「狂言」タグアーカイブ

狂言大曲「狸腹鼓」

萬歳楽座で、野村萬斎さまの狂言「狸腹鼓」を拝見。一子相伝として重く扱われている秘曲。昨年NHKのドキュメンタリー番組でその大曲に挑む困難さが取り上げられていたし、暑苦しそうな着ぐるみで身を包んで狸の面をかけ、特殊な足使いで素早く移動したり、跳躍したり回転したり…見た目の上でもこの曲の大変さが素人にも少しは理解できるけれども、それでも狂言の一曲である以上、観る方はそれを重々しく感じることなく、軽やかな気持ちで最後に、あぁ面白かった、楽しい舞台だった、と思える方が良いように思う。
昨日はまさにそんな舞台を見せて頂いた。狸の仕草はとても可愛く愛おしく見えたし、命を取ろうとしていた猟師まで一緒になって腹鼓を打ちながらごろごろ回転する楽しい場面から一転して、狸が一匹残って身重のお腹をさすりながら月を見上げるラストシーンは切なさと温かさで心に染みるものがあった。
なお、この後に上演された能「羽衣」はこれ以上ないくらいの豪華な出演陣で眩しすぎて目が開けていられないほどでした!!(いや、ちゃんと観てましたとも!)

乱能~鎌倉能舞台45周年記念公演

2月17日、乱能を拝見してきました。乱能とは、シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方の玄人全員が専門外のお役を担当して行う演能形式です。歌舞伎や文楽で言うところの天地会みたいなものです。
普段と勝手が違う役割に、ハプニング続出、セリフを忘れて後ろから教えてもらったり、カンペ取り出して見たり、他の人にぶつかったり、舞が全然揃ってなかったり、棒読みだったり。またオリジナル演出やありえない小物、誇張気味の表現なども楽しく、後見がカメラ持って撮影してたり、能面で視界が狭くなってるシテツレが下向いて足伸ばして爪先で舞台の端っこ探っていたり、長袴の裾を翻して隣の人の頭に引っかかったり、誰かサンを真似してるのか大袈裟な台詞回しをする人、土蜘蛛の投げた糸で観客までも糸まみれ…などと、とにかく可笑しくて抱腹絶倒。
その一方でなかなかのクオリティを披露した方も少なくなく、特にお囃子は皆さんお上手で正直驚きました。楽器が一番難しいんじゃないかと思っていたので。お囃子方でシテなどを演じられとても声の良かった方も。
演目の中で、翁、鉄輪、高砂は、おふざけはなく真剣に演じられ、普通にお能を観るようにすっかり魅入ってしまいました。素人の発表会とは雲泥の差。やはりお役が違うとはいえ普段慣れ親しんでいる領域なので、自然と感覚が身に付いているのかもしれませんね。
野村万作さまの翁は何の違和感もなく、そのまま正月にやってもいいんじゃない?と思いましたわ~。
朝10時から夕方5時過ぎまでの長丁場でしたが、自由席、休憩時間は特に設けられず出入り自由の気楽な雰囲気、折々に舞台から客席にアメが撒かれたり、樽酒が振舞われたりして、お祭りムードでとても楽しい一日でした!

第69回 野村狂言座

あけましておめでとうございます。

今年の初観能は「野村狂言座」でございます。

本当はこの前に別の能の公演を一つ観ているんですが、なんか内容がイマイチだったので、観なかったことにしました(苦笑)。

さて、野村狂言座です。これまで年間チケットで毎回木曜日に観ていたんですが、諸事情により今回は年間チケット買いませんでした。年末の公演だけ行こうと思っていたのにやっぱり無性に行きたくなり、行かれなくなった方から良席のチケットを譲っていただけた幸運もあり、金曜日の鑑賞です。

ところで、宝生能楽堂では最近、座席がリニューアルされました。以前の座席は布カバーがかけてあって、時間が経つにつれどんどんお尻が前に滑っていき偉そうな姿勢で鑑賞することになっていたのですが(私だけか?)新しい座席はなかなか座り心地が良いです。

そして、今回気づいたのですが、席番の付け方が変更になっていました。チケットを見ると、正面席へ列64番台。ん?60番台?以前はそんな番号なかったような。一列にはせいぜい20席ほどしかなかったはず。補助席(パイプ椅子?)でも出てるのかしらん、と思って座席を探していましたら、以前は10番台だった席に60番台が割り振られていました。つまり、以前は正面席と中正面席と脇正面席で番号が同じ席があったわけですが、新しい席番は、脇正面席ひと桁番台~10番台、中正面席20~30番台、正面席50~60番台として、各エリアで番号が被らないようにしたようです。慣れていない人は自分の座るべきエリアを間違えて、他のエリアの同じ番号に座ってしまったりすることがよくあったのでしょう。これは些細なことのようでなかなか評価できる変更です。

60番台という新しい席番
60番台という新しい席番

宝生能楽堂は自宅から一番近い能楽堂だし、トイレの個室が多くてどんなに行列が長くてもめちゃくちゃ捌けが良いので、好きな能楽堂です(どんな好きポイントなんだか。笑)

話を戻します。最初に野村萬斎さまの解説。時折ギャグを織り交ぜながら巧みなトークで会場を和ませます。加山雄三の歌がらみのギャグや「(ガール)ハント」というワードは昭和な人にしかわからないであろうに(笑)。ギャグというワード自体、ワタシが昭和だわw

萬斎さまの解説は絶好調で、5分オーバーする勢い。暴走する余り(?)客席に向かって「誰か止めてください」だって(笑)。「昨日はこんなこと話してないんですけどね、イマイチ伝わらなかったみたいなのでね(話を付け足してみた)」…とか(笑)。いつも木曜に行っていましたが、ひょっとしたら解説のみならず演目も、金曜に行った方が木曜の反省が生かされて完成度が高いのかもと思ったりしました。

さあ開演です。まずは囃子方のみによる素囃子「神舞」。正月公演ならではの豪華な幕開きです(幕はないけど。笑)。

つぎに狂言「夷毘沙門」。二人の神様が出てくるお話ですが、平日の会社帰りで疲れていたのか、ここで沈没しかけるワタシ・・・。

狂言「千鳥」はよく上演される演目ですが、太郎冠者が今回は萬斎さまでなく石田幸雄さんでした。萬斎さまは酒屋の役です。いつもと逆パターンの配役でちょっと新鮮。石田さんのお茶目な太郎冠者ぶりもなかなかいいもんでした。まあ、この演目はハズレがないですね。会場からも素直な笑いが起きてました。

休憩を挟んで、最後の演目が「若菜」でした。果報者(高野和憲さん)が海阿弥(野村万作さま)をお供に連れ、野遊びのため大原に出かけると、若菜摘みの大原女たちが通りかかり、二人が女たちを誘って酒宴が始まる、という話です。萬斎さまの解説によると、太郎冠者ではない海阿弥のようなキャラクターが出てくるのはこの作品ぐらいで、萬斎さまが10代の頃に出演された黒澤明監督の映画「乱」での秀虎と狂阿弥の関係性に通じるものがあるそうです。「乱」はシェイクスピアのリア王を題材に作られましたが、「乱」の狂阿弥はリア王の道化とは少しキャラが違う感じがします。黒澤監督は「若菜」を観て秀虎と狂阿弥の関係性を作り上げたような気もしますね。そういえば狂阿弥を演じたピーターに野村万作さまが狂言指導をなさったんですよね。息子が出演してるからなのかと思っていたけど、黒澤監督が能狂言から影響を受けていることを考えると、先に万作さまにオファーがあったと考えるのが自然ですね。

萬斎さまは「若菜」には「笑うところがない」と解説していましたが、確かにその通りでした。酒宴での謡や舞が聴きどころ観どころの作品です。皮肉なところが一つもなくて、誰も彼も性格が良くて、大原女たちは初めは恥ずかしがって誘いを断るのですが、再三の誘いには気持ちよく応じてお酌をし謡って舞います。万作さまの可愛らしくて味わい深い道化の演技も本当に微笑ましく、謡も舞もとても素晴らしかったです。萬斎さまも大原女の一人として出演されていました。お正月にぴったりのほのぼのした雰囲気で心が和みました。萬斎さまが、果報者を妬んだりしないで幸せな人がいるんだなと思って温かい目で観てほしいとおっしゃっていたのですが、実に幸せな気分にさせてもらえる良い作品に出会えた思いです。今年も良い年になりそうです(^_^)

ロビーにはお正月らしく鏡餅と酒樽が。
ロビーにはお正月らしく鏡餅と酒樽が。
能舞台にも正月飾りが。
能舞台にも正月飾りが。

万作を観る会・芸歴八十年記念公演(第二日目)

野村万作さまの芸歴八十年記念公演(第二日目)を拝見して参りました。

チケット応募をすっかり忘れていて落胆していたところ、お友達がチケットを手配してくれていたのです。あぁー万作ラブ熱♡を常々しつこいぐらいに主張しておいてよかったぁ~と思いました(*´▽`*) 感謝の気持ちで国立能楽堂へ!

今回一番観たかった「三番叟」は、万作さま・萬斎さまのお二人ともが三番叟を勤められるという珍しい演式でした。小書に「神楽式・双之舞」とあります。「神楽式」は古より伝わる小書のようですが、「双之舞」は公演プログラムに「二人の三番叟であることを勘案し名付けた」と記載されていましたので、今回の記念公演のために作られたということなのでしょうか。ともかくたいへん珍しいものを見せて頂きました。

二人の三番叟が色違いでお揃いの装束をつけ同じように黒い尉の面をかけて鈴を持ち舞台上で同時に舞います。舞台を広々と使い、並んで舞い離れてはまた近づき交差し、波動と立体感が感じられる舞。三番叟は常でも豪華なものですが、双之舞ではその迫力と華やかさは二倍増しとなりおめでたさが際立つものでした。

千歳はお孫さん(萬斎さまのご長男)の裕基くんが初々しく勤められれ、親子三代共演の三番叟まことに微笑ましい光景です。お囃子方には藤田六郎兵衛さま(笛)、大倉源次郎さま(小鼓頭取)、亀井忠雄さま(大鼓)ら超一流どころが招かれ、素晴らしい演奏で万作さまを祝福なさいました。

万作さまの従兄弟の三宅右近さまの狂言「佐渡狐」、名古屋の野村又三郎さまの小舞「御田」、万作さまのお孫さんの遼太くんの小舞「景清」、万作さま・萬斎さま親子の狂言「痺(しびり)」、そして一門の若手たちの「六地蔵」と、バラエティに富んだ演目でそれぞれにとても楽しめました。中でもいいなぁ~と思ったのが小舞「御田」で、これ覚えて内輪のおめでたい席なんかで舞ったら盛り上がりそうだな~と狂言小舞もちょっと習ってみたいなと思ってしまいました(能の仕舞もろくに練習してないくせに…?(゚∀゚ ;))

萬斎さまはスター☆彡なのでお若い頃から光り輝いていますし最近は人気に負けない実力を兼ね備えて全く非の打ち所なく素敵だと思いますが、お父様の万作さまとご一緒に舞台に立たれますと、どうしてもお父様の素晴らしさの方に目を奪われてしまいます。お年は召されましたが万作さまの芸はいまだ遙かに高いところにおられます。萬斎くんまだまだですなぁ~がんばれ~(笑)

八十三歳とは思えない軽やかな動きを見せて頂いた三番叟の円熟の舞も素晴らしかったですが、「痺」で演じられた太郎冠者のお茶目さ愛らしさもまた万作さまの持ち味を存分に楽しむことができ、ファンには嬉しい番組でした(*^_^*)

お祝いの会にふさわしい豪華で楽しい公演でした。いやホント観に行って良かった!
万作さま、芸歴八十年まことにおめでとうございます。さらに芸歴九十年をめざして今後もお元気にご活躍されますよう心よりお祈り申し上げます!

日経能楽鑑賞会「咲嘩」「求塚」

日経能楽鑑賞会は、日本経済新聞社が開催する喜多流の友枝昭世さんと観世流の浅見真州さんのおシテで同じ演目を二日間に分けて競演する会で、今年で第八回となります。狂言についても同じ和泉流ではありますが、野村萬さん、野村万作さんがやはり同じ演目でそれぞれおシテを勤めます。比べっこが好きな私には嬉しい会ですが、平日で開演時間も早いということで、なかなか両方観るのは難しく。今回は一日目の喜多流を観に行って参りました。

狂言「咲嘩」(さっか)

太郎冠者が主人に伯父を連れてくるよう命じられたがひょんなことから咲嘩(詐欺師)を連れてきてしまう。主人は咲嘩を穏便に帰そうとするが、太郎冠者が馬鹿正直さを発揮して主人をヤキモキさせる話。
野村万作さまが演じる太郎冠者は設定では馬鹿キャラなんだけど、最終的には主人をおちょくっているような流れになっていきとても面白かったですぅ~(*´▽`*)

能「求塚」(もとめづか)

《ざっくりあらすじ》
二人の男に求愛された女が態度を決めかねて二人を勝負させるが決着がつかず、女は自らの罪を感じて入水する。女は地獄に墜ち責め苦に見舞われる。旅の僧が女を成仏させようと祈りを捧げるが・・・。

このお話、たぶん観た人ほとんどが感じることは「女は地獄に墜ちるほど悪いことしてないじゃん!」…だと思います。

女は二人に結婚相手としての決め手がないことから、生田川の鴛鴦を射た方の求婚に応じると言います。二人が射た矢は同時に一羽の鴛鴦に命中します。あらあら困った、決まらない。ここでPK戦サドンデス方式なら決まるまで何度でも対決させられますが、そう何羽も鳥を射るわけにもいきませんよねー。女は鴛鴦を犠牲にしてしまった罪悪感から自らの命を絶ってしまうのです(だったら最初からそんな勝負させなきゃいいのにね…(´ヘ`;))。

入水した女の遺骸が引き上げられ、求塚に葬られます。女の死を知った二人の求婚男たちは、塚の前で刺し違えて二人とも死んでしまいます(←ここちょっと不思議です。なんであんたらまで死ぬの!?)

自殺した女は地獄に墜ちます。女はなぜ地獄に墜ちなければならなかったのでしょう。当時の仏教思想では、そもそも女は成仏できないものらしいですよ。女であること自体が罪であると考えられていたのです(んまぁ、理不尽な!ヽ(゜Д゜)ノ)。ましてや罪もないオシドリを愛を試す道具にして殺してしまい、男二人を手玉に取り(?二股かけてたわけではないんですけど)終いには死なせてしまった罪は重い。それで地獄に墜ちてしまったのでしょう。

地獄で女は二人の男の霊から責められ、犠牲にしたオシドリから攻撃され、そのうえに様々な八大地獄の責めに遭います。

女は思ったでしょう。「なんで私がこんな目に!?」たまたま二人が同時に求婚してこなければこんなことにはならなかったのです。輝かしい未来が待っているはずだった若く美しい女性には思いも寄らなかった運命。晴天の霹靂とはこのこと。

現代なら、どちらも振ってしまうか、とりあえず二人ともとつきあってみて良い方を選ぶ、ということもできたでしょうが(笑)

さて、お能の方ですが、おシテは人間国宝の友枝昭世さまです。好きな能楽師さんの一人です。求塚は重い曲ですが過去にも何度か勤められている模様。

前場は菜摘女の姿でツレ2名と一緒に登場してきます。旅の僧(ワキ)が求塚の所在について尋ねますが、さあねぇ~わからないわ、アタシたち忙しいのよん、と軽くあしらわれたり。この辺、キャピキャピとした(←死語?)若い女のグループがおじさんをからかっている(?)感じで季節も早春で明るい雰囲気です。

ツレとワキのやりとりの間、シテは何やら曰くありげな様子を醸して佇んでおります。

ツレ2名が退場してシテだけが残り、なにゆえアナタだけ残ったの?という僧の問いに、女が昔話を始めますが、最初は他人事のように語っていたのが、実はそれは私の話なのよ~という流れになり、空気が一変します。(この辺、二人静で静の霊が憑依する展開に似ています。同じ菜摘女だし~)

自分の話を語り終えた女は舞台中央に設置された作り物(求塚)の中に入ります(中入り)。

塚の中のシテがお着替え(=後見が着替えさせている)中、間狂言の野村萬斎さまが登場し、女と二人の求婚者の話をより詳しく説明します。要は同じ話のおさらいなのですが、シテの謡に比べるとアイの語りの方が言葉がわかりやすく、またシテの謡では語られなかった内容を若干補足していたりしますので、観客にとっては理解の助けとなります。

ワタクシ、アイが出てきて話し始めると前場の緊張から解き放たれ少しリラックス気分になり、姿勢を崩して体をほぐしたり、時には居眠りしちゃったりすることもあります(狂言方の皆様、ごめんなさ~い_(_^_)_)。
しかしながら、近年の萬斎さまのアイはとてもよろしいので常にしっかと観ております。今回地謡でご出演された粟谷明生さまが「萬斎氏の語りは、単なる物着時間稼ぎの境地を離れ、ひとつの演劇として成立していた」と仰っていましたが、全くその通りだと思います。
以前にある狂言方さんが「経験を重ねるにつれ間狂言の方にこそやり甲斐を感じるようになってきた」と仰っていたことがあり、確かに派手なアクションで補えない分、語りの力量が問われる役なのかもしれないな~と思いました。

さて、お話も終わり(着替えも終わり)、後見が作り物の真後ろにいったん着座します。お囃子の演奏が始まり、じきに中からシテが謡うのが聞こえると、後見が作り物の引き回し(周りを覆う布)を外します。すると、前場では小面をかけていたシテが地獄の女を象徴する痩女という面をかけて登場します。この瞬間、シテの居場所である作り物は求塚から地獄の火宅へと変わったとみなしましょう。

痩女…。中年女の顔のように見えますが、本当は若くして亡くなった女性です。しかし地獄の責め苦に遭って弱り果てすっかり痩せこけてしまったということなのでしょう。

僧が可哀相に供養してあげますと言うと、女はありがたや~と嬉しそうにしますが、その直後、いきなり恐怖に満ちた態度に一変し地獄の責め苦を描写し始めます。ここからの昭世さまの演技は、能にしては珍しくとても写実的でありました。はっと体を引いてみたりビクっと驚くような仕草を見せたり、身体全体を使って自分の身に起きていることを一つ一つ表現していきます。

謡も地獄の責めの苦しさ耐えがたさを生々しく伝える迫力ある詞章であります。二人の男の亡霊それぞれから左右の手を引っ張られて責められ、犠牲にしたオシドリは恐ろしい鉄鳥に姿を変え、女を猛攻撃します。女は鉄鳥のクチバシで脳天を突かれ脳髄を吸い取られます(ひえぇぇ~~~~(((;゚д゚))))。逃げようとしても前は海、後ろは火焔、逃げ場がなくてすがりついた柱もたちまち炎となり体は焼かれ、地獄の鬼どもに鞭で打たれ、八大地獄の全ての責め苦を負わされ、ついには無間地獄の底に上下逆さまに落とされます。シテは必死にワキに助けを求め、ワキも読経し続けますが、願いも空しく、シテは再び火宅(地獄)へと戻ってゆきます。

地獄のすさまじさを表現するために、地謡はかなり激しい感じで謡うのかな~と予想していたのですが、今回、少々抑えめに謡われていました。ちょっと意外でしたがこれがかえって良かったように思えました。地の底から響くような抑えめの地謡が、少しばかりの罪に対して過剰なほどの罰を受けることになった不条理さや、耐えがたい地獄の苦しみが未来永劫続く絶望感をひしひしと感じさせる効果を与えていました。

私には地謡がまるで読経しているように聞こえました。実際に読経しているのはワキなのですが、そんな読経で八大地獄の罰に値する罪深さを救うことなど不可能なのだと突きつけられるかのように・・・。

一般的な能のストーリーには、シテが救いを請う→ワキが供養→めでたく成仏\(^O^)/…というパターンが多いように思いますが、その場合は地謡も元気よく謡ってパァーッと気持ちよく終わることが多いです。しかし、今回は成仏できなかったどころか、再び苦しみの世界に自ら戻っていくのですよね。地獄の責め苦の様子を恐ろしげに描写しながらも、シテの救いを求める気持ちから諦観や絶望感へ至る心の変化がよく表れていました。何とも心が痛くなる結末です。

求塚、奥が深いですよね~。比較のために二日目の観世流も観てみたかったですね。でも、あまりに救いがなく凄惨極まりない重すぎるお話なので、二日続けて観るのはちょっとエネルギーが要るかもしれません。

称名寺薪能

昼間、鎌倉観光をたっぷり楽しんで、一路横浜へ。目的地は金沢文庫駅から歩いて一五分のところにある称名寺です。GW期間中はライトアップしているとのことで、ライトアップした橋や建物をバックに薪能が見られるということで、期待が高まります。

地元のための催しということで、区役所窓口でチケット販売されており、良い席は窓口で買うのが一番なのでしょう。ネットで買ったせいか、かなりの後方席。しかも、私の一つ後ろの列からは一段高くなっているのに、最前列から私の列までは全く段差が無く。もう一つ後ろだったら良かったのに・・・(´・ω・`)

なんだか雨が降りそうなビミョーな天気になってきました。寒っ!薪能では絶対に忘れちゃならない防寒対策を全くしてこなかった(ーー;) ダウンを着ている人もちらほら。まずいな、こりゃ。

最初に横浜副市長の挨拶があり、次にこの地域の子供達や一般の素人さん達の謡が披露されます。子供達も全員着物でかわいい♡ 謡っている最中に遠くから唄声が聞こえてきます。何か別の催し?薪能をやる日に別のイベントを重ねるなんて気が利かないなと思いました。せっかく謡っている声が全く聞こえません。

素人さんの謡が終わると火入れ式です。この薪能にずっと参加しているという地元の方が火入れ奉行を勤めます。火が本堂から運ばれてくるのですが、先ほどの唄声がだんだんこちらに近づいてきます。あれ?別の催しではなかったの?そして松明の火と一緒に法被姿のいなせな男達が唄いながら会場に入ってきたのです。どうやら地元のきやり保存会の人達で木遣り唄のようです。儀式の一環としてこの行列行進を入れたのでしょう。しかし、素謡の最中にいれたのはいかがなものでしょう。謡っている最中に別の音が入るなんて普通の謡曲会や発表会ではありえませんぜ。せっかく習った成果を披露しているのにはっきり言って邪魔。せめて発表が終わってから、火入れの行列を始めれば良かったのではないかな?

火入れ式が終わり、仕舞、狂言「蚊相撲」能「放下僧」と続きます。天候の関係で休憩はなしになりました。、確かに雨降りそう。あるいは謡の発表と木遣り唄がかぶったのも、時間を短縮するためだったのかもしれません。運営側の苦労がしのばれます。しかし、寒い中であるからこそトイレ休憩はしっかり確保して頂きたかったと思います。トイレが会場内に無く、いったん会場の外に出ないとならないので、休憩を設けると戻ってくるのに時間がかかり、予定が押してしまう懸念があったのかもしれません。

雨が降ってきたら、もっと悲惨なことになるのはわかっていますが、観客には不親切な対応だったと感じ残念に思いました。

肝腎のお能ですが、前の人の頭でほとんど舞台が丸ごと見えませんでした。段差の無い列のお客さんは皆、右か左に頭を傾けて必死に見ようとしています。椅子もすこしずつずらすように配置して、前の列の頭と頭の間から見られるようにすればいいのに・・・と思いました。私はもう観ようとするのを諦めて、聴くことに専念、一度見たことがある演目なので、今あれやっている、これやっているとひたすら想像です。

幸運にも結局雨は降らず。美しいライトアップを堪能して参りました。次に見に行く機会があったらぜったいに正面席の前の方を取ろう!

金剛流定期能 「濯ぎ川」「二人静」@セルリアンタワー能楽堂

4月20日(日)午後13時開演 セルリアンタワー能楽堂
解説 金子直樹
狂言「濯ぎ川」 
 男 茂山千五郎 
 女 茂山茂 
 姑 茂山正邦 
能「二人静」
 シテ(女/静御前の霊)金剛永謹 
 ツレ(菜摘女)    金剛龍謹
 ワキ(勝手明神神職) 宝生閑(工藤和哉休演につき代演)
 アイ(従者)     松本薫 
 笛 藤田次郎 小鼓 森澤勇司 大鼓 亀井実
 後見 宇高通成 廣田幸稔 豊嶋幸洋
 地頭 今井清隆

○狂言「濯ぎ川」

60年前に劇作家の飯沢匡さんが作られた新作狂言だそうです。飯沢さんが大蔵流に贈られたそうで、また、最初に上演した茂山千五郎家でしか実質上演されていないとのこと。茂山家は京都の狂言方なので、東京での上演機会は少ないため今回はとても珍しいものを観られたと思います。

<あらすじ>
嫁と姑にいつも用事を言いつけられこき使われている婿がいた。川で洗濯をしていると、嫁と姑が入れ替わり立ち替わり現れて、まだ終わらないのか、愚鈍な男だ、などと罵倒し、他にもあれしろこれしろと次々と用事を言いつける。たまらなくなった婿は、やるべきことを紙に書いてもらい、それ以外のことはやらないという約束をとりつける。婿が洗濯をしていた小袖を川に流し、流された小袖を取りに入った嫁が流されて溺れそうになるが・・・。

この後の展開は想像がつきますよね(笑)

新作狂言ですが、伝統的な狂言の形式をしっかり踏襲した演目です(言われなければ新作とはわからないほどです)。とても楽しく拝見しました。嫁と姑が最強で、入り婿の立場では頭が上がらないなんて、今も昔も変わらない永遠のテーマですよね。婿が「さてもさてもわわしい女どもかな」と忌々しく言うところ(しかし嫁姑に直接は言えないところ)など、見所の男性のお客さんもわかるわかるみたいな顔して見てました(笑)

○能「二人静」

今月初めの夜桜能で観世流の二人静を観ました。
夜桜能 第三夜 「二人静」

あらすじはこちらに書きました。
琵琶と語りと夢幻の世界

本日は金剛流の宗家と若宗家の親子が二人の静を舞います。親子だからでしょうか、声質も体格も似ていて息もぴったりです。

観世流で見た時は、静の亡霊が床几(葛桶)に座って菜摘女が一人で舞う場面があったのですが、今回はなかったです。ひたすら相舞です。流儀の違いなのか演出の違いなのかはよくわかりませんが、全然違っていて面白いと思いました。観世流と同じく二人は全く同じ装束をつけて舞います。長絹の紐の色と扇の柄が若干違っていました。それ以外は全く一緒。身長差がそんなになかったので、目を離してしまうと本当にどっちがどっちなのかわからなくなりそうです(笑)

二人静はもちろん舞が見どころの曲と言えますが、菜摘女が神官に報告している最中に静御前が取り憑いて途中から急に静御前の語り口調となる場面などはお芝居として観ても面白いところです。今回は取り憑く前後で極端に声色が変わったりはしなかったのですが、変わる瞬間のタメが絶妙でした。その一瞬のタメによって、アッここで取り憑いた!と観ている者がわかるのです。すごいなぁ。

しかし菜摘女に取り憑いたのに、さらに自分自身も出てくるとは、よほど供養してほしかったのねん。静たん。(´・ω・`)

おワキが工藤和哉さんの予定でしたが休演とのことで、宝生閑さまが代演されました。思いがけず閑さまを拝見できたのは嬉しいですが工藤さんは体調でも崩されたのでしょうか。心配です。

さて、セルリアンタワー能楽堂ですが、東急ホテル内にある能楽堂です。実はこれまで御縁がなく一度も入ったことがありませんでした。こじんまりしていますがしっかりと能楽堂です。ホテル内の施設なので瀟洒な感じです。お手洗いも広くて化粧スペースも独立していて使いやすくありがたいことです。スタッフさんの対応も丁寧に行き届いていてとても気持ちが良かったです。ここで結婚式もできちゃうみたいですよ。今回初めて入りましたので、許可をいただき舞台と見所の写真を何枚か撮ってきました。

国立能楽堂 4月定例公演 「酢薑」「海士」

4月18日(金)18:30開演 国立能楽堂

急に予定がキャンセルとなりヒマになってしまったので、冷たい雨の中、ふらりと国立能楽堂に来ちゃった私。ふらり能楽堂のときは一番安い席と決めています。中正面席2430円(あぜくら会価格)。でも右端でほぼ正面席と変わらぬ見やすい位置。ラッキー☆

国立能楽堂の主催公演は、週末だと満席のことも多いのですが、本日は平日夜のため、しかも雨だからか空席が目立ち、がらすきでもないけど閑散とした雰囲気。通常の公演より外国のお客さん比率がとても高かったです。チケットがお安く英語字幕ありだからでしょうか。

見所でマナーの悪い人と遭遇してしまい残念だったのですが(※)こうして舞台を思い返してみると今となってはどうでもいい話になりました。良い思い出だけを残し、悪い思い出は忘れましょう!

※その話はこちらに詳しく(能楽堂で隣り合う人を選べないがために若干満足度が下がったという話)

○酢薑

薑売りと酢売りが出会い、自分こそが商売司と、お互いの商売物の由緒を自慢し合い、さらに薑の辛いの「から」と酢の酸っぱいの「す」がついた言葉を言い合って勝負します。二人は街を巡りながら目に入るものを次々とテンポ良く言葉にしていきます。競っているつもりがお互いの優れた秀句に感心して笑ってしまう。交互に秀句を発しては二人で大笑いする繰り返しでなごやかな良い雰囲気に。意気投合した二人は最後は一緒に商いをしようと言い笑って別れます。

他愛のないやりとりですが、対立していた二人がすぐに仲の良い雰囲気になり、リズミカルな言葉遊びも楽しく、最初から最後まで温かい笑いにつつまれていました。

薑(はじかみ)とは生姜のことですが、辞書をひいたら古には山椒のことだったらしいです。どちらも辛いのでどっちでもいいですけど!

シテ(酢売り)が三宅右近さん、アド(薑売り)が石田幸雄さん、同じ和泉流ですが、家が違うのでこのお二人の共演はちと珍しかったです。
このあと石田さんは野村狂言座にご出演のため、宝生能楽堂へ移動してハシゴ出演されたはず。お疲れ様でした!

○海士

観世流なので「海士」ですが、他流では「海人」と書きます。読み方は「あま」です。おシテは浅見真州さま。

淡海公(藤原不比等)との間にできた子の立身出世のために自分の命と引き換えに龍宮から宝の玉を奪還した母のお話。

このお宝奪還のエピソードを語る箇所は「玉ノ段」と呼ばれ仕舞でも観る機会が多く、舞・謡ともに見どころ聴きどころの場面です。

母は剣を手に龍宮に飛び込み、三十丈の玉塔に籠められ龍王や悪魚・鰐たちに守られた玉を奪います。剣で乳房の下を掻き切って奪った玉を押し込め(うひゃあ!痛そう…)死んだと思わせて追っ手を惑わし逃げきります(龍宮の連中が死人を忌み嫌う習わしを利用して死んだふりをし、あらかじめつないでおいた命綱を地上の人々にびゅんと引っ張ってもらう。頭いいなこの人は)。壮絶すぎまする!結果母は死んじゃうんですけど、宝の玉は無事に淡海公の手に渡ります。我が子の将来のために母は命をかけたんですね。すごいな、この母は!

母の望み通り大臣となった藤原房前が母の供養のため讃岐の志度の浦を訪れたところ、一人の海士が現れ(房前の母の亡霊)、水面に映った月が観たいから邪魔な海中の藻を刈ってきてよ、と頼まれ、そういえば昔も海に潜ったことがあった、と語りだすのが先述の玉ノ段の箇所。房前は海士が自分の母の霊だと知り、追善法要の管弦講を催すことにします。

中入り後に海士は龍女に変身して再登場!早舞といって通常は貴人の男性などが舞うかっこいい舞を舞います。本日は《懐中之舞》という小書(特殊演出)つきでしたので、後シテの龍女が懐中に経典を入れたまま舞い、舞い終わったあとに経典を房前に渡します。小書なしの場合は、舞う前に渡すそうです。
経典を懐中に入れたまま舞うことで、御経の力で成仏できた感がより一層増すのでしょう!御経ありがとう!おかげで成仏できたわ、いえぇーーい!という喜びにあふれた様子でノリノリで舞うシテ。子供にも会えたし、もう思い残すことはないことでしょう!

房前大臣の役は子方が勤めます。今回は谷本悠太郎くん、まだ6~7歳くらいの小さい子でした。1時間50分ほどの長丁場、床几に腰かけているとはいえ、最初から最後までじっとしていなくてはならず、しかも子方の型やセリフが多いこの曲、かなりたいへんだったと思います。やはり後半はちょっときつそうだったかな。しかし最後まできちんと勤めあげました。受け取った経典をたどたどしく巻き巻きする様子がかえって微笑ましかったりして。子供は可愛いというだけで全て許されますですネ。

強き母(海士/龍女)が最初から最後までかっこいいこの曲、たびたび観たいと思わせる演目であります。

野村狂言座「蟹山伏」「花盗人」「六人僧」

4月17日(木) 18:30開演 宝生能楽堂

○解説

本日の解説(※)は野村萬斎さまです。解説は万作の会の皆さんが持ち回りでなさっていますが、誰なのかは当日行ってみないとわかりません。(※)解説者が誰であるかはチケット予約サイトでわかるそうです。(ひろみさん情報ありがとう\(^_^)/)
18時30分と早い時間に始まるこの公演、解説に間に合わないことも多いんですが、本日は半休とって会場前に到着、間に合って良かったぁ。

さあ、今回、初めて知ったことは、和泉流は謡本を刊行できないそうで。理由は家元がいないから(へぇ~)。古本屋でしか手に入らない、と萬斎さま。確かに能楽堂で和泉流の謡本は見たことないわな。

さてこれ以降、萬斎さまの解説の内容も織り交ぜまして、各演目の感想などを。

○小舞「海老救川」「田村」

「海老救川」、各地の川の名とそこで獲れるいろいろな海老の名が出てくる楽しい曲です。萬斎さまが子供の頃、初めてお稽古した時に、謡の最後の一節で吹き出したと仰っていたので、一所懸命謡に集中して聴いていたら「海老のハナゲ」という文句が!鼻毛!?海老の触覚のことらしいです。いかにも小学生男子のツボにハマりそうな単語ですよね(笑)

「田村」は能から逆輸入した曲である、と萬斎さま。我々には狂言は能の先行芸能であるという意識がある、と仰っていました。確かに現在では狂言は能の添え物扱いになっているようなところがありますから(狂言の間に休憩している観客も少なくないですし…)それに対する反発があるようですね…。

○狂言「蟹山伏」

山伏物の演目は少ないが人気があってどれもよく上演される、と萬斎さま。

山伏と強力が山で正体不明の化け物と出会い、化け物がかけた謎かけを解いて蟹の精であると見破り退治しようとするが、逆に二人とも耳を挟まれてしまう。

各地に蟹問答の民話や伝説が残っています。謎かけを挑んで答えられなかった僧侶を次々と殺していた化け物を、ある僧侶が謎かけを解き蟹の精の正体をあばいて退治した、という話です。
蟹山伏はこの話をルーツにしたと考えられていますが、民話では蟹の精は退治されるのに、狂言では反対にとっちめられるところが面白いところです(しかも殺されるわけじゃなく耳を挟まれる程度なのが微笑ましいですね)。

狂言では蟹の精など人間以外の役の場合に面をかけますが、子供が演じる場合には面をかけないんだそうです。
本日の子方は素人のお弟子さんとのことで、このように時々素人さんにも舞台を経験させているんだそうです。可愛らしく伸びやかに上手に演じていました。こういう経験をきっかけに、将来、狂言師になってくれれば嬉しいですね。

○狂言「花盗人」

他人の庭の桜の枝を盗んで、庭の主人に捕えられ縄をかけられた男。自分の不遇を儚み行為を悔いて涙を流し、桜にちなんだ古歌を詠みますが、盗人の風流な感性に感心した主人が縄を解いてやります。主人は盗人に酒をふるまい、謡や舞で宴となり、二人で桜を愛でます。満足した主人は盗人に桜の枝を与えます。

萬斎さまによると、笑うところはなく渋い曲、大蔵流の方が面白い、と仰っていました(笑)大蔵流はたくさん人が出てきますが、和泉流は登場人物が二人です。しかし、花尽くしの古詩、古歌、小謡、小舞が次々と披露されて味わい深い芸を楽しむことができ、舞台上に桜の花が飾られて春を感じられ、私は大好きな演目です。

万作さまが縄をかけられて、泣くシーン。なんだか最近、万作さまの泣くシーンをよく見ているような。万作さまの泣き姿は本当に可哀そうで見ているこちらまで切なくなります。あぁーーー、泣かないでください、万作さま…。でも、最後にめでたく終わってホッとします。

狂言には対立している者同士が最後に仲良くなりめでたく終わる曲がたくさんあります(もちろん、やるまいぞやるまいぞ~と怒られて終わるのも多いですが。笑)。風流だからと言って許してあげるところなどは心の豊かさや懐の深さを感じます。世知辛い世の中でも気持ちは斯くありたいものです。

○狂言「六人僧」

三人の男が諸国仏詣の旅に出かけるが、道中、絶対に腹を立てないという誓いを立てる。夜、一人が熟睡しているところ、他の二人がいたずら心を起こして、寝ている一人の頭の毛を剃ってしまう。目を覚ました男が二人の仕業に気付いて憤慨するが、腹を立てない誓いを立てたと返されて二人を責めることもできない。男は何とか仕返しをしたいと思う。国元へ帰り、二人の男の妻を訪ねて、夫らは川で溺れて死んでしまった、そのため自分は二人を供養するために頭を丸めて出家したのだと嘘をつく。二人の妻は悲しみ後を追って自害しようとするが、男はそれを止め、出家して供養するのがよかろうと勧め、二人の妻の頭の毛を剃ってしまう。そうして男は二人の男のもとへ引き返し、妻たちが夫は浮気するために旅に出たという噂を本気にして嫉妬に狂い刺し違えて死んだと嘘をつく。二人は最初は仕返しの嘘に違いないと信じないが、男が剃髪して得た妻たちの髪の束を遺髪だと言い差し出すとすっかり真実だと思い込み自分たちも仏門に入る決心をし頭を丸める。ところがじきに二人の男が真相を知るところとなり、妻たちをそそのかした男の妻も尼にしてやろうと息巻くが・・・。

この演目は初めて観ました。和泉流にしかないらしく、あまり上演されない曲のようです。比較的長い曲ですが、ストーリー性があって登場人物も場面展開も多く、たいへん面白かったです。
いい大人がいたずら心を起こして実行しちゃうところはいかにも狂言ぽいですが、ここまで演劇的な展開の曲は珍しいのではないでしょうか。次はどうなるんだろうとドキドキしながら拝見しました。

最初にいたずらされたシテの石田幸雄さんが機転を利かせて二人の男に一矢報いるところ、一枚上手な感じはさすがです。痛快でした!

能楽堂で隣り合う人を選べないがために若干満足度が下がったという話

昨日、セルリアンタワー能楽堂で隣の男性が最初から最後までずっと鼻水をずずずーっとすすり続けていて、マスクしていたので風邪か花粉症だと思うんですけど、せっかくの静寂が破られて幽玄な雰囲気がぶちこわしに。マナーが悪いわけではなく、生理現象は仕方がないと思うんですけど、休憩時間に鼻をかむとか周りに気を遣ってほしかったなと思う。まあ、かんでも出てきちゃうのがハナですが(笑)

まあ、そんなのはまだたいしたことないんです。音のマナーの話は以前(※)にも書きましたが、今回はさらに目が点になるツワモノに遭遇しました。ちょっと聞いてよ奥さん!

※こちらに詳しく(能を観るときの雑音について考えてみた)

金曜日の夜に国立能楽堂の定例公演に行きました。

狂言が始まって5分ほど経った頃、空いていた隣席に若い女性が遅れて到着。

すると彼女、バッグを床に置いたが、バッグの中からスマホをわざわざ取り出してひざの上に置く。オイオイ、ここは電波は届かないよ、意味ないよ、それにスマホの電源を切りなさいよ、と思う私。既に狂言が始まっているにも関わらず、時々、スマホいじっている。チラ見したらLINE(か、その類のチャット)やってる!なんでよ、電波届いてるの?国立能楽堂は携帯電話の電波をスクランブル抑止しているはずなのに!?

思わず画面に目をやるとチャットの会話は中国語。それに一緒にひざの上にのせていた東京の地図、地名は中国語の簡体字で書かれていて、皇居などの観光スポットに手書きでマルしてある。中国語をメインで使う外国からの観光客と思われます。

彼女、たまーに舞台をチラ見するものの、ほとんど最初から最後までずーーーっと下見たままスマホいじってた。

日本に来たのだから何か日本的なものを観たいと思って能楽堂とやらに来てみたのかもしれないけど、途中まで見て退屈になったからというのならまだしも、到着して即刻その調子だったので全く理解できません。他の誰かと一緒に来て本人は乗り気じゃなかったというのならわかりますが、彼女は一人で来てました。いったい何しに来たんだよぅ~。

周りの観客がマナーが悪くてもなるべく気にしないようにしたいんだけど、音を立てなくても画面の光が目に入るし、隣で頻繁にフリック入力されるとやはりどうしても気が散っちゃいます。お願いだから能楽堂の見所では携帯電話使わないでくださいよぅ。使うなら外に出てやって!

国立能楽堂や国立劇場の観客席では携帯電波をスクランブル抑止しています。気になったので終演後に自分の携帯電話とモバイルwifi(ドコモ)の電源を入れてみたら、案の定圏外でした。なるほど全ての周波数に対応しているわけではないのか。マナーの悪い人と隣り合うかどうかは運を天に任せるしかありませんね!