隊列を組んで音楽を奏しながら客席の通路を行進してきます。すぐ脇を通っていく演者の皆様を目のあたりにし、否が応でも胸が高鳴ります♪

全員が能舞台に収まるのか!?という大人数が次々と入場。もちろん一度に全員が本舞台にのることはできないので、本舞台の他、橋掛かりや客席通路もまんべんなく使ってパフォーマンスするような形。

複数名の踊り手たちが繰り広げるダイナミックな踊りは、舞台から落っこちてしまうのでは!?と心配になるほどスピード感と躍動感にあふれるものでした。

万之丞さんの一番弟子である小笠原匡さんが踊った番楽は特に躍動感あふれる踊りでとてもカッコ良かった!小笠原さんは大太鼓も打っていて、なんてマルチタレントなの~と思いました。

野村万禄さんの勇壮な王舞。緋の装束に天狗の面をかけて鉾をかざして仁王立ちし後ろに大きくのけぞるポーズを何度かなさったのがとても印象的でした。

色鮮やかで巨大な獅子頭(6キロ近くあるそう!)を操って跳んだり跳ねたり激しく踊る獅子舞はとても豪快でした。
二頭の獅子はシテ方の片山九郎右衛門さんとワキ方の宝生欣哉さんです。初演時には青年だったお二方も26年たって年齢を重ねられ、失礼ながらちょっと心配でした(^_^; しかし初演時には赤坂日枝神社の大階段を登りながら舞った(!)とのことですから、それに比べれば楽勝だったのでは!(笑)

白装束に翁烏帽子姿の田主(一行の長)役である野村萬さまが能舞台後方の台座に着席され、それはそれは高貴で神々しいお姿でした。
萬さまの読み上げる奏上、万之丞さんの功績を称え今なお伝え継がれんことを慶び田楽の開催を宣言する、といったところでしょうか。萬さまの謡がかりで美しい読み上げ声が静まりかえった場内に荘厳に響きました。

稚児舞。二人の稚児は万蔵さんと小笠原さんのご子息方が演じました。橙色と緑色の装束が色鮮やかで可愛らしい♡ でもさすが普段から数々の舞台をこなしているだけあり、きっちり堂々と舞っていました。

万蔵さんの三番叟。翁の三番叟のように黒い面をかけて黒装束。手足に鈴をつけておりました。かなり複雑なリズムで軽快かつ勇壮に足拍子をテンポ良く踏んでいきます。途中で笛の一噌幸弘さんが三番叟にすり寄っていくようなシーンもありユーモラスで面白かったです。

普段は紋付袴姿のお囃子方の先生方が色とりどりの花笠や装束を身にまとっておられたのも見目麗しく新鮮でした^^*

楽器の種類も多種多様。大鼓、小鼓といった能楽でお馴染みの楽器のみならず、腰鼓、編木、銅拍子といった珍しい楽器や、笙や篳篥などの雅楽の楽器、大太鼓。賑やかに囃して祭りを盛り上げます。笛は能管でなくて篠笛?龍笛のようにも見えました。

各地で大田楽を継承されている方々の番楽、日体大の方々のアクロバット、京劇俳優の変面など、次々と繰り出されるパフォーマンスがどれもこれも素晴らしくて、歓声や拍手が起こって会場が沸き、観る方もどんどん気分が高揚していきます。

最後は総勢の群舞となり、土蜘蛛ごとく千筋の糸が客席に向かってまかれ、ワタクシ共、前方席ゆえ両手を差し上げて糸を掴もうとしちゃったり、糸まみれになりながらも満面の笑顔でございました(笑)

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蜘蛛の糸まみれになり喜ぶ我々(笑)

田楽法師一行は再び隊列を組み、舞台を降りて客席の通路を行進して退場します。
名残惜しいとばかりに拍手・拍手・拍手。ワタクシ、長年の能楽堂通いでも、あれほどの割れんばかりの拍手の音をいまだかつて聞いたことはありませんでした。

拍手いつまでも鳴り止まず、いったん退場された万蔵さんと萬さまが再び舞台上におでましになり、観客にご挨拶をなさいました。
萬さまの「後ろで座って見ていながら長男の短く太い人生を追憶することができた」というお言葉には胸が熱く…(;_;)

関わってこられた皆様方の万感の想いが込められた大田楽、実に楽しく感動的な一大エンターテインメントでした。

天国の万之丞さまもきっと楽しんでご覧になっておられたことでしょう。(^_^)

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狂言ござる乃座53rd

本日は能楽堂が初めてという友人と共に「狂言ござる乃座53rd」@国立能楽堂へ。初めての人を能や狂言にお連れする時は気に入って頂けるかどうか非常に気になります。その点、狂言というのは能より親しみやすいと思うので最初の一歩としてはまずよろしいのではないかと。

「梟山伏」
シテ(山伏)は萬斎さまのご長男・裕基くん。この演目は狂言らしい定番曲で素直に笑えます。
梟に取り憑かれた男の兄に頼まれて加持祈祷をする山伏ですが、兄や終いには山伏自身にも梟が取り憑いてしまう。ミイラ取りがミイラに。三人が発する梟の鳴き声や梟っぽい仕草などとても笑えるんですがシュールな怖さも感じます。
裕基くん、ちょっと見ないうちに大人の声になっていました。少し前までは少年の声だったのに。日々成長しておりますね。

「見物左衛門」
シテは萬斎さま。これは狂言では珍しい全くの独り芝居です。公演プログラムによると難曲・稀曲とありましたが、ごく最近見たような気が・・・。そう、昨年の10月に万作さまシテで拝見したばかりでした。でもその時には確か相撲見物のシーンがあったのに今回はなかった。
前回を思い起こすと「深草祭」、今回は「花見」という小書で全く内容が違うのだそうです。要は見物左衛門という男がいろいろ見物して回るただそれだけの話です。「花見」は一人で京都の名所を巡って花見をし酒を飲み謡ったり舞ったりひたすら気ままに過ごす一日の話です。特に笑いの要素はありません。これといったストーリーはなくシテの芸を楽しむ演目と言えます。たった一人で観客に情景を想像させなければならないのは難曲たる所以ですね。
私は小謡や小舞がとても好きなので、こういった曲は大好物で今日もとても楽しめたのですが、やはり万作さまの深草祭の方がより味わい深く感じられたように思います。深草祭は笑いの要素もあったように記憶しているので取っつきやすかったというのもあるかもしれません。
萬斎さまが「入り込むまでに少々忍耐がいる」と述べられていたのはその通りだと思いました。友人は狂言にこのような類の笑いなしの演目があるとは知らなかったとの感想でした。でも感触は悪くなかったようです。さあ次へ。

「鬮罪人」
シテ(太郎冠者)は萬斎さま。怖い主人が出てくる「三主物」の一つです。めったに出ない曲ではあるが何度も勤めていると萬斎さま。
怖い主人を演じたのは万作さまでしたが、これが本当に怖かった!!出しゃばりの太郎冠者が最初は主人に諫められているところ客たちの支持も得てどんどん調子にのり、終いに主従の立場が逆転してしまうのですが、それでも圧倒的な怖さで太郎冠者を封じ込める主人の迫力が凄かったです。舞台で怖い万作さまはあまり見たことがないのでちょっと新鮮でした。
萬斎さまが、万作さまはとても厳しくてお稽古の時に扇が飛んできたりするというお話されていたことがあり、今日の太郎冠者の主人に対するビビり方(何度も腰を抜かしてました)は、子どもの頃にお父様から受けた怖い印象の経験が生きているのかしらんと思ったりしました(笑)
友人は万作さまのことを初めて知ったそうですが、他の演者を超越する芸格の高さを肌で感じた様子でした。

三番のそれぞれ趣の異なる狂言を観て、友人も気に入った様子でまた行きたいと言ってくれました。能や狂言に親しんでもらうには最初が肝心なのです。最初のお役目は無事果たせたとホッと胸をなでおろしました。

第99回 粟谷能の会

3月6日(日)、第99回「喜多流・粟谷能の会」を拝見いたしました。先だって行われた事前鑑賞講座の内容を織り交ぜながら、感想を書きたいと思います。

今回は「白田村」(シテ:粟谷能夫さん)、「融」(シテ:粟谷明生さん)ということで、共通点の多い二つの演目。能の世界では重複することを「つく」と言い、同時に上演することを嫌うのだそうです。
これまで粟谷能の会ではいつでも上演する演目のバランスがとてもよく考えられていたと思います。しかし、今回は何故つく演目を選曲したのか?お二人とも60代となり「これからはやりたい曲をやる」という方向にシフトしたとのことでした。

とはいえ、最近では、テーマを決めて同じ傾向の演目を上演したり、他流間で同じ演目を上演し比較する企画など、似た演目を同時上演することは珍しくありませんし、また、共通点の中に埋もれた相違点を探し出すことも観る方としてはなかなか楽しい作業なので(少々オタクな趣味なのかもしれませんが。笑)、今回も大変面白く拝見しました。

「白田村」というのは「田村」という演目の小書(こがき=特殊演出)の一つだそうです。通常のタイトルに色の名前を付けて小書であることを表すのは喜多流独特の流儀のようです。今回はシテの装束がオールホワイトで一段と格調高い演出です。前場の童子からはピュアな、後場の坂上田村麿の霊からは神々しい印象を受けました。

「融」は世阿弥作で、「能らしい能」と言える曲だと思います。無駄なものを全て削ぎ落とし、この上なく美しい詩情にあふれた世界観を作り上げる。ここ数年、友人たちと一緒に粟谷能の会を観てきましたが、船弁慶、道成寺、正尊、安宅、と続きましたので、他の能の会を観ていない友人などには今回のような優美な能はかえって新鮮に映ったようです。

「白田村」と「融」の共通点について書きますと、前場で旅の僧(ワキ)が東国から京の都に上り、老人(シテ)がワキに名所を教えるところ(名所教え)はそっくりな設定です。また、旅僧の装束が着流し、後シテの装束が狩衣、女性が登場しない、などの共通点があります。

「白田村」は春の夕暮れ、若者が武勇伝をはつらつと語る、「融」は秋の夜、老人が昔を懐かしんで語る、と言った相違点もあります。ある意味、共通点が多い分、相違点がより際立ち、全く違った印象を受けるのも事実です。演じる方も意識的か無意識かはわかりませんが、「つかないように」ベクトルを逆に向けるようになることもあるのではないかと思いました。

名所教えの場面は「白田村」より「融」の方が多くの名所を紹介します。そのため「白田村」では名所教えがあっさり終わった印象がありました。「融」の方はじっくり何ヶ所も名所を教えるので、なんとなくこちらも教わっているような気分になってきます。

舞台上での方角は流儀により決まっていて、喜多流の場合は揚幕の方向が東となります。観世流などは逆に西になるそうです。方角が違うために流儀ごとの型に違いが生じるというお話は面白いと思いました。喜多流ではシテが登場して定位置についてから揚幕の方を振り返り月を見る型があり、観世流でやると月の方向が逆なのでおかしいことになります(明生さん談)。

ワキとシテが舞台上でそれぞれの方角に体の向きを変えながら、名所について語るのですが、その時、思わず私もその方向を見て、音羽山や清閑寺をまぶたの裏に思い描いていました。観客で埋め尽くされた見所全体が秋の野山や寺社に見えてきました。これまで能舞台上に自分の頭に描いたイメージを投影することはありましたが、観客席にまで脳内イメージが広がったことは今回が初めてで実に面白い体験でした。

「融」では常と異なる演出が多々見られました。例えば、ワキの登場は、通常ならば名乗り笛で登場し本舞台上に到着してから謡い始めるところ、今回は「思立之出」(おもいたちので)という演出で、揚幕が上がるとすぐに「思い立つ~」と謡い出して橋掛かりを歩みます。これは先日の「旧雨の会」で森常好さんがなさっておられたのをご覧になった粟谷明生さんが常好さんに今回も、とリクエストされた演出で、私もとても素敵な出方だなと思いました。

それと、早舞の時、クツロギという舞の途中で橋掛かりへ行き月を見てしばしお休みする演出、笛がいつもと異なる演奏をするところ。また、シテが最後に退場する際に揚幕の手前で本舞台の方を振り返って見るところ(明生さん曰く、未練を残しているのだそうです)など、いろいろな工夫や演出があって、「融」は元々面白い曲だと思いますが、いっそう興味深く拝見しました。

後場が良かったという友人が多かったですが、私は前場がとても良かったと思います。先ほど述べた名所教えの場面で世界がワイドに広がる感覚を得たことや、老人であるシテが変わってしまった自分を嘆く気持ち、喪失感のような思いが、謡い、仕草、表情(面の角度)から切ないほどによく伝わってきました。
また、森常好さんと粟谷明生さんの美声(私が現役能楽師二大美声だと勝手に思っていまして。笑)には、今回も惚れ惚れさせられました。

ところで、ワタクシこれまで能をたくさん観てきましたが最近何となく気になっていたこと、・・・それは「心が震えるほど感動することが極端に少なくなった」ということです。その答えの一つが、今回の「融」を観て導き出された気がしました。

事前講座に参加したり、演者に直接お話を伺ったりして予め知識を得ておくことは、普通なら難しく感じる点が理解しやすくなる手段としてはとても良いのですが、あまり手の内を知ってしまうと感動が薄れてしまうというのも少しあるのかなと思いました。
きっと今回の「融」は何の予備知識も無く見ていたらビックリの連続だったんじゃないかな、と思いまして。そして終わった後にスゴイもの観ちゃったな~という感動が押し寄せてきたのではと思うのです。だけど、観る前にいろいろ知っておきたいという思いも捨てがたく・・・。

知りたい欲求と、感動したい欲求のせめぎ合いで、落とし所が難しいところです。事前鑑賞講座は明生さんとゲストのトークが毎回とても面白いですし、初心者よりは能をよく見ている人にとって興味深いお話がたくさん出てくるので、講座それ自体は非常に価値があると思うんですよね。だからこれからも講座には参加するつもりです。その代わり、森常好さんが仰っていた「言葉の意味に囚われてはいけない。自分でイメージして感じることが大切」というメッセージは本当にその通りだと思いますので、忘れずに心がけて行ければいいのかなと思います。

狂言「鎌腹」は野村万作さまがシテで、大部分が独り芝居であるため、味わい深い熟練の芸を楽しむことができました。和泉流の演出だからなのか万作さまだからなのかはわかりませんが、ちょっとしんみりしてしまい、友人の一人は「あまり笑えなかった」と申しておりました。

狂言といえば笑い、というイメージですが(実際、多くはその通りですが)、万作さまほどの芸域の境地に達すると、笑いに限定せず人間の内面を描写している演目の方がより真価を発揮なさる(このような言い方も僭越なのですが)ような気がして、また実際にそういう演目に出演なさることが多いので、ワタクシは万作さまに対してはいつでも笑いというより胸キュンです(笑)

ところで、揚幕を上げるタイミングはシテが決めるものですが、「鎌腹」のようにシテが追いかけられて橋掛かりに駆け出すような演目の場合は、客席の様子を伺って決めるのだそうです。客席がざわついていたり、いつまでも席に着かない観客がいるとなかなか幕が開けられないそうですよ(という話を今回初めて聞きました。時間が着たら勝手に始まると思っていましたが違うのね(;´Д`))。開演ブザーが鳴りましたら速やかに着席して静かにしませう(←ワタクシのことです。スミマセンでした<(_ _)>)。

能の場合はお調べが聞こえてくるのでこの後すぐに始まるな、とわかるのですが、狂言は突然幕が開いて始まりますので、能と狂言の間に休憩を入れない番組編成になりがちなのはそのせいもあるのかな、と思ったりもしました。

次回の粟谷能の会は100回という節目を迎え、大曲「伯母捨」と「石橋」(半能)が上演されます。次回はまたバランスを考慮した選曲となりましたね(笑)。噂によるとパーマヘアのお獅子が出てくるとか!楽しみにいたしましょう\(^O^)/

第99回粟谷能の会
2016年3月6日(日) 12:45~17:00 @国立能楽堂
<番組>
「白田村」 シテ 粟谷能夫
「鎌腹」 シテ 野村万作
「融」 シテ 粟谷明生

事前鑑賞講座の模様はこちら
第99回粟谷能の会 事前鑑賞講座 写真コレクション

旧雨の会

「旧雨の会」を拝見しました。

一作年12月に57歳という若さで早世された太鼓方金春流23世宗家・金春國和氏を偲び、またご子息の24世金春國直氏を応援する会。

最初に國和さんを偲ぶプレトーク。和やかな雰囲気で時折笑いも交じえながらもやはり切なくてホロリ。

独鼓、一調、仕舞、舞囃子、半能。

能以外の演目の方が長い時間を占めます。能をよく観ている人が好みそうな少し渋い番組構成。

今回お集まりになった能楽師さんの多くは國和さんと同世代、50代60代の方々。体力と表現力のバランスが最も良く安定感があるのである意味安心して拝見することができる世代です。

先日の能楽シンポジウムで野村萬さんが「老・壮・青」の三世代のうち最も大事な世代と位置づけられていた「老」を助け「青」を導く「壮」の世代。
國和さんは能楽師として最も充実の時期を迎え中核を成すべきその世代で亡くなられたのだと思うと本当に惜しく残念なことだと思いました。

さてその安定感ある世代である皆さまの芸を拝見しながら、今回は良い意味で心乱されたのです。みるみる惹き付けられ胸の鼓動の高鳴りを押さえられず鳥肌が立つような思いで観てしまいました。
皆さまそれぞれに気持ちの入り方がいつもとは別次元に思えました。國和さんへの熱き友情の思いと國直さんへのエールがこちらにもひしひしと伝わってきたのです。

能楽師さんが流儀や役を超えて個人的に集まりこういった会を催したということがたいへん素晴らしいですし、この空間と時間を共有できたご縁をありがたく思いました。観に行って良かったと心から思える会でした。

萬狂言 冬公演 大蔵流 和泉流 異流公演 二題

萬狂言 冬公演を拝見しました。萬狂言は和泉流ですが、大蔵流のお二方をお迎えしてのご共演。先日、立合狂言会でも流儀が違う狂言師さん方が集まりましたが、今回は同じ演目内での共演です。ワクワクです!((o(´∀`)o))

二人袴

聟入(結婚後初めて妻の実家に挨拶に行くこと)するにあたって、自分の父親についてきてほしいと頼む聟。親は門前まで見送ったがそれを知った舅が親にも家に入るよう言います。しかし、袴は一つしかありません。さてどうする!?

言わずと知れた人気演目です。聟は結婚したとはいえまだ子どものような年若さで、袴が初めてで履き方がわからず親に着せ付けてもらったり、帰ろうとする親を心細さで引き留めたりします。親も我が子可愛さについ言う通りにしてしまうところが微笑ましいです(^^)

聟役を勤めた野村眞之介くんは野村万蔵さまの三男で12歳。まだ親がかりで子どもっぽさが残る聟の役を初々しく演じていましたよ。この役は初めてとのことですが、緊張した様子もなくのびのびと上手に観客の笑いをとっていました。長袴でのぎこちない歩き方とか、舅や太郎冠者にバレないように必死に隠そうとするところなどめっちゃ笑いました(^o^) 父親役の野村万禄さんもほんわかしたおとぼけぶりで、子どもを気遣う親心が伝わってきましたなぁ~。

節分

節分の日、蓬莱の島から日本にやって来た鬼が一人で留守番する女に恋をして小歌や舞で口説こうとするが、女は怖がって追い出そうとするばかり。しかし終いに女がとった行動は・・?

異流共演その一。鬼の役は野村万蔵さま、大蔵流のお相手は山本則孝さまで女の役を勤められました。

先日、他の公演(和泉流)で観た時は、女が鬼を怖がって追い出そうとする際、かなりおびえながら必死に追い出すっていう感じでしたが、則孝さまの追い出しっぷりは、強い剣幕で「あちへ行けっ!あちへ行けっ!!」と不審者を見つけた警備員みたいに毅然とした態度なのが、すごーく面白かったです(≧▽≦)
大蔵流でも山本東次郎家は顔にはあまり表情を出さず動作やセリフもキビキビしていて、和泉流や大蔵流でも他の家とはまったく芸風が異なるように思います。その辺の面白まじめな感じがこれまた独特で妙に笑えるんですよね(^^)

万蔵さまの鬼は、女に気に入ってもらおうと一所懸命に謡ったり舞ったり、振り向いてもらえなくてエーンエーンと泣き出したり、女に宝を渡すと家に入りこんで亭主ぶってみたり、鬼のくせに人間くさくてとても愛嬌がありました。鬼の面をかけて謡いながら舞うのはかなりの体力が要るでしょうが、次々とテンポ良く繰り出されるキレの良い舞で、則孝さまのお気に召さなくても(笑)観客の目を楽しませてくれました。

結局、鬼は女に宝を取られたあげく追い出されてしまいます。本物の鬼よりも、人間の方がよっぽど鬼だな・・・(^_^;

木六駄

太郎冠者は主人に言いつけられ、木六駄と炭六駄を付けた牛12頭を追いながら、大雪が降り続ける峠を越えて主人の伯父の元に向かいます。あまりの寒さに途中の茶屋で休んだ太郎冠者は・・・。

異流共演その2。太郎冠者を野村萬さま。大蔵流のお相手は善竹十郎さまで茶屋のお役です。

前半の大雪の中での牛追いのシーン。ここは太郎冠者の長い独り芝居となります。言うことを聞かずにあっちに行ったり止まってしまう牛をちゃんと歩かせるように仕向けますが、なにせ牛は12頭もいますからたいへんです。あっちへ走りこっちへ走り牛をコントロールします。ちなみに舞台上には牛は一頭もおりません。太郎冠者のパントマイムであたかも牛がいるように見せなければならないので、ここで役者の力量が問われます。
そこはさすが萬さまですので、全く心配する必要はありませんでした。大雪が降る中、太郎冠者に追われる12頭の牛たちが目にも鮮やかに浮かんできます。86歳の萬さまが思ったより速いスピードで舞台上を走るのには驚かされました。少し呼吸の荒さはあったものの(それも演技?)、足腰の強靱さは目を見張るほど!

降りしきる雪を太郎冠者が「真っ黒になって降る」と言うのが印象的。観客の一人が思わず「真っ黒?」と声をもらしました。でも、雪深い山里で生まれ育った私には真っ黒な雪という表現はそんなに不思議ではありませんでした。雪は白いものですが、時に黒く時に青く透明で、そしてうす赤くなる時すらあるのです。街灯も民家も全く無いような山道、降る雪が黒く見えるというのはありそうなこと。辛い旅路を延々と行かなければならない太郎冠者の心象風景との解釈もあるようですね。

さて、疲れた太郎冠者は峠の茶屋で休みますが、ここから茶屋の主人との長いやり取りが始まります。ここでの萬さまと十郎さまの掛け合いが本当に素晴らしかった!台本は和泉流と大蔵流を合わせて調整したそうですが、流儀が違うことを全く感じさせず(「節分」は逆に全く違う芸風ゆえに楽しめましたが)、あたかもお二人がずっと以前から同じ舞台にしばしば立たれていたと錯覚するほどピッタリと息が合っていて、なごやかで楽しそうな酒宴の様子が伝わってきます。観ているこちらも体がホカホカと温かくなる感覚に。これはやはりお二人の芸が円熟の極みに達しているからこそ成せる技という気がしました。

主人から預かった手酒を全部呑んでしまった二人。酔っ払って良い気分のまま伯父の家に到着した太郎冠者ですが、酒を飲み干し木六駄まで茶屋に渡してしまったことが伯父にバレてやるまいぞと追われて幕です。面白かった!萬さまの木六駄は期待通り素晴らしかったです\(^O^)/

東京は降らなかったけど全国的に大雪が降り寒かったその日、観劇後、すっかり上機嫌になった私と友人はやっぱり日本酒を酌み交わしましたとさ。

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国立能楽堂の企画公演「松囃子-祝祷芸の様々-」

国立能楽堂の企画公演、松囃子-祝祷芸の様々- を拝見して参りました。

開演前に能舞台の上には三方が置かれ、白米を盛り、岩山に見立てられた黒い炭、唐辛子のくちばしと茗荷の尾で作られた鶴、椎茸の亀が飾られていました。
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菊池の松囃子「勢利婦」

松囃子とは室町時代に流行した初春を祝う芸能だそうです。
熊本県菊池市の御松囃子御能保存会によって上演されました。。
舞人が一人、お囃子は太鼓1名、大鼓2名で、小鼓と笛はおりません。
また後ろにはバックコーラスを行う地方が今回は8名(数は決まっていないそうです)。
舞人は立烏帽子に直垂姿で紙垂が付けられた大きな笹を持っていました。他の出演者は全員、半裃姿です。
一同、最初と最後に正面席に向かい拝礼します。昔は将軍様へのご挨拶だったのでしょうか。
何度か出てきた「松やにやに、小松やにやに」という言葉がちょっと面白いと思いました。
三番叟を彷彿させるような軽快な動きのかっこいい舞でした。

舞囃子「高砂」

一流どころのお囃子方をバックに、宝生流の若き宗家が力強く爽やかに舞いました。全員、紋付袴ではなく素袍裃で、常の舞囃子よりも儀式的なおごそかさが増し正月らしいおめでたい雰囲気が漂いました。

狂言「松囃子」

この演目は初めて観ました。シテは最近お気に入りの名古屋の野村又三郎さん。またお会いできましたー(*´▽`*)

ある兄弟の家に毎年正月に松囃子の祝儀を舞うために来る万歳太郎が、年の暮れに送られてくる米が今年は届かなかったので兄弟の家に様子を見に行くと、兄弟ともに米を送らなかったことをすっかり忘れていました。しかし、兄弟は何にも知らずにいつものように松囃子を求めます。大切なことを忘れられてしまったので、太郎はテキトーに舞ってすぐに帰ろうとします。不思議に思う兄弟ですが、そのうち、兄が米のことを思い出し、続いて弟も思い出し、太郎は今度はきちんと「鞨鼓」を舞って新年を寿ぐのでした。

太郎が兄弟に思い出させようとしてあれこれ遠回しに言うのですが兄弟になかなか伝わらないなど前半はコミカルなやり取りが面白く、後半はおめでたい鞨鼓の舞の芸を堪能することができ、なかなか見応えのある楽しい曲でした。

狂言「靭猿」

茂山逸平さんとご長男・慶和くんの親子が猿曳きと猿を勤められました。大名役は逸平さんのお父様の茂山七五三さま、お兄様の宗彦さんが太郎冠者という三世代共演。

「猿に始まり、狐に終わる」と言われる狂言の修行。子方としてデビューする初舞台が「靭猿」ということです。慶和くんの初舞台は4歳の時に「伊呂波」で、靭猿は昨年5歳で初めて勤めたそうです。

子方は猿の面をかけて着ぐるみを身にまとい、四つん這いで歩いて鳴き声を発し、猿のようなしぐさをします。舞台に登場するだけで可愛らしさに見所の雰囲気をなごませる子方の存在ですが、この役では特に、大人たちが演技を続けている長い時間、足をかく、顔をかく、お尻をかく、横向きに転がる、などといった動作を休むことなくずっと続けていたのが本当に健気でした。基本的に同じ動作を繰り返しているだけなのですが、面をかけているし常に動いているのでかなりシンドイのではないかと。また、後半は猿挽きの謡う猿歌に合わせて芸をしますが、大名をひっかこうとしたり寝転んだり月を見たり稲を刈ったりと、結構バリエーションがあり、これが6歳の演技なのかとビックリするほどの密度の濃さです。本当によく頑張りましたねと褒めてあげたいです(*^_^*)

前半は大名が権力で靱に張るために猿の皮を得ようとし猿曳が拒絶して去ろうとするが大名が怒り出し射殺そうとする緊迫した場面、また、猿曳きが大名のあまりの剣幕にやむなく猿を自らの手で殺すことを一度は決心しますが、猿が殺される運命を知らずに芸をしようとするのを見て、子猿の頃から育てて芸を仕込んできた猿を殺すことはやはりできないと泣く場面と続きます。しかし大名もその哀れさに同情し、猿の命を奪うのをやめます。猿曳はお礼に猿歌を謡い猿に芸をさせますが、大名は楽しくなって自らも一緒に舞ったり、自分が身につけているものを次々とご褒美に与えてしまうなど、前半は我が儘で横暴でしたが一転してお茶目なキャラに(笑)

緊迫した場面、悲しい場面と数回のドラマ展開があり、最後には楽しくおめでたい雰囲気で終わる演目で、久々に見ましたがやっぱり大満足でした。

第二回「立合狂言会」東京公演

喜多能楽堂で「立合狂言会」を拝見して参りました。
大蔵流と和泉流、またその中でもいろいろな家の狂言師が一堂に会して演じ合う狂言の会です。

オープニング、この公演の世話役でもある野村万蔵さん(和泉流)と茂山千三郎さん(大蔵流)のお二人がご登場。

狂言では流派や家が違うと一緒の舞台に立つということがほとんどなく、能の会に呼ばれても家単位のため、わかりやすく言えばお互いライバル。
異なる流派や家が一緒に演じ合うことで芸の向上と交流を目的に企画、と公演の趣旨の説明があり、その後、お二人のまるで漫才のような楽しいトークで流派や家の違いなどが語られます。

そして、実際にどう違うかの実演も。

まずは「附子」の水飴の食べ方を万蔵さんと千三郎さんそれぞれに行います。
千三郎さんの方がとーーーーっても美味しそうに食べてました(笑)

次にお互いに酒を酌み交わします。酌する方もされる方もやり方が微妙に違います。
お酒の飲み方もどちらかといえば千三郎さんの方が旨そうでしたね(笑)

茂山家はリアル・誇張、野村家はスマート・上品、といたずらっ子ぽく違いを述べる万蔵さん(笑)

茂山家はセリフが余分に多いよね、余分なものを削ぎ落とすのが狂言だと思うんだけど、と万蔵さん。でも、台本的には野村家の方が多いよね、繰り返しとか、余分だよね、と千三郎さん。
なんかいろいろ揶揄し合っているようにも聞こえますが、言いたいことを言い合える仲ということ。あぁ、このお二人は本当に仲がよろしいのね~と微笑ましくやりとりを拝見 (*´∀`*)

台本的には大蔵流はそれぞれの家であまり違いがないそうで、和泉流はそれぞれ違ってたりするんだそうです。
和泉流は元々違う流派が寄せ集められて作られた流儀なので。だから仲悪いんですよ~、と万蔵さんが軽くジョーク(笑)。

演技的にはこんな位置関係みたいで。
茂山家(大蔵)<野村家(和泉)<山本家(大蔵)
(柔)<-------->(堅)←語弊がありますがあえて言えばこんな感じ?

私の印象はこうです(笑)
茂山家≦野村家<<<<<山本家

私もこれまで和泉流と大蔵流をまんべんなく観ている方だと思うのですが、野村家と茂山家の違いって何?と言われても正直はっきり説明できないんですよね~。それぐらい近いように感じていました。山本家だけは全く違うってわかるんですけど(説明はできないけどモノマネはできます。笑)。

しかし、同時に同じことをやっていただくと、やはりはっきり違いがわかりますね。あ、なんだ、全然違うじゃん!と思いました。

さて、ここで名古屋の野村又三郎さん(和泉流)も加わり、三人同時に小舞「土車」を謡い舞います。
舞は想像していた以上に差がありました。大蔵流が違うのはわかるけど、同じ和泉流でも万蔵さんと又三郎さんでもかなり違いました。
三人で別々の舞をしていてぶつかったりしないのが不思議~。
それでもやはり同じ曲ですから、ぴったり合うところもあります。

同じ部分と異なる部分が混在しているために、相違部分が華やかさと奥行きや幅を生み、共通部分でまとまりがついて締まる感じで非常に面白かったです。江戸城謡初式の三流宗家による舞囃子「弓矢立合」もそんな感じだったなぁ~と遠い目(´ェ`)。

さていよいよ狂言の上演です。番組は以下の五番。
「佐渡狐」大蔵流・山本東次郎家/善竹十郎家
「酢薑」和泉流・三宅狂言会
「簸屑」和泉流・狂言やるまい会
「棒縛」大蔵流・茂山千五郎家
「佐渡狐」和泉流・野村万蔵家

特に「佐渡狐」は異流対決!ということでしょうか、同じ曲をぶつけてきました。やるね!(¬_,¬)b
立合狂言会でも、これは初めての試みだそうです。

さらに、大蔵流の佐渡狐は山本家と善竹家の両家が同じお芝居で共演ということで、これまた珍しいことです(最近はこういう上演形態をたまーに見かけるようになりましたけど、やはりよほど狂言を見まくっていないとなかなかお目にかかれないです)。しゃべり方の調子がまるで違っていますけど、台本は同じと思いますのでそれほど違和感はなかったですね。

「佐渡狐」を見比べた印象ですが、ストーリー的にはほぼ同じでした。でも細かいセリフや所作はいろいろ違っていました(鶏が鶯だったり、袖の下の受取り方とか)。流派でストーリーが大きく違う演目を比較するのは国立能楽堂の企画公演でもありましたが(その時は「鎌腹」で結末が全然違っていた!)、ほぼほぼ同じなのに細かく違うところを意識しながら観るのは間違い探しのようで楽しかったですね~。

この中で初めて拝見したのは「簸屑」。野村又三郎さんのお父様はあまりお好きでなくて出さなかったそうで、現在の又三郎さんはなるべく出すようにしていると仰っていました。そうそう、埋もれたお宝を後世に伝えるってのも大切なことですよね。

次世代を担う若手の狂言師が集い研鑽を積む公演」とご挨拶文にもありました通り、どの演目も若い力が大活躍のフレッシュでエネルギーにあふれる舞台でしたね~。

流儀は同じだけど違うお家の方がそれぞれの後見を勤められていたのも印象的でした。使う小道具が違っていたりするそうなので油断できないですな(^_^;

さて、お名残惜しくも五番の狂言が終わり、最後に出演者全員が再登場して附祝言「猿歌」が謡われました。
最初に和泉流から謡い出し、大蔵流が途中から入ります。大蔵流の方が人数が少なかったんですが、負けてはいませんでした。最後は大蔵流の方が声が大きかったです。やはり良きライバルと競い合う雰囲気が素晴らしいですね♪

附祝言が終わり全員が退場。皆さんいつもの舞台の時のようにまっすぐ前を見て橋掛かりを歩み退場しましたが、最後の千三郎さんだけが客席に向かって会釈されていました(お茶目♡(^o^))。

これで本日の公演は終了~というアナウンスもかかり、観客が帰り支度を始めているところ、出演者の方々が舞台の上に再登場(カーテンコール!?)
これから出演者の記念撮影をするので、みなさんも自由に撮ってもらって楽しかったと書いて拡散してくださいね~と仰っていただき、大撮影大会が始まりました。
全員での「大笑い」を動画撮影させていただいたり、脇正面席の方も向いてください~というリクエストにも応えていただいたり、なんかもうファン感謝デーみたいな感じで本当に楽しかったですぅ~(*´▽`*)

久々にワクワクする公演を拝見できたって感じでしたね~。これで3000円ってめっちゃ安くないですか!?(正面席は4000円)。先だって行われた京都公演では出演のお家も演目も違っていたので、両方観れば良かった!とまで思いました。来年も行われる予定のようですね。とても良い企画だと思うのでぜひ長く続けていただきたいです!\(^O^)/

国立能楽堂特別公演「朝比奈」「木賊」

本日は国立能楽堂の特別公演を拝見し、本年の観能納めとなりました。
演目は仕舞「雲林院」、狂言「朝比奈」、能「木賊」です。
狂言「朝比奈」のシテは野村万蔵さん。本日お誕生日ということで佳き日に大曲をご立派に勤められまことにおめでたいことです\(^O^)/
普段、狂言を拝見した後は「面白かった」もしくは「芸が深い」などという感想を抱くことが多いのですが、本日の感想はズバリ「めっちゃかっこよかった!」でございます(*^_^*)
野村万蔵さん演じる朝比奈は、地獄に責め落とそうとする閻魔大王を力強く突き飛ばし、堂々と戦語りをするところなど、初めから終わりまでとにかく強くてカッコイイのです!
一方、野村又三郎さん演じる閻魔大王は、閻魔さまなのにどこか人間くさくて威厳があまりなくて愛嬌があり、朝比奈をひきたてる非常に重要な役だと感じました。
このお二人とてもよく息が合っていて絶妙な掛け合いで終始引き込まれて最後まで目が離せませんでした。お家が違うので共演機会はあまりないそうですが、このコンビでのお舞台をこれからも度々拝見したいなぁ~。
お囃子や地謡が入り能の様式を取り入れた重厚かつ華やかな演目でとても見応えがありました!
能「木賊」。これはめったに出ない稀曲で私も以前には1回しか観たことがありません。今回抱いた正直な感想は「これは難易度が高い曲だな…」…でした。
演者にとって難曲であることは間違いないと思います。一方で観ている方にもレベルの高さが要求される曲という印象を受けました。
そう感じた理由はいくつかあるのですが、その最たるものは(私だけかもしれないですが)「感情移入できなかった」ことです。
これは、子を探して物狂いになる親が母でなく父である、しかも老親。子方は幼い子どもが演じていているゆえに孫にしか見えない。子方がひと言も発しないので子ども側の思いが伝わってきにくい。といったことが原因かと思います。
ここで私が感情移入できないのは曲のせいでもなく演者のせいでもなく、単に私に想像力が不足しているためだと思いました。能は観る方の想像力が必要な芸能です。観たまま理解しようとするのではなく、想像して感じなくてはならないのです。まだまだ修行が足りませぬ!来年からは顔を洗って出直しまーす(^_^;
自分の未熟さがわかった以外は、やっぱり素晴らしいお舞台でした。梅若玄祥親分の謡は体全体が楽器のようによく響いて聴いていてとても心地良かったです。シテ柱にもたれてしばらく佇み悲しむシーンが切なくて心に響きました。お囃子も一噌仙幸さま、大倉源次郎さま、亀井忠雄さまという豪華出演陣でそれはもう申し分なくたいへん素晴らしかったです。
画像は今公演に関係あるイラストと写真です。何のこっちゃと思われた方は各写真のキャプションを読んでね(^_-)-☆

「木賊」(とくさ)とはこんな植物。細かく縦筋の入った堅い表皮が研磨材として使われたためこの名(=研草)がついたそうです。ちなみに私はこの名前を知る前はニョロニョロと呼んでいました(^_^;
「木賊」(とくさ)とはこんな植物。細かく縦筋の入った堅い表皮が研磨材として使われたためこの名(=研草)がついたそうです。ちなみに私はこの名前を知る前はニョロニョロと呼んでいました(^_^;
朝比奈はこのような七ツ道具を担いでとても強そうなのだ☆ 七ツ道具といいつつ5つしかないよな・・・(´・ω・`)
朝比奈はこのような七ツ道具を担いでとても強そうなのだ☆ 七ツ道具といいつつ5つしかないよな・・・(´・ω・`)
今日一番目が釘付けになったのが、木賊のシテが後半に身につけた装束の柄です!能でこんなポップな柄あってもいいの!?と思ってしまいましたが、解説を読むと「子方用の美麗な掛素袍」とありました。なるほど!可愛いな(*´▽`*)
今日一番目が釘付けになったのが、木賊のシテが後半に身につけた装束の柄です!能でこんなポップな柄あってもいいの!?と思ってしまいましたが、解説を読むと「子方用の美麗な掛素袍」とありました。なるほど!可愛いな(*´▽`*)

萬狂言特別公演~大曲二題~「枕物狂」

大曲二題、続きましては、野村萬さんがシテを勤められた「枕物狂」についての鑑賞レポートです。

「花子」レポートはこちら
萬狂言特別公演~大曲二題~「花子」

「枕物狂」あらすじ
百歳を越えた祖父(おおじ)が恋に悩んでいるという噂を聞いた孫二人が想いを叶えてあげたいと祖父に話を聞きに行く。最初は志賀寺の上人や柿本の紀僧正の昔の恐ろしい恋について物語っているうちに、いつの間にか自分の恋心を謡い上げてしまう祖父。祖父の意中の女性が地蔵講の折に見かけた刑部三郎の娘の乙御前(おとごぜ)であることがわかり、孫の一人が乙御前を連れてくる。祖父は老いの恥を晒した恨み言を謡うものの、嬉しそうに乙御前と連れ立って行く。

シテの祖父を人間国宝の野村萬さん、孫を野村虎之介くん、野村拳之介くん(二人は萬さんの実のお孫さんでもあります)、そして祖父が恋する相手の乙御前を、先ほど「花子」でわわしい妻の役を好演した野村又三郎さんが演じられました。

この曲には地謡とお囃子も登場し、とても格調高い雰囲気です。

祖父は笹の小枝を手に持って登場します。笹には小さな俵型の枕が結びつけられています。笹は「物狂い」の象徴で、枕は「恋愛」の象徴なのだとか。なので、この笹のことを「狂い笹」といいます。狂言や能での「物狂い」とは、頭がおかしくなっているということではなく、精神が高揚して神がかっている状態のことを言うのだそうです。

枕がゆらゆら揺れる笹を持った萬さんは、時折、ひょい、ひょいとよろめきながら、橋懸かりをゆっくりと進みます。このひょい、ひょい、という感じが狂言らしくてとてもキュートです♡

本舞台に入ると床机にかけ、孫二人にちゃんと聞くのだぞと言って話して聞かせます。謡がかりで語るというのがまた祖父の教養の高さや上品さを表している感じがしますが、ひょっとしたらおじいちゃん、自分の恋バナを素の会話でするのがちょっぴり恥ずかしかったので仰々しい謡いで語ったのかもしれませんね(笑)

孫が連れてきた乙御前が頭上にかぶった衣をはずすと、そこには可愛い「乙」の面をした女の子が!「乙」の面は、おかめ、おたふく、お福、などとも言われる、愛嬌のある女面ですね。乙御前が顔を出した瞬間、客席からも温かい笑い声が。祖父のお相手が、ものすごい美人っていうわけでなく、味わい深い顔立ちの娘だった、というんで、観てる方も何だかホッとしてます(やはり、おじいさんにはあまりギラギラしてほしくないと皆さん思っておられるのだなぁ~。笑)。

最後、祖父は嬉しそうに乙御前と仲良さそうに連れ立って行き、ハッピーエンドです。乙御前が本当に祖父のことを受け入れたのかはわかりませんが(笑)ほのぼのするお話でしたね~。

「枕物狂」は三老曲の一つとして重く扱われており、披きの年齢もそれなりです(60~70代くらいでしょうか)。しかし、年齢さえ重ねれば誰しもこの役がちゃんと勤まるかというとそういうわけでもなさそうです。やはり謡いがかりの語りなどテクニックが必要な部分に加えて、これまで長年の修行で積み重ねてきた自分なりの芸というものを反映していくことによって、味わい深さや枯れ感、ちょっぴり色気、その他もろもろ祖父のカラーが、十人十色ににじみ出すもののように思えます。

萬さんは御年85歳で、百歳にはまだまだ遠いご年齢ではありますが、非の打ち所のない演技を見せていただき、今がまさに枕物狂適齢期なのだと感じました。しかし、さらに年齢を重ねた萬さんの枕物狂をいつかまた拝見したい、と熱望するのは贅沢なことでしょうか?

さて、今回は「花子」「枕物狂」という狂言の大曲二番の他に、観世流シテ方による能の仕舞と舞囃子が上演されました。仕舞「班女」は鵜澤光さん、舞囃子「恋重荷」はシテ・野村四郎さん、ツレ・鵜澤光さん。「班女」は「花子」の設定元となった作品であり、「恋重荷」は老人が高貴な若い女性に恋する物語で、その謡が「枕物狂」に引用されています。

「恋重荷」の舞囃子の時に、重荷の作り物が出ていたのが印象的でした。通常、舞囃子で作り物が出されることはありません。後でお伺いしたお話でこの公演での特別の演出であったことがわかりました。

余談ですが、ワタクシ以前から野村四郎さんの舞姿に憧れておりまする(*´▽`*) 仕舞入門のご本やDVDも持っておりましてそれを見ながら家でお稽古しています♪ 今回、四郎さんの舞囃子まで拝見できてテンション上がってしまいました↑↑

演目、演出、配役、何をとっても大胆かつ繊細な工夫が凝らされ、また、厳選された出演者陣の達人芸が堪能できる素晴らしい公演でした。観に行けて本当に良かった!!

万蔵さま、襲名十周年まことにおめでとうございます。これからも頑張ってください~~\(^O^)/

萬狂言特別公演~大曲二題~「花子」

九世野村万蔵襲名十周年記念、また、万蔵さんが五十歳を迎える年でもあるということで、今回この節目の会を拝見する幸運に恵まれました。この特別公演では、「花子」「枕物狂」という大曲二題と、両曲に関係の深い、能「班女」の仕舞、能「恋重荷」の舞囃子が上演されました。

まずは野村万蔵さんがシテを勤められた「花子」についての鑑賞レポートです。

「花子」配役
シテ 夫    野村万蔵
アド 妻    野村又三郎
アド 太郎冠者 井上松次郎

京都の洛外に住む男(万蔵さん)がおりました。男が美濃国で馴染みとなった遊女・花子(はなご)が、男恋しさに都に上り、会いたいとしきりに文を寄こし、終いには身投げまでほのめかします。男も会いたいとは思うのですが、男の妻(又三郎さん)はかなり嫉妬深く、とても会いに行ける状況ではありません。
なんとか家を出ることができるよう男は妻に「夢見が悪いから諸国行脚したい」などと言って家を出ようとしますが、妻はどうにも許しません。

そこで男は「一晩だけ持仏堂にこもり座禅を行う」と偽り、妻を承諾させます。そして「それならば自分も持仏堂に行き夫を見舞おう」と言う妻に、来てはならないと何度も念押しします(←この辺りで鶴の恩返しフラグが。笑)。

男は嫌がる太郎冠者(松次郎さん)に無理やり座禅衾(ざぜんぶすま)をかぶせて自分の身代わりをさせます。そして、花子の元へ颯爽と向かうのです(この瞬間の万蔵さんの嬉しそうな様子といったら!笑)。男はいったん揚幕から退場。

妻は来てはならないと言われたものの、やはり夫のことが心配になり持仏堂に様子を見に来ます。すると衣を被った夫がとても窮屈そう。可哀相に思い衣を取ろうとします。必死に抵抗する太郎冠者!(そりゃそう、バレては大変です。笑) しかし、ついに太郎冠者は衣をひっぱがされてしまい、妻は夫に騙されていたことを知ります。地団駄踏んで悔しがる妻!

妻は太郎冠者に代わって衣をまとい、太郎冠者に見えないところで休むようにと言い、夫の帰りを待つことにします。

花子との逢瀬を楽しんだ男が朝帰りしてきます。肩衣を片方脱いで謡いながらのんびり歩いて夢うつつの様子。花子と過ごした一夜の余韻を楽しみながらも名残り惜しんでいる様子です。少し酔った感じです。歌舞伎化された「身替座禅」では本当に酒に酔っている演出になっているそうですが、こちらはまさに「恋に酔っている」ような艶っぽい雰囲気を上手に漂わせる万蔵さん。

二、三歌ったところで、男は太郎冠者に身代わりをさせていることをハッと思い出し、夢から醒めて我に返ります。

男は持仏堂に戻りますが、そこでまた花子との甘いひとときのことを思い出したのか、そのことを人に話したくなります(かなり恋に浮かれています。笑)。それで、そこにいる太郎冠者に話して聞かせようとするのですが、聞かせたいんだけど恥ずかしいから衣を被ったままで聞くように言います(当然、中身は妻なんですが。笑)。

男は花子との逢瀬の一部始終を小歌を交えて語ります。小歌は当時の流行歌なので、和歌や謡などに比べたら少し俗っぽいのかもしれませんが、現代の我々が聞くと古語っていうだけでかなり風雅に聞こえます。
語りだけで展開するのでなく、小歌を交えているため、逢瀬話が露骨に生々しくなることがなく、しかしほのかに艶っぽさは感じ取ることができます(実に良くできていますね~)。「寝乱れ髪をおし撫でて」なんてちょっとドキッとする歌詞もあったりしますが(〃▽〃)

男が宿の戸をたたいたところで、花子は「誰そよ」と言う。男が、自分以外には誰も来ないはずなのに「どなた」とは他にも待つような恋人がいるのかね、とイヤミを言う。なかなか会いに来なかった男に対して少し突き放すような態度を取った花子に、男がちょっと拗ねるようなところがまたいいですね~(*´▽`*)

そんなこんなのやり取りを、男は小歌と仕方話で語っていきます。この間、太郎冠者(実は奥方w)はひと言も声を発しないので(時々嫉妬に震える動作などはあり。笑)、シテの独演がしばらく続きます。

ついに夜が明け帰らねばならない時がきた辺りの語りに入りますと、これまでのウキウキとした調子から、ぐっと寂しい調子に変化します。
花子が袖をつかんで引き留めようとするのを振り切って男は別れを告げます。あぁ・・・この名残惜しい感じ・・・切ないですねぇ・・(;;)
「帰り道で花子の面影の立つ方を振り返って見たら月は細く残っていた。。。」・・・この余韻といったら!!!万蔵さん絶妙すぎて憎いほど上手い!と思ってしまいました。こんなにも想われる花子に私もなりたい(≧▽≦)!(笑)

そんな余韻のあと「…という話じゃ」と、あっさり素に戻る万蔵さん(笑)

男は太郎冠者(実は奥方様ww)に座禅衾を取るように言いますが、彼(彼女)はイヤイヤと大きくかぶりを振ります。それでも無理やり衣を引っぱがすと・・・!!! (皆様、ご想像の通り!(=´∀`ノノ゙☆パチパチパチ)。
中身が妻であることに気づいた夫、ひどくギョッとして(この表情、最高です!)抜き足差し足でそろりそろりと逃げようとします(絶対逃げられっこないのに~。笑)。これまでずーーっと黙っていた妻が、ヤイそこなヤツ!とばかりにドンッと足拍子を踏むと夫はビビってひっくり返ります(この辺りは期待通りのオーバーアクションです。笑)。
実は筑紫までお参りに出かけていたとか仲間と連歌の会に出ていたとか苦しい言い訳をしますが時すでに遅し。逃げていく夫と追いかける妻。狂言お決まりのラストシーンで二人は幕に入ります。

1時間以上の大曲です。大曲たる所以は、やはり型を伴った小歌と仕方話の長い独演、というのがメインなのでしょうが、うまく妻を騙して嬉々として愛人の元に走り、甘く幸せな逢瀬の夜を過ごし、そして別れの名残のため寂しさでいっぱいになる、といった男自身の心情の変化を上手に表現しつつ、舞台には出てこない花子のキャラクターや心情を男の語りを通じて見せることの難しさにあるのではないでしょうか。

今回花子を演じるのが十年ぶり三回目となる万蔵さんは見事にその難しさをクリアし、男と花子のラブストーリーを私たちの脳裏に投影してくださいました。そして、妻を演じた又三郎さん、太郎冠者を演じた松次郎さん、同じ和泉流でもお家が異なる実力派の方々が脇を固められていたこともスパイスとなり華やかな舞台になったと思います。

シテの装束と扇も鮮やかな色彩で美しく、この曲が特別に扱われていることを感じました。

今回この曲を観ていてふと思ったのですが、シテの年齢によって男のキャラや花子との関係性がかなり変わってくるんじゃないかなぁと。
万蔵さんは30歳、40歳、50歳とこの曲のシテを演じたわけですが、まだお若いのでエネルギーにあふれる男性と対等な女性の関係性に見えました。
私が以前に拝見したもう少々ご年配のおシテの花子は、枯れた男性が恋に迷うことで花子の母性みたいなものが見え隠れする面白いものでした。
どちらがいいというわけではなくそれぞれに面白いとは思うのですが、万蔵さんが60代、70代になってくると、さらに変化して面白い花子になりそうな気がします。

また万蔵さんの花子を拝見できる機会が巡ってきますように!

次回は「枕物狂」について書きます。